第99話 ゆったり自然な二人の時間
「「 ごちそうさまでした 」」
――俺と鈴守は、空になった食器を前に、揃って手を合わせる。
「いや〜……ホンっトにおいしかった。もう大満足!」
「ふふ……良かった。お粗末様でした」
……お互い、自然と笑顔がこぼれた。
鈴守が作ってくれたのは、特に奇をてらったわけでもない、ごく普通のビーフカレーにサラダと、おキヌさんからもらった豆腐の入った、油揚げとわかめの味噌汁。
だけど、その普通が実にウマかった。
体育祭のときのお弁当もそうだったけど、これまで食べたこともないような、信じられない美味――とか、そういうんじゃなく。
彼女のお手製だから……ってのももちろんあると思うけど、とにかくホッとする味だった。
ホッと安心して――ほっこりして。
鈴守の人柄がそのまま表れたみたいな、優しい味だった。
それを鈴守に素直に伝えると、これも体育祭のときと同じように……すっごく恥ずかしそうに、でもすっごく嬉しそうに笑ってくれた。
そのことがまた、俺もたまらなく嬉しかった。
「……ほんでも、ちょっと多めに、って、だいたい4人分くらいは作ったはずやから……全部食べてくれるなんて思わへんかった」
からっぽになったカレー鍋を見る鈴守。
なんだか感慨深げだ。
「これぐらい、男子高校生にゃ余裕だって。彼女の手料理、しかもおいしいとなりゃなおさら!
……いやー、幸せ太りってのはホントにあるんだって実感したね」
「……もう」
鈴守は困ったようにはにかむ。
……ちなみに鈴守も、体格的には小さいけど、ご飯はわりとしっかり食べる方だ。
しかも、おいしそうに、決して残さず。
それもまた、この子の良いところだと思う。一緒に食べていて気持ちがいい。
「……にしても、鈴守、カレーはわりと甘口派なんだな」
「――え!? もしかして、甘すぎた?
一応、普段よりちょっと辛めを意識したんやけど……」
「ああ、大丈夫、そのへんは全然問題ないって。俺、どっちでもいけるから。
ただ、甘口派ってことは、亜里奈と気が合いそうだな、って」
「へえ……亜里奈ちゃんも甘口派なんや?」
「アイツ、基本的に辛いのとか炭酸とか、刺激強いの苦手なんだよ。
――言うことはいちいち辛口なクセしてな」
俺がぼやくと、鈴守は柔らかく微笑む。
「それは、亜里奈ちゃんがお兄ちゃん大好きで……でも同時に、恥ずかしがり屋さんやからってだけやと思うよ?」
そして――手早く皿を重ねて持ち、席を立った。
「――あ。いいよ、後片付けぐらい、俺がやるって」
「ううん、今日はお礼やし、最後までウチにさせて」
……そう言われると、俺も食い下がれない。
ひとまず、食器を流しへ運ぶ程度のことはして、席に戻った。
「……とりあえず、あったかいお茶でも煎れよっか?」
キッチンに残った鈴守は、ヤカンを手に、そう尋ねてくる。
まあ……確かに、食後のお茶でまったりしたいところだ。
食器も、しばらく浸け置きしておいた方がいいだろうし……。
「ありがとう、お願い。
……えっと、お茶っ葉の場所とかは――」
「さっき見つけたコレでええんかな?」
キッチンの向こう、戸棚から見慣れた茶筒を出してくる鈴守。
俺は「それそれ」とOKサインを出す。
「……にしても、うちのキッチン、ドクトルさんトコに比べると、狭いわ古くさいわゴチャゴチャしてるわで、やりにくかったろ?」
「ううん。逆。なんか……すごいイイなあ、って思った」
火にかけたヤカンを見つめたまま、鈴守はゆったり言葉を紡いでいく。
「亜里奈ちゃん用って分かる踏み台とか、使いやすさを考えて整理されてる調理器具とか、全体的に、使い込んであるけどキレイにされてるところとか……。
なんかちょっと……実家、思い出したかな」
「……鈴守……」
「あ、ご、ゴメン、しんみりしたこと言うて!
別にホームシックとか、そんなん違うから!」
「……ああ。
でも……いずれ俺もお邪魔したいな、鈴守の生まれ育った家」
俺が、あえて笑顔を見せると……。
鈴守も、やわらかく笑い返してくれた。
「……うん。来て欲しいなあ……」
それからしばらく、俺たちはムリに言葉をかわすこともなく……。
やがて鈴守は、俺の分と自分の分、熱いお茶を煎れて戻ってきた。
湯呑みは……俺が教えるまでもなく、俺用と来客用の見分けがついたらしい。
いわく、見ればすぐに分かったとのこと。
お揃いになっているのが両親用、小さめでネコが描かれた可愛いのが亜里奈用、同じく小さめで真新しい、奇抜なデザインのものがアガシー用。
そして、ちょっと欠けがある大きめで無骨なのが俺用だ……と。
――見事に正解だった。
そのあと、お茶をすすりながら……俺たちは、他愛ない話に花を咲かせた。
二人っきりってことを意識して、もっと緊張すると思ってたんだけど……。
逆に、お互いなんだか落ち着いていた。
なんていうか……こうやって、二人でのんびりと一緒の時間を過ごすこと。
ただそれだけで……安らぐ。とても自然な感じがする。
満たされてるなあ、って――そう思えるんだ。
「あ、そう言えば……赤宮くんって、将来やりたいこととかあるん?
やっぱり、お風呂屋さん継ぐん?」
「俺? うーん……まあ、それも悪くないんだけど……。
〈天の湯〉は、亜里奈の方が『継ぎたい!』って言ってるからなあ……」
「そうなん?」
「うん。アイツが番台手伝うようになったの、2年ぐらい前からだけど……なんか性に合ってるみたいで。
まあでも……アイツならなんでもこなしそうだし、まだ小学生だからさ、将来どうなるかはさすがに分からないけど……。
とにかくそんなわけだから、俺も家業を継ぐ以外の道を考えはするかなあ」
「うん」
「……って言っても、具体的にどんな仕事、ってほどのものじゃないけど。
とりあえず……世界をあちこち回ってみたいかな。
いろんな国の、いろんな場所を――この目で、この足で、直に見て回りたい」
――これは別に、気取ったわけでもなんでもない、俺の正直な気持ちだ。
ごく普通の平穏な生活ってのは確かに目標ではあるけれど……。
それと同時に、自分が生きてるこの世界を、もっと知っておきたいとも思うんだ。
異世界をいくつも、何度も、歩き回ったからこそ――。
そもそもの故郷のこの世界も、もっと見て回っておきたい、って。
一番知らないのは、この世界のことかもしれない、って――。
「そっか……うん、ええと思う!」
「……ありがとう。それで、鈴守は――」
同じ問いを、そのまま返そうと思ったその瞬間――。
俺は……なんて言うか、意識の隅に引っかかるような、『黒い気配』を感じた。
そして、まるでそれに呼応するように――鈴守のスマートフォンが鳴る。
律儀に俺に断りを入れてから、スマートフォンを手に、廊下に出た鈴守は……。
しばらくして、暗い顔をしながら戻ってきた。
「……もしかして、ドクトルさんから呼び出された?」
俺の問いに、鈴守は力無くうなずく。
「ちょっと『家業』のことで……。ゴメンな、後片付けもまだやのに……」
「いいよそんなの、そもそも俺がやるつもりだったんだし、気にしなくていいって」
そう、それに――ある意味、ちょうど良かった。
俺も……俺の方も、『仕事』が出来たところだったから……な。
「ありがとう、でも…………」
鈴守は、残念そう……というか、その表情には未練がましいものを感じる。
きっと、ついさっきまでの穏やかな時間が惜しいんだろう。
俺と一緒の時間を、惜しいと思ってくれてるんだろう。
……分かるよ。俺も同じだから。
だから、いっそすっぽかしてしまおうか――なんて、そんな考えも浮かぶけど。
鈴守も、そんなことを言いそうな顔をしたけど。
だけど、俺たちはお互い、そんな甘えを口に出すことはなくて――。
でも、お互い、心配はかけたくなくて。
――結局は、「また学校で」と……笑顔で別れを告げた。
「――さて……と」
鈴守を見送った俺は、あらためて意識を集中し、さっき感じた『黒い気配』を探る。
アガシーいわく、この世界は魔法が発展していないぶん、そのテの反応が比較的遠くからでも分かりやすい(夜の明かりがなければ星が見えやすい……みたいなもの)らしいけど、そもそもが人間の俺には、アガシーのような広範囲に及ぶ探知能力は無い。
だから……反応を感じ取れたのは、わりと近場だ。恐らく〈呪疫〉。
ある意味、助かったって言えるかも知れない――広隅市の端っことかだったら、俺じゃ気付きようがなかっただろうから。
……それじゃあ、目標もはっきりしたし、さっさとすませるか――。
そう、いつもの調子でアガシーに連絡を取ろうとして……俺ははたと動きを止めた。
――俺の脳裏に、今朝早く、わざわざ俺を叩き起こしてまで出発の挨拶に来たときの、アガシーの弾けんばかりの笑顔が思い浮かぶ。
〈聖なる泉〉で役目に縛り付けられていたときの姿からは想像もつかない、本当の意味で『生きる』ことを謳歌しているのが分かる、心からの笑顔――。
楽しくってしかたない……そんな想いそのものの笑顔。
今もきっと、その笑顔のままに、亜里奈やクラスメイトとの時間を目一杯に楽しんでいることだろう。
それを思うと……とてもじゃないが、邪魔をするのははばかられた。
だから――。
「まあ……別に問題ないか」
なんだかんだで、銀行強盗のときもなんとかなったしな……と。
俺は、ガヴァナードに頼るのは諦めて――この身一つで家を出るのだった。