第五話 リバーシのホストたち
「いやー、悪い悪い。服は洗って返すから」
ホストクラブ『リバーシ』のロッカールームで店長が俺に謝る。しかも、笑いながらだ。
もう少し誠意を持って謝るべきだと思う。
だってこのオヤジは、俺にゲロをお見舞いしやがったんだもの。
「本当に悪いと思ってんですか?」
「ああ、お前に吐いたおかげでスッキリした。ありがとう!」
アレ、なんだろう。
人から感謝されているのに、喜べないこの複雑な気持ち。
これがパラドックスってヤツか。
「まあ、それは置いておいて。……早速だが、今から面接を始めまーす」
「はい?」
「だから、今から面接を始めるんだよ」
「面接なんて聞いてないですよ?」
「だって今言ったもの。それに簡単な質問を一つだけするだけだって」
なんだ。一つだけの質問か。
面接なんて言うものだから、履歴書とかそういう堅苦しいものを想像してしまった。
「それじゃあ、質問するぞー。……女は好きか?」
「……」
困った。
まさか、こんな質問だとは。
確かにホストは女の人を相手にする仕事であるため、女の人を好きでなければならないのだろう。
しかし、女の人が好きかと聞かれて素直に好きと答えればよいのだろうか。
てか、俺って女の人が好きなのか?
いや、待て。これは店長の罠かもしれない。
一見ふざけた質問のようにも思えるが、この質問の裏にはきっと意図があるはずだ。
よくある話じゃないか。きっとそうに違いない。
日ごろお世話になっている、イーグルさんのためにもこの面接に受からねば。
考えろ。この質問に隠された裏回答を。
女、女、女……はっ! そういえば、『努力』の『努』という字は『女の又に力』と書く。
ってことはつまり―――
「はい、女の人の又を支える力はあると思います!」
「……お前ってそんな下ネタキャラだったっの?」
「え? ……あっ!」
自分が今口走ったことを思い返し、顔が熱くなるのを感じた。
しまった! 俺はただ努力ができる人間だということを伝えたかっただけだ。
なんで回りくどい真似をしちまったんだ。
女の人の又を支える力があるって、ただの変態発言じゃねえかっ!
「い、いやっ、そういう意味ではなくて―――」
俺が補足しようとした時、後ろにあるロッカールームの扉が開く。
振り向くとイーグルさんが笑いを堪えながら入ってきていた。
「ははっ。さすがデウスだよ。期待を裏切らない」
イーグルさんは目尻に滴を浮かべ言う。
この人、盗み聞きしてやがったな。
「いや、だから―――」
「分かってるって。いろいろ考えて言ったんでしょう? でも、この質問には何の裏もないよ。ただ、単純に女が好きかって聞いたんだよ」
「え? そうだったんですか? てっきり、何か意図があるんだと思ってましたよ」
ないない、とばかりにイーグルさんは手を横に振る。
じゃあ、本当にただ女の人が好きかどうかを聞いたのか。
そんな質問に何の意味があるんだ?
「ちなみに店長であるこの俺は女が大好きだ。もう女のパンツになりたいぐらい好きだ!」
好きのベクトルが違うところに行ってるぞ。
それはただの変態だ。
「俺も女の子大好きだよ。特に体も心も幼い子は護ってあげたくなるよ」
イーグルさん、アンタはただの変態紳士だ。
ほどほどにしないと、いつか警察のお世話になるぞ。
「俺っちも好きっす! テンチョーがパンツなら俺っちはブラになりたいっす!」
いつの間にか、光さんもロッカールームに来て、この訳の分からない会話に参加してきていた。
この盛りに盛った金髪にはまだ慣れない。
「ふっ! 甘いな、光! 僕は女の子のスクール水着になりたい!」
これまたいつの間にか参加している、翼さん。
メガネをくいっと上げてクールにキメているが、言っていることが残念すぎる。
こんな人だったんだ。
なんか、いろいろと大丈夫だろうか、この店。
「君は何になりたいのだ? ん?」
翼さんは顔を近づけてくる。
なぜそう言う話になる。面倒だな。適当に答えよう。
いや、答える必要もないのだろうけど、社交的なところを見せなくては。
「い、いや、俺は……空気でいいです」
俺がその一言を発した瞬間、全員が俺から一歩下がる。
それに何やら空気が冷たい。
アレ? 引かれた? 何で?
「おい、イーグル。お前とんでもない逸材を拾ってきやがったな」
「うん。俺もビックリですよ」
「ど、どうしたんですか?」
俺は異様な雰囲気に耐え切れず聞く。
すると、翼さんがメガネを光らせてこう言う。
「君。空気になるということはだな。女の子の体内に入り、女の子の体をすべて味わうということだぞ。そう。文字通り全てだ。あんな所やこんな所まで……この変態がっ!」
胸の奥に何か鋭く冷たいものが突き刺さった。
し、しまった。
適当に答えただけのに、まさか空気がそこまでやらしい存在だなんて思いもしなかった。
ていうか、翼さんのニュアンスのせいでもあるような気がする。
って待てよ。変態に変態って言われたということは、変態の二乗ということ。
なんか、泣きそうだ。
「よし面白いから、デウス合格だ」
嬉しいような嬉しくないような、本日二度目の複雑な気持ちである。
合格と共に何か大事なものを失った気がする。
「そういえば、デウスその赤いスーツ似合ってるね」
「ああ。これですか」
店長のゲロのせいで汚れてしまった服の代わりに、だて眼鏡と共に貸してもらったものだ。
まあ、仕事着がなかったので丁度良かったのだけれど。
でも、赤って派手すぎないか。
「そのスーツ俺のなんだよ」
「え? イーグルさんのものなんですか? ていうか、いいんですか? 俺が着てても」
「ん、いいんじゃない。サイズがちょっと大きいようだけど」
そういえば、この赤いスーツどこかで見たことがあると思ったら、いつかのカチコミでイーグルさんが着ていたものだ。
あの時は驚く暇がなかったが、今思えばあの白いスーツが印象的なイーグルさんが真っ赤なスーツを着ていたのだ。
そんなことを思いながらなんとなく、ロッカールームの扉にもたれ掛ろうと一歩下がる。
もたれ掛ろうとした時、扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえる。
その音がこちらにだんだん近づいてくるのが分かった。
誰だろう。随分と急いでいるようだ。
俺は扉を振り向きドアノブを握ろうとした。
その次の瞬間―――
「―――っ!」
俺は額に強い衝撃を受け、背中から倒れこむ。
痛いっ。すごい痛いっ。
「遅れてすんませんっ。ちょっと寝坊しちまって」
悶絶していると、息を荒くした声が聞こえた。
俺はできるだけ痛みを軽減すべく、両手を額に強く押し付ける。
もうすんごい痛い。タンコブできてるかも。
一体誰だ?
そう思った俺は、手の隙間から扉の方を見る。
何か銀色でやけに鋭くとがったものが見える。
なんだこれ。髪の毛?
それから少しずつ視界を下にスクロールすると、目の下に何やら黒い点があるのに気づく。
―――っ!
そこで視界を妨げている両手をどけ、その男を見た。
銀色に光る白髪に、鋭い目つき、右目の下の泣きボクロ。
そして何より、首に巻かれた赤いスカーフ。
間違いない。昼間出会った男。
確か『ホワイト・ファング』と呼ばれていた男だ。
ふと、その男と目が会う。
『あ』
こうして俺たちは再会をしたのだった。
もう開店まで時間がないと言われロッカールームを出た俺たちは、バーの前で先ほどの男が着替えてくるのを待っていた。
「なんだ、デウス、お前アイツのこと知ってたのか?」
バーの内側でグラスを磨きながら店長は聞いてきた。
「ええ、まあ、ちょっとあって」
チンピラに絡まれているところを助けてもらったなんて言ったら、話がややこしくなりそうなので言わ
ない。
「まあ、それはいいとしてデウス。お前の源氏名だが、そのまま‘デウス’でいくから」
「え? そのままでなんて大丈夫なんですか?」
「問題ねえだろ。誰もデウスって本名だなんて思わねえって。なあ、お前ら?」
イーグルさん、光さん、翼さんはそろって頷く。
それは遠まわしで俺の名前を小馬鹿にしてないか?
「ていうか、店長。少し気になってることを言っていいですか?」
「ん? なんだ?」
「このクラブのホストってここにいる五人だけですか?」
「いや、後二人くらいいる。今日は用事があるそうだ。何分小さい店だかんな。そんな人も雇えねえんだよ。だから今日はお前を呼んだんだ」
「ということは、俺は今日だけ働けばいいということですよね?」
「まあ、そうなるな」
そうか。今日だけならなんとかなるか。
うん。何とかなるよきっと。
この際だから、一番聞いておきたかったことを聞いておくことにする。
「俺、初心者ですけど大丈夫ですか?」
「ああ。問題ねえ。この店は客とホストが楽しむ店だ。この店に先輩だの後輩だのってのはねえから。分かんねえことがあったら気軽に聞きな。なあ?」
店長の問いに三人のホストは、俺に向かって笑って頷く。
どうやら、このホストクラブの環境は比較的良いように思える。
ホストに良いイメージなんてなかったが、この店には何やらどこかで感じたことのある暖かさを感じる。
人があまりいないことがもしかしたら、そういう環境を作っているのかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、ロッカールームに続くドアが開き、そこからスーツに身を包んだ白髪の男が出てくる。
スカーフは付けたままだ。
「すんません。待たせちまって」
そう言ってその男は俺の方に近づいてくる。
「さっきは悪かったな。タンコブできなかったか?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
良かった、とその男は安堵した。
こうして改めてみると、普通に整った顔をしている。
しかも鋭い目からは想像できないくらいの時折見せる少年のような笑顔がなんともまあ、胸の奥をくすぐる。
このギャップが女の人を落とすコツだったりしてな。
って、なに冷静に分析してるんだろ。
「オレはキリヤってんだ。霧の夜って書いて霧夜。よろしくな!」
そう自己紹介したキリヤという男は、俺に握手を求める。
見た目とは裏腹に熱い部分がある男の様だ。
俺も差し出された手を握る。
「俺は、デウス。大きい神って書いて大神。こちらこそよろしく」
固く握ったその手は、昼間握った時と同じぬくもりを感じた。
「何かすげえ、源氏名だな」
「あ、うん」
店長は、「言った通りだろ?」と言いたげにドヤ顔を浮かべる。
本当に本名だなんて思わないんだな。
まあそれはいいとして、本当にすぐ再会したな。
また会える気はしていたが、まさかこんな早いなんて。
なんだか特別な何かを感じてならない。
「なんか、すげえな。昼間会って、また夜に会うなんて。運命を感じるぜ」
「奇遇だな。俺も今そう思ってたところだ」
そう言ってお互いクスっと笑う。
やはりコイツとはなんだか気が合う気がする。
「ひとまずそこまでだ。もう開店の時間だ」
そう言って店長は両手を叩く。
「さあ、円陣組むぞ」
え? ホストって円陣組むの? マジか。
この歳で円陣組むって恥ずかしいな。
「ほら、デウス。早く」
「そうだぜ! 早く組むぞっ」
俺はイーグルさんとキリヤに引っ張られ無理やり円陣を組ませられる。
この人たちは多分もう慣れてるんだろうな。
イーグルさんでさえ恥ずかしさを感じてない。
「やっぱり、円陣組むと超気合い入るっす」
「そうだね。これがないと一日が始まらないよ」
「もう夜ですよ」
「僕たちの一日はこれからだろ?」
「そうだぜ。今日はこれからだ」
「さあ、行くぞー」
そう言い、店長はコホンと一息入れる。
ホストが円陣を組むなんて聞いたことがない。
一体どんな掛け声をするのだろう。
俺は半ば興味津々だった。
そして、静かに店長が口を開ける。
「……今日もお客様にスペシャルな夜をお届けしろお前ら。そして……今日も女の子とイチャイチャするぞ!」
『おおっ!』
煩悩丸出しか!
ホストがどんな円陣組むのか期待したら、案の定これだよ!
最初の方はいい感じじゃねっ? って思ったら後半煩悩全開じゃねえか!
そんなことを思いはしたが、ツッコんでも流されそうなので言わないでおく。
無反応のツッコミほど虚しいものはないからな。
「よし! 早速行ってこいお前ら!」
店長のその言葉で全員が店から出ようとする。
え? 何するの? 行くってどこに?
俺の戸惑いが分かったのか、キリヤが話しかける。
「今からキャッチをしに行くんだぜ」
「キャッチ?」
聞きなれないその言葉に、頭を傾げる。
「客引きだよ。お客をこの店に誘いに行くんだぜ」
なるほど。お客を招きに行くのか。
客って勝手に来るものだと思ってた。
「おい、デウス。ちょっと」
俺は店長に呼び止められ、手招きを受ける。
店長のそばに近づくと、そっと何やら薄い小さな冊子を俺に差し出す。
「これは?」
「キャッチのマニュアルだ。困った時に使え」
キャッチにマニュアルなんてあるのか。
なんとも良心的だ。
冊子には『女の子のハートを掴む、三つの法則』と書いてある。
どこぞの売れないキャッチコピーみたいだ。
俺はその冊子をポケットにしまった。
「まあ、アイツらが教えてくれると思うから、気楽に行ってこい」
「……はい」
そう返事をすると、俺はみんなの後に連いていく。
そして、怪しく光る街の中へと溶け込んでいくのであった。
長く短い夜の始まりだ。
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