第三話 笑顔の向こう
河川敷を通り、俺の家がある公園に向かう。
河川敷を通り過ぎるときに、ちらっと俺の知っているホームレスが、釣りをしているのが見えたがスルーした。
その時何か忘れているような気がしたが、気にせず公園に行くことにする。
公園に着くと、真ん中にあるいつものアヒルの遊具が俺を迎えてくれる。
この公園の名前は阿比留公園という、真ん中のアヒル以外は普通の公園と何ら変わりはない。
強いて言うなら、三つのダンボールの塊があるくらいだ。
滑り台の隣に一つ、奥の木と木の間に大きな家が一つ、そしてそのすぐ隣にもう一つ。
ダンボールでできた家、ダンボールハウスだ。
俺のハウスは三つ目の大きなダンボールハウスの隣にあるヤツだ。
ん? 俺のハウスの前に白い影がある。
近づくとその姿が明らかになってきた。
「どうしたんだ? ハカセ?」
俺がハカセと呼んだその老人は、声をかけるなり不機嫌そうにこちらを向く。
白髪にゴーグル、所々破けた白衣を羽織、カエルのような顔をした小柄な老人。
通称ハカセ。ホントはMr.ハカセらしい。
元発明家。今もやってることは変わらない。
この人は俺の命の恩人で、初めて会ったホームレスだ。
「やっと帰って来よったな、このバカタレ」
「ど、どうしたんだよ」
「どうしたもこうしたもあるか。ほれっ」
ハカセは俺に向けて何か物体を放り投げる。
「……あ」
それは俺が物干し竿にしていた伸縮自在の武器、『暴君 壱号』だった。
この武器はハカセが作ったもので、形はどこぞのビームでできた剣がコンパクトになったようなものだ。
「デウス。お前さん、それを何に使っておったか分かるじゃろ?」
「え~と、物干し竿?」
「そうじゃ。ワシがお前さんのために丹精込めて作った『暴君 壱号』が物干し竿なんぞに使われておったんじゃよ。どう思う?」
「いや、干すものがなくて丁度よかっ―――」
「バカタレ!」
俺は思わず背筋を伸ばす。
「お前さん、そこに正座せいっ!」
「は、はいっ」
俺は正座させられた後、お説教をされた。
年寄りの話は長いとはよく言ったもので、まずは武器の手入れの話から命の危機の話になり、それから命の起源の話に遡り、最終的には宇宙の始まりまで飛躍した。
足が痺れて崩しそうになったころに、太く低い声が聞こえてくる。
「ハカセ? どうしたのこんな昼間から大きな声出して~」
俺のハウスの隣の大きなハウスから人が出てくる。
「げっ」
「聞いておくれママ。デウスがじゃな」
ママと呼ばれたその人は、筋骨隆々の体に長身、スキンヘッドで口紅をしており、ネコの絵の付いたいつものエプロンをしている。
通称ママ。おネエさんだ。
お姉さんではなく、おネエさんだ。
スナックバーを経営しており、いろいろと不思議なところはあるが、逆らってはいけない人種だ。
ハカセが俺の犯した罪(?)について話し終えると、ママは大きなあくびをした。
「そんなことどうでもいいわよ。昨日アタシ帰って来るの遅かったんだから、ゆっくり寝させてよ」
そう言って俺に抱き着いてくるママ。
固い筋肉が俺を包み込む。気持ち悪いから離れろ。
「何してんの」
「いい抱き枕があったから丁度良くて」
「離れろ」
「ここで離れてもアタシたちは一心同体。心はあなたを縛り続けるわよ」
「知らねえよ! どうでもいいよ! ていうか、さっさと離れろよ!」
俺が無理やり剥そうとしたが、離れない。力が強すぎる。
「ハカセ助けてっ!」
「ふん、いい気味じゃ。罰が当たったんじゃよ」
そんなハカセ。殺生な。
すると、ママが思い出したかのように俺に言う。
「そういえば、デウス今日サヤエンドウの手伝いするんじゃなかったの? もう終わったの?」
「……あっ!」
そうだ忘れてた。今日サヤエンドウの手伝いをする約束をしてたんだった。
俺は全力でママを引きはがすと、急いでサヤエンドウのいる河川敷へ走り出す。
その間ママが「か・い・か・ん」と言いながら一向に離れようとしなかったことは言うまでもない。
「よう、デウス。随分と遅かったな。サヤエンドウがビニールハウスで待ってるぞ」
土手を下りるとウミサルが、川に竿を立てたまま振り向かずに言ってくる。
いつもの白いニット帽に年中鼻を赤くしている。
太めでガタイの良い体格をしていて、大き目のジャンパーを着ている。
元漁師で魚を取って生計を立てているホームレス。
「いや、忘れてた」
「だと思ったよ。それかまた女装でもしてるのかと思った」
サヤエンドウは嫌味な笑みを浮かべる。
「うるせえ。今日はまだ何も釣れてないみたいだが大丈夫か?」
俺は空のバケツを見て、嫌味で返す。
「うるせえやい。これから大物を釣る予定なんだよ。釣っても食わせてやらねえからな」
「そう言うことは釣ってから言えよ」
ウミサルは小さく舌打ちをして川に向き直る。
さて、ビニールハウスに行くか。
橋の下には、二つのダンボールハウスが繋がるようにしてある。
ウミサルとサヤエンドウのハウスだ。
その奥の少し離れた、日が当たる場所にビニールハウスはある。
ビニールハウスを開け中に入ると、色とりどりの鮮やかな野菜が歓迎する。
その中で揺れる、この季節には場違いの麦わら帽子。
「すまん。遅れた」
そう言うと、その麦わら帽子は揺れを止め段々高くなる。
サヤエンドウがこっちを振り向き笑った。
「来てくれたんですね。待ってましたよ」
メガネを軍手を付けた手でクイッと上げ微笑む。
痩せこけた頬に優しい目元。土で汚れた作業服を着た男。
元農家で野菜を作って暮らしているホームレス。
「すまん。忘れてた」
「デウス君」
「な、何?」
「すまんじゃ済まん……ぷぷっ、ぷぷぷっ」
「……」
そしてこのサヤエンドウは、、他の人に比べて笑いのツボが浅いというか、どこにあるか分からない。
気を取り直して聞く。
「それで俺は何をすればいいんだ?」
ひとしきり笑い終えたサヤエンドウが答える。
「デウス君には、草むしりをお願いしたいのですが」
「おう。任せろ」
軍手を付け、サヤエンドウの指導の下、早速俺は草むしりを開始した。
草むしりという言葉を聞けば、ただひたすら草をむしっていく光景が簡単に思い浮かんでくるが、やってみたら案外その通りである。
野菜の根っこの周りを中心に草を抜く。
雑草は根っこから取らなければならない。そうしないと残った根っこが土の養分を持っていってしまうからだ。
この作業を夏にしたら熱中症で倒れるだろうな。
「なあ、除草剤使えば?」
「除草剤撒いて薬が十分作用しても、立ち枯れ状態になるので、結局は後かたづけが必要なんですよ。むしった方が綺麗になります。それに、除草剤なんて買うお金ありません」
「最後のが本音だろ」
「そうですね」
俺たちは手を動かしながらそんなたわいもない話をした。
そして、随分とむしって残り少なくなったとき、サヤエンドウが静かに口を開いた。
「デウス君」
「なんだ? くだらんオヤジギャグは無しだぞ」
「……お父さんに会いたいと思ったことはありますか?」
俺は言葉に詰まる。
俺の親父。それは去年の十月に俺を借金と共に捨てて行った男のこと。
突然いなくなった男のことだ。
親父のことはあまり考えないようにしていた。
そりゃあ、初めの頃は会って殴ってやりたいと思った。
でも、今は違う。
会ったとしても元に戻らないことを知っているから。
それに俺にはもう新しい家族がいるから。
「会いたいとは思わないだろうな。自分を捨てた親父なんかに。……でも、聞いてみたい気がするよ。どんな思いで自分の子どもを捨てたのかって」
「……そうですか」
サヤエンドウは静かに草むしりを続ける。
どうしてそんなことを聞いたんだろう。
でも、俺はそれを口に出すことができなかった。
代わりにこんなことが口から出ていた。
「どうしてサヤエンドウは野菜を作ってるんだ?」
サヤエンドウは少し目を見開くと、優しく微笑みこう答えた。
「この野菜たちは僕の子どもみたいなものなんです。この野菜を死ぬまで育て続けることが僕の……罪滅ぼしになるんです」
―――どうしてだろう。
時に人は、笑っている時の方が悲しそうに見えてしまう。
その笑顔の向こうにどんな闇を抱えているのだろう。
俺はその闇を知ったとき、笑っていられるほど強い人間になれるだろうか。
……やめよう。考えるのは。
大切なものを失わないために。
それから少しの間沈黙は続いた。
ビニールハウスの外に出ると太陽が真上に来ていた。
背伸びをすると、とても気持ちいい。
「どうですかデウス君。たまには草むしりもいいでしょう?」
バケツ一杯にため込んだ草を抱えて聞いてくるサヤエンドウ。
「そうだな」
たまにはいいかもしれない。
さっきむしった場所を見てみたら見事にきれいになっていた。
その時の達成感というものは忘れられない。
俺が腕を回しながら、歩いていると冷たく強い風が吹きすさぶ。
ふう。寒い。
「あっ! 待ってください!」
背後でバケツが地面に落ちる音がした。
振り向くとバケツの草は地面にぶちまけられ、サヤエンドウはさっきの風で空中を飛ぶ麦わら帽子を追っている。
何やってんだか。
しかし、次の瞬間サヤエンドウの姿は大きな水しぶきと共に下に落ちた。
川に突っ込んだのだ。
「え? オイ! 大丈夫か!?」
急いで駆け寄るとずぶ濡れのサヤエンドウが、再び水しぶきをと共に立ち上がる。
どうやらそこまで深くはないようだ。
「大丈夫か?」
「はい。麦わらは無事です」
いや、アンタの心配したんだけど。
「良かった。濡れなくて」
サヤエンドウは麦わら帽子を胸で抱きしめた。
……変な奴だな。
手を貸し、川からサヤエンドウを引きずり上げた。
サヤエンドウを着替えに行かせて、俺は地面にぶちまけられた草を片付ける。
まったくびっくりさせるなよ。
ていうか、風で飛ばされた帽子を追いかけて、川ポチャとかテレビの世界だけかと思ってたよ。
草をバケツに押し込み持ち上げる。
「ママの言った通り、ここにいたんだね。デウス」
その聞き覚えのあるスィートボイスに顔を上げる。
茶髪に爽やかな笑顔。
すらっとした長身を飾る、下ろし立てにも思える純白のスーツ。
愛のイリュージョニスト兼ヒモこと、イーグルさん。
幾多もの女性を口説き倒してきたその口から、俺の予想だにしない言葉が流れ出す。
「やあ、依頼しに来たよ」
感想やアドバイス、誤字・脱字などの指摘お願いします。




