第十五話 十二個の輪でできた鎖
黒スーツの男たちからの襲撃後、ひまわりを拾って公園へ向けて歩いていた。
日はもう落ちてしまい、一番星が輝いている。
足が重い。
まるで、鉛でも靴に入れられたようだ。
まだ口の中には、血の味が残っている。
体の所々が痛い。吐き気もする。
ネオン街の光が鬱陶しい。
街がいつにもなく止まって見える。
―――また、護ることができなかった。
何がヒーローだ。何が正義の味方だ。
何が約束だ。何が護ってやるだ。
俺は護ってもらったんじゃねえか。
萌香が男たちを止めてくれなかったら、もっと酷いことになっていたかもしれない。
たった一つの約束も護れねえで、善人ぶってただけじゃねえか。
胸の中にどす黒いものが渦巻く。
気が付けば、阿比留公園に着いていた。
ママのハウスの方から明かりが漏れている。
ハウスに顔を出せそうになかった俺は、アヒルの遊具の背中に座り込む。
アイツは、何で笑ったんだ。
アイツが一番怖かったはずなのに。
アイツが一番泣きたかったはずなのに。
どうして、どうして俺は護ることができなかったんだ。
また、俺の目の前から消えてしまうのか。
草の茂みから聞こえる虫の声が耳障りだ。
「あら、こんなところで何してるの?」
ママがハウスから出てくる。
あんまり今は会いたい気分じゃなかったんだけどな。
「何じゃ? デウス。お嬢ちゃんは、一緒じゃないのかい?」
ハカセも続けて出てくる。
「げっ、もうジャーマンは勘弁だぜ」
「すごいタンコブですよ?」
頭を押さえるウミサルと麦わら帽子のサヤエンドウも出てきた。
「えっ、居ないの? 俺も見たかったな~その女の子って、その怪我どうしたの!?」
珍しくイーグルさんもいるようだ。今日も変わらない白いスーツ。
「い、いや……これは―――」
どう説明すればいいんだろう。
見知らぬ黒服の男たちにボコボコにされましたとか?
それに萌香がここにいないことだってそうだ。
攫われたと言えばいいのだろうか。
でも萌香は、攫われることをあらかじめ知っていたかのような発言をしていた。
「……何か、あったの?」
俺の怪訝な表情から何かを察したのか、ママが聞いてきた。
みんなも黙って見守る。
「……」
「……何があったの? 言わなきゃ分からないわ。……私たち、家族でしょう?」
その言葉が引き金だった。
胸の中のどす黒いものが、抑えきれずに、気づけば口から漏れ出していた。
「……何が、……何が家族だよ! アンタたちはそうやって、すぐ家族って言う! 俺たちは血が繋がってないんだぞ! 何で家族なんて言えるんだよ! そんな簡単に家族に何てなれるものなのかよ! 家族なんてどうせ裏切って、勝手に死んで、勝手にどっかに消えるだけじゃねえかよ! 残された奴はどうしろってんだよ!」
全て吐き終えて気づいた。
俺の目からは涙が流れていた。
ママの影が近づく。
俺は強く目をつむった。
殴られるのは当たり前か。今まで散々優しくされといて、こんな言い草だ。
だが、ママの取った行動は俺の予想とは違うものだった。
固い胸板に俺は顔をうずめられていた。
ママに抱き寄せられていたのだ。
「―――辛かったのよね。痛かったのよね。苦しかったのよね。……だから今は泣いていいの。思いっきり泣けばいいの」
「……何で……何でそんな優しくできるんだよ。あんな酷いこと言ったのに。何で他人の俺なんかに優しくできるんだよ」
「他人なんかじゃない。デウスはアタシたちの大事な家族。血の繋がりなんて関係ない。確かに一緒に過ごした時間は少なかったかもしれない。それでも、同じ家の中で同じ鍋つついて、くだらない話で同じように笑って、そういうのって家族とじゃないとできないと思うの。だから、あなたは家族。少なくともアタシたちはそう思ってる。……ありがとうね」
「え?」
「アタシたちに怒ってくれてありがとう。アタシたちに全て吐いてくれてありがとう。だって、それって、アタシたちが家族っていう証拠でしょう?」
俺はママを見上げる。
涙が流れていた。
周りを見渡せば、みんなが俺に優しく微笑んでくれた。
視界がゆがむ。まるで、万華鏡の様だ。
こんな俺なんかを、家族と言ってくれる奴らがいた。
形は歪でデコボコで、馬鹿馬鹿しくて、カッコ悪くて、でも、確かにここに暖かいものがあった。
「……ごめん。それと、ありがとう」
自分の身勝手さが恥ずかしい。
俺はただ、八つ当たりしていただけじゃないか。
許してくれなんて、とてもじゃないが言えない。
「うん。それでいいんだよ」
イーグルさんが笑って俺の髪の毛をクシャクシャにした。
「デウス君は若いですから、たくさん迷っていいんですよ」
サヤエンドウの目が細まる。
その横でハカセが頷いている。
また目から熱いものがこぼれそうになった。
「おい、デウス」
鼻の赤いウミサルが呼びかける。
「他人だった奴同士が簡単に家族になる方法って知ってるか?」
急に何を言い出すんだ?
「……知らないけど」
俺は震えそうな声を堪えながら答える。
「知りたいか?」
「う、うん」
俺の返事を聞いて、ニッと笑ったウミサルは、ママのハウスに戻っていった。
他人だった人同士が簡単に家族になる方法?
結婚か何かだろか。いや、でも結婚って簡単なことなのか?
そんなことを考えているとウミサルがハウスから出てきた。
手には酒瓶を持っている。
「おい、お前ら輪になれ」
疑問に思いながらも、ウミサルに言われるままアヒルの横で輪になる。
俺の右からママその横にサヤエンドウ、ウミサル、ハカセ、イーグルさん、といった順番だ。
「よし、これを持て」
ウミサルの手には、六つのペットボトルのキャップが乗せられていた。
『……何これ?』
みんなの声が重なる。
「ペットボトルのキャップ」
「いや、それは分かるけど、何でペットボトルのキャップ?」
「お前、盃って知ってるか?」
「盃って、あのヤクザとかがするヤツ?」
「そうだ。キャップが良い感じの大きさだからな。今から盃を交わす」
そこでようやくウミサルのやりたいことが分かった。
極道の世界で盃を交わすということは、兄弟や親子になるということ。
つまり、家族になるということだ。
俺たちはウミサルからキャップを受け取った。
それから、酒瓶から少しずつ透明の液体が盃に酌まれる。
「よし、これで準備OKだ。……お前ら、『ベン・ハー』っていう、洋画見たことあるか?」
「う、うん。見たことはあるけど……」
次の瞬間、ウミサルが言おうとしていることがなんとなく分かった。
『ベン・ハー』と『盃』の二つのキーワードで浮かびあがるシーンは、一つだけだ。
多分、他のみんなも同じことを思っただろう。
ていうか、本当にやるのか? アレを。
「ちょ、ちょっと待て。アレじゃなくてもいいんじゃないか?」
俺はたまらず提案した。
「うるせえ! それともお前は何か? 俺の注いだ酒が飲めねえとでも言うのか?」
絡み方がもう面倒臭い。
「い、いや、そんなことはないけど。それに、アレは二人でやるもんじゃないの?」
「良いんだよ。1人ずつは面倒くせえだろ。だから、輪になったんだ。さっさと隣の奴と腕を組みやがれ」
俺は大きくため息をついた。
イーグルさんが俺の肩に手を乗せ、首を振る。
ベン・ハー式の盃の交わし方は、現代となってはただの羞恥プレイ以外の何者でもない。
お互いの盃を持った腕をクロスさせ、そのまま口に運ぶ。
同時に口を付けることで、絡まった腕でできた二つの輪が鎖になるというものだ。
ウミサルはそれを六人同時にやると言っているのだ。
しかも、俺の隣にいるのがママということは、ママと腕組みをしなければならないということだ。
まあ、さっき抱き着かれておいて、腕組みくらいなんだという感じだが。
「ワシは良いぞ。一度やってみたかったんじゃ」
「アタシもOKよ」
俺とイーグルさんとサヤエンドウも渋々了解して、隣の人と両腕を組む。
そして、盃を両手で持つ。
かなり密着している。
ママの太い腕のせいで、人差し指同士でやっと盃をはさんでいる状態だ。
サヤエンドウも人差し指で挟む状態になっている。
みんなと目を合わせると同時に口を付ける。
少量の苦くて辛い液体がノドを通る。ノドが焼けそうだ。
上から見ると、十二個の輪でできた鎖が俺たちを繋いでいるように見えているはずだ。
初めて飲んだ酒がホームレスとだなんて、どこを探しても俺だけなんじゃないだろうか。
「これで俺たちは家族だ。この鎖で俺たちは繋がっている」
ウミサルのその言葉で、胸の中の一つのモヤモヤがスッキリした気がした。
「これで、もう隠し事はなしよね?」
「そうですよ」
「ということは、じゃ」
「話してくれるよね? 何があったのか」
ママ、サヤエンドウ、ハカセ、イーグルさんがまるで打ち合わせでもしたかのように聞いてくる。
「……分かったよ。全部話すよ」
* * *
ママのハウスへ戻り、起こったことの全てを話した。
「……誘拐ですか」
「その黒スーツ共も気になるな。ていうか、あの女なら案外全員にジャーマンかましてるんじゃないのか?」
「いや、十人以上を相手にそんなことできる女はおらんじゃろう。それにしても、蝶の絵の入った車か。
どこかで聞いたことがあるような気がするんじゃが」
サヤエンドウとウミサル、ハカセが訝しげな表情を浮かべている。
あの黒スーツの集団は何者なんだ。
なぜ、萌香を攫った、
アイツらと萌香は一体どんな関係なんだ。
萌香の探していた場所ってのは何なんだ。
考えても考えても何も出てこない。
「それで? デウスはどうしたいの?」
イーグルさんが真剣な目で聞いてくる。
俺は……どうしたいんだろう。
俺が萌香について知っていることは何だろう。
デス・ベアラーが好きで、絶叫マシンは好きなくせに怖いものや暗いところは苦手だということ。
口が悪くて気が強いくせに、泣き虫で強がりで……それでいて、悲しそうに笑う奴だったということ。
「ねえ。これってあの子が買ったものなの?」
ママがひまわりを手に取り聞いてくる。
「あ、ああ。確かお母さんが好きだった花なんだと」
「ふ~ん。ねえ、知ってる? ひまわりの花言葉って『あなただけを見つめる』なのよ」
その花言葉を聞いて俺の頭に電気のような衝撃が走る。
『うん。お父さん全然お母さんのこと話してくれないの。昔はよく一緒にお墓参りに行ってたんだけど
ね。仕事が忙しくなって全然行かなくなった』
『今日は特別な日なの』
『その、一緒に探して欲しい場所があるんだけど』
『うん。お母さんが好きだった花なんだって』
萌香の言葉の一つ一つが、俺の頭の中で繋がり、一つの線になる。
いつの間にか萌香と指切りをした小指を見つめていた。
そして、静かに口を開いていた。
「……俺、アイツと約束したんだ。どんなことがあっても護ってやるって。でも、護ってやれなかった。俺が弱いから。俺があの時もう少し萌香について詳しく聞いていれば、もう少し注意していれば、こんなことにはならなかったのに……」
「あなたは弱くなんてないじゃない」
「いや、弱いんだよ。本当に強い奴なら、もう少し要領よく物事を解決できて、小さいことで罪悪感なんて感じない」
「……そうかもね。でもそれって、本当に強いと言えるのかしら? 罪悪感を感じない人間はただの臆病者なんじゃないかしら。何かを背負うことを放棄するってことでしょう? だったら、あなたのように背負うことから逃げないで必死でもがこうとする人や、人のことで自分が傷つくような人の方がよっぽど強い人だと思うけど」
「でも、俺一人じゃ―――」
「あなたは一人じゃない。あなたの目の前にいるアタシたちは一体何者?」
俺は顔を上げた。
みんなの視線が俺に集まっている。
まるで、俺の背中を押すように。
「家族?」
「そう。家族が助けを求めるんだったら、アタシたちは全力で助ける。家族ってそう言うものよね?」
その問いに、みんなが力強い視線で応える。
ずっと一人で生きていくんだって思ってた。
ずっと失ったままなんだって思ってた。
一度失ったものはもう、二度と帰ってこないんだって思ってた。
……でも、失ってなんかいなかった。
俺の大切なものは消えてなんかいなかった。
俺は、一人なんかじゃなかった。
俺は、生まれてきて良かったんだ。
「……俺、アイツにどうしても伝えなきゃならことがあるんだ。もう、二度と約束をたがえるわけにはいかねえんだ。だから……だから……」
この先の言葉を言っていいのか迷った。
巻き込んでしまって良いのかと思った。
みんなの力強い目と肩に置かれたみんなの手のおかげで、言っていいんだって思えた。
家族なんだって思えた。
「―――助けて、ください!」
その瞬間、俺以外のみんなが立ち上がる。
そして―――
『任せろ!』
そう返事すると次々とハウスから出て行ってしまった。
夜の闇に消えて行くのを見送ると、俺は自分のハウスに戻った。
そういえば、夜に一人になるのって随分久しぶりな気がする。
冬の寒さもあるけど、それとは別の寒いものを感じた。
助けてとは言ったものの、一体どうすればいいんだろうか。
俺が分からないのに、ママたちはどうするつもりなんだろう。
寝ころびながら、指切りをした小指を見つめる。
七年前のあの日も確か、指切りをしたんだっけ。
あの日から、俺の時間は止まったままな気がする。
力なく絡めた小指が、重力に逆らうことなく落ちた瞬間のあの胸の真ん中に穴が開いたような感覚は、今でも覚えている。
もう、あんな思いだけはしたくなかった。
時計を見ると、まだ二十時だ。
何もする気になれなかった俺は、毛布にくるまった。
目を閉じる。
萌香の窓越しの笑顔が目に焼き付いて離れない。
何かに怯えたような悲しい笑顔。
俺が今貫かなければいけない正義は何なんだろう。
俺はいつの間にか深い眠りについていた。
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