第十四話 青天の霹靂
俺は後悔した。
何に後悔したかというと、お化け屋敷に女の子と二人で入ってしまったことにだ。
正確には、ジャーマンスープレックスをかけられる女の子と、だ。
マンガやアニメなんかだと、お化け屋敷に女の子と二人で入れば大抵は、キャッキャウフフのイベントが起こるはずなのだが……
俺の前には人の死体、もとい、一つ目小僧に化けていた人の体が倒れている。
犯人は間違いなく、俺の横で目に光る滴を浮かべてる奴だ。
「な、何よ。ジロジロ見るな。変態」
「はあ~。……ギャフン」
萌香をギャフンと言わせようとして入ったのに、逆に俺が言ってしまった。
どうして人が倒れているのかと言うと、いや、説明するまでもなく……ジャーマンだ。
入ってすぐ驚かせようとした一つ目小僧を、きれいにカウンタージャーマンしたのだ。
ホント元気だなコイツは。
屋敷の中は暗く、提灯や人魂の小さな光が道を照らす。
萌香は俺の服の袖をつまみながら付いてくる。
「あのさ。袖つまむんじゃなくて、腕組んでくれない? そっちの方が雰囲気出るから」
「うるさい! さっさと歩け、変態腐れ外道!」
ひでえ。そこまで言うか?
怖いの苦手なら言ってくれれば良かったのに。
「なあ。そんなに怖いなら引き返すか?」
「こ、怖くなんてないわよ馬鹿!」
そんな涙目で睨まれても、正直反応に困る。
ホント強がりだな。
とりあえず、ここから早く出なければ俺の身も危険だ。
俺はできるだけ早歩きで奥に進む。
赤い襖が見えてきた。
これは例の、襖の障子から大量の手が飛び出てくるアレだな。
襖を横切る瞬間、大量の手が勢いよく飛び出る。
「うおっ!」
分かっていても、驚いてしまう。
「―――って、痛い痛い痛いっ!」
萌香の反応が聞こえないと思ったら、俺の肘に関節技をキメているのである。
それはもう猛烈な力で関節をエグってきた。
「折れるっ! 折れちゃうから!」
悲痛がようやく聞こえたらしく、力が緩んだ瞬間に俺は腕をもぎ取った。
ったく。どこからそんな馬鹿力が出てくるんだ?
「そんなに怖いなら、入る前に言えば良かったのに」
「こ、怖くなんてないって言ってるじゃない! た、ただ、暗い場所が苦手なだけだから!」
「世間一般でそれを怖がるというんだよ」
「もうっ! うるさいわね! さっさと行くわよ!」
そうして、再び萌香が俺の前を歩き出そうとした瞬間、襖が勢いよく開く。
そして、現れたのは首長女。
まさかのダブルトリックだ。
「―――っ!」
萌香は声にならない悲鳴を上げ、走り去って行った。
暗闇の向こうで、何かが壊れる音や鈍い地響きが鳴り響いている。
俺は慌てて萌香の後を追う。
明らかに萌香が通ったであろう道が分かった。
墓のオブジェや井戸が壊されており、お化けだった人がそこ等じゅうに退散されている。
安倍晴明も堪らずお経を読むのをやめて、ブレイクダンスをしそうだ。
ある意味、肝が冷えた。
俺は手を合わせて拝むと、出口の方へ向かって行く。
* * *
出口の光から抜けると、赤みがかった空が広がる。
萌香は、屋敷のすぐ横で蹲っていた。
「……大丈夫か?」
「……だい、じょうぶ」
蹲ったまま答える萌香。
少し鼻声な気がするが本当に大丈夫だろうか。
「……あっ、デス・ベアラーがいる」
「えっ! ホンマに!?」
振り向いた萌香と目が合う。
明らかに目が少し赤い。
「やっぱりな。怖いなら怖いって言えよ」
すると、慌ててまた蹲る。
「さ、最低。嘘つくなんて」
俺は思わず、ため息をついた。
「悪かったよ。アイスおごるから機嫌直せ」
「アイスごときで許してあげると思ったら大間違いよ」
「じゃあ、いらないんだな?」
「……る」
「え? なんて言ったの?」
「いるって言ってるの! さっさと買ってこい馬鹿!」
すんごい剣幕で睨まれた。
涙目のせいで怖くもなんともなかったが、萌香をベンチに座らせるとアイスを買いに向かった。
「うん。中々美味しいじゃない」
ベンチで萌香は美味しそうにアイスを食べている。
機嫌が良くなったようで助かった。
甘い物や可愛いものが好きだなんて、ふてぶてしいくせに随分と子供な一面もあるようだ。
―――って、ちょっと待てよ。
この状況ってもしかして……デートってヤツじゃないのか?
だって、女の子と二人で遊園地に来て遊んでるわけなのだから、明らかにデート以外の何でもない。
うわ、何か急に緊張してきた。
「―――ねえ? 聞いてる?」
「ひゃい?」
萌香の顔がいきなり現れたため、驚いてしまった。
「何よ。変な声出して」
「な、何でもない。それで、どうしたんだ?」
「だから、今度はアレに乗りましょう」
何だ? また、絶叫マシンじゃないだろうな。
俺は萌香の指さす方を見る。
……観覧車か。
って、おい。 ますますデートっぽいじゃねえか。
「なあ、萌香って彼氏とかいるのか?」
そう聞くと萌香は、自分の顔にアイスを押し付けた。
「な、ななな、何よ急に!」
顔を少し赤くして、睨まれた。
あれ? 何か変なこと聞いたっけ?
「いや、少し気になっただけだ。それで、いるのか? いないのか?」
萌香はモジモジとして、答えた。
「い、いないわよ」
「へえ~。珍しいな。モデルみたいに可愛いのに―――ぐはっ!」
殴られた。何で?
「か、かかか、可愛くなんかあらへん!」
「……い、いや、普通にかわ―――ぐはっ!」
「二度も言うたらアカンっ!」
煙でも出そうに顔を赤くした萌香に、また殴られた。
何で殴られたんだ?
俺は殴られた右頬を擦る。
萌香は、そのまま黙り込んでしまった。
……何この気まずい空気。
俺が悪いのか?
とりあえず、謝った方が―――
『只今より、屋外ステージにて覆面ライダーユウキショーを行います』
放送アナウンスが聞こえた。
俺は勢いよく立ち上がる。
「よしっ!」
「よしっ、じゃないわよ」
俺が屋外ステージ行こうとすると萌香に手を掴まれた。
「さあ、行くぞ。戦場へ!」
「戦場ってどこよ!」
「馬鹿野郎! 覆面ライダーユウキショーに決まってんだろうが!」
「覆面ライダーユウキ?」
こ、コイツ。まさか、ユウキを知らないのか?
「まさかとは思うが、ユウキを知らないのか?」
「全然」
何だと? 俺の周りにはなぜユウキを知らない奴が多いんだ。
「赤いマフラーが特徴的な覆面被ったヒーローのことだよ」
「……ただの変態にしか聞こえないわよ」
し、しまった。
こうなったら、俺の持てる全ての知識を叩き込んでやる。
それから俺は、覆面ライダーユウキの魅力について話し始めた。
―――五分後。
「―――であるからして、ユウキとアク―の激しい戦いはとうとう―――」
「もういい」
萌香が手を突き出す。
「これからが面白くなるのに」
「どうでもいい」
な、どうでもいいって。
「それより、観覧車乗るわよ」
「ちょっと待って、ライダーショーは?」
「却下!」
えええええええっ!
……見たかったのに。
うなだれる俺を、強引に腕を組まれ連れて行かれそうになる。
ん? コイツ案外胸あるんだな……って何考えてんだ俺は。
首を横に振って煩悩を振り払う。
「―――ヒーローなんて、肝心な時に来ないじゃない。あの時だって―――」
萌香が何やらブツブツと呟いている。
それにしても、見たかったなライダーショー。
* * *
俺と萌香は観覧車に乗った。
周りにはカップルばかりで、順番を待っている時は非常に気まずかった。
心なしか萌香も目を伏せていた気がする。
空はもう赤く染まっていて、夕日が俺と萌香の空間を照らす。
萌香は俺の前の席に座っている。顎に手をやり、外を眺めている。
観覧車って思いのほか狭いんだな。すぐそこに萌香がいる。
なんか変に意識してしまう。
そういえば、観覧車に乗るのも初めてだな。
と言っても、遊園地に来ること自体初めてのことなのだが。
そんなことを思っていたら、萌香が静かに口を開く。
「ねえ。アンタってさ、母親も父親も今はいないのよね?」
「……ああ」
「……自分が本当に生まれてきて良かったのかって考えたことある?」
「……」
何も答えられない。
俺はその問いの答えを知らない。
「私はね。自分が生まれてこなかったら良かったって、考えているの。そうしたら、お母さんは死なずに済んだし、誰も傷つけることがなかったから」
そんなことない。そう言いかけて止まった。
萌香の母親は萌香が産まれてすぐ亡くなったのだ。
俺は萌香にそんなこと言う資格はない。
俺は萌香のことを何も知らないのだ。
そんな軽はずみなこと、そんな悲しそうな顔する奴には言えない。
でも、ここで何か言わなくちゃ、コイツの時間はこのまま止まったままなんじゃないか。
そんな気がした。
俺は夕日を見つめる。
「……生まれてきて良かったのかなんて分からない。……でも少なくとも、ここに萌香がいたから、萌香が俺に依頼をしたから、こんなきれいな夕日を見れたんだと思うよ」
俺がやっとの思いで絞り出せた言葉は、そんな言葉だった。
今この瞬間だけでも、萌香には笑っていてほしかった。
ただ、それだけだった。
俺は夕日から萌香へと視線を移す。
すると、萌香の瞳から星屑が流れていた。
「え? 俺なんか変なこと言った?」
萌香は慌てて涙を拭う。
「……ううん。呆れ果ててただけ。でも……ありがとう」
そう言ってぎこちなく笑った萌香の瞳は、きれいなオレンジ色をしていた。
ありがとう。初めて萌香の口から聞いた暖かい言葉だった。
「そうだ、アンタ、今日一日私のボディーガードなのよね?」
「ああ」
「ということは、何でもするのよね?」
「……ああ」
「今日は特別な日なの」
「……それで?」
「その、一緒に探して欲しい場所があるんだけど」
「別にかまわないけど」
「でも……」
そこで区切り、萌香はうつむく。
こっちの方が本命の依頼ってわけだな。
「どうしたんだ?」
「……でも、もしかしたらアンタを危険な目に遭わせちゃうかもしれない」
「……何だ、そんなことか」
「そ、そんなことって……」
萌香は顔を上げ、眉間にシワを寄せる。
「俺は正義の味方だぜ? ヒーローはどんなことがあっても困った人を助けるんだよ。だから、約束する。俺はどんなことがあってもお前を護ってやる」
萌香は少し目を見開くとそのまままたうつむいた。
夕日のせいか萌香の白い顔が少し赤く染まって見える。
「……約束」
上目使いで小指を差し出す萌香。
不覚にもドキリとしてしまった。
それでも、その姿は何かと被って見えた。
「約束するときは、コレでしょう?」
「……そうだな」
俺の指と萌香の白く細い指が絡まる。
「……指切った」
俺が言うと小指と小指が下に振り下ろされ、離れる。
「それで、探して欲しい場所ってのはどこだ」
「それは―――」
『ありがとうございました!』
観覧車のゴンドラが止まり、扉が開く。
もうおしまいか。すごく早く感じた。
俺と萌香はゴンドラから降りると、そのまま遊園地を出た。
* * *
電車から降り、外に出る。
仕事帰りで駅のホームは込み合っていて、ロクに話もできなかった。
俺のハウスのある町へ帰ってきた。
日も暮れかけていて、夕日は真っ赤に燃えている。
とりあえず、阿比留公園に帰ることにした。
その道中、俺たちは花屋に寄った。
「あったあった。すみません。この花包んでもらっていいですか?」
萌香はそう店員に呼びかける。
「ひまわり?」
「うん。お母さんが好きだった花なんだって」
「ふ~ん」
店員が包んでいる花は、ひまわりだった。
冬にもひまわりって売ってるんだな。
それで、何でひまわりなんて買うんだろう?
店員から包んだひまわりを渡され、萌香は上機嫌だ。
花屋を後にして、公園に向かう途中、路地裏に通り掛かった時に聞いた。
「それで、探して欲しい場所って?」
「うん。それは、おか―――」
けたたましく鳴るエンジン音が会話を断ち切る。
蝶の絵が入った黒い車三台が目の前を遮る。
ドアが荒々しく開けられ、中から明らかに堅気じゃない奴らが出てくる。
何だコイツら。
「お嬢ちゃん。ちょっと来てもらおうか」
「いや、離して」
黒スーツの男たちが、俺と萌香の間に割り込む。
十人はいる。
萌香を車に連れ込もうとしている。
「離しやがれ!」
俺が萌香に手を伸ばそうとすると、巨漢に遮られる。
「おっと、足が滑った」
俺の腹に膝蹴りがめり込む。
腹の中の胃液が出そうになる。
倒れることは許されず、左頬に一発拳が当たる。
倒れた俺は複数人に、そのまま蹴りを入れられ続ける。
そんな中、俺は必死に萌香に手を伸ばした、が届くことはない。
「もうやめて! その人は関係ないから!」
萌香の必死な叫びでようやく攻撃は止んだ。
男たちは車に入り、ドアを強く閉める。
窓越しからこちらを見る萌香と目が合う。
萌香は笑い、口パクで何かを言った後、車はそのままどこかへ行ってしまった。
エンジン音が遠ざかる。
何で笑えるんだよ。
怖いはずなのに、何で笑ってられるんだよ。
何もできなかったのに―――
「―――何で……ありがとう、なんだよ」
コンクリートに捨てられるようにしてあるひまわりが、俺に優しく笑いかける。
胸の奥の闇を掘り返すように。
―――また、護れなかった。
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