魔女ゲビルの本領
ローマの空を覆う黒い影。
それは突如として現れ、一瞬にしてこの国を支配していった。
鐘がなる。
いや、違う。警鐘じゃない。
──悲鳴だ。
「本部隊と合流し、人々の避難誘導を優先!」
それは反射的による指示だった。
仲間の兵士の表情から察した危機。
カエサルは天を見上げて確信する。
それは雲ではない。
翼だ。
無数の翼に規格外の巨大さを持つ影が、空を埋めつくしている。
太陽は完全に遮られ、明るかった街は夜に沈んだ。
「──ドラゴンだ……」
轟音。鳴り響く雷鳴のような咆哮。
空気が震え、鼓膜が軋む。
大地が揺れ、心が畏怖する。
そして降り注ぐ──灼熱。
白い石造りの建物が、紙のように焼け崩れる。
広場にいた人々は影を残すことなく蒸発する。
「逃げろ!!走れ!!」
燃え盛る炎を掻い潜りながら、カエサルたちは決死の救援活動を行う。
現実離れした光景に脱力し、その場で動けなくなる者。
またパニックになり錯乱する者など各所で混乱を極める。
「グオオォォォオオオオ!!」
「ッ!?」
天空から国中に轟く咆哮。
その刹那、凄まじい衝撃波が押し寄せる。
建物の窓は音を立てて飛散し、大きく揺れた大地に地割れが起きる。
その裂けた大地は奈落となり、
建物、生物、人
あらゆるモノを飲み込んだ。
「……終わりだ。なにもかも」
人々は生きることを諦めはじめた。
天空からの災禍、その神に平伏すようにうわ言を吐き始める。
そしてカエサルの仲間の兵士ガイウスもまた……
「……聞こえるか、カエサル?」
力無く膝をつき、目線は落としたまま口を動かす。
「オレたちが相手にして来たのは、ただのちっぽけな魔物だったんだな……。
戦わずとも勝手に滅びていく、そんな弱々しい命と必死になって戦っていた……」
「違うガイウス!俺たちにはチカラがあった!
だから今日まで生きてこれた!」
「……今日はどうだ?」
「ッ諦めるな!まだ俺がついてる!」
カエサルは、その震える肩を落ち着かせようとガッと掴む。
「カエサル……オレの婚約者、お前の好きだった子なんだ」
「ッ!な、なに言ってんだ……?」
「今日で終わりなら、最期ぐらいお前に謝りたかった。すまない……」
呟いたその声は、まるで神への懺悔のようだった。
「……ッ、馬鹿が!帰ったらその話しちゃんと聞かせてもらうからな!」
「……帰れたら、な」
「ッ!?」
ガイウスの目線を追い、カエサルの視線は天に向かう。
先ほどまで闇に沈んでいた空は、
その巨躯から放たれようとする灼熱の光球により紅色へ染まっていた。
カエサルのその不屈の闘志までをも奪いかねんとするほどの熱波を放つそれは、
絶望への未来を想像させるのには容易いモノだった。
「ッ!俺はまだ……死ぬ訳にはいかない!!」
深紅に燃える双眸。
その視線が地上をなぞる。
死を選別するように。
そしてローマに響いたカエサルの祈りに呼応し、空が裂ける。
《ジークフューラー・ナヘマの魔術》
樹木のような枝葉が世界を貫く。
直後、けたたましく響く悲痛な叫び。
「グルアアァァァァアアア!!!」
「……人の物を奪うなんて最低野郎ですね。
すぐにでも粛清してあげたいところですが……」
「先ずはこのやかましい木偶の坊から殺します」
殺戮場と化した戦場に柔らかい声を漂わす、少女ともとれるような見た目の一人の女性。
ゲビル・クニャージ。
歩く度に淑やかに揺れる腰丈のロングヘアは、炎の光に照らされてプラチナに燦然と輝く。
「ッ!ヤツは……!」
「忌まわしき魔女が!このドラゴンを誘引させた黒幕め!!」
兵士たちは槍を手にしてゲビルの前へと立ちはだかる。
「…………殺るときに言葉は不要。
手が遅いのは覚悟が足りないから」
──《血縛》
ゲビルは向けられた槍を、背中側から伸びた鮮血の触手で絡め取る。
「ッ!バケモノ!!……」
「私の国ではそう教わりました。
対象を殺すときは一瞬でケリをつけなさいと」
無数に伸びる触手のようなモノは、まさにシルエットだけを見れば人ではないバケモノである。
そんな状況を前に、カエサルの言葉は冷静だった。
「──魔女。あのドラゴンはお前が呼んだモノか?」
カエサルのその言葉に彼の目の前で足を止めた。
鋭く細めた瞼から覗かせる翡翠色の瞳は、敵意を放つように彼を睨みつけた。
「……動かれると邪魔です。
《血の静脈》」
「ッ!く……答えろ!」
他の兵士たち同様、カエサルもまた
鮮血を纏うゲビルに手も足も出ずに瞬く間に拘束される。
「奇妙ですね。ここまで巨大なら肌を圧触してくる気配ですぐに対処出来たのですけど。
どうやら隠密性に優れているレムレスの可能性もありそうですね」
天を仰ぎうーんと首を傾げるゲビル。
そして少し考えた後、ポンと手を叩く。
「ここは三則戦術ではなく、聖霊戦術にしておきますか」
ゲビルの魔術によって天を這う無数の鮮血に串刺しにされたドラゴンを指差し、
ゲビルは構えに入る。
《私の操作術──煉赫旋風》
局地的に発生している炎を操作し、赫灼の竜巻で天を焼き尽くす業火の炎。
その光景を目の当たりにした兵士たち、そしてカエサルもみな誰もが言葉を失っていた。
「……これが……魔女のチカラ……」
「……──んっ。反応が消えた?」
ゲビルは口元の端をキュッと絞めると、
それまでの炎が途端に鎮火する。
炎が晴れた空は雲をも焼き付くし、焦げ付いた匂いをそよがせる蒼穹へと変わっていた。
─────
「待て!魔女ッ!」
ドラゴンの侵攻を退けたゲビル。
兵士たちの拘束を解き、そそくさのその場を後にしようとしたところをすぐにカエサル達に発見される。
「……やかましい人ですね。私は無関係ですよ」
「……──なぜ助けた?」
カエサルは訝しげな表情でその背中を見つめる。
「哀れみからか?」
「……ご自由に受け取ってください」
ダンッ!と地面を踏みしめてカエサルの隣にいた兵士が声を荒らげる。
「あの魔物を手引きしたのはお前だろう?!
魔女は敵だ!我が国にとって貴様は不幸を呼ぶ死神なんだ!!」
その言葉を黙って聞くゲビル。
「このまま黙って生かせる訳にはいかない。
──ここでオレが殺す!!」
言葉と共に次第に気持ちがヒートアップしていき、腰に装備していたポケットナイフを手に取ると、
「おい!ガイウスやめろ!!」
ゲビルにたしかに向かっていった銀製のナイフ。
しかしその刃が届くことはなかった。
「……殺すのではなかったのですか?」
ゲビルに突き刺さる直前、刃に生じた違和感、
それは途端にナイフに錆色に変化させ、
ボロボロと形象を崩壊させていく。
「……やめろ。ガイウス」
「言ったハズです。
純粋に助けようと思ったから助けただけです。
裏はありません」
ガイウスを抑えるカエサル。
その二人を見つめる翡翠の眼をしたゲビル。
「ッ貴様が来てからこの惨状だ!
何人の、無関係の人が死んだと思っているんだ?!」
「……別に、嫌われる分には慣れています。
──でも、魔女にだって良心はあるんです」
「悪魔が、一体なにを──ッ?!」
その言葉の前に差し出される複数の小物達。
「……顔と名前も知らない人達でしたけど、肌身につけている物は大切なモノのハズです。
どうするかはお任せします」
「……なぜだ?」
「一宿の恩です」
ゲビルはそういうと踵を返してその場を離れる。
「…………待ってくれ」
ゲビルは歩みを止めない。
「待ってくれ!……頼む!!」
カエサルの必死の呼び止めに、ゲビルは背中で聞くことしかしなかった。
「この国を、俺たちにチカラを貸してくれ!!頼む!!」
「ッ!!カエサル?!」
ズサ──ゲビルは足を止める。
「頼む!俺に出来ることはなんでもする!
これ以上犠牲者を増やしたくない!
だから、その魔術でこの国を救ってくれ!!」
「私の魔術──無料じゃないですよ?」




