20:魔法の血液:ベヒーモス その2
ウルク魔境巣窟──下層。
獅子龍が根城にしている遺跡に、私たちは足を踏み入れた。眩しかった光は背後で途切れ、代わりに冷たい石肌と湿った空気が肌にまとわりつく。
そして例のごとく、白馬の”モトチカ“は入口で待機してもらっている。
ここから先は、外界の光は一切届かない。
魔物の領域であるため──
「喰らえ!」
先陣を切るカエサルが、大きく踏み込みながら剣を振り抜く。
その標的となった地を這う大蛇は豪快に斬り飛ばされ、次の瞬間には空中で細切れになっていた。
悲鳴すら上げさせない一撃に、カエサルは思わず手元のそれをまじまじと見つめた。
「……すげえ、この剣は」
──金色に煌めく長剣。
試練を超えた証として授かったガルーダの羽であり、またの名を『断空剣』と呼ぶ。
風の性質を纏うこの剣は、一振で衝撃波を放ち、本来届かないはずの間合いを超えた先、中距離まで射程を収めることが可能である。
「カエサル、右」
私の言葉を受けたカエサルの横合いから、蛞蝓が飛びかかる。
彼が剣を振る前に、私はそのスラッグを紅い一閃で薙ぎ払う。
「サンキュー、ゲビル」
カエサルは振り返り、後衛を務める私に軽く笑みを向けた。
「にしても、斬っても斬っても湧いてきやがるな。
特にあの蛇とナメクジどもは」
呆れたように進行方向へと向き直すカエサル。
その視線先には波のように蠢く影。
私も“武器”を展開させる。
進路を阻む魔物の軍勢を《血槍静脈》により、一瞬にして掃滅する。
術者の血液を媒介に、地面から無数の棘を突き上げたそれは、包囲しようとする魔物を次々に串刺しにしていったのだ。
魔術は威力を誇る分、相対的に燃費が悪い。
だが呪印はその逆。
この相対する二つの武器を併用し、血液の拡散を最小限に抑える戦法なら、スタミナの消耗を極限まで削れる。
この場のような、広域の雑魚散らしには、魔術と呪印の同時使用こそが最適解だと言える。
「……ふぅ。一旦、片付いたようですね」
やがて周囲の気配が途切れ、静寂が戻る。
私たちは獅子龍を討伐しに、再び歩みを進める。
──かつて遺跡だったこの場所は、魔女の国によって管理され広大な石造りの回廊へと変貌を遂げている。
入ってすぐの壁には、不自然なほど丁寧な案内板が設置されており、複雑な迷宮遺跡の一方で、マップさえ記憶すれば迷うことなく進むことが出来る親切設計。
道となる通りも魔物を搬送するためなのか、岩肌を削り取った跡を残して切り拓かれている。
私たちが横並びに両腕を広げても、余裕で通れるくらいに道幅が広い。
「ここは魔物たちの城──モンスターキングダムですから。まだ序の口です」
ここはまだ下層で入口に過ぎない。
上層に向かうに連れてその脅威度はあがる。
巣窟の深部へ進むほど、異様な光景が視界を侵食する。それは生き物の体内に迷い込んだように、悍ましい雰囲気が漂う。
岩肌という岩肌に異常発達した巨木の根が絡みつき、脈打つようにうねっている。
空気は淀んでおり、辺りは常に紫がかった濃い瘴気に満ちている。
この身体にヤバそうな瘴気は、魔物の心臓が吐き出す呼吸──高純度の魔素である。
「……さすがに鼻につくな」
「心配はいりませんよ。それに瘴気が濃くなったということは、正しく進めている証拠ですから」
高等種族の自然種であるカエサルにとって、この毒気は決して無視できない害となる。
だが彼には断空剣がある。
私は自身の魔術を介入させ、カエサルの断空剣が纏う金色の風を、私たちを包み込むように逆流させた。
私の操作術によって制御されたその風は、常に外側へと吹き続ける。
それは、這いよる瘴気を寄せ付けずに押し返す、
不可視の防壁となる。
──これは応急処置。
今はまだ私の補助が必要ですが、いずれカエサルがこの剣を扱い切れるようになれば、自らの意思でこの程度の障壁は作り出せるようになると思います。
そう遠くはない未来を想像しながら、私たちはベールを纏ったまま奥へと進む。
やがてその瘴気の根源ともいえる、巨大な構造物が姿を現した。
あからさまな扉──封印門にたどり着く。
見上げるほどに巨大な両開きの扉が、私たちを待っていたかのように鎮座する。
「これが次層へと続く扉です」
「デカ過ぎんだろ……巨人でも住んでいるのか?」
「それに近い種族はいるかも知れません」
私は、ポータルの表面に刻まれた複雑怪奇な紋様に指先をそっと這わせた。
触れた先から緑と黄、二色の光が妖しく拍動し始める。
「──封印術だけではなく、結界術も併用されていますね。それも、かなり高度な……」
この封印と結界は強固だが、知らない”術式“ではない。
術式は一目で分かるよう、色付けが成されている。
これは緑と黄──それぞれの光を帯びる紋様は、封印と結界二つの術式で構成されているということだ。
ここも親切設計、私としては手間が省けて非常に助かる。
「ゲビル、アテはあるのか?」
「封印術は魔物調査機関で、結界術は庭園管轄機関からそれぞれ学んでいます。
案ずることはありません。これらは全て、魔女の技術ですから」
この巣窟は昔に、ウルク地方を支配した魔女の国が実験の被検体を育むために苗床とした遺跡。
それを知識として知っていた私は、魔女の管轄であり、一度相手取っている敵であるという理由から、
魔法の作製にベヒーモスを選んだのだ。
入口にも強固な術が掛けられていたが、この扉はそれ以上に複雑だ。
これは侵入を防ぐためではなく、内部の情報を外に出さないため。
私は複雑に絡み合った術式を指先で滑らしながら、一本ずつ解きほぐす。
入口の術を容易く解いた私に隙はない。
とはいえこの術の解錠には、少し時間がかかる。
私は指を動かしながら、隣に立つ男に問いかけた。
「カエサル。さっき共有したベヒーモスの情報、ちゃんと覚えていますか?」
「もちろん完璧だ。弱点も、暴れだしたときの対処法もな」
今回の戦いで彼の出番はない。だが、私はあえて彼にベヒーモスとの戦い方を指南した。
「これは万が一──いえ、億が一さえ起こり得ない仮定の話ですが。今後、何かが起きたとき、この知識が役に立つときがあるかも知れません。
だからカエサル、あなたには覚えておいて欲しいのです」
……それは、いつか来る別れの時。
そのとき、私の隣にいなくても──彼には死んでほしくなかった。
私のそんな独白を知ってから知らずか、カエサルは何も言わずに静かに聞き届けていた。
♢♢♢♢♢
封印と結界を解き放つと、重厚な石門が地響きを立てて開かれた。
私たちはポータルをくぐり抜けたその先、中層へと足を踏み入れる。
そこは下層とは異なる瘴気が充満していた。
より濃密で重い、圧触してくるような気配。
「中層にカノッサというゲートキーパーがいるようです。それと合流をして次層への門を開けましょう」
これからの予定を口にした、その瞬間だった。
巣窟内で響いた咆哮のような叫び。
咄嗟に耳を塞ぐように手を添えた私たち。
それは巣窟全体を震わせるような、耳をつんざく轟音だった。
「さっきまでの雑魚とは気合いが違うな。
さすが中層、ここからがスタートって訳か」
カエサルは不敵に笑い、剣を構え直す。
だが私の背筋には、言いようのない悪寒が走っていた。
「……違う」
「?ゲビルもそう思うか?」
「──いいえ、レベルが上がりすぎている」
直後、その違和感は確信に変わる。
目の前に現れた──黒い影。
筋骨隆々の巨躯。這いつくばり地を掴む強靭な四肢に、天を突く二本の鋭い角。
赤黒く滾った、禍々しい皮膚に覆われた尾が動くたび、瘴気が意志を持つように揺れる。
その口端から漏れる瘴気は、他の魔物とは一線を画す王の風格を纏っていた。
──最上層の支配者、獅子龍。
「……なぜ“ベヒーモス”が、ここに……」
「ッ!ベヒーモス!?」
その名が無意識にこぼれ落ちていた。
なんたってここはまだ中層のはず。ヤツが封印されているのは上層の最奥。
……仮説を立てるなら、何者かにより術式を書き換えられ、ポータルの接続先を歪めたのか。
あるいは封印そのものが破られたのか。
思考は巡り分岐するが、どれも確証には至らない。
そして現実は、無情に時を刻む。
「……目の前に現れた以上、準備を整えている暇はないみたいですね」
その言葉に、カエサルは一歩引いて戦闘態勢を整える。
目の前の疑問に血が騒めく私に対し、
後ろに立ったカエサルは、その姿を射抜いた一言を掛けてきた。
「──でも、不幸中の幸いか。
どうやら、手負いのようだ」
その言葉に、私は改めてベヒーモスを見据えた。
確かに、よく見ればその皮膚には、隠しきれない深い傷が刻まれていた。
裂傷に挫滅と思われる傷跡から、乾ききっていない”赤い血“が流れている。
魔物の王と称されるその龍は、いまや全身に無数の傷を負い、剥き出しの牙から滴るのは王の威厳ではなく、凝縮された苦痛の澱だった。
そんな満身創痍の魔物を前に、私の疑問はどうしても晴れない──この状況に対してだ。
手負い……それ自体が、この魔境の摂理に反する異常事態。
ベヒーモスを頂点とするこの巣窟の生態系において、王をここまで追い詰められる存在など他にいない。何者かとの交戦か、あるいは魔物たちによる反乱か。
想定外の連鎖が、私の思考の淵を蝕んで集中力を欠く。
そのときだった。
「グオオォォォオオオオッ!!」
絶望に抗うようなベヒーモスの咆哮が、私の迷いを切り裂いた。
手負いとはいえ、その衝撃は重く速い。
空間そのものが揺れ動く衝撃波は、私の髪を激しくなびかせ、肌を刺す。
「──手負いならすぐに片は着きます。
ではカエサル、授業です。ベヒーモスの弱点はどこでしょうか?」
「ああ、ヤツの弱点──逆鱗だな?」
「正解です。偉い子ですね」
彼の視線の先には、ベヒーモスの背で発光する巨大な一枚の鱗。
そう、ベヒーモスの弱点は明確だ。
その巨躯を突き動かすエネルギーは、重油のごとき爆発する血液だ。その血は体内で常に燃焼し続けており、身体からは超高温の熱を発している。ゆえに、その熱を逃がすための排熱器官である逆鱗こそが、唯一にして最大の急所となる。
そこを叩き機能不全に追い込めば、王は己の熱に焼かれて内側から自滅する。
「カエサルは周囲の魔物に警戒を」
荒い呼吸を繰り返すベヒーモス。
その呼吸で、足元の土壌が焼け焦げる。
放熱板の役目である逆鱗は、背中にある大きな一枚の鱗である。
奴の硬質な鱗は、やわな《血槍静脈》では歯が立たない。
──なら、
私は躊躇なく、左手首に鋭い犬歯を立てた。
ぷつりと皮膚が裂け、口の中に溢れ出した鮮紅色の血。
それをフッと吐き出すと、重力を無視して宙を踊りながら、結晶化するように形を成していく。
《血剣動脈》
呪印の発動とともに瞬く間に形成されたのは、刀身にドロリとした脈動を宿す禍々しくも美しい、身の丈を超えるほどの血の大剣。
その殺意を前に、ベヒーモスが咆哮を上げる。
それとともに地を蹴り砕き、迫り来る巨躯。
突進してくる圧倒的質量に、私は──
《靱性静脈》
《弾性動脈》
足元から地面を這うように伸びた血の管。
その上に足を掛ける。
ベヒーモスはその勢いを加速させる。
腕を上げて、その巨大な爪を大きく振り下ろされる直前、私は懐に潜り込んだ。
速力のあるベヒーモス。だが、それ以上に私の方が早かった。
それは、私の足が早かったからではない──滑走したからだ。
私の身体を引っ張る《靱性静脈》。
そして足の下に掛かる《弾性動脈》
牽引するワイヤーに滑走するレールである。
地面に這わせていたビニールチューブのような大動脈を、グラインドレールのように用いて、巣窟内に展開した静脈で身体を制御する。
これで得られる機動力は、生身の身体能力を軽々と超越する。
アイビスが必修科目の最たる所以、魔女独自の高速移動術。
──だが同時に、これは危うい技術でもある。
常に血液が滲む血管の上を滑るには、超人的な三半規管と平衡感覚、空間認識能力に素早い状況判断能力が求められる。
肉体の能力に頼った技術は、私がもっとも苦手とすることだが、それでも最低限の基礎は行える。
必要に迫られたのなら、やるしかない。
大動脈のグラインドレールに乗り、私はその勢いを利用して、ベヒーモスの後脚を一閃する。
切り裂かれた後脚は真横から断たれ、”真っ黒な血液“が噴き出す。だがそれは、ただ流れる血ではなかった。
空気に触れた瞬間、爆発を巻き起こす。
私の背後から迫りくる凄まじい爆炎を、冷静に視界の端で捉える。
滑走していたレールを瞬時にブラッドソードへと変化させ、振り向きざまにその爆炎を強引に斬り裂いた。
「これが、ベヒーモスとの近接戦闘が推奨されない、最たる例です」
苦悶に悶えながら巨大な尾を振り回すベヒーモス。
それを尻目に、私は再び足元に《弾性動脈》を生成し、その上でトン、と少しジャンプをする。
アルテリアは鉄を超える強度に、ゴムのような弾性力を併せ持つ。
踏み込んでしなった血管が、弓の弦のように蓄えた力を解放し、私の身体を空高くへと跳ね上げる。
空中で視界が反転しながらも、眼下に暴れるベヒーモスを捉えた。
私はブラッドソードを旋回させ、握り直す。
狙うは背中で唯一色の異なる鱗。周囲の風を吸い込んで青白く光る放熱の要──逆鱗。
「今、楽にしてあげますから」
その一言が王の矜持を傷つけたのか、ベヒーモスの怒りが頂点に達した。
全身に血管が浮きあがり、周囲の温度を瞬く間に上昇させる。
しかしそれは、終焉の兆しに過ぎない。
私はブラッドソードを垂直に突き立てた。
そして大きく振りかぶって、背中で光る逆鱗に向けて──放つ。
《靱性静脈》
鱗から伸びるワイヤー状の光。それがブラッドソードを誘うように引き寄せる。
自由落下の速度を超えた、神速の一撃。
紅い血の刃が、白熱する鱗を貫く。
その瞬間、ベヒーモスの動きが止まり、内側に溜まった爆発的な熱量を解放させる。
「ゲビル!」
「……大丈夫です。私は」
私はアルテリアに乗り、カエサルの元まで滑り落ちて来た。
後ろを振り返ると、魔物の王ベヒーモスは、呻きを上げて大地に沈んでいた。
その背中で暴れる狂う血液が、噴火のように炸裂していた。
「……あっけなかったな」
「んっ。もう少し、私の授業をご所望ですか?」
「……まあ、それも悪くないな」
先ほどまでの猛威が嘘のように、身体の半分が消し飛んだ巨躯は物言わぬ肉塊へと変わっていた。
「急ぎましょう……!血液が燃え尽きてしまう前に」
私は乱れた呼吸を整えて、重要な作業へと移る。
魔法を作成するのに必要なのは、このタールのような黒い血液──循環する火薬。
空気に触れれば爆発する、この指定危険物の黒血をどうやって収容して持ち帰るか?
それは……
「うえ、見た目がグロいな……」
「鮮度が命ですから」
私は操作術を用いて、ベヒーモスの肉そのものを容器として、血液を封じ込めたのだ。
ベヒーモスの死体から手を離し、その黒血が閉じ込められた容器をカエサルの鞄にしまった──そのとき。
瘴気が溢れる。
「っ、なんだ!?」
目の前で転がる亡骸から、ありえない濃度の瘴気が噴き出したのだ。
──なに、この異常な瘴気は……!?
すでに膝上まで立ち込めた異常な量の瘴気に、背筋が凍る。
「ゲビル!」
慌てた様子で声を上げるカエサル。
「どうなってる!?」
私は目を細める。
……知識として“それ”は知っているが、遭遇するのは初めての現象。
「これは──“突然変異”」
沈んだはずのベヒーモスが、異質な骨格を軋ませて変貌していく。
条件は不明。だが死の先に存在した、もう一つの進化。限界を超えた存在がたどり着く、一種の到達点。
瘴気が渦を巻き、空気が歪んだ。
──そして、それは顕現する。
魔物の王ベヒーモスを超える、神王。
覚醒せしは、異種族の超越種
『暴龍王バハムート』
博識!ゲビルちゃんの一口メモ。
【ウルク魔境巣窟】
魔女の国が支配するウルク地方に聳える遺跡です。古代文明による「原素混沌の実験」が行われていた血塗られた土地です。
残された歴史はどれも凄惨で、今なお血の匂いが漂う不可侵領域でもあります。
現在は魔女の国でも同様の実験を継承していますが、その根源はこの地にあるようです。
太古に掛けられた封印が弱まった際、私の祖先の魔女たちが術式で上書きして再封印をしたようです。
それは平和のためではなく、ここを逃げ場のない「魔物の被検体」を隔離し続けるためという、倫理観の欠けらも無い理由からだそうです。
……ちなみに私は平和主義者ですよ。




