13:魔法の声帯:ガルーダ その1
「騒がしい仲間が出来ちまったな」
カエサルがそう言って視線を落とす先、
自身の腰にぶら下げた小さなお守り人形──
さるぼぼ王(スピリット)が、ぶるぶると震えていた。
口を持たないそれは、代わりに全身で何かを訴えている。
手のひらサイズの布細工(さるぼぼ王)の必死なボディランゲージは非常に面白く、
場を和ますマスコットとして私たちの目を引いた。
もしこれが、大陸を支配した闇の王の末路だと知れば、忠誠を誓った下僕たちは卒倒することだろう。
──そしてここ、ガルーダ幽谷の入口。
濃い霧が、侵入者を招き入れるかのように
足元に深くまとわりつく。
見上げるほどに高い絶壁。
両側を断崖に挟まれた谷間に吹き荒ぶ風は、ゴォォォと唸りを上げている。
かつて、ここに暮らしていたとされる鳥獣族の一人が神々の血を啜り、
巨鳥ガルーダになったとされる、伝説の地であり、
──魔女の国の支配地である。
「少し、急ぎましょう」
朝日が昇るのと同時に出発したテネブラエ羨道から、川を一つ越えて山を二つ登り、その先の湿地帯を乗り越えた先、
この幽谷に着いたときには、既にお昼過ぎであった。
私は予定到着時刻より一時間遅れであるのを把握し、少し焦る。
山を超えるまでの道程は順調そのものであったが、湿地帯を入ったところで大蛞蝓の群れに掴まってしまったのだ
スラッグは、異種族の自然種であり、魔物の中でもぶっちぎり最低ランクであると、
業魔の書には記されている。
またの名を、Theキングオブザコと呼ばれる(魔女の国では)
その数はとても多く、無駄に広範囲に生息を分布させ、やたらと環境に適応しまくる厄介生物。
そんなヤツらであったとなれば、
私は魔術を使い、目の前に広がるスラッグの群れを一瞬にして一掃し、道を切り開く。
だが斬られたスラッグ達は、体のカタチを維持できなくなり、
その体液を大量に沼地へと流れ込ませて氾濫。
本来、沼がない場所までぬかるみが広がっていたのだ。
「だがこの先、とても馬を連れて行けるような場所じゃないな……」
カエサルは前方に広がる断崖絶壁を見て言葉にする。
ここは峡谷。岩肌が剥き出す斜面にまともな足場などはなく、道と呼べるものも存在しない。
一歩間違えれば深い谷底へと落ちる、
まさに断崖絶壁の悪路。
「白馬さんは一旦、ここで待機です」
私は手網を離し、その整った白い毛並みを優しく撫でる。
「ガルーダ幽谷の主との交渉が済み次第、
こちらへ呼び戻してきてもらいます」
「大丈夫なのか?」
「ガルーダ幽谷は、魔女の国の国の傘下に入っている。
──いわば同盟国です」
♢♢♢♢♢
風が強く吹き抜ける霧の中へ足を踏み入れた。
私は知っている。
ここへは何度か足を運ぶことがあり、そのときに教わったこの峡谷の進み方。
ここに棲まうのは、風を司る存在。
この地には法則性がある。
それは、吹く風を背に進むこと。
常に追い風を感じる方向を探り出し、それに従う。
風の流れが通れる場所を示しているのだ。
一見すれば通れない断崖も風の筋を読み、
その通りに従えば、本来の道が開ける。
見えないだけで、そこに通れる場所は確かに存在する。
「……ゲビル、気をつけろよ」
私は足元を見ていない。
吹く風を見るために。
塵が舞う流れ、岩肌を這う揺らぎ、
それらを繋ぎ合わせて、導かれる進路。
魔法の発動を告げる起動詩。
その要素──言葉を、現象へと変換させる種族の砦がここである。
ゆえに、この領域では余所者の音そのものが異物となる。
「カエサル。あなたはここから先、一切声を出さないでください。
この先、声を出せば死にます」
「──え!?」
──ヒュン!
「ッ!!……」
突如、鋭い風切り音が空気を裂いた。
カエサルの足元すぐに、横数寸の地面に突き刺さった羽状の槍。
金色に輝く、鋭くて細い、確実に死は免れないほどに巨大であった。
──今のは警告。
魔女である私が同行しているがゆえの酌量。
足を止めた私はゆっくりと振り返る。
後ろをついて歩くカエサルを見て、
「次はない」と、唇をわずかに尖らせて視線で伝える。
カエサルは青ざめた顔で固まり、やがてコクリと静かに頷いた。
「あなたの発言権は全て私が持ちます」
「喋っていいときは、私が手を上げたときだけ。
いいですね?」
カエサルは再び無言の頷きを示す。
伝えたいことは済んだ。
私は再び前を向いて歩き出す。
風を読み、流れに身を預ける。
一歩、また一歩と進むごとに景色が移ろう。
灰色に閉ざされていた岩壁はやがて、
鮮やかな色を帯び始めた。
黄緑の葉が揺れ、ところどころに紅が差す。
断崖絶壁の景色とは一変、
まるで別世界に足を踏み入れたように、
──その風も変わる。
「ここです。ガルーダ幽谷の最奥地点」
神風の山村──風葬の隠里
博識!ゲビルちゃんの一口メモ。
【ガルーダ幽谷】
神々が流した血の流れの影響で生まれた領域──超高高度の断絶峡谷です。
上層、中層、深層の縦三層と呼ばれるエリアで構成され、
常に強風吹き荒れる空域(上層)、
神々の骨片が残された残骸域(中層)、
神々の血が霧状に漂う血霧域(深層)、
その全ては危険区域に指定されています。
その最奥は鳥獣族たちの縄張りであり、
ガルーダ伝説の残る歴史ある地なのです。




