1:巨乳税に敗北
「お前、貧乳じゃないだろ」
「急になんですか……」
カーテンの隙間から覗く空はまだ群青色だ。
時刻は恐らく早朝七時前。薄暗い部屋の中、
私は眠気に霞む視界を擦りながら、
突然の訪問者に対して生返事をする。
「”巨乳税の滞納“──三兆四千六百億五十円、直ちに支払いを命ずる」
「…………ん?」
──ほどなくして、意識が覚醒する。
扉の前には、軍服ドレスに身を包んだ女性たち。
揃いも揃って見上げるほどの背丈なのは、
ハイヒールを履いているからか、
私の背が低いだけか、
この際どうでもいい。
「──てあー!お役人の方々!」
いや、どうでもよくなかった!
私は完全に目が覚めた。
「ゲビル・クニャージ」
先頭に立つ、見るからにリーダー格の人が
私に一歩詰め寄る。
「バストサイズを日常的にCカップだと偽り、
本来納めるべき税を支払っていない。
常習性のある、極めて卑劣な行為だ」
「あ、あス……スイ……」
淡々と響く声に、
私の声は震えて、背中に汗が一筋伝った。
「まあ?『支払いを命ずる』とは言いましたけど、ゲビルにそんな支払い能力はない、そうでしょう?」
別の女性が、肩をすくめて言った。
「う……」
図星を突かれて言葉に詰まる。
「よってこれより、この部屋の全財産を差し押さえます」
「うええええええ!?差し押さえぇ?!」
驚天動地!ベッドから転げ落ちる勢いで叫んでしまった。
「ま、マジですか?!え、しかも今?!」
顔も洗ってないのに!
「封書は見たか?
期日までに連絡がない場合、強制執行と記載されていたはずだが」
冷静な声が、私を追い詰める。
「ふ、ふっふ、ふー!」※封書と言いたい
「産まれそう?」
背後にいた取り巻きに、優しく背中をさすられる私。
「……馬鹿。虹色の、見ればすぐに分かる」
虹色の封筒……警告を示すカラーで一番ヤバいやつ。
絶対に無視してはいけないヤツ……!
「いやぁ、分カラナイ。言ってるがよく意味が」
「そうか。貴様のスリーサイズはB:96 W:59 H:90。
身長は152cm体重は4ー」
「わーわー!!乙女のヒミツ!オトメの秘密!!ダメー!」
唐突なスリーサイズ公開はマナー違反!
私は両手を振り回しながら、その言葉を遮る。
と同時に、朝からまだこんなに動けたことに少し感動した。
「最近またバストアップしただろ。そういう情報はここでは隠し通せないぞ」
ドキリ、と胸が跳ねる。
「このトンデモナイ怠け者め。
滞納額約三兆円を稼いでくるまでそのツラ見せるな」
「ッ……はい……」
かくして私──ゲビル・クニャージは、
借金3兆4600億50円を背負い、
家財一式を差し押さえられ、
その日のうちに住居を失う。
まだ早朝の七時半。
この魔女の国が目覚めきらない時間に、
私は堂々と──ホームレスへ転落した。
♢♢♢♢♢
ヒュオオオ……
冷たい風が、骨の芯まで響く。
でも、私はへっちゃらだ。
何せこのローブがあるから。
「……へっちゃら──くしゅん!」
……寒いものは寒かった。
私はローブの袖をギュッと握った。
──ここは、魔女の国の最前線──
《迷いの庭園》
別名、“魔物迎撃地侵食型防衛領域”である。(別名で呼ばれることは先ずないし、私もこの先言うことはない)
そして、このスリップガーデンの中心に存在する魔女の国──バベルの塔。
地上から高さ、約六百キロメートルにも及ぶ巨大な塔の上の方。
比較的安全で、閑静なフロアが私の世界だった。
……それなのに、その私がなぜ、ここスリップガーデンにいるかというと、
「……おおぅ、ヴァリスティルや……。
今日でお別れなんじゃ」
「……グオ」
重低音の声を鳴らすこの異形犬に、
お別れをいいにきたからである。
スリップガーデンは私の元職場であり、彼ヴァリスティルは、私の愚痴をよく聞いてくれた(一方的に聞かせた)元同僚。
何十年ぶりかの再会。
家は失えど、同僚との友情は失ってはいなかった。
だから愚痴る。
「私はただ、仕事で精神をやられたからお家で療養してただけなのに。しかもギリギリの生活で。
──な、の、に!
こんないたいけな女に借金三兆円を稼ぐまで帰って来るなって!
うわあああん!国に捨てられたああ!!」
「……グ、グオ……」
熱を帯びてヒートアップしていく声。
ヴァリスティルはなにやら困ったように鳴く。
それでもほとばしるパトスを抑えきれない私は、
そのままヴァリスティルへ、グリグリと体を押し付けた。
スリスリ。
「……ヴァリスティル、お前は偉いなぁ
こんなにもカラダを冷たくしてるのに、自分の仕事を頑張ってる」
──いや?
「……お前は鋼だから、当然か」
ヴァリスティルは、この国の魔女──魔創の魔女により生み出された、幻想神族である。
武器のバリスタと鋼のスチールを掛け合わせたその体は、小柄な私三人分くらいはある体躯で、見た目も死肉が張り付いたようなおどろおどろしさがある。
涎で溶けた顔はホラーテイスト満載で、基本魔女たちからは嫌われている。
しかし、スリップガーデンを警護する番犬として日夜、魔女の国の平和を影から守ってくれている、
健気なヤツなのだ。
「……私だってなあ、夜間哨戒班に配属さえされなければ、バリキャリ憲兵魔女になっていたかもしれないんだから」
魔物が活発化する夜間での迎撃戦。
そして脱出不可能な昼夜逆転の私生活──
私の精神は破壊された。
「ハァ……ここは私が生きるには辛過ぎた」
小さく吐いたため息が、白くなって朝焼けに消える。
自宅を差し押さえられ、そのうえ返せる見込みもない借金を
さてどうしたものか。
「──復職希望の子かい? 噂は聞いたよ」
不意に声を掛けられた。
誰もいないはずの方向へ、私は視線を向ける。
そこに立っていたのは、見覚えのある金装飾があしらわれた、軍装ドレス姿の女性。
「借金三兆円の返済だって?ウケる笑」
乾いた笑いをする彼女に、
私のこめかみが、僅かばかり引きつる。
「──って、おいおい。そんなに睨むなよ。
忘れたのか? 私のこと」
肩をすくめて、反省の色をわざとらしく見せる
この女性。
私の遠い記憶に、たしかに存在する──
「壮年術師のYさん」
「概念術師!! そんな老け込んでらんわ!
しかもワイさんってなんだ!誰が極彩人じゃ──ワイら東洋の尸解と言いはりまして西洋の魔女方とは訳が違いますのぉ──ってか?!」
「…………」
私の小ボケに、どれだけのツッコミを入れるんだ、この人は。
──しかし、こう見えても、私の元職場の上司。
過去お世話になった記憶はあるし、それで名前を間違えでもしたら嫌なので、とりあえず確実なイニシャル呼びを徹底する。
「そんな概念術師のリッチメンが私を嘲笑いに来たんですか?」
概念術師──概念魔術という極めて稀な適性を持つ。通称:高級取り。
「昔のお前は、そんなに捻くれてなかったぜ?
新卒ピチピチ時代を思い出せ」
バンバンと背中を叩いてくるYさん。
彼女のこの“場を盛り上げようとする空気感”が、
私は苦手だ。
「……すぐに鬱になりましたよ」
やめて欲しいというのを暗に、ジロリと睥睨して示す。
「……それは、すまなかったな」
私からパッと手を離すYさん。
その表情は先ほどとは違い、本気で申し訳なさそうだった。
一瞬、空気が淀む。しかしすぐに、
「詫びに、私に出来ることあれば協力するぞ?」
「え?」
予想外の言葉を口にする。
私は目をわずかに見開いて、彼女の顔を見つめる。
……少しだけ、間が空いた後。
私は、これからの借金返済プロジェクトの構想を打ち明けた。
「……なに?あの金額全てを返すつもりか?」
「はい。巨乳税とか本当、馬鹿らしくてクソ国だと思ってますけど、暮らす環境は充実してますから」
「だからYさん、お金持ってそうな国に私を転送してください」
♢♢♢♢
魔女の国、召喚儀式の間──の隣の部屋のトイレ前。
「いいか、私の概念魔術は一回五千万の価値がある」
「分かりましたって。何度も言わないでください」
目の前にあるのは、一枚の扉。
見た目は、木製で古めかしいアンティーク調。
しばらくの間、使用された気配のない──ただのトイレの入口だ。
Yさんがその扉を、軽く叩く。
今からやろうとしていること、それは、
──近隣諸国への転移。
それを可能にするのがこの扉。いや、この扉に限ったことではないが、トイレへの入口という既成概念を消費して、別の入口にしてしまおうという。
極めて原理が不明な魔術である。
概念という世界のルールを書き換えるため、
この魔女の国からトイレが一つ消えるという訳だ。
──トイレを消して、別の入口に繋がる門に変える、トイレ消失魔術……ぷふっ。
「相変わらず、トンデモ魔術ですね」
私は込み上げてくる笑みを押し殺して、パチパチと手を叩く。
「一度消費した概念は二度と戻らない。不便も多いのさ」
「……いえ、五千万のトイレが一個消えるだけです」
自分の言ったその言葉に、思わず吹き出しそうになって慌てて顔を伏せる。
滅多に笑いのツボを刺激されない私だが、自分で想像したことが少し変だったことに気付いたとき、
急速に笑いが込み上げてくるのは、この身体の欠陥といえる。
そんな私とは裏腹に、呆れるように肩を落とすYさん。
「お前なぁ……私の魔術は戦略兵器に扱われるくらいなんだぞ?
それを出稼ぎに使ったなんて知れたら、私の首だって……」
「かわいい後輩のためだと思ってください」
笑顔で決めたかったが、笑うのは下手なので、
指先でVの字を作り、笑っているつもりを届ける。
私の精一杯に、Yさんはしばらく文句を述べていたが、なぜか少しだけ、嬉しそうな表情を浮かべていた。
と、そうこうしてるうちに、概念魔術の準備は完了したらしい。
Yさんはトイレの扉に手をかざし、唱える。
《私の掌握術》
……へえ。概念魔術って大罪欲の派生だったんだ。
知識欲が止まらないんです。私ゲビルクニャージは。
《移送換門》
その言葉とともに、周囲の空気が一瞬、歪んだ。
そしてすぐに、扉に変化が現れる。
茶色だった扉の色が、青へと染まる。
扉の隙間から光が溢れ出し、すぐ向こうからは喧騒が聞こえてきた。
──知らない世界の音だった。
「うぉーう……」
思わず声が漏れる。
分からないが、概念魔術はきっと成功したのだろう。
「ありがとうございます。次は巨乳税の概念も消しておいてください」
「それはちょっと難しいな」
Yさんとの軽いやり取りを終えて、私はドアノブに手をかける。
……この先で私は、
三兆を超えるお金を稼いでここへ戻って来なければならない。
──自分の居場所を、取り戻すために。
指に力を込める。
「ゲビル!」
そのときだった。背後から声が飛んできた。
「最後に一つ、聞いてもいいか?」
振り返ると、Yさんが真面目な顔をしてこちらを見ていた。
「……どうしたんですか?」
こういう場面で身構えるのは、人の性だろうか?
「なぜ……滞納なんかしたんだ?」
予想の斜め下を行く問いに、
私は思わず首を傾げてしまった。
「……いや、天才には天才なりの苦労があるのは分かる。
稀代の天才と持て囃されて、周りから勝手に期待されて、それで勝手なイメージを植え付けられて恐れられた」
「お前は、どの魔女よりも苦労人だ。でもどの魔女よりも聡明で」
「なにが、いいたいんですか?」
今まで静かにその言葉を聞いていたが、
私のクソ喰らえな半生を持ち出して、回りくどい質問が続けば、
そりゃ自称温厚な私だってプチンときますよ。
「いや、気を悪くしないでくれ。
お前ほどの頭を持つヤツの考えを、少し知りたくてな。凡人の好奇心さ。
──要するに、なにか理由があったんだろ?
最後に話してみろよ。聞くぜ?」
「そ、それは……!」
言葉に詰まる私。
それはそうだ。
……い、言えない!
私は、あからさまに動揺して目が泳いでたと思う。
……だって、“大きいのがバレるのが恥ずかしくて誤魔化してました”なんて──死んでも言えない!!
私の言葉を最後に、空気は止まった。
この沈黙はマズい、なにかを隠していると察せられてしまう。
とりあえず話せ!この頭を使って煙に巻くんだ!
「......って、言っても“無駄”です。
私も最初は”そう”でしたから」
──無駄なことってなに!?
──最初はそうってなに?!
内心で、思わず自分にツッコミを入れた。
見切り発車ほど危ないものはないと、身を以て体験する女ゲビル。
このままでは体が持たないぞ。
「……そうか。お前にはお前なりの理がある。それに従ってるんだな」
な、なんか納得してくれたー!
でもごめんなさい。
そんな大層な理はありません。
巨乳を隠したいという理のみです。
──そして、Yさんとのお別れ。
最後くらいクールに去りたかった私の心は、
激烈に羞恥の炎を燃やしている。
「では、また」
私は火照る顔を扇ぎながら、Yさんに会釈をし、魔女の国へ別れを告げて踏み出す
──感じたことのない、光と風の向こうへと。
博識!ゲビルちゃんの一口メモ。
初めまして。私の知識をひけらかすコーナー
──ゲビルの10秒マメ知識!
栄えある第一回目はこちら──
【魔女の国】
鉄壁の防衛迷いの庭園の中心にそびえ立つ、”中央城塞都市パンデモニウム“(通称バベルの塔)を核とした閉鎖国家です。
他国を数千年突き放す超技術大国であり、エリュシオン西部を支配する覇権国家でもあります。
魔女たちの居城であるパンデモニウムは、界層20層から成っており、
──支配と統治の上層(第16〜20層)
──生活と教育の中層(第8〜15層)
──実験と隔離の下層(第1〜7層)
の、3グループに分けられています。
1フロア毎に魔女約2000人と、下層には異種族約16万体が暮らしており、私の家は第17層とちょっとリッチな立地でした。
──企画担当の魔女に、この台詞で締めると良いと言われましたが……何か違う気がします。




