冒険者たちの優雅な夕食
陽が沈み、空が夜の色に染まり始める頃。
私たちはようやくディートムの街へと戻ってきた。
馬車に揺られて見慣れた通りを進み、家である宿に近づくにつれて、私はある違和感を覚えた。
(あれ?)
この時間なら夕食どきということもあり、宿からは、酒を飲んで騒ぐ冒険者や客たちの賑やかな声が聞こえてくるはずだ。
それなのに、宿の周辺は不気味なほど静まり返っている。
宿の様子は気になるものの、まずは馬車に積まれた荷物をどうにかしなければならない。
私は周囲に気づかれないよう、もらった大量の贈り物をこっそりとアイテムボックスへ収納していく。
とはいえ、何も持たずに馬車を降りるのも不自然だ。
「ガウルお兄ちゃん、これ持って!」
私は大きなくまのぬいぐるみをガウルに押しつけた。
「くまのぬいぐるみ似合ってるよ!」
「私はぬいぐるみが似合うような見た目ではないと思いますが……」
二人で馬車に載せていた荷物の整理をしていると、もう一台の馬車から降りてきた両親も、不思議そうな顔をして宿のほうを見ている。
「やけに静かだな。もしかしてトラブルでもあったのか?」
父が眉をひそめ、母も心配そうな顔をしている。
父が警戒しながら宿の扉を開けると、受付にはメイドが一人、背筋をピンと伸ばして立っていた。
「みなさま、おかえりなさいませ」
彼女の落ち着いた出迎えに、父に続いて母と私、ガウル、そして変装したクライスも宿へと入る。
「あぁ、いま戻った。留守を任せてすまない」
父が労いの言葉をかけるが、宿の中に入っても、やはりシンと静まり返っていた。
しかし、ふと食堂のほうから人の気配を感じる。
私たちは、ほぼ同時にそちらへと視線を向けた。
「「「っ!!!」」」
私たちは揃って息を呑んだ。
いつもの使い込まれた木のテーブルの上には、一点の染みもない真っ白なテーブルクロスが敷かれており、中央には上品な一輪挿しの花まで飾られているのだ。
宿では見たこともない真っ白な食器がそれぞれの席に用意され、上品なスープとステーキまで並んでいる。
そして、いつもならジョッキを片手にビールを浴びるように飲んでいる者たちまで、今日はワイングラスを傾けている。
彼らは皆、膝の上に真っ白なナプキンを置き、背筋を伸ばして、行儀よくナイフとフォークで静かに食事をしているではないか。
そして壁際では、セバスとメイドがその様子を見守っていた。
私たちが呆然とその光景を見つめていると、緊迫した空間にカランカランッ!とフォークを落とした音が響き渡った。
「ひっ!!」
音を立ててしまった若い冒険者が、顔を青ざめさせて慌てて拾おうとする。
しかし、それよりも早く、セバスが音もなく背後に忍び寄り、ピカピカに磨かれた新しいフォークを差し出した。
「す、すみません」
「拾わなくてよいのです。新しいものをお使いください。何事もなかったように食事を続ければよいのです」
「は、はひっ!」
セバスの笑顔の奥から漂う妙な威圧感に、若い冒険者は怯えた表情でフォークを受け取った。
この異様な光景に、最初に正気を取り戻したのは父だった。
「えーっと、これはどういうことだ?」
父の声に反応するかのように、セバスが優雅な足取りでこちらに向かってくる。
「みなさま、おかえりなさいませ。お早いお帰りでしたね」
「数日間、宿のことを任せてしまって申し訳ない。それで、食堂では何を?」
「テーブルマナーを少し教えておりました」
「テーブルマナーを?」
「このディートムはディナに最も近い町ですからね。有望な冒険者や行商人も多く宿泊されています。将来、旦那様主催の夕食会に招かれることもあるでしょう。そのとき困らぬよう、テーブルマナーを少々」
「……宿泊客全員に?」
「はい」
「そうか……」
父もなんとも言えない表情をしている。
すると突然、一人の大柄な男性冒険者が耐えきれなくなったように大きな声を出し、ガタッと立ち上がった。
「やってられっか!!」
しかしその瞬間、セバスが音もなく男の背後へと回り込み、立ち上がったばかりの彼の膝裏へ椅子を滑り込ませた。
「うおっ!?」
大男はバランスを崩し、そのままドスンと椅子へ座らされる。
「食事中ですよ」
「うるせー! テーブルマナーを学びにきたわけじゃねーー!」
「ふむ。貴方は《荒野の狼》に所属する、Dランク冒険者のダン殿ですね。格闘家として、定期的にディナの西の森でも活動されているとか。旦那様は若い冒険者のこともよくお調べになっていますよ」
「ま、まさか! 領主様が俺のことを知っているのか?」
驚くダンに対し、セバスは肯定も否定もせず、ただ意味深な笑みを向けた。
「ま、まぁ、俺ぐらいになると、すぐに領主様から声がかかるかもしれないしな。テーブルマナーぐらいちょろいもんだぜ」
「さすがダン殿」
それを見ていたメイドも、すかさずダンに声をかける。
「さすがでございます」
メイドに褒められ、ダンはまんざらでもない顔をしながら、ナイフを左手に、フォークを右手に取った。
「逆です」
「ぐぬぬ……」
ダンは少し恥ずかしそうに俯き、大人しく持ち直した。
(一体、何を見せられているんだ……)
私たちは受付の前で、ただ呆然とそのシュールな様子を見守るしかなかった。
すると、受付にいたメイドが静かに声をかけてきた。
「みなさま、お疲れでしょう。お食事もご用意いたしますので、お着替えを済ませてこられてはいかがでしょう?」
「ああ、すまない。そうさせてもらうよ。ガウル君も着替えてくるといい。セリアも着替えてきなさい。クラ……君にも部屋を準備しよう。すまないが、空いてる部屋の鍵を彼に渡してくれ」
父はクライスの名前を呼びそうになり、慌てて言葉を濁した。
彼は今、変装して身分を隠しているのだ。
優秀なメイドやセバスならすでに気づいている可能性もあるが、ここは大人しく話を合わせておいたほうがいい。
私はガウルから大きなくまのぬいぐるみを返してもらい、そのまま自室へと戻った。
扉を閉めた途端、先ほどの食堂での異様な光景が頭に浮かび、思わず吹き出してしまう。
「セバスさん、何してるの……ふふっ、あはは!」
ひとしきり笑ったところで、ふとプレゼントのことを思い出した。
私はアイテムボックスを開き、騎士団の人たちからもらったプレゼントの箱を取り出した。
いくつかある箱の中で、一番大きな箱には可愛らしいリボンの下に小さなカードが添えられていた。
私はそのカードをそっと開いて読んでみる。
「セリア様へ♡
気に入ってくれたら嬉しいわ♡
今度、一緒にお買い物にいきましょうね♡
ミラン」
(あ、この手紙は……)
ミラン。
それは騎士団の中でも一番の長身で、なぜか白いタンクトップを着ており、独特なお姉言葉で話す金髪で角刈りの騎士だった。
何が入っているのだろうとワクワクしながら、私は綺麗に結ばれたリボンを解き、箱の蓋を開けてみた。
すると、そこにはラベンダー色のとても綺麗なワンピースが入っていた。
私はワンピースを持ち上げ、じっと眺める。
ふわりと広がる可愛らしい裾。
上品な色合い。
そして――四歳の私にぴったりの大きさ。
「ふふっ……」
ふと、あることを思いついた。
すると、いつの間にかベッドの上でくつろいでいたルクが、疑わしそうな目をこちらに向けてきた。
「なんや、急にニヤニヤしとるで」
「えー? そう?」
「なんか思いついたんか?」
失礼な。
私はただ、このワンピースを着て食事をしてみたくなっただけだ。
……たぶん。
私はラベンダー色のワンピースを抱えると、さっそく母の部屋へと向かった。
「お母さーん!」
「あら、セリア。どうしたの?」
「これ、着たい!」
箱から取り出したワンピースを広げて見せると、母は目を輝かせた。
「まあ! とっても素敵ね。セリアにきっと似合うわ」
母に手伝ってもらいながら、着ていた服を脱いでワンピースへと着替える。
淡いラベンダー色のワンピースは、裾がふわりと広がっていて、シンプルで上品だ。
母はせっかくだからと私の髪まで綺麗に梳かし、最後に少し離れたところから満足そうに私の姿を眺めた。
「とっても可愛いわ」
「えへへ」
褒められると、やっぱり嬉しい。
私はくるりとその場で回って、ふわりと広がった裾を眺める。
「じゃあ、お母さん。ご飯食べてくるね!」
「あら? 一緒に行きましょうか?」
「大丈夫! 先に行ってるね」
私は母に手を振ると、意気揚々と食堂へ向かった。
階段を下りて食堂へ入ると、冒険者たちは先ほどと変わらず、緊張した面持ちで食事を続けていた。
(いた!)
大きな身体を窮屈そうに椅子へ収め、ぎこちない手つきでナイフとフォークを動かしているダンを見つける。
私は背筋を伸ばし、できるだけ上品に見えるようゆっくりと歩いていった。
すると、私に気づいたセバスが一瞬だけこちらを見る。
その視線が私から、私の向かう先にいるダンへと移った。
(もしかして、わかってくれた?)
「セリア様、こちらのお席はいかがでしょう?」
セバスが椅子を引いたのは、ダンのすぐ隣の椅子だった。
(やっぱり、わかってた!)
「ありがとうございます」
「……なんで嬢ちゃんが俺の隣に座るんだ?」
ダンが怪訝そうな顔でこちらを見る。
「一緒にお食事しようと思って」
「俺と?」
「はい」
「なんでだよ……」
私は何も答えず、にっこりと微笑んだままダンを見つめた。
「…………まあ、いいけどよ」
私はセバスに椅子を押してもらい、姿勢を正して座る。
ふと視線を感じて顔を上げると、少し離れたテーブルには、着替えを済ませた父とガウル、それにクライスが座っていた。
そこへ母も加わり、四人そろってこちらを見ている。
父は何か言いたそうな顔をし、母は口元に手を当てて笑いを堪えていた。
ガウルは困ったような表情を浮かべ、クライスに至っては、面白そうにこちらの様子を眺めている。
(……見られてる)
まあ、いいか。
すぐにメイドが私の前に食事を並べてくれる。
私は何事もなかったかのように膝へナプキンを広げると、隣のダンへ微笑みかけた。
「ダンさん、先ほどのお話、聞いていましたわ! 近いうちに領主様の夕食会へ呼ばれるかもしれないんですよね?」
「お、おう。まあな」
「さすがですわ! テーブルマナーもすぐに完璧になって、立派な紳士として領主様の夕食会に出席するダンさんの姿が目に浮かびますわ!」
「し、紳士!?」
ダンの大きな身体がビクリと揺れた。
(ふふふ……)
私はナイフとフォークを手に取り、笑顔のまま肉を小さく切り、口へ運ぶ。
すると、ダンも私を横目で見ながら同じように肉を切り始めた。
私がグラスを持てば、ダンも持つ。
ナプキンで口元を拭えば、少し遅れてダンも同じように拭う。
さっきまで「やってられっか!」と叫んでいた大きな格闘家が、四歳の私の動きを一生懸命真似している。
(面白い……)
笑ってしまいそうになるのを堪えながら食事を続けていると、背後からセバスの声が聞こえてきた。
「素晴らしい。ダン殿、先ほどとは見違えるようです」
「そ、そうか?」
「この調子でしたら、いつ旦那様主催の夕食会に招かれても問題ないでしょう」
「おう! 任せとけ!」
ダンは嬉しそうに笑い、今度は間違えることなくナイフを右手に、フォークを左手に持った。
(あれ? 本当に上達してる……)
「ありがとな、嬢ちゃん! おかげでコツがわかってきたぜ!」
「ええ! ダンさん、頑張ってくださいね。応援していますわ」
「おう! 任せとけ!」
「ダン殿」
すぐさま、セバスの静かな声が飛んでくる。
「なんだよ?」
「言葉遣いも直しましょう」
「…………うるせぇ!」
「ダン殿」
「……わーったよ!」
「『わかりました』です」
「ぐぬぬぬ……!」
(……セバスさん、どこまでやるつもりなんだろう)
私たちが留守にしていた数日間、セバスによるテーブルマナー講座は毎日のように開かれていたらしい。
「あの宿に泊まると、なぜか食事の作法まで教え込まれる」
そんな妙な噂が、冒険者たちの間でひそかに広まることになったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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