土魔法は乙女を救う
お昼ご飯を食べた私たちは、心地よい風に吹かれながら少し休憩し、重い腰を上げた。
「ガウルお兄ちゃん、午後は魔法の練習をしてもいいかな?」
「もちろんです、セリアさん。では、私は少し離れたところで周囲を警戒しています」
ガウルは短く頷くと、私の邪魔にならない程度の距離まで下がり、鋭い視線を周囲に走らせた。
(ナビ。午後は、まだ使ったことのない属性の魔法を練習したいな。聖魔法と水魔法以外で、何がいいかな?)
≪はい。周囲の環境を鑑みますと、次は『土魔法』の習得をおすすめいたします。土魔法は具現化した構造物が形として残りやすいため、魔力の練り込みや形状維持の精度を視覚的に確認するのに最も適した属性です≫
(土魔法って、どんなのがあるんだろう?)
≪代表的な初歩魔術としては、足元の土を弾丸のように放つ『アースバレット』や、一時的に地面を泥を発生させて足止めを行う『マッドスワンプ』などがありますが、精密な形状維持を学ぶのであれば、まずは『アースウォール』の習得がよろしいかと。地中の土の密度を高め、地上へ一気に押し上げるイメージを持つことが基本となります。まずは高さ1メートル程度の長方形の壁を想像してください≫
(……土をただ盛り上げるだけじゃ脆いわよね。砂と石を混ぜて固めればコンクリートみたいに強くなるはず。この土の中に混じっている砂利や石を、魔力でいい感じの比率に集めて……。よし、これを分子レベル……は無理でも、とにかくぎっちぎちに、隙間なく魔法で押し固めるイメージ! ダイヤモンドみたいに硬くなれー!)
私は地面に手をかざす。
ナビが言うような「ただ土を盛り上げる」だけのイメージではない。
「アースウォール!」
ズズズッ、と重低音を立てて、目の前の地面から巨大な壁が出現した。
表面は鏡のように滑らかに磨き上げられ、鈍い銀色の光沢を放っている。
近くで周囲を警戒していたガウルが、突然現れたアースウォールに近づく。
「……アースウォールですか?こんな綺麗なアースウォールは見たことがありません」
そういうと、ガウルはアースウォールに向って蹴りを入れた。
バコォォォォンン
アースウォールは崩れることなく、そこに立っているままだ。
「強度も凄まじいですね」
アースウォールの強度にガウルが驚愕している横で、私は違うことを考えていた。
(この壁...これを上手く組み合わせれば、あれも作れるんじゃないかな。魔法はイメージ!出来る!いや、これは乙女としてやっておかなければいけない!!)
街の外に外出するたびに目を背けていた問題、それはトイレ。
この世界の衛生概念は決して低くはない。
私が住んでいるディートムには前世ほどではないにせよ、「トイレ」は存在する。
下に水が流れていて、排泄物をそのまま流し去る仕組みだ。
だが、問題は「野外」なのだ。
街と街の間は驚くほど離れている。
そして一歩街の外へ出れば、そこはもう文明の及ばない荒野か森。
野外での排泄は、文字通り「好きなところでする」のが当たり前で、隠れる場所すら乏しい道中でそのまま……なんてことは日常茶飯事なのだ。
(今はまだ四歳で体も小さいし、街の外に出る機会も少ないから、大きな草むらや木の影に隠れればなんとかなっているけど……。これから先、街を出る度に野原で開放的に……なんて、日本人の魂が絶対に拒否するわ!)
≪……セリア様の仰ることが、私には理解できかねます。この大陸において、また生存を優先するあらゆる種族において、排泄は生命維持のための自然な循環であり、場所を問わず行うのは合理的かつ一般的な行動です≫
(ナビには排泄の必要がないから共感できないかもしれないけど、私にとっては死活問題なの!誰が見てるかもわからない外で丸見えなんて......清潔で安全なトイレが必要だよ!ナビ、これは私にとって、どんな攻撃魔法よりも重要だよ!)
私はトイレでのプライバシーを守るために魔力練り上げた。
(まずは土台を作って、次に壁と天井を作る。よし、直方体の小部屋になった!)
そこにドアをイメージし、取り付ける。
ドアを開けて中に潜り込み、細部の調整に入る。
(次は表面の密度を極限まで高めて、ツルツルに変質させて、座りやすい高さの便座を作って......あ、空気穴も忘れちゃダメ。高い位置に細いスリットを空けて……)
私は無我夢中でトイレを作り上げていく。
≪……判定を修正します。セリア様、これはもはや『アースウォールの変形』という範疇を超えています。異世界の高度な文明知識と、セリア様の想像力が組み合わさることで、魔法はここまで短期間に、かつ緻密に創造されるものなのですか≫
ナビが何か言っているが、無我夢中でトイレを作っていく。
どこで誰が、あるいは魔獣がいつ襲ってくるかわからない。
草むらで用を足している無防備な瞬間に、背後から魔獣に襲われたら?
あるいは、服の中に変な虫が入ってきたら?
想像するだけで鳥肌が立つ!
大まかなトイレとしての形は出来たが、あとは使用するときに不快にならないように臭い対策もする。
(穴を深めに掘って、さらに水魔法を少し混ぜて水を張る……これで『水封』の完成! そして最後は、使い終わった後は土魔法で一気に埋設して土に還すシステム……。完璧だわ!)
ズズズッ、ズシン、という音が個室の中から響く。
ガウルは、目の前で「謎の個室」に潜り込み、必死な形相で魔力を注ぎ込み続ける私を見て、頬を引きつらせていた。
「……セリアさん? 大丈夫ですか? あの、もう一時間ほど経過しているようですが……」
壁の外から、ガウルの困惑しきった声が聞こえてきた。
(えっ、一時間!? 嘘、そんなに経ってたの!?)
ガウルの存在すら忘れて没頭していた。
慌てて周囲を見渡すと、そこには前世の高級ホテルのトイレも真っ青な、鏡面仕上げの美しい個室が鎮座していた。
ちょっとやりすぎたかもしれない。
私は一度その建物を壊すと、今度はすべての工程を一瞬で展開できるようにイメージを一つにまとめるのだ。
(魔法はイメージが大事!オリジナルだって作れるはず!)
「レスト・トワレ!」
一度すべてを崩した地面から、ズズズッ、と一気に土がせり上がり、わずか数秒で個室トイレが姿を現した。
(うむ、一番いい土魔法の使い方をしたのでは?)
満足そうにトイレを見つめる私の頭の中で、ナビの声が聞こえてきた。
≪……排泄環境の向上のために複合魔法を創造するとは。……しかし、これほど精緻な構成を一発で展開する技術は、間違いなく歴史に名を残すレベルです≫
(ふふん、乙女の執念を侮らないでよね!)
隣では、ガウルが信じられないものを見るような目で「謎の立方体」を見つめている。
「……セリアさん。これは一体....魔物を閉じ込めるのでしょうか?それとも、その椅子は拷問器具?始めて見る魔法ですね」
「ガウルお兄ちゃん。これはね、『乙女の恥じらい』っていう、世界で一番手強い敵と戦うための城なんだよ!」
ガウルは「……おとめの、はじらい? レスト・トワレ……?」と、首を傾げている。
ガウルはもはや、それがトイレであるとは思ってもいないようだ。
≪……セリア様。トイレの完成に水を差すようですが、卵の件はよろしいのですか?≫
(あ! 忘れるところだった!)
私は一つ呼吸を整えると、まだトイレを不思議そうにみているガウルに声をかけた。
「あのね、ガウルお兄ちゃん。実は、相談したいことがあるの。前に不思議な卵を拾ったんだ。その卵に触ったら一気に魔力を奪われちゃって、手が離れなくなっちゃったんだ」
「セリアさん、それは危険です! 呪物か魔物の卵ではないですか? これ以上関わるのは止めるべきです」
「でもね、すごく綺麗なんだよ。なんだか嫌な感じもしないの。……とにかく、一度出してみるから、一緒に見てくれる?」
ガウルは反対しそうな顔をしていたが、私の真剣な瞳に負けたように頷いた。
私はアイテムボックスを呼び出す。
「アイテムボックスオープン!」
(そういえばナビ、▲◆の卵って読めないから、前は文字を頭の中で思い浮かべて取り出したけど、言葉にする場合はどうしたらいい?)
≪この場合は、アイテムボックスに卵は1つしかありませんので、卵だけでも取り出し可能です。しっかり取り出すものを意識していれば問題ありません≫
「卵!」
私とガウルの間に、コロンと一つの卵が姿を現した。
大きさは私の手より少し大きい程度で、白く輝いており、とても綺麗だ。
「……これが。確かに禍々しさは感じません。ですがセリアさん、生き物はアイテムボックスに収納できませんから、残念ながらこの卵の中身は、既に生きてはいないでしょう」
「でも、入れる直前まではあんなに魔力を奪おうとしていたんだよ?」
「それでは、最後の力を振り絞って魔力を吸収したが、そのあとに力尽きたのでしょう。万が一のことがあります。危ないですから、まずは私が確認します」
ガウルは慎重に指先を卵の殻に触れさせた。
……しかし、何も起きなかった。
「……やはり、何も起こりませんね。中身は既に亡くなっているのでしょう」
ガウルが同情するような目で私を見た。
私は、なんとなく信じられないという気持ちで、そっと自分の手を卵に伸ばした。
ドクン……
触れた瞬間、指先からドクドクと魔力が引き抜かれる。
以前と同じだ。
「……っ! やっぱり魔力を奪われてる……!」
「セリアさん、今すぐ離して!」
≪セリア様!!≫
焦ったガウルとナビの声が聞こえるが、やはり手は吸い付いたように離れない。
ズルリ、ズルリと魔力が卵の中へと流れ込んでいく。
けれど、不思議と危険を感じることはなかった。
しばらくして、ふっと吸い取られる感覚が止まり、私の手は自由になった。
卵は私の魔力を吸い込んだことで、真珠のような輝きをさらに増し、うっすらと内側から発光している。
「はぁ……。びっくりした……。でも、やっぱり生きてる気がするよ」
「信じられません……。私には反応しなかったのに……。一体どうなっているんだ……」
ガウルが困惑していると、ナビの警告が響いた。
≪セリア様、そろそろ帰宅の時間です。卵を収納し、撤収の準備を≫
(そうだね。……収納!)
私は卵をアイテムボックスに戻そうとした。
……しかし、何も起こらない。
「え……? 戻らないよ。収納!」
(ナビ、どういうこと!?)
≪……推測ですが、セリア様の魔力を得たことで、卵の中の生命が『活動状態』へと移行したようです。生命活動を行っている個体は、アイテムボックスの制約により収納できません≫
「あの……ガウルお兄ちゃん。……入らなくなっちゃった。中身が、起きちゃったみたい」
ガウルは絶句したが、すぐに周囲を見渡し、私が練習で作った個室トイレに視線を向けた。
「とりあえず、この箱をそのままにして帰るわけにはいきません。これを見た人が混乱しますから。……セリアさん、これを片付けられますか?」
「あ、そうだね。えいっ!」
私が土魔法を作った時とは逆方向にイメージして魔力を流すと、個室トイレはサラサラと崩れ、元の土へと戻っていった。
「……片付けまで完璧ですね。では、その卵は私が持ちましょうか?」
「ううん、私の鞄に入るから大丈夫だよ」
私は、淡く光る真珠色の卵をそっと鞄に詰めた。
それほど大きくないので、鞄には問題なく収まった。
私はガウルお兄ちゃんをチラリと見て、人差し指を口に当てた。
「ガウルお兄ちゃん、この卵のことも内緒にしておいてくれる?」
「……ええ。だけど、何かあれば相談してくださいね」
「うん!」
重たくなった鞄を肩に掛けなおして、私はガウルお兄ちゃんと一緒に足早に帰路についたのだった。
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