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第14話 おかえりなさい

 締め切られた玄関をシオンがノックする。

 しばらく沈黙が流れた後、床板がきしませながら足音が近づいてきた。


「……旅の人かい?」


 ドア越しに聞かされた低いくぐもった声は紛れもなく父のものだった。


「悪いが、今日は休業だ。

 ほかを当たってくれ」

「この村に他の宿なんてないでしょう。

 お願いします。お代は平時の3倍払いますので。

 妻も長旅で疲れていて休ませてやりたいのです」


 再び用意された言葉をシオンが発すると、渋々、と音が聞こえてきそうなほどゆっくりとドアが開けられた。


「寝床は好きに使ってくれ。

 飯は用意してやれん」

「結構です。では、妻よ」


 うつむいた父のそばを通り過ぎて私は部屋に向かった。

 振り向いて見た背中は私の記憶の中にある父とは似ても似つかないほど小さく見えた。


 荷物をおろした私は崩れ落ちるようにベッドの上に敷かれた布団に頭を預けた。


「ジークさん。大丈夫?」

「ああ……」


 そう返したが、とても大丈夫な精神状態とは言えない。

 私の記憶にある限り、父が仕事を休んでいるところを見たことがない。

 たいして客が来ない村の宿屋など休んでいても文句は言われないだろうに、疲れ果てた旅人を馬小屋に押し込めるようなことを良しとしない律儀な性分なのだ。

 そんな父を母は支えていた。

 宿を開けつつ、料理屋を開き村に人に食事やお酒を提供したり、森に向かっては猟や果実の採取などを行ったり、家の中では家事の合間に内職に取り組んだり。

 きっと私がこの村を離れてからもずっとそうだったのだ。


 ケンッ、ケンッと甲高い野鳥のような咳の音がここまで聞こえてきた。


『あまり手間を掛けさせてやるなよ。

 何せあそこの女将さん危篤なんだからよ』


 何かの間違いであってほしいと思っていた。

 だが、律儀な父が店を閉めて咳込む母の看病をしている。

 村内の情報網の伝達は怖いくらいに早くて正確だ。

 間違いではない、ということだろう……


「ひと目会えれば、と思っていたんだが……な」

「会いに行こうよ」

「異邦人がたまたま訪れた村の偶然入った宿屋でちょうどその時危篤状態の女将に顔を見せるのか。

 不自然にもほどがあるだろう」


 苦笑する気にもならないほど、力が入らない。

 そして、自分の気持ちも分からないのだ。

 母親の死などという辛い出来事が迫っているのに怖いとか悲しいとかそういう気持ちよりも何をどうしていいのか分からないという虚脱感だけが迫っている。

 実際、8つの時に家を出てからずっと家には戻らず、王に追われて逃げ帰ってからも数日の時間しか過ごしていない。

 まして言われてしまったのだ。

「死んだと思うようにした娘に帰ってこられても」って。

 ならば、私が母の死に思い悩むことなんてできるわけない。


「私は、区切りをつけたかったんだ。

 仲直りしたいとか、復讐したいとか、そんなことを考えたことはない。

 マスクを取って顔を見せることすら……求めてはいない。

 ただ、私が死んだことを聞かされた後の日常を暮らす両親の姿を見て……何も感じない自分でありたかった。

 それだけだったんだ……」


 逃げ出したくなるくらいの居心地の悪さを感じる。

 ここは私が生まれ育った家のはずなのにわざわざ客室に泊まっており、母の寝ているだろう寝室までは遠い。


 ふて寝するようにベッドに顔を埋めている私をシオンはだまって見守ってくれていた。

 しばらくして、玄関の扉が開く音と慌ただしい足音が響いた。

 立ち上がり様子を見に階段を降りると、そこには若い夫婦と抱えられた子どもがキョロキョロと視線を泳がせ、私たちと目が合った。


「知り合いか」


 私の耳元で囁くシオン。


「……兄だ」


 その面影と状況だけですぐに悟った。

 私の2つ上の兄は12歳になると東の町の道具屋に丁稚奉公に出ていたという。


「家主はいますか?」

「ああ、向こうの部屋に」


 シオンは私の代わりに答えてくれ、兄は妻と思しき女性に子どもを預けて一人母のいる寝室に向かった。

 取り残された妻と子どもを一瞥し、食堂のテーブルで脚を休めるよう促す。


 しばらくすると兄の妻はお茶が入ったからと私たちを食堂へと招いた。


「すみません。お客様におもてなしもできずに」

「いや、大変な所にやってきてしまいこちらの方こそ申し訳ない」


 私は彼女に頭を下げた。

 結婚し、子どもがいるとは聞いていたが会うのは初めてだ。

 丸顔で薄紅色の頬。

 肩まで伸びた柔らかそうな栗色の巻き毛。

 派手な美人ではないが温厚そうな顔立ちの女性だ。

 子どもは兄よりもこの人に似ている。


「いつ頃から、ここの……女将さんは」


 私がポツリと尋ねると、


「半年ほど前に……その、非常に心を傷められる出来事があって――」

「娘を兵士に売り渡したりとか?」


 シオンが冷たく言い放った予想外の言葉に私は驚く。

 そのことについては決して触れないよう約束していたのに。


 兄の妻は一瞬目を泳がせたが、すぐに立て直しシオンを睨みつけるようにして言った。


「人聞きの悪い事をおっしゃらないでください。

 どこでそんな噂を聞きつけたかは知りませんが」

「『聖剣の勇者』の生家だろう。

 魔王を討伐し世界を救った娘を産んだ親だ。

 本来なら国賓として迎えられて然るべきだ。

 だが、娘は王に暴行を加えたおかげで一転お尋ね者となった。

 この家だって褒美はおろか、いろんな嫌疑をかけられて内心憤っていたのではないか?

 厄介者をさっさと売り渡して、その分の補填をしたいくらいに」


 煽るように言葉をまくしたてるシオン。

 私は彼の胸ぐらをつかんで黙らせようとしたが、


「何も知らない人が!

 お義父さんやお義母さんの悪口を言わないでください!」


 強い口調で言い返してきた彼女に私の手が止まった。

 シオンはため息を付いて、


「悪かった。かの勇者様には俺も世話になったことがあってな。

 つい責めるような口調になってしまった」


 と言って頭を軽く下げた。


「いいえ……こちらこそすみませんでした。

 そのような言葉をこの村の人達がぶつけられているのは知っています。

 恩知らずとか子ども殺しとか。

 当事者でもない人たちが勝手な正義感を振り回し……」

「分かっている。

 ここの人たちは生き延びるために必要なことをしたんだ。

 王国に逆らうような真似をしても良いことなんてない。

 聖剣の勇者は自らの立場を弁えず、災厄をこの村に引き寄せた愚か者だ」


 私は彼女を慰めようと、自らの行いを否定した。

 シオンはそっぽを向いてテーブルによじ登ろうとしている子どもを眺めている。


「勇者様もお辛かったんだと思います。

 ずっと人々のために戦っていたのに、その人々から狙われ罵られ……

 傷んだ心を故郷で癒やしたいと思って誰が咎められるでしょう」


 彼女は目に涙を浮かべていた。

 そう、私が戻った時も母はこんな風に泣いてくれた。

 だけど……母は私を売り渡した。


「あなたは優しい人だ。

 会ったこともない義妹いもうとをそこまで想ってくれて」

「どうでしょう。

 私にとっては聖剣の勇者様は遠いお方すぎて家族としての感傷がないですし……

 それよりも、夫の両親に胸を痛めて泣いているのです」


 しばし沈黙が続き、ポツリポツリと彼女は語り始めた。


「子どもを殺したい親などいません……

 少なくとも夫の両親は優しく誠実な人たちです。

 彼女が帰ってきた時もそうでした。

 傷つき疲れ果てた娘を守りたいと考えていらっしゃいました。

 ですが、彼女が戻ってきていることを知った村の人間の一人が領主様に密告したのです。

 そのことを知った義父ちちはその男を血が出るまで殴り倒し、なんとか娘を逃がそうとしたのですが、それを許す者は誰もいませんでした。

 王の命に反すればこんな村などひとたまりもありません。

 それどころか、別の町にいる親類縁者全てに害が及びかねない。

 もし、勇者様が逃げおおせていたなら、私もこの子もこの世にはいなかったかもしれません」


 涙を流す母親を心配するように子どもがそのスカートにすがりつく。

 彼女は子どもの頭を撫でてあやしている。


「もちろん、我が子を守れなかった……そのことの罪悪から逃れるつもりはなかったのです。

 勇者様を罠にかけた時、突き放すような言い方をしたのも……

 彼女が死を迎える時、優しい両親だったなどと思われること無く、恨んでもらえるように。

 自分たちのしている罪を自覚するために。

 義父母は周りから責められるまでもなく自身を罰し続けています、今も……」

「そんなのあなたの想像だろう」


 冷たくシオンが言い放った。


「死人に口はないからな。

 ジーク……リンデ様が受けた絶望は今となっては誰にも分からん」

「そうですね、私も夫や村の人から聞いた話ですから。

 人の心の中は……誰にも分かりません。

 それはたとえ、勇者様だろうと」

 

 母の咳の音がまた、さらに強くなった。

 兄が妻と子どもを呼びに来て彼女たちは母の部屋に向かった。

 目の前のお茶はすでに冷めきっていた。


「俺はジークさんがやったことを悪いことだとは思っていない」


 シオンは私の方を見ずに語り聞かせてくる。


「でもジークさんの家族はもちろん、村の人達だって悪い人間じゃない。

 みんなままならない事情があって悪いことをした。

 あのティーチとかいう兵士もそうだった。

 それでも、こんな不条理な悲しみの連鎖をジークさんが抱えなけりゃいけない理由なんてないんだ。

 君はもう勇者なんかじゃない」


 シオンの言うとおり、私はもう勇者ではない。

 誰かのために自らを犠牲にして戦ったり苦しんだりする義務もなければ資格もない。

 だけど、このまま何もしないことが正しいこととも思えない。


「シオン……教えてくれ、私はいったい何をすればいい?」


 自然とそんな言葉をこぼしていた。

 彼は静かに、だけどしっかりとした口調で、


「あなたのやりたいことをやればいい。

 もし、マズイことになりそうなら俺がなんとかするよ。

 なんてったって、俺は魔王と天使の息子だ。

 不条理を扱うのは人間より向いている」


 そう言って、シオンは強く私の背中を叩いた。

 叩き出されるように席を立った私は、シオンを一瞥する。

 普段とは違い、少し憂いを帯びた笑顔でちいさく頷いてくれた。

 私を後押しするように。


 私は走って、母のいる寝室に向かった。

 扉を開けるとその場にいる父も兄もその妻子もぎょっとした顔で私を見つめた。


「な、何なんですか!?」

「……回復魔法を使える。

 病を止めることは出来なくても、痛みを抑えることくらいはできる」


 兄を押しのけるようにして母の枕元に向かう。

 手を握り、魔力をゆっくりと注ぎ込む。

 すると息もできぬほど咳き込んでいた母の様子がだんだん落ち着いてくる。

 小さく、しわがれた手。

 顔には深くシワが刻まれ、髪の毛にも白いものが多く混じっている。

 まだ50にもならないというのにこんなに老け込んでしまった母の心労が目に見えて分かってしまう。


 私はバカだ、大バカだ。

 こうなることを分かっていたのに、自分の弱さに負けてこの家に逃げ帰って勝手に絶望して……

 両親を……家族を途方もなく傷つけた。

 そして今も、私のやったことは彼らを蝕み、母の命をも奪い去ろうとしている。


「母さん! 母さん!

 分かるか!? 俺だよ!」


 兄が泣きながらそう呼びかける。

 母はかすかに微笑んで「ん」と応える。


 もう長くは持たない。

 穴だらけのバケツに水を注ぐように注ぎ込んだ魔力が漏れている。

 痛み止めと気休め程度にしか使えない回復魔法。

 それでも、私は手を離すことが出来ない。

 こんなに傷んだ母を痛みの中で死なせることなんてできない……


 涙がこぼれないよう、目を強くつぶった、その時だった。

 母のか細い指が私のマスクを外したのだ。

 肌の色も顔を隠すための化粧もしていたのに……母はひと目見て私の正体に気づいた。


 細められた目に涙が溢れ、母は声を上げて泣き始めた。

 その異変に父が母の顔に自らの顔を寄せる。

 そして私の顔を見て、目を見開いた。


 お父さん、お母さん、ごめんなさい。

 あんな風に裏切らせたのに、また帰ってきてしまったよ。

 また二人を苦しめるだけなのに……


「すまん。最後に母さんと話したいことがある。

 お前たちは外に出ていてくれ」


 と言って父は兄と妻子を部屋から出させた。

 彼らが出た後、母は私の名前を呼んだ。

 ジークリンデと名乗る前の私の名前を……


「母さんは俺が説得した。

 お前を差し出せねば村に住めなくなるし、息子や孫も危険にさらされると脅して……

 だから、母さんは恨まないでやってくれ。

 あんな言葉は本心じゃないんだ……」


 父は床に手を着いて言葉を絞り出した。


「分かっている。大丈夫だよ。

 全部わかっているから」


 そう言って母の涙を拭う。


「いっぱい迷惑をかけてごめんなさい。

 だけど、私はここに帰りたかったの……

 ずっと……ずっと……」


 聖剣を握ったその日から私はこの家の子供ではなく、人々のために聖剣を振るう使い手となった。

 それでも……ずっと帰りたかった。

 いつか、魔王を倒して世界を救ったのならばこの村に帰って、お父さんとお母さんを助けながら生きていこう、と。


 いつしか私の頬にも涙が流れていた。

 母は目を閉じて、


「おかえり……なさい……」


 とかろうじて言葉を紡ぐ。

 魔力を絞り出すようにして更に注ぐ。

 まだだ、まだ……


 振るえる私の肩に父の手が置かれた。

 そして、父は「もういい」と言うように首を横に振った。

 私は回復魔法を停止し、魔力の帯びていない手で母の手を握る。


「私ね、今は安全なところで楽しく暮らしているの。

 だから、大丈夫だよ」


 口調が子供の頃に戻ってしまう。

 母に手を引いてもらって歩いていたあの頃のように。


「お父さんとお母さんの気持ち、わかっているよ。

 だって……私は……二人の娘だもの」


 私の言葉が耳に届いた瞬間、母の手から力が失われた。

 旅をしていた頃の習性で即座に脈を診てしまう。

 弱い血の流れが、どんどんまばらになり、ピタリと止まる。

 握っていた手を離して、胸の前に両手を組ませた。

 その時にふと見えた、母の死に顔は穏やかに微笑んでいた。


 父は獣のように慟哭した。

 その声に気づいて兄と妻子が部屋に入ってくる。

 直前、マスクをつけ直した私は会釈をして入れ違いに部屋を出ていった。




 私が部屋に戻ると、シオンが立ったまま私を待っていたらしく、扉が開くとすぐ私に駆け寄ってきた。

 泣きはらした私の顔を見て、必死に言葉を探すようにして、


「……頑張ったんだね」


 と言ってくれた。


 頑張った、か。


 私のしたことは本当に死にゆく母の救いとなっただろうか。

 遺される父の迷惑にはならないだろうか。


 そんな事を考えれば、私のしたことは間違っているのかもしれない。

 だけど……


「ああ……そうだな」


 少なくとも私たちは家族に戻れたと思う。

 そして、それは私があの日からずっと求めていたことだったんだ。


 私は一歩進んでシオンの胸に顔を押し当てた。

 彼の心臓の鼓動が聴こえるくらいにぴったりと。


「……ジークさん?」

「少しだけ……このままでいさせてくれ……」


 ポロポロと流れる涙が彼の服を湿らせていく。

 部屋の外では泣き崩れる父と兄の声が響いている。

 私はこの家で泣き声をあげたりしない。

 たとえ、母がおかえりと言ってくれても。


 だから、私はシオンにすがりつく。

 彼が私の居場所となってくれているから。

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