閑話6 サンオリの転落
元伯爵令息 ― サンオリの転落
ポール家を追放されたその夜、サンオリ=ポールは一人、王都の石畳をさまよっていた。
肩にかけた外套は埃まみれで、上質だったはずの靴もすでに泥に汚れている。
昨日までは立派な伯爵家の令息。だが今や、ただの放逐された若者に過ぎなかった。
「……どうして、こうなった……」
独り言が唇を震わせる。
頭をよぎるのは、父の冷たい宣告。
「ポール家の名を汚す愚か者は、もはや息子ではない。二度と門をくぐるな」
その言葉は、どんな刃よりも鋭く胸を突き刺していた。
宿もなく、所持金もわずか。街灯の明かりに照らされながら、サンオリは人目を避けるように裏通りへと足を踏み入れた。
◆◇◆
翌朝。
馴染みのある仕立て屋に足を運び、服を売ろうとした。
だが店主は冷たい目を向けた。
「……旦那様のところから追い出されたって話は、もう広まってますよ。伯爵家の名前がなければ、ただの着古した服です」
手渡された額は、笑ってしまうほど少なかった。
それでも背に腹は代えられない。サンオリはその金で安宿に転がり込んだ。
しかし日々は容赦なく彼を削っていく。
酒場で仕事を探しても、貴族あがりの若造を雇う者はいない。
「働きたい」と言っても、まともに汗を流したことのないサンオリは、荷運びひとつ満足にできなかった。
背中に浴びせられるのは、嘲笑と蔑みの視線。
夜、安酒をあおりながら、サンオリは唇を噛んだ。
「……ナンテール……お前がいてくれたら……」
愛しいと思っていた男爵令嬢の顔が浮かぶ。だが同時に、彼女の現実的な言葉も蘇る。
「貧乏なのは嫌です。贅沢できない生活なんて、とても……」
その声が耳にこびりつき、胸をかきむしりたくなる。
◆◇◆
一月が過ぎた頃、サンオリの姿はすっかり変わり果てていた。
伸び放題の髪、無精ひげ、擦り切れた外套。
街を歩く人々が、かつての伯爵令息だとは夢にも思わないだろう。
飢えをしのぐために安パンをかじり、雨宿りは橋の下。
偶然、昔の知り合いに見つかれば、逃げるように顔を背けた。
「どうして……俺だけが……」
何度も同じ言葉を繰り返す。
だが答えは返ってこない。
ある夜、薄暗い路地で、少年に肩をぶつけられた。
怒鳴りつけようと顔を上げるが、少年は逆に睨み返してきた。
「おっさん、どけよ。邪魔なんだよ」
――おっさん?
その言葉に、サンオリは愕然とした。
まだ二十代半ばのはず。だが、落ちぶれた姿はすでに老け込んで見えているのだろう。
全身から力が抜け、壁にもたれかかる。
空を見上げれば、月だけが冷たく輝いていた。
◆◇◆
それでも彼は、どこかで諦めきれなかった。
アヴィニヨン伯爵家、カンヌ。
あの女さえ振り向けば、自分の人生は元に戻る。
そう思い込み、夜ごと屋敷の前まで足を運んだ。
だが鉄の門は閉ざされ、衛兵に追い払われるだけ。
ある時は石を投げられ、ある時は杖で叩かれた。
「くそっ……僕を誰だと思っている!」
叫んでも、返ってくるのは笑い声だけだった。
◆◇◆
やがて、サンオリの姿は王都の街角でよく見られるようになった。
元貴族の成れの果て。
酒と安パンを求めてさまよう、哀れな男。
かつて婚約者を奪おうとした野心も、父の叱責に怯えた誇りも、もう残ってはいなかった。
ただ、冷たい夜風に吹かれながら、誰にともなく呟く。
「……どうして、僕だけが……」
その声は、街のざわめきに消えていった。




