第102話「火種」
街道を進む武人たちの一団があった。
人も馬も疲労の色が濃く、その様子からこれまでの行軍がかなり無理のあるものであったことが伺える。
そんな彼らの掲げる軍旗には、汚れで見えづらくはなっているもののハッキリと『漢』の一字が記されていた。
それは、剣閣から急ぎ成都へと向かう姜維の軍であった。
「皆、止まれ!」
軍の先頭に居た姜維が、前方より近づいてくる人影にいち早く気づく。
魏軍と鉢合わせしないよう迂回路を進んでいるが、敵の位置を正確に把握出来ているわけではない。
不意に接敵する可能性は十分にあった。
皆、抜刀し人影を注視するなか、やがてその人物の顔が日差しに照らされ露わになる。
その男の正体に、姜維は思わず声を上げた。
「蒋顕殿……! 何故貴方がこんな所に?」
蒋顕は蜀の太子僕で、かつて諸葛亮の死後に蜀の内政を担った蒋琬の息子にあたる。
太子僕とは、その名の通り成都にいる太子・劉璿を支える官職である。
そのような立場の者が成都を離れているのは明らかに不自然であり、姜維が疑問に思うのは当然と言ってよかった。
蒋顕は恭しく礼をとると、姜維からの問いに答えた。
「此度私が成都より参りましたのは、聖上からのお言葉を姜将軍へとお伝えするため。すなわち、今より申し上げることは勅令にございます」
勅令。その言葉を聞くや否や、姜維は慌てて下馬すると蒋顕に向かって深く頭を下げた。
他の者もそれに続く。
緊張した空気の流れるなか、蒋顕はゆっくりと書状を取り出し、その内容を読み上げた。
「馬鹿な……! 何を言って……! くっ、よもやまた黄皓が陛下に何か吹き込んだのか!」
その書状の内容に、姜維は怒りを顕にする。
他の者らもあまりの衝撃に動揺を隠せない。
『蜀は既に魏に降伏したため、姜維らも直ちに魏軍へ投降せよ』
それが劉禅からの勅令であった。
これまで蜀漢のため身を粉にして戦ってきた彼らにとってこれほど酷な命令はない。
姜維は叫んだ。
「これでは趙広も趙統も何のために死んだのか分からぬではないか! いや、2人だけではなない! これまでの戦いで、何人の男たちが国のため命を捧げたと思っているのか……!」
怒りで我を失った姜維は、剣を抜くと力任せに近くの岩へと叩きつけた。
人1人座れそうな決して小さくない岩が轟音とともに容易く砕け散る。
蒋顕含めその場にいる誰もが姜維のあまりの剣幕に気圧されたが、ただ1人、臆せず姜維に声をかける者がいた。
廖化である。
彼は年長者として、姜維の言動を見過ごす訳にはいかなかった。
「落ち着かれよ姜維殿。其方の気持ちはよく分かる。この場にいる誰もが皆同じ気持ちであろう。だが、これは勅令。そのような感情的な態度はお控えあれ」
「……すまぬ。取り乱した」
姜維は冷静さを取り戻すと、剣を鞘へと収め、廖化とその後ろにいる将兵らに向かって深々と頭を下げた。
そして長い間があって、ようやく顔を上げた姜維は言葉を続けた。
「皆聞いてくれ。これより私は鍾会の陣へと赴き、投降する。陛下が降伏を選んだのであれば、臣としてそれに従うのみ。これ以上戦っても大義はない。……だが、どうか勘違いしないで欲しい。曹奐や司馬昭に形として頭を垂れることはあっても心から忠誠を誓うことは決してない。いつか陛下が再び立ち上がったときは、真っ先に参陣するつもりだ。漢は死なぬ。この姜伯約が死なせぬ。どうかそのことだけは皆忘れないでくれ」
この姜維の言葉に諸将感じ入り、こうして姜維とその配下の将兵は魏軍へと投降した。
涪城まで軍を進めていた鍾会は、彼らの投降を快諾。成都には入らずしばらくこの地に駐屯する。
鍾会と姜維。この2人の名将の出会いが再び巴蜀の地に嵐を巻き起こすこととなる。
魏の都・洛陽。
蜀漢降伏に歓喜したのも束の間、宮城に集められた群臣たちはみな険しい顔をしていた。
その中でも取り分け顔をしかめていたのは相国・司馬昭であった。
彼は意を決したように、群臣に向けその口を開いた。
「……鄧艾を洛陽に召還する。彼の者の行い、もはや看過できぬ。これ以上奴を放置しては、第二の劉備となって曹魏の覇業の妨げになることは明白である」
司馬昭の言葉にみな深く頷く。
鄧艾は蜀漢征伐における英雄。司馬昭の言葉に異論を唱える者が出てもおかしくは無かったが、しかし明確に不服を唱えたのは魏帝・曹奐のみであった。
「相国、朕には分からぬ。鄧艾はまさに稀代の名将。成都を攻略したのも鍾会ではなく鄧艾である。これほどの大功を立てた将を都に召還するとはどういうことか?」
「陛下、鄧艾は成都攻略後、蜀の旧臣たちに勝手に官職を与え、さらには劉禅を扶風王に封じるべしと上言して参りました。これは明らかな越権。己が立場を勘違いしているとしか思えません。すぐさま監軍・衛瓘を遣わし厳に戒めましたが、鄧艾は言い訳を重ねるのみ、反省の色は全く見えず……。さらには涪城の鍾会からも鄧艾謀反の兆しを報せる書状が届いております。こうなってはもはや鄧艾を都へと召還し、直接問いただすしかございません」
司馬昭としても積極的に鄧艾の罪を糾弾したいわけではない。
鄧艾のこれまで積み上げてきた功績を考えれば、ある程度のことは不問にしても良いくらいであった。
しかし、そうも言っていられないほどに今回の鄧艾の行動は度が過ぎていた。
劉禅と蜀の旧臣を取り込み、呉への備えを名目に兵を集める。
傍から見ればそれは魏への反乱の準備にしか見えず、相国として流石にこれを野放しにしておくわけにはいかない。
これは司馬昭としても苦渋の決断であった。
曹奐もそんな司馬昭の思いを感じ取り、以降異は唱えず、この一件をすべて司馬昭に任せた。
程なくして鄧艾召還の詔書が下され、鄧艾・鄧忠父子は衛瓘によって捕らえられる。
蜀漢滅亡からおよそふた月、年明けて264年1月のことであった。




