Scene46『勝つのを諦める』
竹刀の構造を利用して黒姫黒刀改の剣先を割り竹の間に突き刺し、引っ掛けて奪う。
尊とカナタが正翼に仕掛けたのはそんな動きだった。
竹刀の打ち込みは風の属性によって加速化されていることもあり、肉眼では捉えられないほど速く、普通なら竹刀を突き刺すなどできるはずもない。
だが、RS持ちと自称するほど、正翼の斬撃は正確だったのだ。
だからこそ、同じ攻撃をして来ればカナタに僅かな隙間を狙う軌道を容易に計算させ、尊は余裕をもって対応することができた。
結果として思惑は全て上手くいき、正翼を撃退することに成功した。のだが、だからといって代償がなにもないかというとそうではない。
目の前から正翼が消え、いくつかの紋章魔法が落ちるのを確認した尊は、ゆっくり息を吐きながら壁にもたれかかる。
「通路の壁ってこんなに冷たかったんだ……ちょっと気持ちい」
壁に接触している右半身から壁の温度を感じつつ、目をつぶる。
「確認します。マスター大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫……ただ、ちょっと疲れちゃったかな?」
どっと噴き出すように溢れる汗と、それに伴って激しくなる呼吸。
精霊領域補助で身体能力を増幅させてはいても、動きそのものは尊自身によるもの。だからこそ、長時間動き続ければ、疲労はどうしても蓄積される。それに加えて、カナタが提示するVRA攻防支援に合わせて動くのは神経を意識してなくても擦り減らす。
特に今回の場合は、短い間に逃走と二戦を行っているのだ。
普通の中学生より劣るところがある尊の精神と体力が底をついてしまったのはしょうがないことだろう。
「現実だったらここで限界なんだろうけど……カナタ。VR耐性はまだ限界に達してない?」
「確認します。大丈夫です」
「なら、ちょっとだけ寝るね」
力が抜け、ずるずると下へと落ち始める。が、床に接触する直前で身体が淡く輝き出し、閉じていた目が勢いよく開かれる。
「にゃっ! 危ない」
白い床に接吻しそうになった尊は慌てて上半身を起こす。
きょろきょろと周りを見回し、変化のない光景とVRA地図を確認してほっと一息吐く。
「確認します。体調は戻りましたか?」
「うん。一気に軽くなったよ……意識してVR体リセットを使ったのって初めてだよね?」
「肯定していいかどうかわかりません」
「なにそれ? まあ、とにかく、便利だけど、変な感じだよ」
「確認します。不快を感じたのですか?」
「ううん。逆。爽快過ぎて、なんかね……あんまり多用するのは良くないかもね」
「肯定します。VR耐性の僅かですが減少を確認しています」
「現実ではありえない現象だものね……とにかく、行こうか。まずは包囲網を抜けないと」
黒姫黒刀改を白い鞘に納めた尊は紋章魔法を回収してから、正翼が精霊魔法で吹き飛ばした包囲網の穴へと駆ける。
(報告します。獲得した紋章魔法は全て壊れていました)
(また? なんで修復しないんだろうね?)
(推測します。今回の紋章魔法もプレイヤーメイドではありませんでした。またギルドでぃーきゅーえぬは普段の行いから他のプレイヤーに嫌われ、かつ、地下ダンジョンに潜り続けていた。そのため、修復してもらえず、できもしなかったのかと)
(自分達でやればいいような気がするけど?)
(補足します。紋章魔法の修復にも、作るのと同様に技術と知識が必要になります)
(ああ、なるほど。生産職になろうって人達がいなかったわけだね)
(肯定します。また、ダンジョン内にて現在手に入る素材だけでは修復できない紋章魔法をあるようです)
(まだ上層しか入れないわけだしね……紋章魔法を壊して同じ紋章魔法を修復するってことはできないの?)
(可能です。強調します。ただし、それに関する技術・知識は公開されていません)
(そっか……ん~これからは紋章魔法も慎重に使わないといけないね)
(肯定します)
などと思念会話をしている間もVRA地図上から赤い波紋が無数に発生するが、進行方向上からは生じてはいない。
しばらくは安全なことを確認した尊は、走りながら意識を思考へと傾け始める。
(これで振り切れればいいんだけど……精霊力はもうそろそろ半分を切りそうだし、VR耐性の心配もある。ん~あと一戦ぐらいの余力はある……とは言い切れないかな? ノーフェイス達みたいなレベルの戦闘になれば、半分だけだと心許ないし。強制転送が封じられたままだといずれ逃げ切れなくなる。こんなことなら地上にいた方がまだましだった? ううん。今更過去のことを嘆いてもどうしようもないよね。前を見なくちゃ。カナタの命が掛かっているんだよ? どうにかしないと……守蜘蛛さんを一か八か抜けて地下四階に逃れるべきかな? でも、仮の考えている方法が上手くいったとしても、守蜘蛛さんより強力な魔物がいたら? そもそも、本当にどうなっているかわからない状況では危険過ぎる。カナタ。探知領域で調べられないのかな?)
(回答します。地下三階と地下四階を隔てる床にはQCティターニアの加護が掛けられているようです)
(探知領域を通すことができないってこと?)
(肯定します)
(不安要素が強過ぎるね。強制転送が止められている以上、そんな高いリスクは負えないよ)
(提案します。地上へ帰還してみてはどうでしょう? 既にある程度の時間は稼ぎ終わっています。状況の変化が起きていてもおかしくありません)
(妖精広場の状況は?)
(確認します。変わらず膠着状態です)
(それは……ちょっとおかしいね? カナタの言う通りなら、なにかしらの変化がそこに現れないとおかしいし)
(同意します)
(もしかしたら……カナタ。プレイヤーさんが書き込みとかしている分当たりの数が減っているか調べてくれない?)
(調査します……地下に避難してから減り始めています)
(なら、不都合なことを書き込み始めている人の利用権限を停止させているんだろうね。そんなことをしても時間稼ぎにしかならないだろうけど、それはつまり、時間稼ぎが有効な状況だってことだと思う)
(理解しました。ですが、疑問です。どうしますか?)
(それは……)
未だに反応があるでぃーきゅーえぬ達の探知領域。
決定的に追い詰められてはいないが、思い切った行動が取れない現状ではできることが限られてしまう。
それが尊に焦りを覚えさせる。
(どうすれば、どうすればいい? どうすれば逃げられ――)
ふと自分が思った言葉が頭をよぎり、尊は苦笑した。
(前へ進もうとしているのに、逃げるばかりを考えるべきじゃないよね。逃げる一択だから、できることが限られちゃうんだ。逃げはあくまで選択肢の一つ。そう考えるのなら、まだできることが他にもあるはず! なにか、なにか攻めるための材料はないかな?)
(確認します。攻めるとは? でぃーきゅーえぬを退けることですか? それとも、フェンリルの思惑を砕くことですか?)
(できれば両方。贅沢だとは思うけど、そういうなにかがあれば最上だよ。なにより、視野を広く見るためにはできる限り大きく見ないと、なにかを見過ごしてしまうかもしれない)
(忠告します。現状差し迫った危機を重点的に着目しなければ足元をすくわれるのでは?)
(ううん。カナタを守り切るためには、現状を打破するだけじゃ駄目なんだ)
(強調します。ですが、優先されるべきはマスターであって、私ではありません)
(僕なんてどうてもいいよ! 僕がこの世界で殺されても、VR症を発病するぐらいで済む。死んでしまうカナタよりずっとましだよ!)
(否定します。それでは武霊としての、いいえ、ナビとしての存在意義が失われてしまいます。少なくとも、この世界においては、ナビは人類を守る存在です)
(違うよナビは傍にいて導いてくれる人達だし、お互いが守り合うんだ)
(疑問です。マスターの考えは普通なのでしょうか?)
(普通だと……思いたいかな? 他の人の考えを確認したことがないからなんとも言えないのが正直なところだよ。僕としても他の武霊さんにカナタが普通なのか確認したいし)
(報告します。現状、他のプレイヤー・武霊に接触する手段はありません)
(うん。僕達の妖精広場利用権も停止されているだろうしね)
(肯定します)
(まあ、ナビさんは僕が外で出会った限りだけど、一人一人違う感じだったから、それぞれに小型QCが与えられている武霊さんにも個性が……個性? いや、小型QC……もしかして……カナタ! 妖精広場はQCティターニアを介しているよね?)
(肯定します)
(じゃあ、もしかして、武霊さん達は――)
思い付いたことを確認しようとした時、
「レディ~ス&ジェントルマン! これより始まるのはぁ、俺達をこんな場所に閉じ込めた元凶のリンチでぇすぅ」
その声は尊の耳元で聞こえたが、姿は見えず、VRA地図上でも確認できない。ただ、声と共に赤い波紋が発生するので、領域拡声を使っているのだろう。そして、声の主は発生方向から前にいることがわかる。
(この声って……)
急停止した尊は眉を顰めながら、周囲の状況を確認。
相変わらず探知領域の反応はあるが、プレイヤーを表す光点は出ていない。
(誘導されていた?)
赤い波紋が発生する間隔と量は、前方のみ少なく、包囲網を抜けること意識していた尊は、安易に前へと移動していた。
(報告します。妖精広場で新たな放送が始まりました)
(うん。映して)
(了解しました)
空中に映し出されたのは、灰色の革製鎧を身に纏ったツンツン頭の男。
(とうとう来たね……)
(同意します)
地上でのギルバートとの戦闘は既に終わっていることは妖精広場で公開されている動画から確認できていたが、それ以降の行方はわからなかった。
だが、でぃーきゅーえぬ達が誰かの指示で、真面目に追っているの者達は少なかったが、尊を狙っていた。だとすれば、ギルド長である我流羅が動いていないなどありえるはずもない。当然、直接来る可能性も考慮していた。
(精霊力はどれくらい回復していると思う?)
(推測します。武装化解除状態でこの階層まで移動したとするのなら、半分ほどかと)
(誰かが寝ている武霊さんを抱えて移動していた場合は?)
(回答します。全快しているでしょう)
(なら、できれば戦闘を避けた方がいいね)
(推奨します)
VRA地図を確認し、どちらの方向に逃げるべきか考えるが、探知領域の波紋発生量からして右・左・後ろも十人以上はいるようだった。
(この数と同時に戦って勝てると思う?)
(考察します。マスターであれば勝てます。強調します。ただし、いくらかの精霊力と時間を犠牲にする必要があるでしょう)
(範囲攻撃とかできないしね……となると、下手に前以外を行こうとすると、複数の敵に囲まれた状況であの人と戦うことになるのか……)
尊は逃走中に地上にて行われていたギルバートとの戦闘動画を確認している。
それで見たのはビル群の中層外を舞台に、赤いサムライスーツと武霊使いが行っている空中戦。
我流羅が何事かを口にし、短槍を振るう度に氷が発生する。
それは槍であったり、道であったり、拡大した刃であったり、あらゆるものが氷で形作られていた。
対するギルバートは手首から出すワイヤーを使いビルからビルへ、時には空中に作られた氷の道まで利用し攻撃を避ける。
攻撃手段がないのか、ただただ回避を続けるだけ。
だが、それでも一切攻撃が当たらない。
しかもふざけているのか、欠伸をしている動作や、氷の道で大袈裟に転んだりと、まるで古き良きコメディアニメを見ているかのような戦闘だった。
当然、それに激昂する我流羅は、時間が立つごとに攻撃を激しくさせ、終には周囲の環境全てを凍り付かせる大魔法を放って映像が途切れていた。が……尊としてはそんなとんでもない魔法であっても、ギルバートが無傷であるようにしか思えなかった。
そもそも時間加速が止まっていない以上、例えダメージを与えていたとしてもそこに意味はない。更に加えればでぃーきゅーえぬとフェンリルが共闘関係にあるのは、尊達の強制転送停止で証明されてしまっている。そんな関係の二人が、本気で止めを刺し合うなどということはありえない。
だからこそ、尊は別のことが気になった。
(倒した二人も同じこと出来たのかな?)
(不明です。強調します。ですが、行っていることは司っている属性のみですので、同じように成長しているのであれば、同規模の魔法は使えていた可能性があります)
(環境が味方してくれていたわけだね。ここであんな規模の魔法を使えば、爆発でも風でも生き埋めになっちゃいそうだし)
(肯定します)
(でも、氷は……)
(同意します。ほぼ全力で使えるでしょう)
(それは……厳しいね)
(肯定します。勝率は極めて低いでしょう)
カナタの予測に、尊は頷き、少し考えてからとんでもないことを思う。
(なら、勝つのを諦めようか)
(…………意味不明です)
返答に少しの間があったカナタに苦笑する尊は、足らなかった言葉を続ける。
(うん。だからね。カナタにお願いしたいんだ)
少し長いそのお願いをしている間、VRA地図上に赤い光点が一つ現れる。
ゆっくりと近付いてくるそれを意識しながら、思念会話でやりとりを続け、
(――はできる?)
(可能です)
(うん。じゃあ直ぐにやってくれる?)
(了解しました。マスターのお望み通りに)
そして、カナタによって尊のお願いが実行されると同時に、尊の前に我流羅は現れた。




