戻る場所を自分で選ぶ
第四十七章 戻る場所を自分で選ぶ
① 裁判が終わりに近づくころ
秋が深まり、金沢の空気にもはっきりとした冷たさが混じり始めていた。
真田家の中では、以前より少しだけ“生活の形”が戻ってきている。
朝ごはんの時間。
香奈美の部活の予定。
茂之の宿題。
圭一の帰宅時間。
栄子のシフト。
まだ完全に昔のままではない。
でも、家の中に
毎日をどう回すか
という現実のリズムが、少しずつ戻っていた。
その一方で、外では教団をめぐる裁判が、いよいよ終盤へ入っていた。
刑事では、証拠も供述も積み上がり、教祖と幹部たちの責任がほぼ剥き出しになっている。
民事でも、被害対策弁護団による立証が積み重なり、教団側の“自主的な献金だった”という主張は、ほとんど息をしていなかった。
真田家の誰も、もう
「どうなるかわからない」
とは思っていなかった。
問題は、どこまで重い裁きが下るかだった。
② 栄子が言葉にする
そんなある夜。
夕食のあと、圭一が新聞を畳み、香奈美が彗星の追加資料を机に置いていた時だった。
栄子が、ふいに言った。
「……うち、ちゃんと言っときたい」
三人が顔を上げる。
栄子は、少しだけ手を握りしめてから、はっきりと続けた。
「うちはもう、教団の側には戻らん」
「家族の側で生き直す」
その言葉は、以前のような
“もう関わりません”
という切羽詰まった宣言とは違っていた。
もっと静かで、でも芯のある言い方だった。
「たぶん、すぐ全部きれいにはならん」
「借金も残っとるし、裁判も終わってないし、信頼も全部は戻っとらん」
「でも、それでも、うちはこっちでやり直したい」
こっち。
つまり、家族の側で。
その一言に、居間の空気が少しだけ変わった。
香奈美はすぐには何も言えなかった。
圭一も、顔を上げたまま黙っている。
茂之だけが、何かを確かめるように母を見ていた。
栄子は続ける。
「教団にいた時は、あそこが居場所やと思わされとった」
「でも違った」
「ほんとの居場所って、楽なことだけ言う場所じゃないんやね」
「ちゃんと怒られても、それでも戻ってこいって言うてくれる場所なんやね」
その言葉は、きれいすぎず、でも真っすぐだった。
③ 完全ではない受け取り方
最初に返したのは圭一だった。
「……わかった」
短い。
でも、その中にかなりいろんな感情が入っていた。
「すぐ全部前みたいにはできん」
「俺も、まだ怖いとこある」
「でも、お前がそこまで言うなら、俺はそれを前提に動く」
それは、全面的な許しではなかった。
でも、
もう一度同じ方向を向くことは受け入れる
という返事だった。
香奈美も、しばらくしてから言った。
「うちも、まだ完全に平気ではない」
「でも、お母さんが“家族の側で生き直す”って言ったのは、ちゃんと聞いた」
そして、少しだけ視線を落として続ける。
「……うち、そこは信じてみる」
その言葉に、栄子の目が少し揺れる。
“全部許す”ではない。
“信じてみる”。
今の真田家には、そのくらいの距離感がいちばんほんとうだった。
茂之は、もっとまっすぐだった。
「じゃあ、もう変なとこ行かん?」
栄子は、今度は迷わずうなずく。
「行かん」
茂之は、そこでやっと安心したように息を吐いた。
④ 再建の軸
この夜を境に、真田家の中では少しずつ
再建の軸
が見え始めていた。
それは、“昔に戻る”ことではない。
もう完全に同じには戻れない。
そうではなく、
* 借金から目をそらさない
* 裁判を最後まで見届ける
* 家計を一緒に管理する
* 食卓を維持する
* それぞれの学校や仕事を守る
* 大きな言葉ではなく、毎日の言葉で話す
そういう、ごく地味で具体的なことだった。
でも、壺や祈祷料や“真理”に覆われていた時には、それが全部失われかけていた。
だから今は、その地味さこそが再建の芯になる。
圭一は、そのことをかなりはっきり感じ始めていた。
⑤ 論告求刑
やがて、刑事裁判は論告求刑の段階へ入った。
金沢地裁の法廷で、検察は、これまで積み上げられた証拠と供述をもとに、教祖と幹部たちの責任を強く断罪した。
詐欺。
脅迫。
強要。
不同意わいせつの強要。
組織的な資金搾取。
教義を利用した精神的支配。
さらには関連法令違反。
検察官の声は、法廷の中で低く響いた。
「被告人らは、宗教的権威と精神的影響力を悪用し、信者らの自由な意思決定を著しく歪めた」
「その結果、莫大な財産的被害、家庭崩壊、性的被害、深刻な精神的苦痛を生じさせた」
「特に教祖については、その中心で一連の犯罪を指示・容認し、自らも被害行為に及んでいることから、極めて重大である」
そして、法廷の空気がさらに張る。
教祖には、執行猶予なしの無期懲役。
幹部らにも、有期刑として最も重い水準の求刑。
傍聴席にいた人たちの表情が一斉に変わった。
それほどまでに、検察はこの事件を重く見ていた。
いや、重く見ざるを得ないだけの証拠と被害があった。
栄子も、その求刑を聞きながら震えていた。
一時でも“導く側”だと思っていた人間が、いまや無期懲役を求められている。
その落差が、まだ信じがたいほど大きい。
⑥ 民事の最終弁論
刑事だけではなく、民事でも最終弁論が行われた。
被害対策弁護団・金沢支部は、最後にあらためて主張をまとめた。
* 献金や契約は真に自由な意思に基づくものではなかった
* 家族への不幸や浄化を口実に、心理的圧迫が行われていた
* 教育ローンの目的外利用は極めて悪質である
* 被害は金銭だけでなく、生活破綻、家族関係の破壊、職場への接触、精神的損害に及んでいる
それに対し、教団側は最後まで徹底抗戦の姿勢を崩さなかった。
「信者が自主的に献金したものである」
「教団が強要した事実も、脅迫の事実もない」
「宗教的勧奨の範囲を逸脱していない」
だが、その主張はもう、法廷の中でかなり空疎に響いていた。
あまりにも多くの録音、映像、証言、契約の流れが積み上がっていたからだ。
そして裁判所は、刑事と民事を含めた判決言い渡しの日程を示した。
いよいよ、結論が出る。
⑦ 判決の日
判決の日。
金沢地裁の前は、これまで以上の緊張感に包まれていた。
報道陣。
弁護団。
被害者家族。
傍聴希望者。
誰もが、この裁判の結論を見届けようとしていた。
法廷内で、裁判長がゆっくりと主文を読み上げる。
刑事では――
検察の求刑どおりの判決。
教祖には、執行猶予なしの無期懲役。
幹部らにも、求刑どおりの極めて重い有期刑。
法廷の空気が、一瞬止まったようだった。
そして続く民事では――
原告側の訴えが認められ、請求とほぼ同額の賠償責任が認定された。
金銭の返還。
損害賠償。
精神的苦痛への慰謝料。
教団金沢支部の違法性。
それが、司法の言葉として明確に刻まれた。
栄子は、判決を聞きながら涙を止められなかった。
それは喜びだけではない。
ここまで来るまでに失ったものの重さが、判決によって初めて全部現実になったからだ。
⑧ 控訴しないという結末
判決後、教団側はしばらく対応を協議した。
だが最終的に、控訴は行わないことが決まった。
理由は明白だった。
もう、勝ち目がない。
刑事では、証拠と供述の積み重ねが重すぎた。
民事でも、違法勧誘と損害の構造が明確に認定されている。
ここでさらに争っても、傷口を広げるだけだと判断したのだろう。
その報告を聞いた時、圭一は長く息を吐いた。
香奈美も、ようやく肩の力を少し抜いた。
栄子は、その場でしばらく何も言えなかった。
終わった。
少なくとも、裁判としては、一つの結論が出た。
⑨ それでも続く家の時間
けれど、判決が出たからといって、真田家の再建がその瞬間に終わるわけではない。
借金の整理。
返還の実務。
傷ついた関係。
まだ残る警戒。
教団に関わっていた記憶。
それらは、判決文一枚で消えるものではない。
それでも、この日、真田家の中でははっきりとした軸が見えた。
栄子は、教団ではなく家族の側で生き直すと、自分の言葉で言った。
圭一と香奈美も、完全ではなくても、その決意を受け取り始めた。
茂之は、変な場所ではなく家に母がいてくれることを、やっと少し信じられるようになった。
そして、KANAMI COMET は、二年後の夏に向けた小さな希望として、まだ机の上に軌道図のまま残っている。
裁判は終わっても、暮らしは続く。
でも、だからこそ意味がある。
壊されたものを数え続けるだけでなく、
残ったものをどう守るか。
これから何を積み直すか。
真田家は、ようやくそこへ立てるところまで来ていた。




