証言台の向こうと食卓のこちら
第四十二章 証言台の向こうと食卓のこちら
① 法廷で語られるもの、家で戻るもの
十月に入ると、金沢の空気はようやく秋めいてきた。
朝晩は少しひんやりし、真田家の食卓にも、温かい煮物や汁物が自然と増え始めていた。
栄子がつくる味は、まだ昔そのままではない。
でも、戻ろうとしている味ではあった。
味噌汁のだしの取り方。
魚の煮つけの火加減。
茂之の好きな卵焼きの甘さ。
香奈美が部活帰りでも食べやすいように、肉じゃがのじゃがいもを少し小さめに切ること。
そういう小さな手つきが、家の中に少しずつ戻ってきていた。
その一方で、外ではまったく別の種類の言葉が飛び交っていた。
金沢地裁。
被害対策弁護団。
起訴状。
供述調書。
録音データ。
反対尋問。
家の中が少しずつ“生活”を取り戻そうとしている時、
法廷では、教団のやってきたことが“証拠”として積み上げられていく。
その対比が、栄子にはひどく不思議で、そして重かった。
② 証言台に立つのか
ある日、被害対策弁護団との打ち合わせで、弁護士が静かに切り出した。
「真田さん」
「今後の民事の流れを考えると、原告側の一人として証言していただく可能性があります」
その言葉に、栄子の表情が強ばる。
圭一も、隣でわずかに身を固くした。
香奈美は、父の横でじっと弁護士の顔を見ている。
弁護士は続けた。
「もちろん、無理にとは言いません」
「ただ、真田さんのケースは典型的でありながら、記録もかなり残っています」
「相談会から始まり、壺、祈祷料、本、教育ローン、東京本部、職場接触まで、一連の流れが明確です」
「だからこそ、証言には大きな意味があります」
大きな意味。
それはつまり、栄子がただ家族に謝るだけではなく、
法廷で、自分がどう囲い込まれ、どう壊されかけたかを語る側になる
ということだった。
栄子はすぐには返事ができなかった。
証言すれば、もう戻れない。
教団に対してだけでなく、自分自身にも
「自分は被害を受けていた」
と、はっきり言うことになるからだ。
それは、とても怖いことだった。
③ 栄子の怖さ
帰り道、栄子はぽつりと言った。
「……証言なんか、うちにできるんやろか」
圭一は、すぐには励まさなかった。
今それを軽く
「できる」
と言ってしまうのは違う気がしたからだ。
栄子は続ける。
「法廷で話すってことは、全部ほんとのこととして出すってことやろ」
「うちがどれだけおかしなこと信じかけて、どれだけ家を壊しかけたかも、全部」
その声には、恐怖と羞恥が混じっていた。
「自分で自分のこと言うの、しんどい」
「“私はこうやって騙されました”って、そんなの……」
圭一は、その言葉を静かに聞いた。
栄子が怖いのは、教団の報復だけではない。
自分自身の過去を公の場で言葉にすることそのものが怖いのだ。
それはそうだろう、と圭一は思う。
どんなにひどい被害でも、口にする側には“恥”や“自責”がまとわりつく。
被害を受けたのに、なぜか自分の弱さをさらすような苦しさがある。
④ 家族はどう支えるのか
その夜、真田家では珍しく、訴訟の話そのものではなく、
栄子が証言するなら、どう支えるか
を話し合った。
圭一が言う。
「証言するかどうかは、栄子が決めることや」
「でも、もしやるなら、一人で背負わせん」
香奈美も、少し考えてから言った。
「法廷に立つの、めちゃくちゃしんどいと思う」
「でも、お母さんだけが悪かったみたいに終わるのも違う」
「だって、相手がそう仕向けたんやし」
その言葉に、栄子は少し驚いたように娘を見る。
香奈美は視線をそらしながら続ける。
「うち、まだ全部簡単には許せんよ」
「でも、証言するって決めたら、そこはお母さん一人の責任みたいにしたくない」
それは、香奈美なりの支え方だった。
甘やかさない。
でも、突き放しもしない。
茂之も、話の全部はわかっていないかもしれない。
それでも一言、まっすぐに言う。
「お母さん、こわかったら、帰ってきてからぎゅーしてもいいよ」
その言葉に、栄子はとうとう目を潤ませた。
⑤ 法廷で再生される声
次の公判では、検察側と原告側から、教団の勧誘や圧力を示す音声データが証拠として提出された。
一つは、別の信者が密かに録音していた相談会の音声だった。
女性幹部のやわらかい声。
“家族を救うにはいま献身が必要”
“ここで出し惜しみすると流れが止まる”
“理解されないのは真理に近づいている証拠”
そういった言葉が、はっきりと残っている。
だが教団側は、すぐにそれを否定した。
「その音声は捏造された可能性があります」
「編集・切り貼りによって誤解を招いているおそれがある」
「証拠能力には重大な疑義があります」
法廷内の空気がぴんと張る。
そう来るだろうとは、弁護団側も予想していた。
だからこそ、次に出されたのがもう一つの音声だった。
⑥ 圭一の声
「次に、原告関係者による通話記録を再生します」
そう告げられて流れたのは、あの日、栄子がスマホを圭一へ差し出し、初めて藤代美和と直接話した時の音声だった。
圭一の低い声。
藤代の、やさしさを崩さない声。
そして、そのやりとりの中に出る、はっきりした文言。
「私たちの教義は、多くの人の心を救いあげてきました」
「奥さまはいま大切なところにおられて」
「それじゃあ、なぜ多くの詐欺被害が出ているのか」
「壺で百万円、祈祷料で四十万円、教育ローンで二百万円献金させるのが救いなのか」
法廷の中で、その声は妙に生々しく響いた。
これは、教団側が
“捏造だ”
と簡単に切り捨てられる類のものではなかった。
電話の全体の流れがあり、前後の事情も一致している。
しかも圭一側は、提出に際してきちんと付言していた。
「データの改変等は一切行っていない」
「取得端末、保存経路、提出までの保全状況も明示する」
教団側の弁護士は、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
⑦ 一枚ずつ剥がれる壁
それでも教団側は崩れなかった。
「当該通話は、一部のみを切り取ったものであり、全体の文脈を欠いている」
「献金や契約については、あくまで信者本人の自由意思に基づくものであって、強制や脅迫の事実はない」
「宗教的勧奨と違法な圧力を混同している」
あくまで徹底抗戦。
しかし、その主張は、以前より明らかに苦しくなっていた。
録音データ。
メッセージ。
契約書。
教育ローン。
職場接触。
東京本部参加。
教祖逮捕後も続く接触。
一つずつは言い逃れできるように見えても、並べられると構造が見えてくる。
やさしい言葉。
選民意識。
家族からの切り離し。
高額契約。
接触継続。
その流れ自体が、もう壁のように立ち上がり始めていた。
⑧ 栄子の中の変化
栄子は、その法廷で再生された圭一の声を聞いて、胸が痛んだ。
あの時、自分はまだ揺れていた。
向こうの言葉も半分信じていた。
でも今こうして法廷で聞くと、圭一の問いのほうがずっとまっとうだったと、あらためて思い知らされる。
なぜ多くの詐欺被害が出ているのか。
それが救いなのか。
その問いに、教団側は結局まともに答えていない。
やさしい言い換えで逃げているだけだ。
それがはっきり見えてくるほど、
自分が何を“真理”だと思い込まされていたのかが、ますます恥ずかしく、悔しくなる。
でも同時に、そこから目をそらさずに見られるようになってきたことも、栄子自身感じていた。
⑨ 証言台の向こう、食卓のこちら
法廷では、録音の真偽、証拠能力、自由意思の有無が争われる。
家では、少しずつ戻る味噌汁の味や、茂之の絵や、香奈美の軌道図が並ぶ。
証言台の向こうと、食卓のこちら。
まるで別の世界のようでいて、本当は同じ一本の線でつながっていた。
裁判は、過去に何があったかを問う。
食卓は、これからどう生きるかを問う。
栄子は、その両方のあいだに立たされている。
原告として語る覚悟を迫られながら、母として、妻として、もう一度暮らし直す覚悟も問われている。
そして圭一も、香奈美も、茂之も、
“許せるかどうか”の前に、
一緒に支えていけるかどうか
を試されているのだった。




