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カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


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やり直すには遅すぎるのか

第三十九章 やり直すには遅すぎるのか


① 謝る言葉は、思ったより重い


九月に入っても、金沢の空気にはまだ夏の熱が残っていた。


真田家の朝も、見た目には少しずつ整い始めている。

食卓には前より一品多く並ぶようになった。

栄子も、以前ほど上の空ではなく、家の動きに気を配るようになっている。

香奈美の部活の時間も、茂之の学校の予定も、前よりちゃんと聞くようになった。


それでも、空気の底に沈んだものはまだ重い。


ある晩、夕食のあと、栄子は珍しく自分から言った。


「……あのさ」


圭一も、香奈美も、茂之も、自然と手を止めた。


栄子は視線を落としたまま、ひどく時間をかけて言葉を絞り出す。


「ほんとに……ごめん」


短い言葉だった。

でも、その一言を口にするまでに、栄子は何日もかかっていた。


「うち、自分が家族のためにしとるって思い込んで、結果的に家族をめちゃくちゃにしかけた」

「ごめん」


居間に沈黙が落ちる。


香奈美は、胸の奥がきゅっと痛くなるのを感じた。

ずっと謝ってほしかった。

でも、いざ本当に謝られると、それで全部終わるわけではない自分もいる。


圭一も、すぐには何も言えなかった。


許したい気持ちはある。

でも、百万円の壺も、祈祷料も、本も、教育ローンも、減った食卓も、茂之の怯えた顔も、全部本当にあったことだ。


謝罪は重い。

重いからこそ、簡単に

「もういい」

とは言えなかった。


② 許したい、でも簡単には無理


最初に口を開いたのは香奈美だった。


「……うちも、ずっと怒っとった」


栄子が顔を上げる。


香奈美は、母をまっすぐ見ながら続けた。


「今も、全部すぐ許せるわけじゃない」

「正直、まだ無理なとこもある」

「でも、お母さんがちゃんと“ごめん”って言ったのは……聞いた」


それは、香奈美なりの精いっぱいだった。


前みたいに母へ飛びつけるわけじゃない。

でも、ずっと敵のままでいたいわけでもない。


茂之も、小さな声で言う。


「ぼくも……まだちょっとこわい時ある」


栄子の顔が痛そうに歪む。


「でも、前みたいに普通にご飯食べたいのはほんと」

「だから……もう変なとこ行かんで」


その言葉に、栄子はうなずくことしかできなかった。


圭一は、しばらく黙っていたあと、低く言った。


「謝ったから全部終わり、とは思わん」

「でも、謝ったこと自体は大事や」

「ここから先は、“許してもらう”というより、“もう一回一緒に生活作り直す”や」


その言い方は、いかにも圭一らしかった。

甘くはない。

でも、切り捨ててもいない。


③ 訴訟準備と生活再建


外では、事態が一気に動き始めていた。


教祖の逮捕をきっかけに、全国で被害申告が雪崩のように集まり、刑事事件としての立件も本格化していく。

金沢でも、すでに数億円にのぼる被害が報告されていた。


被害者家族が受けた脅迫まがいの言葉。

「献金を止めれば家族に不幸が起きる」

「ここで離れれば地獄を見る」

「夫は理解のない障害だ」

そうした発言を録音していた家族もいて、それらが証拠として提出され始めていた。


沢渡から圭一へも連絡が入る。


「金沢支部でも、かなり材料が揃ってきました」

「録音、メッセージ、ローン誘導、教育ローンの目的外利用」

「これだけ重なると、刑事でもかなり大きい流れになります」


そして数日後、ニュースで

真光の輪・金沢支部幹部を逮捕

の速報が流れた。


圭一も香奈美も、その画面を無言で見つめた。

栄子は、青ざめた顔で口を押さえていた。


自分が出入りしていた場所の幹部。

やさしい顔で、意味ありげな言葉を並べ、献金や契約を勧めてきた人間たち。

その一部が、ついに逮捕された。


もう、言い逃れのできる段階ではない。


④ 金沢支部への民事訴訟


刑事だけでは終わらない。


被害対策弁護団の金沢支部も、動きを本格化させていた。


被害者家族らを束ね、

教団金沢支部を相手取った民事訴訟

が提起される。


請求の中心は、


* 献金・物品代・祈祷料などの返還

* 不法行為に基づく損害賠償

* 精神的損害に対する慰謝料

* 違法な勧誘・囲い込みに関する責任追及


などだった。


圭一も、栄子の件で原告側として整理を進めていく。


書類の準備。

時系列の整理。

どの段階で何を言われたか。

どのように契約に至ったか。

家族への影響。

食費が削られ、生活に支障が出たこと。

教育ローンが不正に使われたこと。


一つひとつ文章にしていく作業は、栄子にとっても苦しかった。

紙の上に並べられた事実を見るたび、自分がしてしまったことの重さが、具体的な形で返ってくるからだ。


⑤ 地元からも拒まれる教団


さらに追い打ちをかけるように、地元自治会からも声が上がった。


教団金沢支部の建物に対して、

立ち退き要請

が出されたのだ。


理由は単純だった。

近隣住民からの不安の声。

被害報道による地域イメージの悪化。

出入りする人間に対する不信。

そして、何より地域に与えた混乱そのもの。


自治会長が記者に向かって言った言葉が、地元ニュースで流れる。


「地域を支えるべき場所が、人の不安につけ込む場になっていたとしたら、到底看過できません」

「住民の安心のためにも、立ち退きを含めた対応を求めます」


教団は、かつては“心の支え”を装っていた。

だが、今や地域からも

いてはならないもの

として扱われ始めている。


栄子は、そのニュースを見て、声もなくうつむいた。


⑥ 栄子が見る現実


謝り始めたとはいえ、栄子の苦しみはこれで軽くなったわけではなかった。


むしろ今は、現実が次々に形になって押し寄せてくる。


逮捕。

訴訟。

被害額。

録音。

立ち退き要請。


つまり、自分が関わっていたものは、本当に救いでも学びでもなく、

組織的な加害

だったのだと、毎日のように突きつけられる。


そのたびに、栄子は自分の中で崩れていく。


「うち、あんなもんに……」


ある晩、誰に向けるでもなく、そう漏らした。


圭一は、その言葉を聞いても、すぐには何も言わなかった。


責めれば簡単だ。

でも今の栄子は、責められるより前に、自分で自分を責め始めている。

そこにさらに刃を重ねる必要はない。


⑦ やり直すには遅すぎるのか


その夜、香奈美は母と二人きりになった時、ぽつりと聞いた。


「お母さん、今いちばん何がきつい?」


栄子は、しばらく考えてから言った。


「……全部や」


そして少し間を置いて、続ける。


「でも、いちばんきついのは、取り返しのつかんことしたかもしれんって思うことやね」

「家のお金も、空気も、信頼も、めちゃくちゃにしかけて」

「今さら、やり直すには遅すぎるんじゃないかって」


香奈美は、その言葉を静かに聞いた。


前なら、そこで

「うん、遅いよ」

と怒りで返していたかもしれない。


でも今は、少し違った。


「遅いかどうかは、まだわからん」


栄子が顔を上げる。


香奈美は少し照れたように視線をそらした。


「だって、うちもまだここにおるし」

「茂之も、お母さんに絵見せたやろ」

「お父さんも、見捨ててないやん」


それは、許しではない。

でも、完全な断絶でもない。


「簡単には戻らんと思う」

「でも、戻りたいなら、やるしかないやろ」


その言葉に、栄子はまた泣きそうな顔をした。


⑧ 絵と彗星と書類


真田家の居間には、今、奇妙なものが並んでいた。


机の上には、訴訟準備の書類。

壁には、茂之が描いた、家族と彗星の絵。

棚の上には、香奈美が印刷した KANAMI COMET の軌道図。


壊れた現実。

でも、まだ残っている家族の絵。

そして、未来に現れるはずの彗星。


それらが同じ部屋にあること自体が、今の真田家を表していた。


完全に壊れたわけではない。

でも、何もなかった頃には戻れない。

その間で、必死に生活をつなぎ直している。


⑨ 第二の始まり


この章の終わりに、真田家の全員が少しだけ理解し始めていた。


訴訟準備が進んでも、家族関係の修復はもっと難しい。

金を返せと叫ぶだけでは、心は戻らない。

でも、だからといって金の問題を放置するわけにもいかない。


つまり、

法の戦いと、家の戦いは別々に進めるしかない。


そしてその両方が、長く、重く、消耗する。


それでも今、栄子は少しずつ言葉にし始めている。

自分はなぜそこまで行ってしまったのか。

何を埋めてもらった気になっていたのか。

何を壊しかけたのか。


その言葉が出始めたこと自体が、やり直しの最初の条件なのかもしれなかった。


外では教団が崩れていく。

中では家族が、まだ壊れ切らずに踏みとどまっている。


その両方を抱えながら、真田家の長い再建が始まろうとしていた。

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