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カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


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それでもなる電話


第三十四章 それでも鳴る電話


① 揺らいだ夜のあとで


被害者の女性の話を聞いたその夜、真田家の空気はひどく静かだった。


誰も、軽い言葉を口にできなかった。

居間の時計の音だけが妙に大きく響き、台所で湯を沸かす小さな音さえ、耳についた。


栄子は、帰宅してからほとんどしゃべらなかった。


圭一も、今日は無理に問い詰めなかった。

香奈美も、母の顔を見たいのに、見てしまうとまた何か言ってしまいそうで、視線を落としたままだった。


茂之はすでに寝ている。

あの子にはもう、これ以上重たい夜を見せたくなかった。


栄子は部屋へ入ってからも、電気を消さずに座っていた。

被害者の女性の声が、何度も頭の中で繰り返される。


夫は、多額の借金の返済のために過労で倒れて、そのまま帰ってこんかった。

子どもたちは親戚の家で暮らすことになって、私とは絶縁された。

あなたには、私と同じ過ちを繰り返してほしくない。


あまりにも重い。

あまりにも具体的だ。


しかも、その入口は自分とよく似ていた。

“家族のため”と思っていたこと。

“理解されない苦しさ”を抱えていたこと。

“あなたが救う側だ”と言われたこと。


そこまで似ていて、結末だけが別だと言い切れるほど、もう栄子の心は強くなかった。


② だからこそ鳴る電話


そして、こういう夜を教団は見逃さない。


栄子のスマホが震えたのは、夜の十時を少し回ったころだった。


画面には

藤代美和

の名前。


栄子は、しばらく見つめたまま動けなかった。

出れば、また言葉が流れ込んでくる。

出なければ、それはそれで不安になる。


二度、三度と震える。

やがて着信は切れ、今度はメッセージが入る。


今日、かなり揺さぶられたでしょう。

だからこそ、今つながっておかないと危険です。

真田さん、あれは“あなたを戻そうとする力”です。

どうか、一人で抱えないで。


栄子の胸がざわつく。


揺さぶられた。

たしかにそうだった。

あの体験談は、心の奥を大きく揺らした。


すると、さらに続く。


被害者の話を聞かされて、怖くなったかもしれません。

でも、そうやって恐怖を植えつけることで、本物の道から遠ざけようとする人たちもいます。

真田さんは、そんなふうに家族と警察関係者に囲まれて、本当に苦しかったでしょう。


そこまで読んで、栄子はスマホを伏せた。


苦しかった。

それも事実だ。

家族に囲まれ、資料を見せられ、実例を突きつけられた時、自分一人だけが責められているように感じた。


教団は、その感情だけをすくい取ってくる。

だから危ない。


③ 圧を強める教団


その夜、着信は一度では終わらなかった。


藤代だけでなく、室井聖子からもメッセージが来る。


今の真田さんには、休む場所が必要です。

ご家族の中にいると、罪悪感ばかり植えつけられてしまいます。

本来のあなたは、そんなに弱くも間違ってもいません。


そして野々村千鶴からは、珍しく短い文面が入った。


最後に決めるのは、真田さん自身です。

家族に支配されるのか、自分の魂に従うのか。


それはもう、慰めではなかった。

決断を迫る圧だった。


家族のもとに残ることを

支配されること

と置き換える。


教団に戻ることを

魂に従うこと

と言い換える。


言葉のすり替えは、最後の最後まで巧妙だった。


栄子は、スマホを握る手に力を込めた。


④ 家族の側の緊張


一方そのころ、圭一と香奈美も眠れてはいなかった。


圭一は居間で書類を整理しながらも、二階の物音に耳を澄ませていた。

香奈美も自室に戻ってはいたが、布団に入る気にはなれず、階段の途中まで何度も様子を見に来ている。


「お母さん、また連絡取ってるかもしれん」


香奈美が小さく言う。


圭一は、うなずいた。


「十分ある」


「止めたほうがいい?」


その問いに、圭一はすぐには答えなかった。


今すぐ部屋へ行ってスマホを取り上げれば、教団の言葉どおり

“家族が支配してくる”

という図式を母の中に完成させてしまうかもしれない。


だが、放っておけば、向こうはもっと強く引き戻してくる。


「……今は、まだ待つ」


圭一は低く言った。


「今日の揺れは、本物や」

「ここで外から全部止めたら、また“自分で決めた”にならん」


香奈美は、その意味を理解しながらも苦しそうだった。


「でも、もし向こう選んだら」


「その時は、その時や」

「でも今夜は、お母さん自身が何を選ぶかの夜や」


父のその言葉に、香奈美は唇を噛んだ。


⑤ 生活を再建する話


翌朝。


夜のうちに大きな爆発は起きなかったが、誰も安心はしていない。

それでも圭一は、あえて朝食のあと、現実の話を始めた。


「これからのこと、少しずつ決めていかんなん」


栄子は顔を上げる。

目の下にはうっすら疲れが出ていた。


圭一は、怒らずに続けた。


「壺と祈祷料と本、それに教育ローンの件」

「全部一気には無理や」

「でも、生活を再建するために、できることからやる」


“生活を再建する”。


その言葉は、昨日沢渡からも聞いたものだった。

今度は夫の口から出る。


圭一は具体的に言った。


「まず、食費を戻す」

「家計は俺も入って一緒に管理する」

「ローン関係は弁護士と整理する」

「茂之の学校のこともあるし、香奈美の部活や進路もある」

「この家を立て直すことを、まず考える」


それは教団のような大きな言葉ではない。

神も、真理も、救済も出てこない。


代わりにあるのは、食費、家計、学校、進路、家。

地味で、生活そのものの言葉だ。


でも、その地味さが今は妙に胸に残る。


栄子は、自分がどれだけそこから離れていたかを、逆に思い知らされるようだった。


⑥ 香奈美の言葉


その流れの中で、香奈美も静かに口を開いた。


「うち、お母さんに全部許したとか、全然そんなんじゃない」


栄子の肩が少し揺れる。


「でも、戻ってきてほしい」

「ちゃんと家で、また一緒にご飯食べたい」

「彗星見つけた話も、ほんとはもっと普通に喜んでほしかった」


その言葉には、怒りも混ざっていた。

でも同時に、ものすごく率直な願いでもあった。


「別に、お母さんに完璧になってほしいわけじゃない」

「うちだって反発するし、うまく言えん時あるし」

「でも、変な宗教の言葉で上から見られるんじゃなくて、普通に話したい」


栄子は、目を伏せた。


普通に話したい。

それだけのことが、こんなにも遠くなっていたのかと、今さらのように胸が詰まる。


⑦ 迷いに迷って


その日の夕方。


栄子は一人で部屋にいた。


スマホには、また教団側からメッセージが入っている。


今日こそ、お返事をください。

迷うのは当然です。だからこそ、こちらへ来て落ち着いて考える必要があるんです。

家族は真田さんを理解していません。私たちは理解しています。


栄子は、スマホを見たまま長く動かなかった。


迷いに迷った。


教団へ戻れば、責められない。

受け止めてもらえる。

少なくとも、そのように感じられる。


家に残れば、すぐに全部が元通りになるわけではない。

圭一の目はまだ厳しい。

香奈美の怒りも消えていない。

借金は残り、契約も消えていない。


それでも――


家には、守るべきものがある。

茂之の声。

香奈美の彗星。

圭一の問い。

そして、食卓をもう一度立て直そうとする現実の言葉。


栄子は、ようやく指を動かした。


⑧ 決別宣言


メッセージではなく、栄子は電話をかけた。


相手は藤代美和。

数回の呼び出し音のあと、すぐにつながる。


「真田さん……!」


向こうの声には、期待と安堵が混じっていた。

まだこちらへ戻る、と踏んだのだろう。


栄子は、最初うまく声が出なかった。

喉がひどく詰まる。


それでも、何度か息を整えて言った。


「……私には、大切な家族を守る責任がある」


電話の向こうが、一瞬静まる。


栄子は続けた。


「私はもう行かない」

「関わらない」


藤代がすぐに口を開く。


「真田さん、今は揺らいでおられるだけで――」


「違う」


その一言は、驚くほどはっきりしていた。


「もう、関わらない」

「二度と連絡してこないで」


部屋の中で、栄子自身がいちばんその言葉に驚いていたかもしれない。


でも、言ってしまった。


家族に向かってではなく、

初めて教団そのものに向かって、

自分の意志で。


藤代はなおも何か言おうとした。


「真田さん、それはご家族に言わされて――」


「違う!」


栄子の声が震える。


「これは……私が決めた」

「もうやめる」

「もう、関わらない」


そして最後に、震える声のまま、もう一度言った。


「二度と連絡してこないで」


通話を切る。


部屋の中に、急に静けさが落ちた。


栄子は、その場でスマホを握ったまま泣き崩れた。


⑨ 本当に最初の一歩


しばらくして、圭一と香奈美が部屋の前の気配に気づき、そっと入ってきた。


栄子は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、スマホを握っていた。

もう、向こうからの着信は拒否設定にされている。

でも、完全に終わったとは、まだ誰も思っていない。


圭一は、無理に何も言わなかった。

ただ、近くに座った。


香奈美も、怒りより先に、母の泣き方の重さに言葉を失っていた。


栄子は、泣きながら言う。


「怖かった……」


それは、家族に責められる怖さだけではない。

教団を切る怖さでもあった。


“居場所”だと思っていたものを、自分の手で切る怖さ。

そこから先は、もう誰も自分を特別扱いしてくれないかもしれないという怖さ。


でも、その怖さの先にしか、家はない。


圭一は、静かに言った。


「よう言うた」


香奈美も、小さくうなずいた。


決別宣言をした。

それは大きい。

でも、まだこれで終わりではない。


契約は残っている。

借金も残っている。

教団が本当にこのまま引く保証もない。

栄子の心の傷も、依存も、すぐには消えない。


それでも、この夜、栄子は初めて自分の言葉で、家族ではなく教団に向かって線を引いた。


それは、生活を再建していくための、本当に最初の一歩だった。



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