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カナミ彗星—光は必ず届く  作者: リンダ


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遅すぎた発見

 第二十七章 遅すぎた発見

 ① 発見は、いつも少し遅い


 七月の終わり、金沢の空は朝から白くかすんでいた。


 暑さのせいだけではない。

 真田家の中にも、何かがずっと濁って沈んでいるような重さがあった。


 その日、圭一は被害対策弁護団との面談に向けて、あらためて契約関係の整理をしていた。

 壺。

 祈祷料。

 本。

 東京本部。

 教団歌。

 これだけでも十分に深刻だ。


 だが、弁護士側からは前回、はっきり言われていた。


「見つかっている契約だけで終わっているとは限りません」

「教育ローンや別名義、目的外利用の借入が隠れていることは珍しくありません」


 その言葉が引っかかっていたからこそ、圭一はさらに確認を進めていた。


 そして、その“さらに”の先に、最悪の紙が出てきた。


 ② 一枚の利用明細


 発端は、ポストに入っていたローン会社からの封書だった。


 一見すると、よくある利用明細に見える。

 だが、差出人の社名は、圭一が把握していた壺や祈祷料の会社とは違っていた。


「……また別か」


 圭一の喉が、ひやりと冷える。


 封を切り、中身を取り出す。


 そこに記されていたのは、教育ローンの利用通知だった。


 契約者 真田栄子

 融資額 2,000,000円

 利用目的 教育関連費用


 教育関連費用。


 その文字を見た瞬間、圭一の顔から血の気が引いた。


 真田家で、ここ最近二百万円規模の教育費が動く予定などない。

 香奈美の塾も、茂之の習い事も、そんな額には到底ならない。


 つまりこれは、完全な目的外利用だ。


 宗教団体のために、教育ローンの枠が使われた。


 それが、数字として目の前に出ていた。


 ③ 判明した二百万円


 圭一はすぐに香奈美を呼んだ。


「香奈美、来い」


 その声の低さだけで、香奈美はただごとではないとわかった。

 居間へ来て、紙を見た瞬間、目を見開く。


「……何これ」


「教育ローンや」


「教育……?」


 香奈美は、文字を追っていく。

 そして金額のところで、息が止まる。


「二百万……?」


 圭一は、奥歯を噛みしめながら言う。


「東京で、また新しい契約しとった可能性が高い」


 香奈美の顔が、みるみる強張る。


「二百万って……」

「何に使ったん」


 圭一は、資料の断片と弁護士側の説明をつなぎ合わせるようにして答えた。


「おそらく献金や」

「しかも、支部長の高級車とか、そういう類の話に使われとる可能性がある」


 香奈美は、しばらく言葉を失った。

 それから、低く、震える声で言った。


「……ロールスロイスのやつ?」


 圭一はゆっくりうなずく。


 東京での修練会。

 “次の段階の献身”。

 教育ローン。

 二百万円。


 線はつながった。


 ④ クーリングオフはもう遅い


 だが、最悪なのはここからだった。


 圭一はすぐに弁護士側へ連絡を入れ、契約日と通知日、適用の可能性を確認した。

 返ってきた答えは冷たかった。


「……クーリングオフの法定期間は、もう過ぎています」


 圭一は、目を閉じた。


 やはり、だった。


 発覚が遅れた。

 東京から戻ってきたあとに気づいた時点で、もう期限の外に押し出されていた。


 もちろん、まだ手は完全に尽きたわけではない。

 不当勧誘や錯誤、目的外利用、取消・無効主張の余地は探れる。

 だが、少なくとも“単純なクーリングオフ”という一番わかりやすい武器は失われた。


 圭一が電話を切ると、香奈美が固い声で聞く。


「……どうやった」


 圭一は、しばらく黙っていた。

 それから、できるだけ感情を押さえて答える。


「クーリングオフは、もう使えん」


 香奈美は、その場に立ったまま、まるで足元が抜けたような顔をした。


「そんな……」


 その一言に、絶望が詰まっていた。


 ⑤ 怒りと絶望


 その夜の真田家には、これまでとも違う重さが落ちた。


 壺の百万円。

 祈祷料の四十万円。

 本の五百万円。

 そこへさらに、教育ローンで二百万円の献金。


 もはや“おかしな出費”の域ではない。

 家庭の土台を削るレベルの被害だった。


 香奈美は、感情を抑えきれなかった。


「何なんほんとに……!」


 声が裏返る。


「うちら、どこまで奪われればいいん」

「ご飯も減って、家の中もめちゃくちゃになって、その上まだ二百万?」

「しかも教育ローンって、何それ」

「教育でも何でもないやん!」


 圭一も、もう穏やかではいられなかった。


「人の子どもの教育の名目で借りた金を、宗教の献金に回させる」

「ここまで来たら、まともな集団やない」


 その言葉には、警察官としての怒りも、父親としての怒りも混ざっていた。


 茂之にはまだ全額の重みはわからないかもしれない。

 でも、家が本当に危ないところまで来ていることだけは伝わっていた。


 そして栄子は、その場に座ったまま、明らかに動揺していた。


 ⑥ 栄子も揺れる


 さすがに、二百万円の教育ローンが家族の前で明るみに出ると、栄子も平然ではいられなかった。


「……そんな、責めんでも」


 それが最初に出た言葉だった。


 責めるな。

 やはり、まずそこなのだ。


 圭一は、その言葉に一瞬目を細めた。


「責めんでも、やない」

「お前、自分が何したかわかっとるか」


「でも……」


 栄子の顔には、迷いが出ていた。

 壺や祈祷料の時より明らかに揺れている。

 二百万円という現実と、教育ローンという生々しさが、さすがに自分の中でも完全には処理しきれていないのだろう。


 だが、それでも最後のところで、教団の理屈がまた立ち上がる。


「これは、未来のための学びやって言われた」

「家族を救うためには、ここで惜しんだらあかんって……」

「今の苦しみは、その先にある救いに変わるって……」


 その声は、自信に満ちたものではなかった。

 むしろ、自分でも崩れそうな理屈を必死でつかんでいるようだった。


 香奈美は、その姿を見て、怒りと同時にぞっとする。


 ここまで来ても、まだ“向こうの言葉”のほうが残っている。


 母は今、半分は揺れている。

 でも半分は、まだ向こうの理屈の中にいる。


 それが、いちばん怖かった。


 ⑦ 理屈から抜け出せない母


 栄子の中では、二つの感覚が激しくぶつかっていた。


 一つは、家族の前に突きつけられた生々しい現実。

 二百万円。

 教育ローン。

 クーリングオフ不可。

 壊れかけた食卓。


 もう一つは、教団から埋め込まれた理屈だ。


 ここで惜しむのは、流れを止めること

 家族に責められるのは、真理に近づいた証拠

 大きな献身ほど、深い救いにつながる


 その二つが頭の中でぶつかって、栄子自身、かなり苦しくなっていた。


 だが、人は苦しい時ほど、自分が長くすがってきた理屈へ戻ろうとする。


 今ここで

「全部間違っていた」

 と認めるのは、

「自分が家族を傷つけ、生活を壊し、莫大な金を差し出した」

 と認めることでもある。


 それは、あまりにも重すぎた。


 だから栄子は、まだ抜け出せない。


 ⑧ 圭一の問い


 その時、圭一がふいに怒鳴るのをやめた。


 部屋の空気が少し変わる。


 圭一は、疲れ切った顔で栄子を見た。

 夫として。

 父として。

 そして、もうどうしたら届くのかわからなくなっている一人の人間として。


「……栄子」


 その声は、これまでよりずっと静かだった。


 栄子が顔を上げる。


 圭一は、低く、はっきりと聞いた。


「お前は、どうしたいんや」


 栄子の目が揺れる。


 圭一は続ける。


「俺たちの何が足りない」

「何が足りんかったから、お前はそこまで向こうへ行ったんや」

「何を埋めてもらったんや」

「何を、俺たちは渡せんかったんや」


 その問いは、責めるためのものではなかった。


 初めてだった。

 圭一が“間違ってるぞ”ではなく、

 “お前の中で何が起きているんや”

 を真正面から聞いたのは。


 香奈美も、黙って父を見る。

 茂之も、涙の止まった顔で母を見つめている。


 栄子は、その場で言葉を失った。


 何が足りなかったのか。

 何を埋めてもらったのか。


 教団の理屈なら、いくらでも答えはある。

 家系の曇り。

 真理への導き。

 浄化。

 救済。

 献身。


 でも今、圭一が聞いているのはそういう答えではない。


 この家の中で、何が苦しかったのか。

 どうして家族ではなく、教団にそれを託したのか。


 その問いだけは、教団の理屈では簡単に処理できなかった。


 ⑨ 答えられない夜


 栄子は、何度か口を開きかけた。

 だが、うまく言葉にならない。


「……うちは」


 そこで止まる。


 本当は、少しわかっているのかもしれない。

 責められたくなかった。

 頑張っていると言ってほしかった。

 不安でもいいんだと受け止めてもらいたかった。

 家族のために動いているつもりが、家族の中では空回りしているようで苦しかった。


 でも、その本音をそのまま出すには、あまりにも遠くまで来てしまった。


 教団の言葉で塗り固めた自分を、今さら素手に戻すのは怖い。


 だから栄子は、最後まで答えきれなかった。


「……わからん」


 かすれた声で、それだけ言うのがやっとだった。


 その一言は、家族にとって絶望でもあり、わずかな希望でもあった。


 完全に教団の理屈だけで固まっているなら、こんな答えにはならない。

 でも、まだ自分の本音をつかめないほど、深く絡め取られている。


 長い夜だった。


 そしてその夜を境に、真田家の戦いは、

「証拠を集める段階」

 から、

「栄子の心そのものを取り戻す段階」

 へ、少しずつ移り始めていくことになる。

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