第30話:はじめてのおつかい
クリスマスプレゼントの起源は、キリスト教の司教、聖ニコラオスの伝説に求められる。ニコラオスが貧しい少女たちの家に向けて夜中に金貨を投げ入れたところ、暖炉脇に干してあった靴下に入ったというエピソードだ。
このエピソードはその後形を変え、今日では聖夜にプレゼントを贈りあう習慣となった。
無論、プレゼントを贈りあう習慣はそれ以前から存在する。
あらゆる時代、あらゆる場所で行われた贈答という行為は、しかし冷静に考えれば、やや奇妙とも言える。
合理性だけを考えるなら、現金を渡すのが最も効率が良いからだ。
それこそ、ニコラオスがやったように。
それが分かっていながら、人は現金ではなく、わざわざ品物を選び、包装し、相手に手渡す。
それは日本でも例外ではない。
近年では虚礼廃止の流れから、お歳暮やお中元を贈り合う文化は衰退した。
それでも、政治家の事務所には今なお様々な贈答品が届く。
もちろん露骨な金品の授受は問題になる。 だからこそ、政界の住人は「何を贈るか」に知恵を絞る。
贈り物とは、物の価値を渡す行為ではない。
相手のことをどれだけ考えたかを形にする行為なのだ。
政界の関係者としてやっていこうと思えば、贈答は必修科目。
と言うことで、シュウジは父からとあるミッションを与えられていた。
「俺たちへのクリスマスプレゼントを買ってこい」と。
12月の上旬、お披露目パーティーを終えてから、10日程過ぎた日のことである。
シュウジは運転席のキョウコの隣で、フロントガラス越しに東京の街並みに視線を流していた。銀座に向かう途中、車窓からは東京タワーが見えている。
「一ノ瀬さんは貰ってうれしいもの、何かありますか?」
タカシ、キョウコ、アイ。プレゼントを選ぶべき相手は3人いる。
それぞれに対して何をあげたらよいか、先程からシュウジは沈思黙考に耽っていた。
しかし、3人とは知り合ってまだ1ヶ月足らず。
いくら考えても良い案が浮かばなかったため、ストレートに質問してみることにしたのだ。
「それを言ってしまったら、ミッションの意味がありません」
無表情で淡々と回答をするキョウコ。しかし、怒っているわけでも機嫌が悪いわけでもない。
元々は監視役、そして今では自分の教育係となって頻繫に顔を合わせているキョウコの内面を、最近のシュウジは徐々に読み取れるようになっていた。
「それはそうなんですけど、ノーヒントは流石に厳しいですよ」
「贈り物に不正解はあっても正解はありません。大切なのは相手への思い遣りと想像力です。ちゃんと気持ちが伝わるなら、ある意味物は何でもいいと思います」
その身も蓋もない回答に、余程シュウジは「気持ちで済むなら、そもそもプレゼントは要らないのでは」と反論してやりたかったが、それを口に出すほど幼くない。
「なるほど」とだけ言って、一度言葉を切った。
シュウジは無言のまま、隣でハンドルを握っている、サングラスを掛けた女性の横顔をチラリと見遣る。
視線の先にいる一ノ瀬キョウコは、亜空間庁のダンジョン対応特別班に所属する32歳。
顔の彫りが深く、背も高いのでどこぞの歌劇団で男役をしていると言われても納得の容貌。そんな彼女の嗜好について、シュウジが唯一把握しているものは「イケメンが好きらしい」ということのみである。
――そうは言うけど、そこらの俳優崩れより一ノ瀬さんの方がよっぽどイケメンなんだよなぁ
それこそ、学生時代は異性より同性にモテたんじゃなかろうか。それ以前に、並の男子であれば気後れして声を掛けることすらできなかっただろう。
そんなことを考えていると、正面を向いたままのキョウコから声が上がった。
「どうしました?わたしの顔に何か?」
「いえ……」
シュウジは慌てて正面に視線を戻し、一拍置いてから会話を続けた。
「さっき言ってた、不正解になる贈物ですけど、例えばどんなものがありますか?」
「ケースバイケースです。例えばお酒を飲まない人にお酒を贈っても喜ばれませんよね?それ以外にも、ヴィーガンの人に動物性の食材を贈るのもNGです」
「消え物の方が無難かと思いましたが、食べ物だといろいろ気を遣わなきゃいけないんですね」
その発言に、キョウコは軽く息を吐いた。
「無難なものを贈るのが正解の場合もありますが、今回はクリスマスプレゼントですよ?お歳暮みたいな無難過ぎる物はNGです」
そう言われてしまっては言葉もない。
シュウジが黙ってしまうと、キョウコは話題を別のものに切り替えた。
「それより、何か困っていることはありませんか?レッスンが始まって、まだ10日ほどですが……」
レッスンとは、桐桜学園入学へ向けた、謂わば促成学習の第二弾である。
シュウジが上流階級の子女に混じって学校生活を送ろうと思えば、当然、相応の教養が求められる。
その教養を入学までの4か月間で一定水準まで引き上げよというのが、タカシから与えられた大目標であり、キョウコはそのサポート役としてシュウジに付いてくれている。
今回の贈答品選びも、この教養の涵養という大目標に沿ったひとつのミッションと見做してよい。
「特に困っては無いです。強いて挙げるなら、やっぱりピアノは苦手ですね……まだネコ踏んじゃったやってて、先生からはまず弾くよりも聞く方を中心にやって耳を鍛えようなんて言われてますけど」
レッスン内容は講師からキョウコへレポート済みかとも思ったが、訊かれた以上は素直に報告する。ちなみに、他の習い事には英会話とテニスがある。
これは、シュウジから見て義理の祖父にあたる、今出川ヤスシが掲げた「3G教育」と呼ばれる方針に倣っていた。
3Gとは、何のことは無い、「語学」、「楽器」、「ゴルフ」の3つである。
要は、「グローバルに活躍するための語学力」、「自己表現としての音楽」、「身体を鍛えるためのゴルフ(別のスポーツでも可)」を若いうちからやれということだ。
この3G教育、それまでのシュウジには聞き馴染みのない単語だったし、初めて聞いた時は「ゴルフは別のスポーツでもいいのかよ」と、思わず内心で突っ込んでしまった。
しかし、このような明快で分かりやすく、如何にも大衆に響きそうな方針を掲げて発信しているあたりは、豪腕で鳴らした今出川ヤスシのイメージ通りである。
「まぁ、焦らずやっていきましょう。わたしも可能な限りのサポートはします」
「はい、ありがとうございます」
今でもキョウコは習い事への送迎を引き受け、事ある毎に困っていないか、悩み事は無いかと声を掛けてくれている。その献身に対する感謝を、シュウジは前面の車窓に向けて放った。
ガラスの向こうには、いつか来た時よりも控え目な賑わいを見せる、銀座の大通りが映っていた。
車は街中のパーキングに停めた。
「これを」
車外に出る前、キョウコは灰色のマスクを手渡してきた。スタイリッシュな、立体マスクというやつだ。
「余計な視線は少ない方が楽ですから」
なるほどと思い装着すると、キョウコも同じもので口周りを覆った。
車外に出ると、12月の冷気が耳を軽く撫でる。
まだ昼下がりと言ってよい時刻だが、空気はすっかり冬めいていた。
「まずは百貨店に行きましょう」
そう言うキョウコに誘われて歩道を歩く。
お披露目が終わった後も、シュウジは相変わらず川崎にある亜空間庁の医療施設で生活を続けていた。起居する場所は病室から家具家電付きの個室に移っていたが、単独での外出が許可されないのは相変わらず。
よって、この外出はシュウジにとって久方ぶりの街歩きである。
程なくしてデパートに到着し、まずはタカシへの贈り物を選定すべく紳士服のフロアに足を向けた。そこには洋服からバッグ、靴と様々な商品を扱うテナントが揃っている。
早速とばかりに、シュウジは手近なテナントに入ってみた。スーツを主力に、シャツ、ベルト、ネクタイとフォーマルウェアのひと通りを取り扱うお店だ。
足を踏み入れた瞬間、一人の男性店員が近づいて来た。
「いらっしゃいませ。どのような物をお探しでしょうか?」
「……いえ、父へのクリスマスプレゼントなんですが」
笑顔に押されてそう答えると、店員は顔の皺を深めた。
「なるほど、では小物がいいかも知れませんね。定番ですとハンカチやネクタイですが、それ以外にもベルトやカフリンクス、サイズがお分かりであれば靴もご案内できます」
「ちなみに靴は、レシートをお持ちいただければ無料でサイズ交換いたします」と言葉を続ける店員だが、そんなこと言われても困ってしまう。
「はあ」と曖昧な返事をすると、その発声の意図をどう解釈したのか、店員はシュウジをハンカチのコーナーに案内した。
ビジネス用途らしく、そのほとんどが無難な色合い。指で端を摘まんでみると、思いのほか地は薄かった。
――他に何も思いつかなかった場合はこれにしようか……
意見を求めようと振り返ると、キョウコはテナントエリアの外側でこちらの様子をジッと伺っていた。ただでさえ分かりづらいのに、マスクをしたキョウコの顔からは何も読み取ることができない。
――そもそも、父さんってこういうお店で物を買うのかな?
今更ながらの疑問が湧いたのは、前回アイに連れられてスーツを仕立てたイニシャルBのブランド店を思い出したからだ。
このお店の商品が低品質と言うつもりは全くない。
しかし、あのお店の物と比べると、どうしても一段落ちるような気がしてならなかった。
「すみません、もう少し考えてみます」
笑顔の圧力を何とか払いのけ、シュウジはテナントの外に出た。
「お疲れ様です」
いきなり疲弊してしまったシュウジに、キョウコはすまし顔で労いの言葉をかけた。
「今のお店では買わなくて正解だったと思いますよ。長官はモノに拘るタイプですから、仮にハンカチやネクタイを贈ったところでクローゼットの肥やしにしかならない気がします」
後出しだが、ヒントをくれたキョウコ。
しかし、普段使いのものがダメとなると、途端にシュウジは途方に暮れてしまう。
「プレゼント選びって難しいんですね……ちなみに一ノ瀬さんは父の欲しそうなものって何か心当たりあったりしますか?」
本人に本人の欲しいものを訊くのはNGでも、他人から聞くのはOKだろう。もはや相手への思い遣りだの想像力だのと言っていられなくなったシュウジは、これ以上なく直截的な質問をキョウコにぶつけた。が、返答は何とも無情だった。
「無いですね。それに、仮に長官が欲しいものがあったとしても、その場合はご自身で購入されると思います」
――そりゃそうか……いや、つまりプレゼントの正解は「自分では買わないけど貰ったらうれしいもの」ということ?
果たして、そんなものが思いつくのだろうか?
「ちなみに、一ノ瀬さんは父にクリスマスプレゼント贈ってるんでしたっけ?」
「いえ、今の役職に就いて1年目の時に『お互い余計な気遣いは無しにしよう』と仰っていたので」
「そうですか……」
余りに情報が集まらない苛立ちが顔に出てしまったのか、キョウコはすまなそうに情報を足してくれた。
「わたしから共有できることとして……長官は辛いもの、香辛料が効いているものを好まれます。あまりプレゼント選びのヒントにはならないかも知れませんが」
「いえ、ありがとうございます」
確かに、いくら好きといっても香辛料の詰め合わせセットを贈るわけにいかない。
結局、プレゼントのイメージが浮かばないまま、シュウジはフロアの端から端までを歩いた。店員に話し掛けられると面倒なので、テナントエリアに入らない。
しかし、外から店内を眺めたところで「コレ!」というものは見付けられなかった。
ちょっと前まで、「売り場に来れば自然と良さげなプレゼントが見つかるだろう」と楽観的に構えていたが、自分の見通しの甘さを痛感することとなったシュウジ。
そんな様子を見かねたのか、キョウコは一時休憩を提案した。
入ったのは一つ上のフロアにある喫茶店。
シュウジはジンジャーエール、キョウコは季節のおすすめとしてフィーチャーされていたスパイスティーを注文した。
「だいぶお悩みのようですね」
「そうですね……ここに来るまでは気楽に考えてましたけど、いざ選ぶとなると大変なんですね」
そう言いつつ、タカシへのプレゼントはハンカチでもいいかもとシュウジは考え始めていた。無難な、答えありきで選んだようなプレゼントになってしまうが、NGではないはず。
キョウコは未定。と言うか、本人の前で選ぶのは非常にやりにくい。
最悪、今日決められなかったら、後日アイに買い物に付き合ってもらう手も無くはない。
そのアイに対するプレゼントだけは、何となく決まっていた。
香水である。
実際、アイは会う度に違う香水を纏っている。とすれば、少々好みを外したところで無駄にはならないだろうというのが、シュウジの読みだ。
やがて、オーダーした飲み物が運ばれてきた。キョウコの前に置かれたカップから、南国を思わせるスパイスの香りが立ち昇る。
「一ノ瀬さんも香辛料が好きなんですか?」
「そうですね。辛過ぎるのは苦手ですが、好きですよ。シュウジさんは?」
「分かりません……あまり馴染みがないので」
養護施設でスパイスティーなんて洒落たものが出てくるわけないし、カレーだってみんなが食べられるよう、いつも甘口の癖がないやつだ。
回想に浸りながら、ジンジャーエールのストローを咥える。
――そう言えば、父さんもジンジャーエール好きみたいだったな
ダンジョンでの出来事を打ち明けた時のことを思い返していると、不意にキョウコが声を発した。
「そんなに気になるなら、ひと口飲みますか?」
そう言われてハッとした。
どうやら、ぼうっとしながら無意識にスパイスティーに視線を注いでしまっていたようだ。
キョウコはソーサーごとカップを前に出した。カップの中身は残り半分と少し。
――これって、間接キスになるんじゃ……?
一瞬、断ろうかと思った。しかし、断ればそれはそれで意味が出てしまう気もする。
「……いただきます」
シュウジはそう言ってカップに口を付けた。
途端に、口の中がミルクの甘味とスパイスの香りで満たされる。
「どうですか?」
「すごく……刺激的でした」
その回答に、僅かに笑みを浮かべる正面の女性。
思わず、その薄い笑顔に視線が吸い込まれる。
香辛料の作用なのか、急に胸の動悸が早くなる。
シュウジは一度目を伏せ、テーブルの上を滑らせるようにカップを返した。
「ちなみに、最近ではこの紅茶みたいに刺激的なジンジャーエールも流行ってるみたいですね」
「刺激的なジンジャーエール?」
「はい。ショウガやスパイスを効かせたクラフトジンジャーエールというやつです。レストランなんかでも見かけますよ」
その話を聞いた刹那、シュウジの脳内に閃きが舞い降りた。
「そうか、そういうのもアリですね!」
「……なにがですか?」
顔を輝かせるシュウジに対して、怪訝そうな表情を見せるキョウコ。
「父さんのことはまだよく分かってないけど、ジンジャーエールが好きってのだけは知ってます!」
「……なるほど?」
「ジンジャーエールが作れるなら、オリジナルのシロップを作って贈ればいいプレゼントになりそうです!」
そこまで言うと、キョウコも今度は得心がいった様子で「なるほど」と頷いた。
「あと、これは手抜きってわけじゃないんですけど……父さんと一ノ瀬さんとアイさんのプレゼント、全員ジンジャーエールシロップにできるんじゃないかなって」
「それは……わたしは文句ありませんが、長官からは横着したと思われるのでは?」
キョウコが僅かに眉根に皺を寄せた。
その様子に、シュウジは慌てて言葉を足す。
「全員が完全に同じってわけじゃないんです!好みを訊いて、それぞれに味を調整したシロップを作るんです。父が辛いのが好きならおもいっきりドライなジンジャーエールシロップにして、もしキョウコさんは辛さ控え目がいいってなれば、生姜を抑えてハチミツを多めにするとか」
「それなら確かに……」
キョウコは納得とばかりに表情を緩めた。
香水を渡そうと思っていたアイにしても、香りの良いシロップなら喜んでくれるかもしれない。
――これなら万事解決だ!
そう思った矢先にキョウコからの質問が飛んできた。
「どころで、ジンジャーエールシロップを作るとして、調理場所はどうするつもりですか?」
冷や水のような質問を浴びてフリーズしてしまったシュウジに対し、キョウコが更に問いを投げる。
「そもそも、シュウジさん料理はできるんですか?以前の養護施設では、食事は通いの業者がまとめて作っていたようですが」
「それは……まだクリスマスまで時間あるし、それまでに練習すればいいかなって」
計画の杜撰さを指摘されて弱気になったシュウジ。
その悄然とした様子の何が面白かったのか、急にキョウコが噴き出した。
「仕方ないですね。わたしが施設長に掛け合って、調理室を借りられるように手配しておきます。あと……材料は多めに買っておいた方が良さそうですね」
突然の笑顔に驚いているシュウジを横目に、キョウコは伝票を手に取って席を立った。




