第26話:ダンジョンの地階
未曾有の犠牲者を出した歴史上4回目の魔素噴火。
その直後に突如として出現した地階への階段を最初に降りたのは、3匹のモルモットだった。
時期は生存者捜索のために自衛隊がダンジョンに突入した、その翌週に遡る。
高村リク三等陸曹を含む10名の自衛隊員に、防衛大臣の指示として、とある密命が下った。この10名は、生存者捜索の際に躙口を超え、地階への階段の存在を知った数少ない隊員たちである。
現場の下士官からすれば、防衛大臣はもちろん雲の上の存在。
しかしながら、リクたちの場合にはこの密命以前にも、猪野沢と直接言葉を交わした経験があった。と言っても、生存者を抱えてダンジョンから帰還した直後に、「今回の作戦で見聞きしたことは誰にも話すな」と箝口令を言い渡されただけではあるが。
今回の密命も、引き続き最高レベルの箝口令が敷かれることとなった。
内容は、安全に十分に配慮した上で、件の地階を調査せよというもの。
その指示を受けて、真嶋一等陸尉を中心とするリクたち10名は、大きく二段階に分けて作戦を行うこととなった。
その第一段階が、動物を使っての安全確認である。
ダンジョンで最も恐ろしいのは魔素である。階段の先に高濃度の魔素が滞留していれば、人間が降りることはできない。
そこで3匹のモルモットによる動物実験を行ったのだ。
被検体を収容したケージをロープで地階へ降ろし、半日後に回収。
結果、3匹はピンピンしたままであった。
躙口を引き返した後に計測した体内魔素濃度が基準値未満だったことからも、地階が魔素溜まりとなっている可能性は低いと見られた。
類似の実験を犬でも行ったが、結果は同様。
一連の実験によって最低限の安全が確認されたことで、作戦は第二段階に移行された。つまり、人手による直接調査である。
リクを含めた調査員5名が地階に降り立ったのは12月の上旬、魔素噴火からちょうど3週間が過ぎた時分のことであった。
躙口を超えた先に広がる、坑道に繋がるサッカーコートほどの広場。
その広場にある横幅3メートル程の階段を、リクたちは縦一列になって降りた。
隊列の先頭はリクのバディである米田二等陸曹。
その後ろにリク、記録係で紅一点の香川三等陸曹、隊長を務める真嶋一等陸尉、そして最後尾にはレンジャー資格持ちの伊地知曹長が続く。
5人の装いは、救出作戦時のような重防護衣に酸素ボンベといったガチガチの重装備ではない。
長袖とネックガードで肌の露出は最低限に抑えてはいるものの、それ以外に身に着けているのはヘルメットに防塵マスク、ゴーグルと手袋くらい。
本作戦が地階の一次調査であることを考えれば、この程度の軽装備で十分なはずなのだが、しかし――リクだけはその肩に89式小銃を掛けての行動を命じられていた。
小銃の携行は、作戦の2日前になって急遽上から降りてきた指示である。
――これまで何の生物も確認されてこなかったダンジョンで、上はいったい何と戦うつもりなんだ?
その疑問は、ストラップ越しに小銃の重みを肩に感じる今でも、リクの胸中に燻っていた。
やがて階段が終わり、少し進むと縦幅2メートルほどの楕円形の穴を発見した。
穴の向こうからは、白い光が漏れている。
「止まれ」
真嶋が短く声を発した。
ダンジョンでの光源と言えば、専ら魔素に反応して青紫に発光する魔炭である。この階段の壁面にも所々に魔炭が露出しており、それによってリクたちは最低限の視界を確保することができていた。
しかし、白い光はこれまで未確認。
真嶋が警戒感を示すのは当然と言えた。
隊列の先頭を任されていた米田が壁に身を寄せ、穴の中を覗き込む。
進めのハンドサインがあったため先陣を切って穴に飛び込んだリクは直後、目の前に広がる光景に思わず声を漏らした。
「……なんだ、これは」
穴を超えた先には、地球の雄大な大自然を思わせる、広々とした空間が広がっていた。
足元には芝生が生え、その青々とした緑が風で揺れている。
「……空がある」
呆然としながら、香川がポツリと呟いた。
香川の呟きに、リクは反射的に頭上を見上げた。
雲が流れていた。
そして、そのさらに先には太陽らしき光源が浮かんでいる。
真嶋隊長も自身の置かれた想定外の状況に対して驚いている様子で、指示を出すでもなく周囲を見渡している。
5人が立っている場所は小高い丘だ。
穴からまっすぐに丘を降りれば、その先には木々が生い茂る森があり、森を超えた先には雄大な山々も聳え立っている。
――この様子なら、確かになんらかの生物が出現してもおかしくない……上はこの事態を想定して俺にコイツを持たせたってことか
リクは右肩に掛けた89式小銃のストラップを強く握る。
今になって思えば、米田は何かを知っているような口振りだった。
――ゆうべ、米田さんが言っていたのはこのことだったのか
前方に広がる大自然を睥睨しつつも、リクの脳裏には昨夜の会話がふっと浮かんだ。
「ちょっと俺の部屋で飲まないか?」
リクが同じ営内に住む米田からそのように誘われたのは、作戦前日の日没後のことであった。
バディであり、隊の良き先輩でもある米田との仲は悪くなく、仕事外で飲むこともしばしば。了承したリクは米田と連れ立ち、まずは敷地内のPXで酒とツマミを仕入れることにした。
店内に入ると、作戦のメンバーである香川が独りでいるところに、ちょうどかちあった。
「高村くん、何してるの?」
「いや、これから米田さんと飲もうってんで、その買い出し」
香川はリクの同期でもあり、関係は気安い。勤務中は別としても、オフで会えば雑談するくらいには仲が良かった。
米田に気付いた香川は「お疲れ様です」と目礼した後、数秒の間を開けてから切り出した。
「……その飲み、わたしも参加していいですか?」
「……構わんが、場所は俺の部屋だぞ?」
「はい、がっつり飲むつもりはありません。けど、酔っぱらった高村くんがヘンなことしそうになったら対応していただけると――」
「おい!」
リクが突っ込むと、香川は楽しそうに笑った。
米田の個室は宿舎の4階にある6畳の個室である。6畳とはいえ、3人で飲む分に窮屈はない。
布団を畳んで押し入れに収納しているし、家具が小机と小型液晶を載せたテレビ台くらいしかないからだ。
小机にツマミを並べ、缶ビールで乾杯してからしばらくは、3人は他愛のない雑談に花を咲かせた。
部隊の誰と誰が付き合っている、誰が今度昇進しそう。
そういったよもやま話がひと段落したのは、ちょうどリクが2本目のビールに手を付けたタイミングだった。
「ところでですが……明日の作戦について、米田さんはどう思いますか?」
香川から発せられた藪から棒の問い掛けに、男二人が視線を上げた。
「……どう、とは?」
「だって今回の作戦、いろいろおかしくないですか?」
「緘口令が敷かれ、防衛大臣から密命が出ていることか?それなら別に不思議はない。緘口令は、あんな事故が起きた後だ、なるべく国民に心配をかけないようにってことだろう。それに、ダンジョン利権は海外との取引材料でもある。そのカードを切るにも、準備を整えてからにしたいってことだろう。政治絡みとなれば、大臣から命が下るのは自然なことだ」
米田の発言に、香川はすぐさま反論した。
「そうじゃありません。わたしたちは元々、10名で地階に行く予定でした。それが、直前になって5名にしろって……しかも、銃の携行まで命じられるなんて、上は何を考えているんですか?」
香川の探るような目が米田に向けられ、その隣のリクにも一瞬だけ流れた。
――正直、それは俺も疑問に思ってた
元々、地階の調査は猪野沢から緘口令を言い渡された10名で行ってきた。
第一段階の動物実験、そして第二段階における直接調査もその10名で行う想定で計画書を提出し、数日前までは特別の指摘事項も無く受理されていた。
それが昨日になって、急遽装備、人員に関して変更を命じられたのだ。
米田は手にしていた焼鳥を口にし、視線を外して咀嚼した。
焼鳥はPXのレンジで温めたものである。
誰も何も言わない沈黙を、BGM代わりにつけていたテレビの音が埋めていた。
「――上の考えてることなんて、俺のようなイチ下士官にはわからんよ」
しばらくして鶏肉を嚥下した米田が、呟くように言った。
「そうですよね……すいません」
「どんな命令だろうと、俺たちはそれに従うだけだ……が、小耳に挟んだ話なら無いこともない」
米田の含みのある言い方に、リクも香川も無言で身を乗りだした。
「今回の作戦、上でかなり揉めたみたいだ」
「上……と言うと?」
「一番上、つまり防衛省と亜庁でだよ。今回の現地調査、今出川長官がダン特にやらせろって急に言い出して、閣議で猪野沢防衛大臣と相当やりあったらしい」
リクの疑問に、米田が声を低くして答える。
それに対して、香川は2本目のビールを一気に呷ってから声を荒げた。
「またダン特ですか?アイツら、折角ウチらが救助した生存者を搔っ攫って行くわ、死なせるわで、ロクなことしないじゃないですか!」
「こんなこと言っていいかわからんが……その生存者が死んだっていうのが、そもそも俺には不可解だ。あの子供、救助時点で魔素が全身に回った瀕死状態で、そのまま衰弱死したって世間には公表されている。けどそれ、ちょっとおかしくないか?」
「……それは、俺もちょっと感じてました。少なくとも、助けた時点ではただ眠っているようにしか見えなかったし」
米田に同調したリクは、あの日躙り口広場で見た、恐ろしく綺麗な顔をした子供のことを思い返していた。
――彼が次の日には衰弱死していたなんて……
正直、未だに信じられない。
そんなリクの感傷を余所に、香川が質問を口にした。
「救出者のことは、いったん置いておきましょう。わたしが気になったのは、今出川長官が横槍を入れてきたことと、作戦計画が変更されたことに関係があるのかです」
「それは、俺もよくわからん。なんでも、島津総理が仲裁に入って、それで計画を変更することになったとかなんとか……」
自分で言っていてもイマイチしっくりこない様子の米田。
「まぁ、総理も元は亜空間庁のトップだった人だ。作戦計画を見て、何かしら思うところがあったのかもな」
「その何かが何かはわからないがな」と言葉を締めた昨晩の米田。
しかしリクはここに至り、目の前に広がる光景こそがその何かだったのではと思い始
めていた。
そんな考察は、背中から飛んできた真嶋隊長の声によってすぐに中断されることとなる。
「全員聞け!まず、香川はカメラでこの空間の四方を撮影しろ。その他のメンバーは周囲を警戒しつつ、何か発見したら知らせ――」
「隊長!」
真嶋の声に被せて、米田が叫んだ。手には双眼鏡を持ち、その視線は前方の森林の中に注がれている様子。
「1時の方向!林立した木々の手前に、何やら茶色い物体――四角い箱らしき人工物が認められます」
「なに?」
米田の発言を受けて、真嶋、それにリクも双眼鏡を覗いた。米田が言う通り、確かに青々と茂る木々を背景に、場にそぐわない茶色の箱がポツンと存在していた。
そのサイズは家庭用の土鍋くらい。少し小ぶりだが、パッと見の印象としてはRPGでダンジョンに設定されている宝箱のよう。
「よし、あの物体を調査する。全員、前進」
真嶋の号令を受け、5人は隊列を組んで前に進み、丘を下った。
「隊長!」
突如として、殿を任されていた伊地知曹長が声をあげた。
「10時の方向です!」
反射的に目を遣ると、そこにはリクがこれまでに一度も見たことが無い、未知の生物が立っていた。
体躯は瘦せた子供くらい、肌は緑色で、二足歩行。その手には、木の棒の先に石を括りつけた、原始的な斧のようなものが握りしめられていた。
――あれは……ゴブリン?
一瞬、自分の目を疑った。
ゲームや漫画で見たことはある。
だが、実在するはずがない。
少なくとも昨日までの常識では。
その逡巡が終わるより早く、ゴブリンらしき2体の生命体が5人はコチラに向かって駆け出していた。
対象との距離、約100メートル。
咄嗟に89式を手に取ったリクに、後ろから真嶋隊長の鋭い声が飛んだ。
「待て、撃つな!」
「――っつ」
制止されたリクは、銃口を構えたまま動きを止めた。
未確認生命体は、銃を向けられても怯む様子は一切見せず、金切り声をあげて全力疾走。
その甲高い声は、人間を威嚇するサルの声に似ていた。
「この場合、交戦規定はどうなってます?」
香川の問いに、答えられる人間は皆無だった。
二足歩行の未知の生命体に銃撃してよいものか、銃を構えているリクだってわからない。
――ダンジョンは宇宙人の住処だってオカルト話は聞いた事があったけど、まさかアレが?
そんな逡巡を破るように、伊地知が声を荒げた。
「隊長、撤退の指示を!」
その間にもゴブリンと思しき生命体は隊員たちとの距離をみるみる詰め、その距離は50メートルを切ろうとしていた。
「撤退!撤退だ!全員、元の穴まで走れ!」
その言葉で構えを解いたリクは、反転して元いた丘へ駆け出した。
後ろを振り返っている余裕はない。
――けど、あの子供サイズのゴブリンより俺たちの方が足が速い
斜面を登り切ったことで心の隅に浮かんだ楽観は、しかし後ろから聞こえてきた悲鳴によって消し飛んだ。
「きゃっ!」
リクの心臓が跳ねる。
振り返ると、香川が地面に身を横たえていた。
先頭の米田も振り返り、怒鳴り声をあげた。
「どうした!?」
「香川、被弾! 敵の投擲です!」
「掠っただけです!」
伊地知の言葉に香川は反論した。
しかし、その左脚の裾は大きく裂け、露出した脹脛には浅い裂傷が走っている。
足元には石斧が転がっていて、刃先には赤い血が付着していた。
そうこうしている内にもゴブリンは5人に迫り、その距離は30メートルを切ろうとしていた。
――相手から明確な攻撃があったんだ
リクは再び小銃を持ち、命令があり次第引き金を引けるように構えを取った。
真嶋を見遣ると、しかしその視線は殿を務める伊地知に向いていた。
伊地知はと言うと、ポケットから発炎筒を取り出し、火を付けていた。
そうして紅炎を吐き出す棒を振り回し、ゴブリンを威嚇した。
物言わぬ銃には反応を示さないゴブリンたちだったが、火には怯んだ。
指呼の距離で足を止めたゴブリンと、それを牽制するように構えを取るレンジャー・伊地知。
「グゥゥ―」
低い唸り声を出し躙り寄る未確認生命体。
対する伊地知は、彼らに対して一歩も退かなかった。
ジリジリと距離を詰めるゴブリン。
しかし、相手が間合いに入った瞬間、すかさず発炎筒を持った右手を振る伊地知。
更に左手にはナイフを握り、その殺気の籠った刃先もゴブリンの踏み込みを鈍らせている様子。
その隙に米田は香川に肩を貸し、リクと真嶋を含めた4人は穴のすぐ前まで辿り着くことに成功していた。
「曹長!早く!」
隊長の怒声を受けた伊地知は、発炎筒を二足歩行の敵性生物に投げつけると、4人の元に全力で疾走した。リクは万が一ゴブリンが追い縋ってきた時に備えて小銃を構えていたが、伊地知の足の方が速かった。
こうして5人は、誰一人欠けることなく地階から生還することができた。
世紀の発見を携えて。




