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国家を超える個人  作者: 福鳥シン
第2章:お披露目編
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第22話:一蓮托生

人が人に与えられる、最大の罰とは何か。


現代日本の極刑は死刑であり、国によっては事実上無期の懲役刑がそれに該当する。

しかし、この極刑が何かは国や時代によって異なる。


古代ローマにおける究極の刑罰は、ダムナティオ・メモリアエであった。

これは古代ローマ人にとって死罪以上に恐れられた罰であり、課された者はその記録を抹消されることとなる。存在の一切が最初からなかったものとして、その人物の痕跡は徹底的に消し去られるのだ。

しかし、国家による存在抹消の試みが常に成功したわけではない。公的な記録は無くなれど、人々の記憶に残ることで最終的にその存在を認められることとなった者たちは存在する。


その歴史的な事実は、シュウジにヒントを与えた。

つまり、戸籍の再取得は必要であっても、十分とは言えないのだ。

それだけでは、都合が悪くなった時にまた切り捨てられてしまうかも知れない。

再度の理不尽な極刑を許さないためには、もう一手必要だ。


それが、不特定多数の人間の記憶に残ることである。

元々シュウジは孤児であり、ごく一部の人間にしか認識されていなかった。

だからこそ、国家権力の横暴にまるで抗うことができなかったのだ。

より多くの、より地位のある人たちに記憶されれば、それ自体が抑止力になるし、万が一の場合にも打てる手は出てくる。


そう考えればこそ、シュウジは自らの抱える秘密を材料に、タカシと取引することにしたのだ。

たとえそれが、自分の命綱を手放す行為だとしても。




お披露目パーティー終了後、シュウジはタカシと同じホテルの上層階にあるスイートルームに足を運んでいた。互いの情報を共有するためである。


社交界デビューを終えたばかりのシュウジは、当然疲弊していた。

さっさと帰って寝てしまいたい。そう思っていただけに、タカシから「この後」と言われた時は露骨に嫌な顔をしてしまった。しかし、既に部屋を取ってあると言われれば断るわけにもいかない。

カードキーの電子音と共に扉が開く。


一歩足を踏み入れた瞬間、シュウジは身体から力が抜けるのを感じた。


「肩の凝る会だったぜ」


ネクタイを緩めながら、タカシが吐き捨てるように言う。

その後ろには、壁一面の窓ガラス越しに都心の夜景が広がっていた。無数の光が滲むように瞬いているが、防音ガラス越しでは車の走行音すら届かない。

タカシは冷蔵庫からジンジャーエールを取り出すと、ソファーに腰掛けて目の前のローテーブルに置いた。


「お酒は飲まない人?」

「一緒に飲む相手がいれば飲むが、いなければ飲まない。おまえも自分の好きなヤツ取っていいぞ」


そう言われたので、冷蔵庫を覗き、コーラを手に取る。


「あと、テーブルの上にルームサービスのメニューがあるから、好きなの食え」


なんとも投げ遣りな物言いに、シュウジは苦笑した。先ほどのパーティー会場では、ゲストは豪華な食事を思い思いに楽しんでいた。しかしシュウジはと言えば、空きっ腹を抱えつつ、食事を楽しむ時間的な余裕も精神的な余裕もなかったのだ。

今でもお腹は空いているはず。なのに、食欲の方は不思議と萎んでしまっていた。


「何にすんの?」


メニューを見ていたシュウジに、タカシの問いが飛ぶ。


「お腹にやさしいものがいいから……味噌煮込みうどんにしようかな」

「おぉ、いいじゃん。俺もそれにするから、ふたり分注文して」


内線電話で注文を終え、缶を直飲みしているタカシの対面に腰掛ける。その瞬間に、質問が飛んできた。


「どうだった?」

「どう?」

「お披露目パーティーを終えての感想だよ」


それしかなかろうとばかりに、顎をしゃくるタカシを見て考える。

シュウジがこれまでの人生で参加したことのあるパーティーといえば、養護施設の食堂で開かれる毎年のクリスマスパーティーだけ。貰えるのはショートケーキ1ピースと、年によってはプラスで駄菓子の詰合せセット。


――それとは雲泥の差だよな


と言った感慨はありつつ、シュウジはもっと端的な感想を口にした


「疲れた」

「見りゃわかる。それ以外」

「……顔と名前が変わってから人前に出るの、ほとんど初めてだったから、やっぱり驚いたかな」


過去3時間で周囲から浴びせかけられた注目は、これまでの人生で他者から集めてきた注意と関心の総量を上回っていた。


もしこれが今後も続くとしたら――


今更ながらその可能性に思い至り、俄かに焼けるような感覚が胸を覆った。


「ま、慣れるしかないだろう。世の中顔と名前だからな」

「そうなの?」

「そりゃあそうだろ!だからこそ、政治家は自分の顔を覚えてもらうためにメディアに露出して、マメにSNSのアカウントに投稿して、方々のイベントに顔を出す。選挙となれば、ポスターを街中に貼り、選挙カーで名前を連呼させて、なんとか自分の名前を憶えて貰おうとする」

「言ってることは分かるけどさぁ……」


顔と名前の威力を身をもって体験したシュウジ。しかし、特別な容姿も名前も持たない人間の価値を否定する発言には反発を覚えた。「人は中身だ」と信じたい気持ちが、まだ心のどこかに残っているのだ。

そんなシュウジの心の内を見透かすように、タカシは薄く笑いながら口を開いた。


「じゃあ質問。おまえ、立憲正義党と国民の絆の党首は分かるか?」

「遊佐タカヒロと伴リュウタロウ」


そう答えつつ、シュウジには会話の行き着く先が見えてきた。


「ソイツらの主張の違いは分かるか?」

「……分かんない。分かってるのは、ふたりとも政府の政策に反対してるってことくらい」


渋々認めると、タカシはそれ見たことかとばかりに鼻から息を吐いた。

遊佐の顔も伴の顔も分かる。外見からして、ふたりは全く別の人物だ。しかし、「中身はどう違う?」と問われると、シュウジは自分でも驚くくらい何も答えられなかった。


シュウジが黙ったことで、タカシは立ち上がって冷蔵庫から2本目を取り出した。再びのジンジャーエールだ。

シュウジも2本目にいこうかと思案していたところで、部屋のチャイムが鳴ってルームサービスが運ばれてきた。

食欲はあんまりかと思ったが、出汁と味噌の香りに身体が反応した。早速、煮込まれたうどんを啜っていると、タカシが水を向けてきた。


「本題に入る前にさぁ」

「……うん」

「訊いておきたいこと、何かあるか?」


藪から棒の問い掛けに、思わずシュウジは咽てしまった。

質問したいことなど、いくらでもある。ただし、不用意な質問をすれば話題はすぐさま「本題」に移ってしまう。


「来年から桐桜学園に進学できるって聞いてるけど、中学はどうするの?まだ3学期が丸々残ってるけど」

「あぁ、それなら心配しなくていい。おまえは生来病弱で病院育ちって設定だから、適当な院内学校を卒業したことにしておくよ」


タカシは事も無げに言ったが、シュウジには新たな疑問が生まれた。


「じゃあ、来年の4月まではどうするのさ?」

「それまでは自主勉してもらいつつ、あとは習い事だ。桐桜学園で俺の息子としてやっていくなら、勉強ができるだけじゃまるで足らない。楽器、スポーツ、英会話くらいはできなきゃ話にならん。時間は無いが、詰め込みで最低限はこなせるようになってもらう」

「一ノ瀬さんが教育係って、そういうことか……」


呟きを拾って、タカシが補足した。


「一ノ瀬にはおまえのマネジメントをしてもらう。それこそ、習い事の送迎から進捗管理、カリキュラムの調整とかだな」


まだ油断はできない。できないが、タカシの言っていることが本当なら、自分は少なくとも「投資対象」として価値を認められていることになる。

そのように頭の中で算盤を弾いて、少しだけ明るい気持ちになった。


「もう一つ。しばらくは今の施設で生活するの?アイさんが、ウチじゃ受け入れられないって言ってたけど」

「そこは悩んでいる」


そう言って言葉を切って、小鍋に残された最後のひと口を啜るタカシ。ゆっくりと嚥下し、それでも数秒の思案を挟んでから言葉を継いだ。


「……どの道、今すぐ引越しってのは難しい。動くとしても、タイミングは年明け以降だと思っててくれ」

「わかった」


絶対に自分で引き取るとは言わない義父だが、それはそれで有難かった。集団生活に慣れているシュウジだが、タカシとの共同生活は気疲れするのが目に見えている。


「ちなみに、アイさんのこと、おまえはどう思ってる?」

「どうって……美人で優しいし、良い人だなって思うけど」

「……いい人、ねぇ」


タカシはビール缶を呷って喉を鳴らしてから、小馬鹿にするように呟いた。


「じゃあ一ノ瀬は?」

「一ノ瀬さんも、アイさんとは別のタイプの美人で、優しくて良い人だよ」


少しムキになってシュウジが言うと、タカシは大きく溜息をついた。


「あのなぁ、おまえもうすぐ高校生だろ?この世に良い人なんて存在しない。サンタクロースの存在を信じていいのは小学生まで、人の善悪を信じていいのは中学生までだぞ!?」

「そんなの初めて聞いたよ……何で善悪が存在しないの?」


意地になっているわけではなく、純粋な疑問からの質問だった。


「じゃあ質問だ。ここにひとりの泥棒がいる。こいつは悪い人間か?」

「悪い人間、だと思う」


タカシの発言は情報が少なすぎる。やや口ごもりながらシュウジが答えた。


「じゃあ、その泥棒が盗んだものがパンで、理由が飢えた子供たちを救うためだとしよう。それでもコイツは悪い人間か?」


途端にシュウジは答えられなくなった。息子が押し黙ったのを確認して、タカシは言葉を継いだ。


「正解は、社会的には悪い人。救ってもらえた子供たちからすれば良い人だ。窃盗を許したら、社会が乱れる。それだと都合が悪いから、悪い。一方で、食い物をくれるんだから、子供たちからしたら良い人だろ?人の善悪なんて、結局はその人の都合なんだよ」

「つまり、良い人や悪い人は存在しなくて、誰かにとって都合が良い人と悪い人がいるだけってこと?」


――本当にそうなのか?


口に出しつつ、反証は無いか思考を巡らせたが、考えがまとまる前に「そういうことだ」と言葉が返された。


「ピュアなのは人としては悪いことじゃない。が、俺の倅になるおまえはそこらの中高生とは立場が違うんだ。相応の思慮深さが求められることは忘れるな」

「……もう少し、自分で考えてみるよ」


是とも非とも言わないシュウジに対して、「可愛げのないやつ」とタカシは虚空に向かって呟きを漏らす。


それから、タカシはうどんの小鍋に蓋を被せ、テーブルの脇に移動させた。ガチャガチャという硬質な音がスイートルームの静寂に響く。父に倣い、息子も「ごちそうさま」と小さく言ってから食事をかたす。


「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか――ダンジョンでのことを話してくれ」


室内に重くて低い声が響いた。

瞬間、シュウジの胸がきゅっと締め付けられる。

人生最大の切り札。


――それを切る時が、ついに来た


とっくに覚悟は決めたはず。それでも、いざとなればどうしても足が竦みそうになる。

居心地の悪い沈黙。それは、すぐにタカシの「フン」という鼻息で破られた。


「秘密を抱えておきたい気持ちは分かる。が、約束は守れ」

「分かってるよ」

「勘違いしているようだが、ここで俺に秘密を話すことは、おまえのためでもあるんだぜ?」


そこでタカシは言葉を切った。その視線は少しだけ思案気に虚空を彷徨い、最後にはシュウジの顔面でピタリと留まった。


「次の選挙の結果次第では、おまえの身の安全は保証できなくなる」

「どういうこと!?」


シュウジは反射的に立ち上がっていた。

急き込む息子を、タカシが手で制する。


「前にも似たようなこと言ったが、俺はこれでも追い詰められている。俺だけじゃなく、自進党そのものがだ。このまま手を拱いていれば、次の選挙で下野する可能性すらある。他党のヤツらが権力を握り、魔素噴火の生き残りの存在を知れば、おまえはまず間違いなく利用される。それこそ、実験室で死ぬまでモルモットみたいな扱いを受けるか、他国の研究機関に貢物として差し出されるか……いずれにしても、今出川シュウジという存在は社会的に抹消されるだろう」


当然、そこまで考えているんだろう?

タカシの黒々とした瞳は、そうシュウジに訴えかけていた。

シュウジはと言えば、フリーズして何も言えなくなってしまっていた。


考えていなかったのだ。


元々敵であり、信用ならないながらも取引相手となったタカシ。そのタカシの敵ですらも、自分の敵であることを。


――しかし、あり得るのだろうか?戦後のほとんどの期間で政権を担ってきた自進党が野党に落ちるなんて


そんな心中の疑問を察したかのように、タカシが続ける。


「自進党が下野するかどうかは俺にも分らん。最新の調査で支持率は30%台。このままいけば連立を組んで政権に留まる可能性は高い。だが、俺が落選したら話にならん。おまえを庇うこともできなくなる」

「それはまぁ、そうだろうけど……」

「今回の事故、責任を取らされるのは俺と防衛省の猪野沢大臣だ。詰め腹を切らされるのはほぼ確定で、問題はその責任の取り方になる。最悪なのは任期中の辞任、ベストは衆議院の解散までやり切ることだ。どっちになるかで、選挙時の印象が全然違う。そのためにも、野党と国民に向けたエクスキューズが必要になる」

「エクスキューズ?」

「そう。必要なのは、『事後対応に追われて辞任している余裕がない。責任は自分の職責を全うすることで果たす』と言えるだけの材料だ。ダンジョンの地階にはモンスターもいれば新種の資源もあるんだろ?その調査をするって名目なら、あと半年、任期満了まで戦える」


そのためにも情報を寄越せ――

タカシの瞳は、無言でそうシュウジに訴えかけていた。


相手を捉え、惹きつけて吸い込まんとする双眸。

目を閉じ、一度深呼吸を挟むことでその引力を断ち切る。


――どこかでリスクは取らなきゃならない。誰かを信じて賭けなきゃならない。それなら……


結局、やることは変わらないのだ。シュウジはタカシの目を正面から見据えた。

タカシは無言。その真顔を見て、シュウジはようやく実感が湧いた。

今出川タカシは、本当に追い詰められているのだと。


「……正直さ、ぼくには父さんが選挙で負けることなんて、ほとんど想像できてなかったよ。学校の授業でも、ダンジョン政策の話になると、『今出川タカシかっこいい!』ってクラスの女子が声をあげるくらいだもの」

「なんだ、そりゃ?」


調子を狂わされたように声を漏らしたタカシだが、顔には軽い笑みが浮かんでいた。


「状況がマズいこと、ぼく自身の身がまだまだ安全じゃないことは理解した。そして――ぼくたちは一蓮托生なんだってことも」

「ああ」

「だから、ぼくもできる限り協力するよ。政治家は選挙に落ちたらただの無職。父親が無職なんて、やっぱりイヤだもの」


最後は少し冗談めかして言うと、タカシはフッと笑った。

そうして、ダンジョンが封鎖された後に何があったか、シュウジは自分の見聞きしたことを語りはじめた。


――これで、もう後戻りはできない


その不安が、一瞬だけ脳裏を掠めた。


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