第20話:お披露目(4)
都内の某高級ホテル。
そのパーティー会場に総理大臣が登場したことで、500人を超えるゲストたちが皆一斉に手を叩いた。
万雷の拍手――
その音が止み、会場が静寂に包まれるのを待って、ヨリコは口を開いた。
「皆様、島津ヨリコでございます。まず冒頭に、先般のダンジョンにおける不慮の事故により、尊い命を落とされた111名の方々、そしてそのご遺族に対し、深甚なる哀悼の意を表します」
マイク越しの声は低く、しかし恐ろしいほど明瞭に会場の隅々にまで響き渡った。
「我々は今、大きな岐路に立たされています。悲劇を前にして、ダンジョン政策をどうするか。この会場の外では、野党やメディアが『安全が確保されるまでダンジョンを完全閉鎖せよ』、『ダンジョンを国際管理せよ』と叫んでいます」
落ち着き払ったヨリコはそこで言葉を切り、ゆっくりとフロアを見渡す。
その視線は、聴衆のひとりひとりに「あなたはどう考えますか?」と問うているようでもあった。
「では、その通りに政治を行ったらどうなるか。皆様、想像してみてください……確かに、今回のような悲劇はもう起こらなくなるかもしれません。交渉次第ですが、ダンジョンを国際機関に売却する形となれば、纏まった額のお金を得られる可能性もあります。しかし、目先は良くても5年後、10年後はどうでしょう?」
ヨリコは手元の原稿など一切見ず、最前列の財界人たち一人ひとりを覗き込むように問いかけた。無論、問い掛けに対する返答はない。
数百人の大人たちが息を呑む気配だけが、重い沈黙となって会場を満たした。
「ダンジョンは我が国固有の領土であり、国家再生の切札です。魔炭によってどれほどの電力が賄われているか、代わりの石炭を海外から輸入すればどれだけのお金が掛かるか、ご存じでしょうか?ダンジョンというカードなくして、日本は諸外国から経済支援を引き出せるでしょうか?そして、『日本はダンジョンを手放すべし』との意見に迎合する方々は、これらの問いに答えられるのでしょうか?」
ヨリコは、まるで愚かな生徒に現実を教える教師のように、冷徹な響きで言葉を紡いだ。
「島津政権ではダンジョンの開発を推進し、日本の財政再建に邁進してきました。この動きを止めるようなことがあれば、今度こそ我が国はIMFの管理下に置かれます。そうなれば、彼らは容赦しないでしょう。真っ先に行われるのは、社会保障の大幅な削減です。年金は止まり、医療制度は崩壊します。また、次世代への投資も大幅に抑制されることになるでしょう。公的教育は削減され、職にも就けず、教育も社会保障も受けられない貧しい子供たちの溢れるスラムが、この美しい日本の至る所に生まれるでしょう」
貧しい子供――
その単語を口にした瞬間、壇上のヨリコの視線が、群衆の頭上を滑るように動き――そして、斯波姉妹の隣に立つシュウジをピタリと射抜いた。
――確かに、あすなろ黎明園がなければ今のぼくはない。けど……
「皆様の中には、わたしの発言を極端だと思う人がいるかも知れません。しかし、過去にIMFの管理下に置かれた国々が実際に経験した、日本でも起こり得る未来です」
首相のスピーチを固唾を飲んで見守っていた聴衆から、ここで少しざわめきが起きた。
安全で綺麗で平和。その日本の当たり前が徐々に足元から崩れているのは頭では理解している。
しかし、ヨリコが語る具体的な危機が、どうしても現状と結びつかないのである。なにせ、この会場の中で最も卑しい出自である、シュウジですらピンと来ていないのだ。生まれながらにして、豊かさを当たり前のものとして享受してきた上流階級の人々にとっては猶更と言えた。
「わたしたちはそのような未来を回避し、豊かで、誰もが幸せになれる日本を取り戻さなければなりません。日本は改革の歩みを止めてはならないのです!そのためにも、島津ヨリコは日本の舵取りを放棄するわけにはいきません。勿論、わたしひとりでこの国難に対峙することはできません。皆様の温かいご支援あっての自進党、信任をいただいてこその島津ヨリコでございます。至らぬところばかりではありますが、皆さまにはこれからもお力添え頂きたく、どうぞよろしくお願いいたします」
演説を締めたヨリコは、直前までの厳めしい表情を不意に崩し、ポスターに描かれるような完璧な微笑みを浮かべた。
途端に、壇上から立ち込めていた氷のような威圧感が噓のように消え去り、会場の緊張がふっと緩んだ。ヨリコが一拍置いて頭を下げると、会場からは割れんばかりの拍手が起きた。
総理がステージから降りると、司会が歓談の再開を告げた。
――あすなろ黎明園がなくなる。たとえなくならなかったとしても、入園できずに行き場を失った子供たちがスラムに溢れ返る。そんな未来が、すぐ近くまで来ている。本当に?
誰も居なくなった壇上をボンヤリと見つめながらそんなことを考えていると、隣で拍手をしていたヒマリが息を吐き出した。
「総理のスピーチ、なんだか難しくて怖かったですね」
「……ええ、そうですね」
シュウジが曖昧に頷くと、姉のシズクが窘めるように口を開いた。
「ヒマリ、そんな感想を口にするものではありません。国の将来を左右する大切なお話だったのよ……さあ、演説も終わったことだし、お母様のところへ戻りましょう。ここから先は、大人たちの時間ですから」
シズクはそう言って、再び喧騒を取り戻し始めた会場の波から逃れるように、妹の腕を軽く引いた。同時に、シュウジに対しても完璧な愛想笑いを向ける。
「シュウジさんも、色々とご挨拶がおありでしょう。私たちがお引き止めしてはご迷惑になりますから、ここでお暇させていただきますわ」
「ええっ、もう戻るの!?」
「ヒマリ。はしたないわよ」
「むぅ……あ、じゃあせめて! シュウジさん、お別れする前に記念に写真撮りませんか? 来年から同じ高校の同級生になるんだし!」
一瞬の怯みが顔に出ていたのか、ヒマリが慌てて付け足した。
「あっ、もちろん勝手に写真をSNSにアップするようなことはしませんから!そこは安心してください」
そうまで言われたら断れない。
シュウジがOKを出すと、ヒマリはスマホのインカメを起動してシュウジの左横に身体を寄せた。
「ヒマリ!」
「だって、カメラに入りきらないんだもん。ほら、お姉ちゃんも!」
促されたシズクは、短く息を吐くと妹の背中に身を寄せた。
「はい、チーズ!」
ヒマリの掛け声で、咄嗟にシュウジはピースをした。
――しまった
写真に写る時はピースNG。
キョウコから事前にそのようにレクチャーされていたのに、つい染み付いた庶民の癖が出てしまったのだ。
スマホの画面で出来上がりを見ると、ヒマリは満面の笑み、シズクは上品な微笑みを浮かべている。
――さすが、被写体慣れしてる感じがするな
一方のシュウジは、右手をブイの形にしたまま、なんだかぎこちない笑みで佇んでいる。
「すごくいい写真! シュウジさんにも送りますね。連絡先、教えてもらえませんか?」
「ありがとう。でもぼく、これしか持ってないんだ」
「「えっ!?」」
シュウジがスラックスの左ポケットから折り畳み式のガラケーを取り出すと、斯波姉妹は揃って驚きの声をあげた。
「嘘、本物のガラケー? 初めて見た! なんでそんなの使ってるの?」
「親の教育方針」
シュウジが投げ遣りに言うと、シズクは「デジタルデトックスというやつですか?流石は今出川家ですね……」と困惑気味に呟いていた。
結局、シュウジは姉妹に電話番号を教え、写真はショートメール経由で貰った。
ふたりを見送り、そろそろ自分も来賓エリアに戻ろうかと考えていたところ、少し離れたハイテーブルの近くに、ふと見知った顔がいることに気付いた。
タカシの秘書、清水谷アイである。
今日のアイは一般ゲストとしての参加なのか、黒のドレス姿でシュウジの見知らぬ男性と会話中だった。
ゲストの間を縫って近付くと、両者の会話が耳に入ってくる。
「今日はどなたかのご紹介で参加されているんですか?」
「そうですね、今日は親戚から招待いただきましたので……」
グイグイと距離を詰めようとする男性は、頭が薄く、脂ぎった50がらみ。高いパー券代の元を取ってやろうと高級ワインをがぶ飲みでもしたのか、顔はアルコールで赤く火照っている。その胸元には中小企業連盟のバッジが付けられていた。
「ほう……ご家族で参加されているのですかな?」
「……いえ、今日はひとりで」
「おや、旦那様はご欠席ですか?」
一瞬だけ間を置いてから、アイは営業用の笑みを崩さぬまま答えた。
「主人はおりませんので」
「おぉ、そうですか!いやぁ、こんなお美しい方が独り身とは勿体ない!」
赤ら顔の男が半歩、アイににじり寄った。
「貴重な機会ですし、よければ私が色々な方をご紹介できますよ? 」
「いえ、折角のお申し出ですが、そういうのは大丈夫ですので……」
「おや、そうですか?……では、どうです?私が色々と『個人的な支援』をさせてもらえませんか? この後、大人同士で親睦を深めに――」
脂ぎった指先がアイの肩口に触れようとした、その寸前――シュウジは迷わず声を掛けた。
「アイさん、こんなところにいたんですね!」
アイとどこぞの社長、ふたりの視線がパッとシュウジに向けられる。
「なんだね、キミは?大人の会話に割り込むなんて、失礼じゃないか!」
「すみません。少々、会の趣旨にそぐわないような会話を耳にしたので……もちろん、ぼくの勘違いならよいのですが」
そう言って社長を見据えた。
男は僅かに気圧された様子だったが、これ見よがしに舌打ちすると吐き捨てるように言葉を返した。
「じゃあ、問題ない!君の勘違いだ!まったく、そんな下種な勘繰りをするなんて、どんな育てられ方をされてるんだか……親の顔を見てみたいよ」
「では、ご案内しましょうか?ぼくの親はあそこですけど」
シュウジが来賓エリアに手を向けると、男の表情が固まった。
「申し遅れました、今出川シュウジと申します。失礼ですが、お名前を頂戴しても?」
「い、今出川!?……えっ、あぁ、そうか。キミはさっき今出川長官と一緒にいた……」
ようやく合点がいったのか、男の顔からサッと赤みが引いた。
「この方は、藤山黎和工業の藤山社長よ。さっき、ダンジョンにベルトコンベアの部品を納入してるって仰ってたわ 」
しどろもどろになっている藤山を横目に、アイが男のプロフィールを述べた。
「そうですか……藤山社長、お顔を存じ上げなくて失礼しました。また、ダンジョン産業に貢献いただきありがとうございます。父に代わりまして、お礼申し上げます。父にも社長のことは伝えておきますので、どうぞよろしくお願いします」
シュウジが微笑みかけると、藤山は「あ、いえ、そんなことしていただかなくても」としどろもどろになり、最後には「失礼します」と逃げるようにして人混みの中へと消えていった。
――今出川って名前、やっぱりすごいんだな
与えられた嘘を、シュウジは初めて能動的に行使した。
そうすることで、大きな嘘の一部をようやく自分の中に取り込めたように思えた。
――いや、自分が嘘に取り込まれているのか?
そう考えると良い気はしない。
しかし、シュウジは嘘の中でしか生きられず、嘘の中でこそ誰かの役に立つことができるのも間違いなかった。
藤山の姿を見送った後、シュウジは息を吐いてからアイを見遣った。
今日の装いは、肌の露出を極力抑え、同時に身体のラインを強調する黒いベルベットのロングドレス。光を反射するその黒さが、陶器のように白い肌を際立たせていた。
いつもより化粧もやや濃いめで、主催者側が用意したモデルだと言われても誰も疑わない容貌。
――これで左手の薬指に指輪してないんだもの。そりゃあ、ナンパされるよ
「なんでこんなことになってるんですか?」
呆れ混じりに質問すると、その答えはシュウジの背後から返ってきた。
「あなたのせいよ!」
驚いて振り返ると、そこには料理の盛られた小皿を手にした、肌の白い少女が仁王立ちでシュウジを睨み付けていた。
その視線には、明確な敵意が宿っていた。




