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国家を超える個人  作者: 福鳥シン
第1章:魔素噴火編
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第1話:15歳のブラックバイト

自分が恵まれた存在か否かを知りたかったら、週末の午前中をどう使っているかを見ればいい。日頃の睡眠負債を解消する以上に惰眠を貪れているのなら、それだけでその人は恵まれていると言えるだろう。


その観点から言えば、中学3年生の日野シュウジは決して恵まれた存在とは言えなかった。

折角の土曜日なのに、起床はいつもより少し早い6時55分。

目覚ましをかけていたわけではない。

寝ていた部屋の隅で、ゴソゴソと人が動く気配がして起きてしまったのだ。


見ると、同居人が鏡に向かって化粧をしていた。


「ちょっと早くない?」


起き抜けにシュウジが声を掛けると、ホムラが振り返った。


「あ、シュウちゃん起きたんだ。おはよう!」


そう言うホムラは、シュウジと相部屋の後輩である。

ふたりは親のいない子供たちが生活する養護施設、あすなろ黎明園の住人なのだ。


「今日もバイトなん?」

「うん、パパがゴルフに連れてってくれるんだ。それで朝早くなるって、昨日言ったじゃん!」

「そうだっけ……」


施設の住人であるこの中学生に父親はいない。ここで言う「パパ」が何を意味するのか、シュウジは知っている。

同室であるホムラは当然男子だが、線が細くて中性的な、可愛らしい顔立ちをしている。そのルックスを活かしパパ、改め「気前の良いおぢさん」からお小遣いをもらっているのだ。


その金額がいくらかとか、どこまで求められているのかといった生々しいことは、シュウジも知らない。それでも、自分が肉体労働のバイトで丸一日汗水たらして稼ぐ以上の金額を、僅か数時間で得ているだろうことは察しがついていた。


「夜にはパパがカニをご馳走してくれるんだって!」

「カニかぁ……考えてみたらぼく、人生でカニ食べたことないかも。カニカマならあるけど」

「カニカマもカニみたいなもんじゃないの?」

「いや、アレはカマボコなんだって。と言うかそのボケ、パパに言ったら喜ぶんじゃない?『本物のカニってカニカマとは全然違うんですねー!』って」


シュウジが声色を変えてそう言うと、ホムラは「それ、いただき!」と楽しそうに声を上げた。

ホムラはニットの上からオーバーオールを纏い、鏡に向かって顔を仕上げている。パフで頬を叩き、薄いリップを塗って眉のラインを整えたことで、その顔は普段よりグッと艶っぽい。


「今日はスカートじゃないんだ?」

「うん、”男の娘”を求めてくる人もいるけど、今日のパパはボーイッシュが好きだから」


――おまえはボーイッシュどころか本物のボーイじゃないかよ


思わずそんな言葉が口から出そうになったが、嫌味っぽくなるまいと明るい調子で別の事を言った。


「いいなー、おまえは顔が良くて。ぼくだってカニ食べてお金貰いたいよ」

「いやぁ、シュウちゃんも顔は悪くないと思うよ……頭良さそうな顔してる」

「おい!」


鏡に向かって化粧を続ける生意気な後輩を張り倒してやる。一瞬そう思ったが、首の後ろをギュッとひと揉みするだけで勘弁してやった。


「ちょ、ちょっと!」


痛くはないだろうが、驚いたホムラの両肩がビクリと上がった。


「もう、冗談だって。なんでそんなに怒るのさ?」

「頭の良さって目に見えないだろ!?顔の話をしてる時に頭を褒めるってことは、つまり目に見える範囲で褒められるところが見当たらないって意味じゃないかよ!」


「そんなことはないよ!」と言いつつ大笑いするホムラに対して、シュウジは最早怒る気にもなれなかった。

しばらくして落ち着きを取り戻し、「じゃあ」と部屋を出て行くホムラ。


その姿を見送った後、シュウジは食堂に行き朝飯をとった。

いつものご飯と味噌汁、それに鮭の切身もついている。

栄養バランスは取れているはずだし、味だって悪くない。しかし――


「カニかぁ……」


鮭を見つめて漏らしたその言葉には、驚くほど現実感がなかった。




8時過ぎに施設を出た。バイト先に行くためである。

毎週土日はバイトの日。それは今年の春先からシュウジが自分で決めたことである。


共用のママチャリを引いて施設を出発する折、敷地に併設された庭でボール遊びをしている小さな子供たちが目に入った。

その内のひとりがシュウジに気付き、声をあげた。


「シュウくん!」

「シュウちゃん、どこ行くのー?」


――朝っぱらから元気なもんだな


シュウジは無言で手を振ると、チビたちから視線を外してペダルを踏み込んだ。

そうして鶴見川を越え、仕事場へ向けて自転車を進める。

目指すは世界で唯一の亜空間、通称ダンジョンだ。


ダンジョンは、10年前に突如出現した亜空間であり、世界で唯一、神奈川県の川崎市麻生区に存在している。

そのダンジョンで採掘できるのが、魔炭と呼ばれるエネルギー資源である。

魔炭は高効率で、燃やしても二酸化炭素を排出しない――乱暴に言えば、理想的な石炭だ。

その魔炭を、シャベルとツルハシで掘り出す。それがシュウジの仕事だった。


11月の青空の下、30分ほどペダルを漕いで職場に着いた。

地表に開いたトンネル状の開口部――亜空間へ繋がるダンジョンの入口は、二重三重の鉄条網で厳重に囲まれていた。その内部には自衛隊の駐屯所、魔炭の集積所、そして作業員用のプレハブ小屋が並んでいる。


検問を通過しようとしたところで、シュウジは足を止めた。


――しくじった


水筒を忘れたのだ。

水筒は採掘作業には必須の装備。

現場の入口にも給水所はあるが、作業はダンジョンの奥で行われるため、水筒がないと何かと不便になる。


売店でペットボトルを買う手もある。だが、500mlで300円。

払えない額ではない――だいぶ中抜きされているとはいえ、日当は2万5千円もあるのだから。

それでも、本来ならいらない出費と思えば舌打ちが漏れるのも無理からぬこと。


わずかに逡巡した末、シュウジは水筒を諦めた。

プレハブ小屋でツナギに着替え、ヘルメットを手に集合場所へ向かう。


「おはよう、ハジメ」


すでに何人かの班員が集まっている中で、シュウジは同年代の本田ハジメに声をかけた。


「おお、ケンか。おはようさん」


ずんぐりした体型のハジメは、嬉しそうに顔を崩した。


「なんか今日、いつもよりダルそうだな」

「そう? 不本意だけど、理由は水筒忘れたからかも」

「あー、なるほどな。でもケンが忘れ物って意外だわ」


ハジメは片眉を上げる。


――ケン


それがこの職場でのシュウジの名前だった。

本来、危険が伴うダンジョンでの作業は未成年には認められていない。そのためシュウジは、同じ養護施設の兄貴分から身分証を借り、「間宮ケン」として登録している。

住所も保護者も同じ。だからこそ成立している、危うい偽装。


「ペットボトル買えばよかったのに」

「300円で?」

「……まぁ、俺も買わないな。それにしても最近なんでも高ぇよな。円高だし」

「円安ね。多少戻ったけど、物価は下がらない」

「なんでだよ、それ」

「さあね」


短いやり取りの中に、現実の重さが滲んだ。

今から9年前、当時現役の総理大臣であった今出川ヤスシの暗殺と、それ以降続く政治と経済の混乱。それによって円は一時期1ドルに対して250円まで売り込まれた。


物価は高騰し、庶民の生活は困窮。

数年前に外国からの経済支援を受け、1ドル200円を下回る水準まで回復したが、それでも物価は高止まりしているのが現状だった。


「まあ難しいことはいいや。喉乾いたら言えよ、分けてやる」

「ありがと」


そう答えたところで、班長が姿を現し、朝礼が始まった。

四十絡み、中肉中背。無精髭を生やした男は、ダンジョン入口前に集まった30余名をぐるりと見渡すと、いつも通りの口上を始めた。


「毎度同じ説明を聞かされて飽き飽きしてると思うが、同じ事を言わされている俺はもっと飽き飽きしている。だが、ルールだから改めて説明するぞ――魔炭採掘をする上での3つの注意事項だ」


気怠い空気を押しのけるように、低く通る声が響く。


「ひとつ目は採掘エリア。最近は生成が遅いから、鉱区の手前はほとんど掘り尽くされてる。だがな、だからって奥に行くなよ。決められた範囲から先は危険だからな」


シュウジはその言葉を聞き流しながら、頭の中でダンジョンの構造を思い浮かべた。


ダンジョンは亜空間、つまり一部で地球の物理法則が捻じ曲げられている。

その歪曲の最たる例は、外から見える規模と内部の広さが一致しないことだ。


「……聞いてんのか、おまえら」


班長の声に、何人かが気怠そうに「うーす」と返事をした。

その内のひとりは露骨に欠伸を噛み殺している。

毎週聞かされる話なのだ。真面目に聞いている者の方が少ない。

だがシュウジは、班長の「奥へ行くな」という言葉だけは割と本気で受け止めていた。


地上から観測できる入口は、せいぜいテニスコート二面分。深さも三メートルほどしかない。実際、その真下を通る水道管は無傷のままだ。


だが内部は違う。


自衛隊の調査では、少なくとも十平方キロメートル。

東京ドーム二百個分――それでも全体像は掴めていない。

一度迷えば、まず戻れない。


だから採掘エリアは厳密に制限されているのだ。


「ふたつ目は魔炭の急速生成だ。ダンジョンは危険だ。過去に三度、魔素噴火が起きてる。分かってると思うが、人は一定量の魔素を浴びれば死ぬ」


場の空気がわずかに締まる。


「だが前兆がある。噴火の前には魔炭が異常に増える。だから気付いたらすぐ報告しろ。退避命令が出たら従え。入口が閉鎖されて取り残されたら、まず助からんぞ」


魔炭は本来的に時間の経過でダンジョン内に生成される性質を持っている。

とは言っても、採った先から生まれるようなものではなくて、「採掘して数日経ったら、いつの間にか同じ場所に魔炭が出来ていた」くらいのペース。

だから、魔炭がボコボコと湧くように生成されれば、それが魔素噴火の前兆になる。


どうあれ、魔素噴火の兆候有りと判断されれば魔素漏れを防ぐためにダンジョンの入口は封鎖されてしまう。そのため、緊急時は指示に従って速やかに脱出すること。

シュウジはこの仕事を始めた時の研修で、そのように指示されていた。


――日当2万5千円。この金額は、果たして命を危険に曝すリスクに見合っているのか


そんな逡巡は、班長の野太い声にすぐさま搔き消された。


「みっつ目。黄色い石だ。見つけても勝手に触るな。俺に報告しろ。見つけた奴には金一封だ」


軽く締めるように言って、班長は手を打った。


「以上。よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」


唱和と共に、一斉に頭が下がった。


朝礼後、ダンジョンに入る前の最後のステップは、体内魔素濃度の計測である。

魔素は空気中に含まれるダンジョン固有の物質であり、魔素濃度計によって測定することが出来る。ダンジョン内には常に一定の、しかし「健康に直ちに影響はない」濃度の魔素が滞留している。

そのため、日常的にダンジョンに出入りする作業員は、作業前の時点で呼気に含まれる残留魔素濃度を調べられ、健康上問題ない水準であることが求められていた。


検査ブースはたくさんの人間でごった返していた。

汗と土埃、それに安い煙草の臭いが混ざっている。

作業前だというのに、空気はもう蒸れていた。

なにせ、ダンジョンでは常時1000人以上の人間が採掘を行っているのだ。

運営側は入場時間を細かく分けて混雑緩和を図っているが、それでも混むものは混む。


列に並んで10分ほど待った後、自分の順番が来たシュウジはマイク状の魔素濃度計を手に持って息を吹きかけた。


「ふーっ」


働き始めて4ヶ月、今まで検査に引っかかった人は見たことがない。


「問題なし」


担当者はモニターを一瞥し、短く告げた。

シュウジはそのまま通路を進む。

なお、空気中の魔素濃度もここの計測ブースで常時観測されている。

電光掲示板には大きく「3.2」とあり、健康上の問題がないことを示していた。


通路を進むと建物の外に繋がる扉がある。通り抜けると、そこには縦横10メートル超の巨大なトンネルが口を開けて待ち構えていた。


更にその開口部から30メートル程進んだところには、多数のセルで切り分けられた円形の構造物が、半円状のトンネルにすっぽり嵌まり込む形で鎮座している。

蜂の巣を輪切りにしたようなこの構造物こそが、ダンジョンの中と外を隔てる境界線、躙口である。


「順番にE1セルから入るぞ」


班長の指示で列が動く。

セルは直径1メートル、奥行き13メートル。

身を屈めなければ通れない。

ひとりずつ、頭を垂れて進む。


この躙口、材質はダイヤモンドよりも硬い謎の物質で出来ていて、ダイナマイトでも傷ひとつ付かない。よって、セルとセルの間をぶち抜くことも出来ず、ダンジョンを行き来する人間は例外なく頭を垂れる事を強制されていた。

当然、シュウジもそのひとりである。


躙口を通過した瞬間、シュウジは大きく伸びをした。

視界が拓けたその先には、複数の坑道に繋がる広場が広がっている。

天井から降り注ぐのは青紫の光。

魔素に反応した魔炭が、静かに発光しているのだ。


「なんだ、ケンは作業が始まる前からひと仕事終えたみたいな顔しているな」

「そりゃあ、狭い空間でハジメの後ろを通って来たんだもの。閉所恐怖症になりそうだよ」

「デブで悪かったな!おまえはもっと肉つけろ」


ハジメが笑いながら、シュウジの肩を軽く叩いた。

備品カウンターで装備を受け取る。

シャベル、ツルハシ、猫車。


本来、資源採掘は重機で行うものだ。

だがダンジョンでは違う。躙口を通れないからだ。


それに――


この空間では、電気が使えない。

理由は不明。だが事実として、あらゆる電気機器が沈黙するのだ。

結果、作業は原始的になる。


斯様の事情により、採掘は3つの役割分担で行われていた。

シャベルやツルハシで魔炭を掘り出す役、猫車で運ぶ役、猫車で運ばれてきた魔炭を躙口を通る小型の手押しトロッコに載せて運ぶ役である。


今日の割り振りとしては、シュウジもハジメも午前は猫車係で、午後は魔炭採掘だ。班の中でもヒエラルキーがあり、若手がトロッコ係に任命されることはまずない。


「今日は1番坑道だ、トロッコ係以外は全員ついて来い!」


先頭を行く班長の号令に従って、班員たちは壁面にぽっかりと開けられた横穴の一つに足を向けた。


――逃げ出したいな


シュウジは口を真一文字に結んで歩いた。

しかしこれから始まるハードな肉体労働を前に、心の中では弱気の虫が、一度だけ鳴いた。

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