黒
常若へ戻った村人たちはババの診察を受け、他の面々には帰還は一時中断だと伝えられた。原因不明の爆発が起こり、安全の確保がすぐには難しいため、ということだった。村人たちは不安を覚えながらも理解はしてくれたが、こと瑞においては合点がいかない。塔に戻り、3人顔を突き合わせるなり瑞が口を開いた。
「男がいた。髪も瞳も黒くて長身の、立っているだけで威圧感で気圧されそうな雰囲気だった。鼓の名前を口にして、俺のことも知っていた。爆発を仕掛けてきたのも多分そいつだ」
鼓の顔色が変わる。いつも飄々としていて、災害の時でさえ冷静な判断を下す彼の動揺した姿を目にしたのは希も瑞も初めてだった。
「そうか。いたんだな」と呟いた言葉の代わりに、現実を飲み込む。外れてほしかった予想の通りになりかけている、という現実を。
「どういうこと?誰に会ったの?」
状況を呑み込めない希が尋ねる。深く息を吸って長く吐き出した後、何から話そうかと弱々しく目を伏せてから、ゆっくりと話し始めた。
「そいつは間違いなく、“軌”という男だ。そして──」
一度言葉を切り、希を見た。
「忍の里を壊滅させ、望に甚大な怪我を負わせたのも軌だ」
空気が凍りつく。希はすぐには鼓の言ったことの意味を理解できなかった。
だってあの火事は突発的な山火事で、望の怪我は火事による火傷だと、そう言われてきたのだから。
「なんで、嘘、ついてたの……?」
やっとの思いで言葉を絞り出す。
「希、気持ちは分かるけど今は」
「ごめんなさい……」
瑞に諭され、渦巻く感情を抑え込む。俯く希を悲痛な面持ちで見つめて鼓が返す。
「いや、俺が悪いんだ。いつか本当のことを話さないといけないと思っていながら、ここに来るまで避けてたんだから」
きっと、鼓には何か考えがあってのことだというのは分かっている。それなら嘘に秘められた真意を知りたい。たとえどんなものであっても。
昏い濁流に飲まれまいと、希はうねりの奥底にある彼への信頼に懸命に縋りつく。
「先に話すのは今日のことからにしようか。
……俺には薄々感じていた、1つの予想があった」
「予想?」
「これまで常若に迎え入れた村には、2人の知らない共通点がある」
常若に迎え入れるということは、何らかの被害に遭い、元いた土地を離れたということだ。自然災害から賊による襲撃まで異なる被害を受けた村々に、一体何の繋がりがあるというのか。
「どうやら俺が常若で2人と暮らし始める前に所縁のあった土地だということ。一晩だけ宿を借りた村もあれば、道を尋ねただけの村もある。ただ間違いなく、俺がかつて足を踏み入れた場所なんだ。直近の被害地のあの村は、俺が初めて治水に携わった。当時は国の管轄だったが、最近になって村へ管轄が移ったと分かった」
こんな形で鼓の過去の一端を知ることになろうとは、希も瑞も思ってもみなかった。かつて国の要人の護衛で生計を立てていたとは言っていたが、それ以外にも国事に関与していたのか。強力な術の数々を操る鼓は重宝されていたのかもしれない。
今度は深く触れることの叶わなかった彼の過去が、急激に質量を増してのしかかる。
「共通点といっても、さっき言ったように関わった程度には差がある。それで確信が持てなかったんだが、今日の爆撃でほぼ確定だろう」
「どういうことだ?」
「これまでにも一度村に戻りたいとか、常若の外で用事を済ませるとか、そういう要望には可能な限り応じてきた。けど俺には仮説があったから、もしかしたら救助した人たちにも矛先が向くかもしれない。それだけは何としても防ぎたかった」
「……気配を、消してたのか。俺たち、村人たちのも」
「察しがいいな。その通りだ」
「ちょっと待って。軌からの攻撃を防ぐために気配を消していたなら、今日だって」
「術、掛けてなかったんだろ」
「少し違うな。正確には“気配を散らして”いたんだよ。それなら軌の攻撃も当たらせない」
碧緑の瞳が鋭く光る。希は鼓のことを初めて怖いと思った。村人たちを危険に晒したという事実に憤りを感じながらも、彼が自身の力に絶対的な自信を持って、敵対してくる相手に1人で立ち向かっていたこと、そして希や瑞にすら口外せず、それらが彼の未だ全貌の見えない計略の元に成されてきたということに対しての畏怖だった。
「これからも、被害に遭う人たちがいるってこと……?」
「できる限り過去に訪れた土地から俺の痕跡を消すために回っている。けど正直なところ、通り過ぎたくらいの場所までは手が回っていない。今回みたいにこじつけに近い理由で狙われることもある。
それに、軌は瑞も感じた通り、相当な力を持っている。俺が“風”を使うのを最も得意としているように、軌は“土”を使う力が秀でている。“土”に染み込んだものは“風”では完全には拭い切れない」
仙術を扱う者が、鼓の他にもいる。当たり前にあった可能性が事実として顕現し、次々と新たな疑問が湧いてくる。
「狙われているのは、鼓なの?」
「十中八九、そうだろうな」
そう答える鼓の顔からは、動揺や弱々しさは消え失せていた。10年という歳月は、己が狙われ続けていることへの恐ろしさを鈍らせるものなのだろうか。
「軌はどうしてそこまで……。鼓を狙うのも、なんで村まで標的にするのかも分かんないよ……」
「そもそも、軌との関係はなんなんだ?」
「あいつは俺の兄弟子だよ。蓬莱で修行していた頃のな」
さらに初めて聞く話に、これまで半信半疑だった蓬莱の話も相まって余計に混乱を生じさせる。
「それじゃあなおさら、なんで軌は鼓を狙ってくるの?」
「兄弟弟子同士の仲違いなんて珍しくないよ。後から現れた弟弟子が兄弟子にとって不利益だった。まあ早い話が、蓬莱の後継の座が俺に回ってきた。それだけだ」
淡々と話す鼓に、直感的に「違う」と瑞は思った。確証は持てなかったが、かつて自分に向けられた迫害の目は、異端の者、身元不明の者だから、というだけではなく他の理由によるものもあることを、幼いながらに感じていたからだ。
自分を預かると申し出てくれた錦と、その妻・榮に実の子供と同等の愛情を受けて育てられていたことを、瑞は歳を重ねるにつれて実感している。しかし唯一引かれた境界線があり、けれど決して疎外をもたらすものではなく、乗り越えることを許されているようでもあったその線が隔てた先には、希がいた。そして今も。
軌にとって鼓が不利益だったのは後継の座を奪われたからだけではないと、彼には思えてならなかった。
お読みいただきありがとうございました!
「軌」は自分が年齢を重ねるにつれてどんどん解釈が変化したキャラクターです。
今ではある種、最も感情移入のできる人物かもしれません。
どうぞ、よろしくお願いします。




