ⅩⅣ.メリーさんの電話
室内を見渡せば、ドア横の壁に設置された内線電話のランプが点滅している。昨日、当主から説明を受けた。各部屋に一台ずつあり、内部の者同士だけの連絡手段に使われると。
誰だろう? 受話器を取って耳に当てる。
「はい。中里です」
『……』
返答がない。
「もしもし?」
無言電話か。こんな時に。暫し逡巡していると、
『……♪』
可愛らしいオルゴール調のメロディが聞こえてきた。
『La~ラララLa・La・La~♪ ラララ~ラララ~♪』
この音楽は。葡萄塔の貯蔵庫を開けた時に流れてきた旋律と同じ、『メリーさんの羊』だ。
電話の相手は葡萄塔にいるのか?
『ラ~ラララLa・La・La♪ ラララ~LaLa♪』
「もしもし? どなたですか」
杳として応答はないが、音量が徐々に上がっていき、軽快な曲だけが不気味に流れている。
≪あたしメリーさん。今、貴女の後ろにいるの≫
昨夜。貯蔵室を開けた時の、夕実の言葉が蘇った。ゾクッと総毛立って、恐る恐る背後を振り返る。
が、当然の如く誰もいない。
『ラ~ラララLa・La・La~♪ ラララ~ラララ~♪』
ふいに音量が小さくなったかと思えば、けたたましく鳴り響き、極端な強弱が繰り返されている。昨夜、貯蔵庫の瓶に手を近づけたり離したりしてみた、あの時と同じだ。
イタズラ電話にしては妙だな。葡萄塔で何かあったのか?
以前、泥棒に侵入されたことがあると南亜は言っていた。内側の扉の立て付けが悪く、家政婦が閉じ込められたこともあると。
「もしもし? どうされたのですか? 何か応答してください。もしもし?」
よもや本当に不審者が。もしかして扉が開かなくなって、しかし不法侵入ゆえに声も出せず、助けを呼ぶに呼べなくなっているのかもしれない。
『ラ~ラララLa・La・La♪ ラララ~LaLa♪ ラ~ラララLa・L』
くそっ。埒が開かない。
俺は勢い良く受話器を切ると、貴重品だけジーパンのポケットに突っ込み、自室を飛びだした。
扉を閉めた時、入れ違いに隣室の扉が開いた。
「出ていけー!」
高浦の怒鳴り声がしたかと思えば、江藤が追い出されてきた。
ガチャリッ
内側から乱暴にサムターンが廻される音がする。高浦が施錠したのだろう。
「チッ。あの女」
舌打ちして扉を睨む江藤。
「何かあったのか」
俺が訊くと、
「ふっ。夜這いをかけようと部屋に入ったら入浴中で、少し覗いただけなのにこのザマさ」
江藤は肩を竦めた。
まさか高浦に手を出そうとしたのか……? 晩餐時の確執を忘れたわけではあるまい。あんな薹の立った年増の素っ裸に、萌えるものはないだろうに。女なら誰でも良いのか。
「覗きは犯罪だぞ。相変わらず最低だな、お前」
そうだ、こんな男にかまっている暇はない。
俺は踵を返すと、サージカル階段を駆け降りた。
家政婦が入浴中なら暫定、南亜しかいない。今の状況下において、とても信頼できる相手ではないが緊急事態となれば話は別だ。
一階に辿り着くと、ちょうど南亜が照明を控えた薄暗い廊下を歩いてくるのが見えた。
南亜は階段の手前にある雪隠に入っていく。
早く内線電話の一件を伝えなければ。俺は廊下に廻って、小走りで雪隠に近づいた。
十数秒ほどして流水音が聞こえ、南亜が出てくる。
「どうしたんだい中里君」
切羽詰まった俺の表情を見て目を丸くするが、やがて小さく笑うと、
「こめんごめん、トイレ待ちだったんだね。どうぞ、洩らさないうちに」
「いえ、そうじゃなくて。実は――」
俺は手短に先刻の一件を報じた。
「何だって。〝メリーさんの羊〟?」
「はい。誰何しても応答がなくて。懸命に呼び掛けたのですが、ただ聞こえるのは――」
「〝メリーさんの電話〟だね」
語を継いだ南亜。指先を顎に当てて暫し黙考した後、
「葡萄塔で何かあったのかもしれない。急いでランタンと鍵を取ってくるから、少し待ってて」
素早く踵を返す。
廊下を直進し、闇に消え行く南亜の後ろ姿を、俺は引き画を目に焼き付けるように見惚れていた。




