ⅩⅢ.中里文子の思議
二十時三十分。俺が食堂に赴くと、ダイニングキッチンに南亜の後ろ姿があった。彼は片手鍋を中火で煮詰めていた。沸騰してから弱火にし、ボールの中で泡立てた白い液体を加え混ぜる。鍋を火から下ろすと、中身を絞りだし袋に詰め、クッキングシートをひいた天板に絞りだしていく。直径七cmくらいの膨らみだ。シュークリームの皮でも焼くつもりなのか。
調理台には使いかけのグラニュー糖、重曹、コーンスターチの袋が乱雑に置かれ、白い粉が飛び散っている。別のボールに卵黄と卵の殻が入っていた。
「甲斐路さん」
いつになく忙しない彼の背中に声をかけると、南亜は華奢な肩をビクッと震わせた。ちょうど件の生地をオーブンに入れたところで、半身振り返った。
「――中里君? どうしたんだい?」
「よろしければ厨房を手伝いますが」
手持ち無沙汰の俺は、南亜を気遣って申し出る。
「平気だよ。デザートの試作品に、明日の仕込みをしていただけだからね」
とその時、
「さぁて、そろそろプリンが固まった頃かな」
江藤がズカズカとリビングに入ってきた。晩餐の席での出来事はすっかり忘れているのか。性懲りもなく、食い意地だけは一丁前だ。
かくいう俺も、それとなく南亜を偵察しつつデザートをいただきに来たのだが。晩餐をほとんど食べなかったせいで、腹ペコなのだ。
「プリン……? ああ、冷蔵庫に冷えていると思うよ」
南亜はオーブンの前にかじりついて、心ここにあらずといった様相である。
「家政婦さんは」
「優紀なら自室にいたよ。彼女は昔から早寝早起きでね。九時には入浴して十時には床に着く習慣なんだ」
そうだった。昨晩も同じことを聞いたではないか。
その後、リビングで無事に俺たちは遅めのデザートにありつけた。良く冷えたイタリアンプリンはカラメルが染み込み、固めの食感と濃厚なマスカルポーネが舌の上でとろけた。
食べたのは俺と江藤だけで、夕実は食堂へ姿を現さなかった。
人数分のプリンは三つ余ったので、彼らの分まで江藤は平らげた。招かれざる客のくせに、この男には遠慮というものがないらしい。
二階に戻ると、俺は手前の自室を素通りして廊下を奥に進み、もう一度物置部屋を確認した。
足の踏み場もなく物が散乱していた室内は、今日一日で半分ほど片付いていた。明日にはすべて終わりそうだ。
ケーブルカーか路線バスが復旧し次第、一刻も早く葡萄館を離れて杏柰を病院に連れていかなくてはいけない。
ブーダゥの宝石は。今のところ、それらしきものは見つかっていないが。
カチッ カチッ
相変わらず壁掛け時計の針は逆回りに進んでいる。規則正しい機械の呼吸音が室内に響いていた。
納戸を出ると、隣の高浦の部屋からちょうど南亜が出てきたところだった。
この期に及んで、家政婦と胡乱な打ち合わせをしていたのか。俺は敢えて声をかけず、去り行く当主の後ろ姿を見送った。
自室に入ってスプリングベッドに腰を下ろすと、やはり得も知れぬ不安が押し寄せてくる。俺はずっと何かが引っ掛かっている気がした。葡萄館に足を踏み入れた時から――。
甲斐路南亜と高浦優紀。あの二人が良からぬことを企んでいるのは、もはや疑いようがない。そして招かれざる客たちを、何らかの形で始末しようとしていることも。夕食の席で、高浦の江藤に対する態度は露骨だった。ディナーに一服盛られているのでは、と勘繰ったほどに。
南亜が家政婦に囁いた『急いだほうが良い』とは、どういう意味だ? まさか――
さすがの彼らも人殺しまではしないだろうが。江藤と夕実はともかく、少なくても俺と杏柰に危害は加えないはずだ。
そもそも何故、キナ臭い秘密を抱えた葡萄館の所有者が、部外者の人間を遺品整理のバイトに雇ったのだろう。自分たちだけで処理すれば済むものを、リスクを冒してまで。
『ブーダゥの宝石だよ』――またしても南亜の言葉が甦る。彼にとってよほど大事なもので、何が何でも手に入れたいということか。
いずれも俺には荷が勝ちすぎる。
とにかく今は葡萄村の回復を待つのみだ。それまでに与えられた仕事をこなし、あとぐされなく葡萄館を出れば良い。杏柰と伴に――。
そうだ。杏柰だ。今一度、様子を見に行かなければ。
ベッドから立ち上がった時、
トゥルルルル
けたたましい電子音が室内に鳴り響いた。




