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1.温いスープと、私の『華麗なる計画』

セレニータ王国の王都に構える、我がキャンベル公爵邸。


そのダイニングは、控えめに言って地獄のように冷え切っていた。

最高級の絹のクロスに、きらめく銀食器。東のエレグマニア帝国から密輸した激レアな砂糖を使ったお菓子。並ぶものは一級品なのに、空気のピリつき具合は最悪である。


「ジェシカ。お前のみすぼらしいミストホワイトの髪も、少しは我が家に富をもたらす役に立つ時が来たようだぞ」


上質な肉を優雅に切り分けながら、私の父親である公爵が平然と言い放った。私はアメジストの瞳をパチリと瞬かせ、脳内で盛大にツッコミを入れる。


(出たわ! 朝一番から実の娘を値踏みするお決まりのセリフ!)


私の見た目は、誰もが守りたくなる儚げな美少女。だけど中身は、超合理的で元気があり余るタフネス令嬢。それが私、ジェシカだ。


温いスープをスプーンですくい、営業スマイルをペタッと貼り付ける。


「お父様、私のような未熟者が、公爵家にどう貢献できるのですか?」

「王家の血を引くパトリック伯爵との縁談だ。すでに話は進めてある」

「……パトリック伯爵、ですか」


その名に、私の眉がピクリと動いた。

パトリック・バレンタイン伯爵、35歳。洗練されたイケおじであり、この国屈指の「投資の天才」だ。


すると、横で優雅に紅茶を啜っていた母親が、意地の悪い笑みを浮かべて参戦してきた。


「良かったわね、ジェシカ。パトリック伯爵はおじさまだけれど、次期女王カテリーザ王女の遠い親戚よ。あなたのその頼りない見た目なら、男の庇護欲をうまく刺激できるでしょう。せいぜいおねだりして、我が家に有利な投資先を引き出しなさい」

「まあ、お母様。私にそのような大役が務まるかしら」


首を可愛らしく傾げてみせる私。もちろん、1ミリも本気じゃない。


この両親は何も知らないのだ。

私が、我が家の莫大な資産の出どころをすべて裏で突き止めていることを。東の帝国との密輸。そして、権力をかさに着た最悪の犯罪――人身売買。


「とにかく、今回の婚姻は絶対に失敗が許されん」


父親がワイングラスを傾け、鋭い視線で私を睨む。


「エレグマニアの商人が、次の『商品』の質にやたらとこだわっていてな。西のカスティル王国から流れてくるスパイス商人を出し抜くためにも、パトリックの持つ港の利権と資金がどうしても必要なのだ。お前の余計な感情でもって、破談にするような真似は許さんぞ」


我が子を人間と思わず、ただの「便利な貿易品」としか見ていない言葉。

私の胸の奥で、カラン、と冷たい音がした。両親へのわずかな情が、綺麗さっぱり消え去った音だ。


(うん、知ってた! 知ってたけど、本当に救いようのない人でなしね!)

人身売買の手駒にされるのも、犯罪者の道具で終わるのも、絶対に御免だ。


「かしこまりました、お父様、お母様」


私は席を立ち、完璧な淑女の礼を決める。


「パトリック伯爵との面会、喜んでお受けいたします。公爵家のために、私のすべてを捧げる覚悟で臨みますわ」

(ええ、もちろんパトリック伯爵を利用させてもらうわよ! あのおじさまと繋がって、絶対にこの家から脱出してやるんだから!)


痛快な計画を脳内でスタートさせた私は、弾む足取りを隠しながら、冷え切った食堂を後にした。



数日後。王都にあるパトリック伯爵邸の、陽当たりの良いテラス。


白磁のティーカップから、極上の茶葉の香りがふわっと立ち上っている。


「…というわけなんだ、ジェシカ。君のご両親から熱烈な打診があってね。断ることもできたのだが、君が公爵邸でどう扱われているかを聞いて、放っておけなくてね」


金髪を上品に整えた35歳の大富豪、パトリック伯爵は、困ったように眉を下げて微笑んだ。佇まいは完璧なジェントルマン。そして中身は、驚くほど純粋な善人だ。


「パトリック様。私を助けるために、わざわざこの政略結婚に応じてくださったのですか?」

「ははは、結婚だなんて! 私は君を、可愛い姪っ子のように思っているんだよ。だから、形だけの婚約者を引き受けた。君をあの家から合法的に引き離すための盾さ」

「まあ……!」


私の瞳が輝く。嫌いではないどころか、大好きな、尊敬できるおじさまだ。


「ですが、私はただ守られるだけの存在でいるつもりはありません。いつかあの親たちを見限って、完全に自立して生きていくつもりです」

「おや、言うね! さすがはキャンベルの血を引くお嬢さんだ。気が強くて安心したよ」


パトリック様は愉快そうに笑うと、机の上に何枚もの書面を広げた。そこには細かな数字や、他国の地名がびっしりと書かれている。


「ならば、将来のために私のノウハウを教えよう。生き残るための、最大の武器だ。いいかいジェシカ、お金というのはね、ただ貯めるのではなく、動かすものなんだ。これが『複利』の仕組みでね――」

「複利……。つまり、元本から生まれた利益が、さらに利益を生むということですか?」

「素晴らしい! 一を言えば十を理解するね。貿易株の読み方も教えてあげるよ。例えば西のカスティル王国がスパイスの減税を始めたら、どこの船団の価値が上がると思う?」


年の離れた形式上の婚約者による、密かな経済の英才教育。私は嬉しくて楽しくて、パトリック様の知識をスポンジのように吸収していく。


(これよ、これ! お金さえあれば、どこでだって生きていける! 待ってなさいよ、人でなしの親たち。たっぷり勉強して、あなたたちの想像もつかない方法で、綺麗さっぱり消えてあげるんだから!)


セレニータ王国の片隅で、私、公爵令嬢ジェシカの『華麗なる家出計画』が、今、めちゃくちゃご機嫌に動き出そうとしていた。

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