エピローグ
記憶をさかのぼって、あなたに会いに行きます。
一つ一つ文字にしたためて、もう一度あの夕日を見に。
2008年7月9日、西城康介、○○病院にて
消毒の匂いが鼻を突き、効きすぎたクーラーに少し、鳥肌が立つ。
妙に静かな廊下は綺麗に掃除されていて、自分の歩くスリッパの音だけが反響していた。
皆昼寝をしているのだろう、耳をそばだてればドアの向こうから寝息が聞こえてくる気がして、そんなのどかな昼下がりだった。
一つの病室の前で、立ち止まる。
花とカバンを持ち直し、ひじでドアを開けると、その部屋には一人の女が寝ていた。
その体にはいくつもの管がつながれ、それに連なる機械は、一定の間隔で「イー、イー、イー」と、機械音を発している。
俺はカバンを置いて、窓辺に花を生けてから、そっと、ベッドの横にパイプ椅子を置いた。
「すみれ」
ぶくぶくにむくんだ手をそっと取り、名前を呼ぶ。
むくんでいても、ひんやりとして、きめ細かくて、心地よい手だ。
両手で包み込むように、割れ物を触るようにやさしく握る。
握る。
いくら繰り返し握っても返事はなく、しかし、いつか握り返してくれるだろうと彼女の手を握り続けた。
ふと手の肌を見る。
日に日に荒くなってゆく自分の肌のきめと、あのころと変わらない彼女の手を見て、重い溜息を漏らした。
「歳を、とったなあ」
苦虫を噛み締めるような、それでいてどこか子供を愛しむような声で言う。
年を重ね、体は老いて前ほど動かなくなり、物忘れもひどくなった。
当たり前にあるのに、少し前まで身近にはなかった「老い」という物が、今になってはひどく身近で、怖い。
朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、寝る。
そのすべてに「老い」が付いて回っていた。
そのせいで、何もかも億劫に思えてくる。
しかし、それが自分にとって贅沢な悩みだということも理解していた。
目の前の、すみれの時間は止まっているのだから。
ベッドに横たわり、目をつむっている彼女は、その時間に取り残されてしまっている。
そう思うと一層辛く、俺は少し強くすみれの手を握った。
そんなことをしても握った手から反応はなく、その代わり、規則正しい機械音が寂しく鳴り続けていた。
「……」
昼下がりだというのに部屋は薄暗く、効きすぎたクーラーにまた、鳥肌が立つ。
俺はパイプ椅子をそっと片づけ、娘にそっとキスをして病室を出た。
読んでいただきありがとうございました!
今回初投稿です、いかかだったでしょうか?
まだまだ未熟ですが、これからよろしくお願いします!




