安曇川 志保 ①
――次のニュースです。藤木戸剣介さん32歳が行方不明になりました。最後に目撃されたリアンタワー最上階には、藤木戸さんの血痕と刀が残されていました。また、重要参考人として剛田侍郎さん32歳が任意同行に応じた後、パトカーの中で突然姿を消したといいます。警察は藤木戸さん、剛田さんの行方を追っています。
――このふたりは世界的に有名なリアンプレイヤーですね。高校時代からの交友関係で、赤の藤木戸、緑の剛田と呼ばれ常にトップを争いあっていたそうです。
*
締め切ったはずのカーテンの隙間から差し込む光が目に痛い。わずかな間から入ってくる太陽なんて、適当なウジ虫よりも気色悪い。
六畳間に簡素なダブルベッドの置かれた自室で冷たい床に座り込み、私はラジオのハンドルを回していた。音が無いと怖い。何かしてないと生きる意味さえ分からなくなる。手回し充電のラジオはそんな私のニーズを綺麗に満たしてくれた。
「生きる意味なんて」
たびたび、思うことがある。何のために生きているのだろう。いや、今は生きていると言えるのだろうか。血が噴き出るほど拳を壁に打ち付けてみても、まるで痛みを感じなかった。実はもう死んでいて、だから痛みを感じないのだと言われたほうが納得できるし、救われる気がする。
――リアンと言えば、若者たちの間で都市伝説が流行っているそうですね。なんでも、4枚のブランクカードの入ったパックを引き当てると、ゲームの世界に迷い込むとかなんとか。
若者の間では、藤木戸さんや剛田さんはゲームの世界に行ってしまったなどと噂されているらしい。
思わずハンドルを回す手を止めてしまう。
「……都市伝説、だよね?」
想像をしてしまう。
一度始まった想像は止まらない。
もし、私がゲームの世界に行けるのなら。
音がした。
足音。
廊下のほうから。
ふたり。
片方は母親だ。
「……」
ドアが乱暴に開けられたと思ったら、私は背中を蹴り飛ばされベッドに伸びるように倒れこむ。
それからのことは覚えていない。
しばらくして1階のシャワーで全身を洗っていると、新しく出来たアザたちに突き付けられた現実に気が滅入りそうになる。
無意識に首筋を掴んでいた右手も、怪我のためか強く握ることはできなかった。
壊したい。まだ生きようとする自分を。この世界の片隅にこびりついたカビのように生き続ける自分を、壊したい。
消えてしまいたい。
*
生きるなら、学校には行かなければならない。連休明けの月曜日というのもあって、もうお腹が空いて倒れそうだ。這ってでも登校しなければ間違いなく命を落とすだろう。
「ごめんね、シホ。今日は炭水化物しかなくて」
「ううん、いつもありがと」
昼休み。隣の席の親友、ナツミが塩パンを半分に千切って小さい方を渡してくれる。極度の空腹時に一気に食べると苦しくなるから、ひとつまみずつよく噛んで喉に通していくしかない。
「小さい方で本当に平気?」
「うん、正直もうお腹いっぱい。残りは帰り道で食べようかな」
食事は生きていて一番幸せな時間だ。魂というのだろうか、心身の奥深くが蘇ってくるような感覚がある。塩パンに味があるわけではないし、食感も砂を噛んでるようだが、それで十分。食べ物は腹を満たしてくれればそれでいい。
ふと窓のほうに視線を移す。雲ひとつ無い空。太陽光の刺激で気分が悪くなりそうだ。
教室は他の生徒も各々のグループで食事をしていて、耳をつんざくような笑い声を上げている。
「ね、シホ。すっごい突然なんだけどさ」
「え、何?」
ナツミは鞄から黒い箱を取り出す。大きさは文庫本サイズ。パッケージには【Lien Black Nethssive】と美しいロゴが描かれている。
「リアンっていうカードゲームを始めようと思ってるんだけどさ。一緒にやってくれる人いなくて。お願い! 一緒にやろ!」
「え。えぇ……本当に突然だね、ナツミは」
正直、困惑した。私は四六時中ぼうっとしているし、カードゲームのような考える作業はあまり向いてない。
それに何より、こういった趣味はお金が掛かると聞いている。校則はバイト禁止だし、自販機の下を漁るだけでは十分な資金は用意できないだろう。
「お金が」
「お金は私が出すから!」
両手をパンッと合わせて頭を下げてくる彼女。そこまでされると、いつもの恩義もあって断りづらい。今こうして生きているのは彼女のおかげだし、彼女に尽くすのは当然のことだと思う。
「分かった、一緒にリアンで遊ぼ」
「おー、ありがと!」
聞けば、リアンの都市伝説をネットで知り、色々調べている内にリアンそのものに興味を持ったんだとか。
彼女は黒い文庫本サイズの箱を私に手渡す。これはスターターと言って、ゲームに必要な40枚のカードに加え、デッキを強化するためのパックが1袋入っているらしい。
「リアン……ブラック……“ネゾシヴ”」
パッケージに書かれた文字を呟くと、箱の中から気配を感じた気がした。
*
歩行者はおらず、たまに自動車の通る程度の静かな道。追突事故が起きたらしく、中年の男性警官が交通整理をしていた。あれはたしか、昨日私の部屋に来た男だ。
下校ルートから外れてカードショップに向かっていたのだけど、とんだ不運の遭遇にイラついてしまう。話しかけられないようにしておこう。
「ほんとに突然誘われてびっくりしたけど……結構、助かるかも」
「なんで?」
「今まで下校したら、夜遅くまで公園で時間潰してたからさ」
「あぁ、カードショップならデュエルスペースがタダだもんね」
雨風を凌げるし、暴漢に襲われることも無くなるかもしれない。もちろん家に帰れば話は別だけど、安心できる場所が増えるのは心からありがたく思う。
「おー、じゃあ夜遅くまでやり……対戦し放題だね」
もちろん遅くなりすぎると補導の対象なって面倒になる。親が教育委員会の人間で警察にもコネがあるため、補導の件は揉み消されるだろうが。その条件として、どんな罰が待っているかは想像に難くない。
「消えてしまいたい」
ふっと言葉に出てしまう。
小声だったが、ナツミにはしっかりと聞かれてしまったようだ。
そして、ちょうど後ろにいた男ふたりにも。
「そいじゃあちょいと路地裏まで消えようぜ」
脇腹に突き刺されるような電流の痛み。
筋肉が硬直し、立っていられなくなる。
警官は見ていない。見ていたら男たちに加勢しているだろう。他に通行人もなく、助けてくれる人はいない。
私はいい。でも、親友を傷つけられるのは……!
暗くジメジメした路地裏。カビの匂いに、思わず自分を連想してしまう。
見上げた空も日は暮れかけ、鬱陶しい光はもうない。
ただ、隣に倒れているナツミの姿は、少々不快に思う。口に猿轡をされ、何か叫ぼうとしているようだけど声は上がらない。一体誰に助けを求めようとしているのだろう?
男のひとりは私に、ひとりはナツミに付いている。男たちは自らの衣服を脱ぎ、片手でスマホのカメラを向けながらもう片方の手で私たちの髪を掴み、股間を近づけてきた。
「おい、叫ぶんじゃねえぞ」
ナツミに付いているほうの男が彼女の猿轡を外した次の瞬間、興奮している男の股間目掛けて、彼女は杭を打ち付けるように頭突きを繰り出した!
「あ”あ”あ”あ”あ”」
その一瞬を見ていたらしく、私に付いていたほうの男の杭はすぅっと力を失いへたり込む。た、助かった?
いや、逆だ。男たちを激昂させるであろう彼女の判断は、むしろ彼女を窮地に追い込むことになる。
杭を打たれたほうの男は置いていたズボンからスタンガンを取り出し、ナツミの首に突き付けた。
閃光と炸裂音の後、糸が切れたように彼女は崩れ落ちる。
まずい。棒を失ってしまった男はその恨みを棒以外で晴らそうとするだろう。
男はナツミの襟首を掴み、拳を振り上げる。
「やめッ……!」
私が思わず叫んだその時、口を力強く防がれる。
「大人しくしていろ」
響いた音は、鈍くて不快なものだった。
何度も、何度も何度も。
助けることができない、私は無力だ。
壊したい。
消えてしまいたい。
もう、こんな世界なんて……。
壊したい。
自分を?
違う。
こいつらを。
こいつらだけじゃない。
救いの手を差し伸べてくれない、この世界のすべて。
壊したい。
そうだ。
女子高生という社会的弱者の、正当な復讐だ。
私は、私を押さえている男に蹴りを食らわせる。もちろん体格の差があるから効果は無い。あくまで、私は足を使って攻撃したという事実を認めさせるのが目的だ。
男は片手で私の口を防ぐ必要があるから、両手に加えて足まで使う私を止めるには手が足りない。ではどうするか?
予想通り、男は地べたに置いていたスタンガンに手を伸ばそうとした。
その瞬間、私は口を押えていた男の腕に飛びつく。
さすがに片腕では支えきれなかったのだろう、急にのしかかった重量に耐え切れず男は体制を崩した。
口を押えていた手が緩む。
今なら叫んで助けを呼ぶこともできるだろう。でも他人に期待するのは無駄だし、私の狙いはそこじゃない。
男の指を一本、口で咥え込む。奥歯に当たるところまで。
私はそれを、全身全霊の力を込めて食いしばる。
男の悲痛な叫びが耳に心地よい。
久しぶりに、味を感じた。鉄のような味の液体が、とろりと口の中に広がる。
(ほう、見上げた勇気だ)
どこからか声が聞こえた気がした。私の心の声だろうか。それにしては少し渋いけど。
ひとまず、ただの女子高生にできるのはここまで。目の前でスタンガンを鳴らしている男の姿に、何も感じることはなかった。あとはいつも通りだ。
いつもと違うのは、すぐ近くに親友がいること。
守ってあげたかったな。
バチバチと破裂する閃光が、すぐ目の前まで迫っている。
もし次に目を覚ますことがあれば、そのときはもっと大きな復讐をしよう。
(下劣に抗う勇気ある者よ。俺が力を貸してやろう)
幻聴かな。さっきの渋い声が、また聞こえる。
目の前の男は驚愕の表情を浮かべ、空を見上げていた。
天を覆いつくす6つの黒い翼。筋骨隆々の肉体は黒みがかった紫色で、幻覚でもなければこれはまさに悪魔と呼ぶにふさわしい禍々しさを持つ。不思議と、私は恐れを抱かなかった。どう見ても人間でないのだから、恐怖など覚えることはない。
「復活直後で体が重いが……貴様らで鈍った力を目覚めさせるとしよう」
悪魔がふわりと地上に降り立った瞬間、男たちは腹に漆黒の剣のようなものを突き刺されて呻きを漏らしながら崩れ落ちる。何をどうしたのかは見えなかった。私の動体視力がどうとか、そういう話じゃない。人間の域を遥かに超えた存在だと直感する。
「人間などこんなものか。またニート殿と戦いたいものだ」
「ば、ばけもの……」
スタンガンに手を伸ばす男。だがその手は悪魔に踏みつけられてしまう。
腹から血を流し苦悶の表情を浮かべる男に対し、悪魔は無慈悲に蹴り続ける。もうひとりの男はすでに事切れたらしく、ピクリとも動かない。
悪魔は私に一瞥をくれる。
「俺は大悪魔ネゾシヴ。貴様が召喚主だな」
召喚主、という耳慣れない言葉に疑問が浮かぶが、すぐにその意味を察する。
例の黒い箱にはネゾシヴと書かれていた。悪魔がカードゲームの世界から飛び出してきたのだ、と愚考できる。
(そんな非現実的なことが……)
それ以外に説明が付くだろうか。
心は思考を放棄したがっていた。
受け入れたいんだ。私を助けてくれた、目の前の現実を。
人間が蹂躙されるこの光景を。
「貴様が召喚主だな」
ネゾシヴは再度、私に尋ねる。
私は笑みを浮かべて頷いた。
「では召喚主よ。俺は召喚主に従おう。この下劣で愚かな人間をどうする? 急所は外しているから、助けようと思えば助けられるぞ」
男はぐちゃぐちゃに蹴られながらも、私に何かを訴えかけるような目を向けてくる。
「ふふ、じゃあ助けてあげて」
「承知した」
ネゾシヴは男を蹴って仰向けにさせてから剣を引き抜いた。そこにはべっとりと血が塗られていてゾクゾクする。
「治療は苦手なのだがな。スキル、ネガティヴ・バース」
呪文の詠唱だろうか。短い言葉の後に、ネゾシヴの全身から黒い靄が放たれる。
「ネガティヴ・バースは相手を沈黙させた上で、ダメージを無かったことにするスキルだ。回復とは少し違うが、これでいいな?」
男の傷がみるみる塞がっていく。体は血みどろだが問題なく動きそうだ。口をもごもごさせ何か言いたそうにしているが、なぜか声が出ない。男は手足をバタつかせながら一糸まとわないまま駆け出して行った。とは言えここは路地裏。ゴミ箱や立てかけられた掃除道具など、障害物もあって道に出るまで時間が掛かりそうだ。
「ん」
近くに倒れていたナツミの瞼がゆっくりと持ち上がる。
「何これ」
ナツミの目前には剣を突きさされ倒れた男と、そして彼女を見下すように一瞥するネゾシヴ。
「ひっ」
「安心して、ナツミ。この悪魔は私たちを助けてくれたんだよ」
蛇に睨まれた蛙のように小さくなって震えるナツミ。
ネゾシヴを信用してもらう必要がありそうだね。
「ネゾシヴ、もう一度お願いを聞いてもらえない?」
「欲張りな召喚主だ」
「あの男を連れてきて」
「承知した」
嫌な顔ひとつせず、悪魔は翼を広げ滑空する。
もう一歩で道に出られるというところで男は首根っこを掴まれ、再び路地裏に引きずりこまれた。
「帰れると思った? 思ったよね? 残念だったね」
最初からこの男を生還させる気など微塵もない。それに、ネゾシヴが私たちの味方だとナツミに信じてもらうには、この命を使うのがちょうどいいと思う。
「急所を外して剣を刺して」
「承知した」
冷たい顔のまま、ネゾシヴは漆黒の刃を男に突き立てる。
「苦しそうだね。助けてあげて」
さっきの黒い靄の呪文が使われる。男の傷が治っていく。
「刺して。助けてあげて。刺して。助けてあげて」
下等生物が何度も何度も、何度も何度も苦しめられる様は、心がすぅっと晴れやかになるほどに愉快でたまらない。
「ネゾシヴ、そろそろ逃がしてあげて」
男は死んだ目を虚空に向けながら、ゾンビのように這いつくばって路地裏を出ようとする。
「連れ戻して」
生還できるかもと希望を持たせ、失意のどん底に叩き落とす。なんという快楽だろう。
「ねぇ、シホ。なんで笑ってるの?」
「え? なんでって?」
質問の意味が分からず、間の抜けた声を出してしまう。
「ごめん。先、帰るね。助けてくれてありがとね」
何か用事でも思い出したのだろうか。ふらつきながらも駆け足でその場を去っていく。
せっかく楽しいものが見られるのに、もったいない。
「……萎えちゃったな。もう壊していいよ」
男の汚い顔面がふるふると震える。
「せっかくだ、あの殺し方にするとしよう」
ネゾシヴは漆黒の剣を、男の首に目掛けて振り下ろす。首はごとりと地面に転がり、豪華な血の花びらが舞う。
人の命が散る。それが、こんなにも高ぶるものだったなんて。
「召喚主よ。まずは名前を教えてくれるか?」
「安曇川 志保。苗字は嫌いだから、シホでいいよ」
「ではシホ。俺は悪魔だ。悪魔は人の命令を聞くとき、本来は契約を交わさなければならない」
空間に切れ目が入り、そこに直径30cm程度の穴が生まれる。ネゾシヴがその穴から羊皮紙と羽ペンのようなものを取り出すと、穴はひとりでに閉じて消えてしまう。
「先ほどは緊急だったから契約なしで命令を受けたが、事後承認ということでこの契約書にサインをしてほしい」
その羊皮紙には見たこともない文字が使われていた。何と書いてあるかは読むことができない。
「サインしなかったら?」
「俺が独断でやったことになるだけだ。貴様に不利益があるわけではないと約束しよう」
「断ることもできる、と」
そんなつもりはない。ネゾシヴは私たちを助けてくれた。私に喜びを教えてくれた。お礼にもならないだろうけど、サイン程度は快く引き受けなければ。
ただ、契約書の内容がイマイチ分からないのが不安だ。
受け取った羊皮紙をじっと見つめてみるが、やはり読めない。
「そこに書かれているのはな」
ネゾシヴが説明してくれる。
「俺がシホに力を貸す。代償として、貴様の心の一部を食わせてもらう」
心を? それは、少し怖い。
「嘘や隠し事などという下劣な行為は嫌いだ。すべて正直に言わせてもらったが、怖気づいたか?」
首を横に振る。
破滅的なものを意味していても構わない。私の願いは何もかもを壊したい。自分が壊れたって構わない。
羽ペンで羊皮紙の右下に記入する。一線を超えたからか、不思議と心の内がすっきりした気がする。
視界が急に鮮やかになる。建物の隙間から差し込む夕日が壁に反射し、暖かな光が私たちを包み込んでいる。
思考回路が心なしかクリアになり、今ならどんな方程式でも一瞬で解けるような気さえしてきた。
「心の一部を食べるって、まさか」
「そうだ。貴様の心を抑圧していた、恐怖という心を食わせてもらった」
「すごい……」
正義が形を成した存在。それがネゾシヴなのかもしれない。そう思うと、ぶわっと涙が溢れてくる。
「む。食い足りなかったか?」
「ちが、これは、嬉しくて……」
涙が止まらない。今まで押さえつけられていた心のダムが決壊したかのようだった。
「えぐっ……えぐっ……」
「もう大丈夫だ」
止めようと思っても止まるものではなかった。人前で、もとい悪魔の前で見せられないようなぐしゃぐしゃな顔になってるのは分かってる。
「もう大丈夫だ」
そう言って、ネゾシヴは私を両腕で抱きしめてくれた。私の顔をその分厚い胸板に押し付け、見えないようにしてくれている。
涙が枯れるまで、数分は彼の胸で泣き続けた。
「ごめんなさい。もう大丈夫」
「そうか」
袖で涙を拭う。目が腫れてるだろうから、恥ずかしくて彼の顔は見れない。
「ところで、シホ。俺を召喚した魔道具は、そこの鞄の中か?」
ネゾシヴが尋ねてくる。魔道具、というのは分からないが、召喚に関係したものなら、きっと黒い箱のことだろう。
鞄から『Lien Black Nethssive』のスターターを取り出して見せた。
「これは……ニート殿と同じ種類のものか」
「ニート殿?」
「俺が召喚される前、いた世界で戦った男だ」
ひどい名前の男もいたものだ。
ひとつ都市伝説を思い出す。ブランクカード4枚の入ったパックを手に入れると、カードゲームの世界に行けるという話だ。もちろん都市伝説だし信ぴょう性は無いと思っていたけど、悪魔を直に見た後ではそんな都市伝説も信じてみたくなる。
「ネゾシヴのいた世界は別にあるの?」
「ああ。少なくとも周囲の建物のようなものは、俺の世界には無いものだ」
「なら、ネゾシヴの世界に行ける?」
人間の世界にいる価値は無い。
「その魔道具を使えばいけるんじゃないか?」
悪魔の世界に行こう。
私は黒い箱を開封し、中身を取り出す。40枚のカードに加え、パックが一袋。
深呼吸をひとつ。
怖いものなどない。
悪魔の世界に行こう。
「パックの中身は」
中身は『大悪魔ネゾシヴ』と書かれた煌びやかな装飾のカード、それと、空白のカード『ブランクカード』4枚が封入されていた。
手元からブランクカードがひとりでに宙に舞う。4枚のカードが私とネゾシヴの周囲をぐるぐると回り始めた。
「む、これは転移の魔術か……? シホ、一度退避するぞ」
「ううん、このままで」
「承知した」
*
このだだっ広い部屋は、大理石で作られているのだろうか。床も壁も天井も上等な素材で一面を覆いつくされている。黒と白のブロックが市松模様に並んでいてチェス盤を彷彿とさせた。
部屋にはいくつものソファとモニターが無造作に置かれており、6人の人間……否、5人の人間と、1人の人型生物が、それぞれソファに腰かけている。
「おや、新しい参加者かな」
人型生物がゆっくりと、音もなく立ち上がり、私に体を向けた。声から察するに男性だろうか。シルクハットを顎まで被って顔が見えず、首元も襟が立っているせいで肌が見えない。首から下はしわひとつない白いスーツに黒いネクタイ。手にはシルクの手袋と、全身のどこを見ても生物を感じさせない人物だ。人間かどうかの判別さえできない。ネゾシヴのような異形だったとしても不思議ではない、変わったオーラを放っていた。
「どうぞ、ソファに。このリアン・タワーの支配者様より、お話があるそうですよ」
「リアン・タワー?」
ネゾシヴの住む場所だろうかと思って彼に聞こうと姿を探すが、どこにもいない。少し、不安な気持ちを覚える。
(俺は魔道具の中にいるぞ)
(あ、カードの中ね)
(意志の疎通はできるようだな)
ひとまず、言われるままに空いているソファに座った。
部屋のすべてのモニターに光が入り、少女の姿を映し出す。色素の薄いというか、生気の無いような印象だ。
彼女の口から、驚くべき言葉が紡がれる。
「これから皆さまには、殺し合いをしていただきます」
続けてモニターに、8人の名前が表示された。名前の後ろには、覚えやすいようにするためか各員の特徴も記されている。
参加者リスト
剛田 侍郎(番長)
モノクロ(シルクハット)
光明寺 正義(警察)
火打原 聡美(モヒカン女)
清水 可憐(Gジャン)
古木 翠(働いたら負けTシャツ)
安曇川 志保(女子高生)
藤木戸 剣介(不在)
『ネガティヴ・バース』
カード種別:スキル
コスト:黒5エネルギー
効果:相手のモンスターをすべて沈黙し、ダメージを取り除く。その後、あなたのドロップゾーンからカード名に『ネゾシヴ』を含むモンスターを1枚まで選んでコストを支払わず召喚し、速攻を付与する。
悪とは、秩序にさえ阻害されぬ真っ直ぐな剣である。 ――大悪魔ネゾシヴ




