戦神、降臨。
真っ白な雲の隙間から、心地よい日差しが降り注ぐ。暖かな風は草と土の香りを乗せネクタイをたなびかせた。年季の入ったワイシャツは空気を含み、ぱたぱたと音を鳴らす。赤黒いデッキケースだけがベルトに重く掛かっていた。
「穏やかな気持ちにさせてくれるねぇ。死後の世界は。私を歓迎してくれるのかな」
こちらに向かってくる黒い大群さえなければ、ふと口にしたそんな言葉も本心からの物になっただろう。
そうだ。今、美しい景色を汚すように、黒い大群が大地を踏み鳴らし走ってきているのだ。
「距離はずっと遠い。が、速度を考えれば接触までそうかからないし、逃げられもしないだろうね」
黒い大群に目を凝らす。人型だが漆黒の翼で滑空する異形の者たち、馬に乗った骸骨の騎士たち、数は分からないが東京ドームに収まるかも怪しい。
さて、状況を整理しようか。つい先ほどまでの記憶はおぼろげだ。自らの腹に刀を突き刺したところまでは覚えている。30過ぎたおっさんが血反吐を吐いた。気づけばこの平原に立っていて、遠くに化け物の大群が迫っている。逃走も叶わない。
……何も、何もする必要は無いんじゃないだろうか。冷静に考えればこれは夢だろうし、現実だとしても、殺されるのなら構わない。
私は迫りくる大群に、両手を広げてみせた。
まもなく大群は私の元へ到着する。
「なんだ人間。たったひとりで何の真似だ?」
(へぇ、日本語を喋るんだ)
指揮官らしき6つの黒い膜状の翼を持つ異形が腕を上げるハンドサインのようなものを出すと、大群は私を取り囲み静止する。ゲームでいう悪魔やアンデッドの軍勢……うむ、唾液が滴り落ちそうなほど壮観じゃないか。
「さてね。気づいたらここに立っていたのだけど。ここは何かな。あの世かな?」
「我ら魔王軍の領地だ、今この瞬間からな」
異形の指揮官の手に紫煙のオーラが収束し、漆黒の歪な長剣を形成する。
「人間、お前の死を持って開戦の狼煙にしてやる。感謝しな!」
ギャラリーの嘲笑がうるさい。炊飯器に二日ぐらい放置して焦げた米を噛んだようなマズい味だ。
それに引き換え、どうやらこの指揮官は違う。剣をぐっと握りこみ、地を足でしっかり踏んで安定させ、こちらの内臓まで響くような雄たけびを上げながら突撃してくる。まるで炊き立てごはんに千切りキャベツを少々、牛肉に付けた濃い味を中和させてくれる感覚。
目前に迫る死。だが私は、おぼろげな記憶の中にも一度感じたような高揚を覚えていた。
挑んでくる相手がただの雑魚なら、この世界に私を満足させてくれる猛者はいないと判断し再び死を選ぶつもりだった。
「もう少しだけ、生きてみようかなぁ」
「安心しな。少しだけなら楽しむ時間もあるぜ」
突き出された剣先を横ステップで大きくかわす。相手の身体能力、武術体系が不明なため、余裕を持って回避しなければならない。
異形は続けて体をひねり飛び掛かってきて剣を振り下ろす。
私は異形の下に飛び込み、剣を避けつつその腹を蹴り上げようとカポエラの態勢に入るが、敵は翼を働かせふわっと空中に退避した。
戦いの高揚は、共感覚として私の味覚を刺激する。唾液が止まらない。ウマい。この味は覚えている。おぼろげな記憶の中、味わったことがある。
「人間、貴様は名のある冒険者か?」
「冒険者、とは?」
「違うのか」
「生保受給のニートだよ」
「ニート? 聞いたことのない職業だ」
「職業ではないよ」
「職業でなければ貴様の名か」
無駄な会話はマズい。もう口を閉ざし右足を下げ拳を構える。
それを肯定と受け取ったのか、異形は地に降り、剣を構えて笑みを浮かべる。
「ニート殿。俺は大悪魔ネゾシヴ、職業はジェネラルとブシドーだ。言っておくが、俺ひとりで小国ひとつ分の戦力はあるのだぞ」
名乗りつつ、ネゾシヴは周囲の軍勢にハンドサインを送る。それと共に、参戦しようと息巻いていた連中が落ち着き始めた。
彼らからすれば私の命なんてすぐにでも刈り取れる。数に任せればいいのだから。それをしないのは、彼もまた戦いに味を求めている同志なのだろう。きっとそうだ、違いない。
まさか、人間にはなかった仲間意識を悪魔に感じるとはね。
それにしても悪魔か。本当にこの世界は何なんだろう。噂に聞く異世界とでも考えておこうか。
「ご丁寧にどうも。私はニート……」
自らの名など忘れた。おぼろげな記憶を辿れば思い出せるかもしれないが、ニートで構わない。名に味などない。
「……職業は、まぁ、色々とね。対戦よろしくお願いします」
過去の職業ならいくつかあるが、この世界の住人に伝わらないだろう。悪魔には失礼だが、何も言わなくていいか。
「モンクなどの格闘家ではないのか?」
「いやいや。そちらが剣を使うなら、私も剣を持ちたいよ」
「剣士なのか?」
「遠からず、近からず」
別に剣士ではない。得意なカードゲームさえ魔王剣デッキで世界大会3連覇で止まる程度の実力だ。リアルの剣術に至っては、同僚が副業で経営している道場で習った程度。
カードゲーム? そうだ、おぼろげな記憶から、一部分が抽出される。私はカードゲームが好きだった。というより、リアルで人を殺すと犯罪だから、仕方なくカードのバトルに没頭していたのだけれど。
ベルトに装着したデッキケースを指で軽く撫でる。重厚な肉汁の味わい。
「何だ、その四角い箱は。お前の武器か? いや、魔道具か?」
「深読みするねぇ。思い出の品というやつだよ。死ぬ前に感慨に浸っていたんだ」
「だったら、その光は一体……」
その意味を理解するべく、敵を観察していた視線を一瞬だけ自身の腰にやる。さすがにこれには驚いた。これが重厚な肉汁の正体だったのか。デッキケースがほのかに輝き、6枚の光の板を宙に吐き出す。TCGのカードサイズのそれらは私の目の前で整列した。5枚は横並びに、そして1枚だけスペースを開けて右下に位置する。まるでゲームの初期手札のようだ。
右下のカード、ゲームでのレギュラー枠に位置するカードが機械的な合成音声を発したような気がした。
(驚かれましたか?)
「うん、驚いた」
(相変わらずのポーカーフェイスですね。驚いているようには見えません)
現実離れした体験なんて、この地に立ってから飽きるぐらい起きている。いちいち表情を変えるような無駄なことはしない。
表情を変えているのは、訝しげにこちらを見ているネゾシヴぐらいか。あとは周囲のメシマズモンスターども。
「見たこともない魔道具だ。その力、見せてもらうぞ!」
牛丼味の雄たけび。共感覚は他の者から理解されず狂人扱いされるが、この感覚と共に育った私には心地よい。
さて、格闘で相手をしてもいいが、デッキケースから現れた謎の光が戦いに利用できるなら、合成音声と会話を試みるのも大いにウマいだろう。
などと考えるより先に、音声を発していた光の板が形を変える。これは……剣だろうか。細身で弓形、赤と黒のツートンカラーの刀身。この見た目には覚えがある。私のデッキのレギュラー枠として採用していたカード。剣魔王剣フジキド、だったか。
フジキドを右手に取り、正面から突撃を仕掛けてくるネゾシヴに備える。
「やはり剣士か!」
一度見た剣筋。刺突からの薙ぎ払いは、少しのサイドステップからのフジキドで防御で軽くいなす。鍔迫り合いの状態で私が蹴りを繰り出すが、読まれていたのか大きく飛びのかれてしまう。
「へぇ、ウマいねぇ。フジキドの効果や、他のカードも使えるのかな?」
(ええもちろん)
「ならフジキドの起動能力。デッキトップ3枚をドロップ。その中から魔王剣1枚をノーコストで装備しようか」
対戦相手に聞こえるよう効果を宣言する。カードゲーマーとして当然の作法だ。デッキケースから光の板が3枚飛び出てすぐに砕け散る。砕けたカードはドロップ送りになったのだと直感する。
「災魔王剣†レーヴァテイン†(フォールンレーヴァテイン)を装備。レーヴァテインの効果でデッキから栄光魔王剣†グラム†をノーコストで装備。グラムの登場時効果でドロップゾーンから堅魔王剣†カラドボルグ†を装備」
炎の剣、細長い剣、太く短い剣が、それぞれ私の背中に浮くように召喚される。
「フジキドの効果。通常アイテムの装備は1枚までだけど、フジキドを装備していれば魔王剣を好きなだけ装備できるよ」
「魔王剣とは……人間が魔王様を騙るとは、いくら強者でも許せんぞ!」
魔王様かぁ。そういえば、そんな風に呼ばれてた気がする。
「行くぞニート!」
刺突からの連撃はもう通じないと悟ったのか、翻弄するように曲線を描くステップからの袈裟斬りを仕掛けてくる。
カラドボルグの効果で無効化してもいいが、手札に温存している切り札2枚のうち片方を試してみよう。
「スキル、剣聖の領域」
私を中心に円形の赤い領域が形成される。そこにネゾシヴが踏み込んだ瞬間、私の背後に浮いていた魔王剣たちが一斉に敵に飛び掛かる。攻撃を防御し、それが近接攻撃なら武器で反撃するスキル。複数の武器を操る魔王剣デッキには必須のカードだ。
「ぐっ、クソがっ!」
レーヴァティン、グラム、カラドボルグの刀傷をその身に刻み、最後にフジキドに袈裟斬りを受けたネゾシヴはあっけなくその場に崩れ落ちる。片膝を付き、頭を垂れ、真っ赤な血を全身から流していた。このスペルは初期のカードで、武器1枚で反撃する想定でデザインされていたが、魔王剣というアーキタイプの誕生以降はオーバーパワーな性能を誇っている。初心者相手なら剣聖の領域1枚で勝負が決まることもあるくらいだ、今回のように。
ふぅむ、ウマかったのだけれど。もう少し味わいたかったな。
「対戦ありがとうございました」
フジキドの刀身をネゾシヴの首へ振り落とす。介錯だ。ボーリングの球のようにごろごろと転がる頭。断面から血の噴き出す様子は人間とさほど変わらない。
人を殺す味は、少しだけ苦い。
「さて」
次に備えてフジキドの効果で武器を増やしつつ、周囲に視線をやる。
「ネゾシヴ将軍がこんなにあっさり……?」
「に、逃げ、いや殺せ!」
あぁ、せっかく喉のあたりにある美味が、雑魚どものせいでマズくなる。
「あいつは剣士だ! 遠くから魔法で倒せ! 魔法部隊!」
「フレイムシュート!」
軍勢の一部が経のようなものを唱えると、彼らが持っていた杖の先から野球ボール大の炎の塊が大量にこちらに放たれる。
「カラドボルグの効果発動。手札を3枚捨てることで攻撃を無効にし、それが射撃攻撃なら跳ね返す」
あの炎が魔法と呼ばれるものだろう。あれはカラドボルグで跳ね返せるんだろうか。そんな疑問には目の前の現実が答えてくれた。太く短いカラドボルグの刀身が私の盾となり、炎の塊をすべて吸い寄せて吸収する。敵の攻撃が終わったと見るや否や、苛烈な熱エネルギーの波動を打ち出した。草木の生えていた大地を抉り荒野にしつつ、魔法部隊と呼ばれた一団を蒸発させる。
「うそだ……なんだ、この力は……」
「ネゾシヴ将軍の首だけでも回収するぞ! 首さえあれば蘇生魔法が使える!」
「どうやって回収するんだよ!?」
軍勢は恐慌に陥っていた。
マズいマズいマズいマズい。ゲロの味だ。
「悪魔にアンデッドのみんな。少し、黙ってはくれないかな」
初手よりずっと温存していた切り札を発動する。すでに装備している魔王剣は12枚、デッキにあるもの全種類だ。奴らを消し去るには十分だろう。
「スキル、一閃」
フジキドを横に一度だけ払う。刀身が敵に直接触れなくとも、スキルカードに込められた不思議な力か知らないが軍勢のすべてに致命的な刀傷が入る。悪魔やアンデッドの断末魔の叫びを無視するように他の魔王剣たちも一閃を繰り出した。
一閃は、装備している武器で敵モンスター全体を攻撃する全体除去スキル。カードゲームではプレイヤーにだけはダメージを与えないが、こちらの世界では全体攻撃になるようだ。
剣聖の領域で複数の武器が反応したのだから、一閃も当然、すべての魔王剣が攻撃に参加する。
つまり、全体12回連続攻撃。
(お味はいかがでしょう?)
「くそごみ」
*
黄金の蜂蜜酒の漂わせる甘い香りが鼻孔をくすぐる。休日はやはりこの店『香る蜂蜜亭』の看板メニュー、黄金の蜂蜜酒に限る。
「旦那、今日も一杯だけですかい?」
「酔いに興味はない。少量の酒を大切に味わうのが好みでね」
「はっはっは、うちの稼ぎも考えてくださいよ」
カウンター席の対面、店主のオヤジが豪快な笑顔で話しかけてくる。
この店の店主――元々腕利きの冒険者であったオヤジは絵に描いたような筋肉だるまで、女性客などは怖がって入ってこれない。店主にとっては悩みの種だが、俺にとっては静かにグラスを傾けられる憩いの場となるからありがたいものだ。時々静寂を破るオヤジの声も、なかなかに趣深い。
今日は女性客はもちろん、他の男性客もいない。静寂の中、俺はグラスの氷を鳴らして一口いただく。蜂蜜酒が舌を包み込むように広がり、口腔が甘美な支配を受け続ける。まったく、これ以上の美酒は存在しないだろう。
「しかしオヤジ。よく商売続けられるな」
「店は赤字さ。冒険者として旦那の下で働いていたころの貯金があるんでね。それでやりくりしてますよ」
オヤジは皿を磨きながら苦い笑みを浮かべた。
「で、旦那の仕事はどうなんですかい?」
「暇だね」
俺の仕事は、冒険者の統括。この街の冒険者ギルドを経営するギルドマスター。最近は魔物の発生が減り、冒険者に斡旋する仕事も比例して減っている。香る蜂蜜亭ほどではないが我がギルドも商売あがったりだ。
「オヤジのように、腕利きの冒険者たちは転職した者が多い。オヤジ以外はみんな前以上に稼いでいるようだぞ」
「けっ」
「なあオヤジ。また冒険者をやらないか? もうSランクがひとりもいないんだよ」
「そりゃ難儀な。冒険者より酒場の店主が強いなんて、笑いもんだろうな」
豪快な笑みのオヤジと対照的に、俺はこれを笑いごとにはできなかった。単に冒険者の力が弱っているだけの話ではない。
「俺はな、思うんだよ。魔物が減ったのは、魔物を統率する者が現れたからだ、と」
冒険者ギルドマスターとして、すべての冒険者の情報は把握しているつもりだ。魔物の数を大きく減らすような戦闘は起きていない。軍隊が何かしら動いたという話も聞かない。人間が何もせず魔物が減ったとするならば、原因は自然環境の変化か、魔物側の変化。先日冒険者を使って周辺地理の探索を行ったが、自然環境の変化などは特に発見されなかった。そうなれば、魔物側の変化と見るのが妥当だろう。
「魔王の復活、ってやつですかい?」
「可能性はあると考えている」
魔王ないし魔物を統率する者が、魔物を集結させ軍勢を築いている可能性。魔物は減ったのではなく、戦力を落とさないために街周辺に出没しないよう命令されているかもしれないということ。
「予想が正しければ、近々大規模な戦争が起こるだろう」
「まさか、俺を戦場に招いてるんですかい?」
眉間にしわを寄せたまま笑うオヤジに、とんでもない、と俺は手をひらひらと振る。
「戦争は軍隊に任せておけ。この可能性については国にも報告しているから、なんとかなるだろう」
「じゃあなんで俺を」
「冒険者として、探索を依頼したいダンジョンがある。魔物の減少と同時期に突如出現した塔だ」
「へぇ、リアン・タワーですかい。そういえば、そういう時期だったか」
皿を洗う手を止めたオヤジは、思案を巡らせるように中空に視線を投げている。ひと昔前なら、整ったヒゲを撫でることも加えて考えているときのオヤジの癖だが、飲食店を経営し始めてからはヒゲいじりも、いじるヒゲも無くなった。少し寂しいものだ、と俺は失笑してしまう。
「クサい話じゃねぇですか。察するに、リアンってのは魔物の統率者が関係している可能性が高いんだろう? 俺一人じゃあ行きたくないですわ」
オヤジは言いつつ、店のメニューを突き出してくる。
「少なくとも、酒1杯で延々居座るような客の話は聞けないね」
「お冷」
「くたばれ」
ひとしきり笑いあった後、オヤジはダンジョンの情報を詳しく求めてきた。満更でもないらしい。腕利きをあと数人連れて来れば、考えてくれると予想できる。
「渡せる情報もこれぐらいだな。何分、未踏破のダンジョンだ、許してほしい」
「十分じゃねぇですか。腕利きをあと数人連れて来れば、考えてやりますよ」
予想通りすぎて、また噴き出しそうになる。一度笑いのスイッチが入ると何度もそうしたくなるのは悪い癖だな。
ではそろそろ……と椅子から腰を持ちあげようとしたとき、酒場の独特な空気を破るようにして店に駆け込んでくる者がいた。
「ギルド長! 大変です、南方の大草原から悪魔とアンデットの大群が!」
悪い予感というのは割とすぐに当たるらしい。伝達役の若い冒険者はよほど急いで来たらしく、息を切らし出入口でぐったりしている。
戦争自体は軍隊の役目だ。俺たちの役目は……。
「ご苦労。緊急クエストを発令する。遊撃隊として軍に協力するBランククエストと、市民を北に避難誘導するCランククエストだ」
「は、はい! ギルド本部に伝えてきます!」
汗だくの伝達役は上がり切らない足を懸命に振って店の外へ出ていく。
「オヤジ。避難誘導を手伝ってくれないか」
「旦那はどうするんです?」
俺は椅子から降り、隣の席に立てかけていた武器を手に取る。金色に輝く竜を象った、身の丈ほどの杖。特殊な効果は無いが、純粋に魔力向上という一点では最強の、俺の相棒だ。
「上に立つ者、休日出勤ぐらいは当然だ」
「へいへい。また飲みに来てくださいよ」
*
戦闘が終わると、光の板や実体化した剣たちは消えていた。
見渡す限りの平原。だが目を凝らせば、ずっと遠くに人工物らしき建物もある。城壁だろうか。地面に転がっている悪魔やアンデッドたちは、私に会わなければあの城壁を目指すつもりだったのだろう。
心の食事は終えた、次に必要なのは体への栄養補給だ。ここ数日まともな食事などいただいていない。食欲が衰えていたから。
手持ちの食糧を探る。鞄もなく、ポケットの中にも何も入っていない。あるのはデッキケースのみ。
――カードゲーム“リアン”。40枚のカードに加えて1枚のレギュラー枠でデッキを組んで戦うTCG。カードはそれぞれ白・黒・青・緑・赤の5色の内ひとつ以上は持っている。色はそのカードが持つエネルギーを意味しており、エネルギーごとにも得手不得手がある。たとえば、私が使う魔王剣は赤と黒。赤は炎、黒は闇を操るとされる。
「炎を使えば、その辺の肉塊は食べられるかな」
適当な悪魔の太ももを丁寧に血抜きして地面に置き、表面を災魔王剣†レーヴァテイン†の炎でこんがり焼いてみる。味を染み込ませたわけでもないし、何なら調理の知識なんてこれっぽっちも無いが、しっかり火を通せば何とかなると思う。マズければいくらでも代わりがあるし、何度でもやり直せばいい。
焦げ目が付いてきた。そろそろだろうか。いや念には念をだ。もっと焼こう。おぉ、黒くなってきた。もう止めたほうがいいかな。うーんどうしようかな。あれ、もう黒焦げになってる。まぁいいや、せっかくだしもっと焼こ。
途中から楽しくなってしまって、肉を焼くことを止められなくなってしまった。いけないいけない。
炭となった肉を口に運ぶ。がりっ、と嫌な音と苦みから、思わず唾と一緒に吐き出してしまった。
(ご主人様、あちらをご覧ください)
不意にデッキケースから光の板――フジキドが飛び出て、遠くの建物の方角に浮遊する。その方角に改めて目をやると、またもこちらに向かってくる軍勢が見えた。大地を揺らす馬の蹄の音。どうやら夢中になって気づかなかったらしい。
今度は悪魔でもアンデッドでもなく、重い鎧を着こんだ人間の兵士たちのように思える。こちらへの到着まで一分と掛からないだろう。
「フジキド。今の私の状況、端から見てどう思う?」
(狂人でしょうね)
客観的に見るならば、私は悪魔を滅ぼして肉を貪る狂人。その姿が他の人間たちにどう映るか分からない。悪魔を倒したことを感謝されるか、あるいは私こそが悪魔であるとして攻撃されるか。後者であってほしいが、前者である可能性も否めない。
「これはどういうことだ?」
到着した騎兵隊たちは馬を止め、この光景を一望する。
「悪魔の軍勢に襲われたので焼いてます。食べますか?」
食べかけの太もも、もとい炭を片手で掴み、騎兵隊のほうに歩いていくことにする。
「いや……待て待て、来るな! 来るな!」
隊長らしき人物は青ざめて槍を構えた。ふむ、あまりウマくはなさそうだ。
戦っても満たされないと思い、私は足を止めることにする。
「き、君は何者なのかね。この一面の悪魔とアンデット、これはどういうことかね!?」
「いたので殺しました」
「はぁ!?」
なぜか驚いたように馬から転げ落ち尻餅を付く隊長。リアクション芸人を目指してるのかな。
「あの転がってる首、あれは大悪魔ネゾシヴなんじゃ……」
「ネゾシヴって、南の帝国を単機で壊滅させたっていうあいつか」
「だとしたら、ネゾシヴを倒したこの男は一体……」
動揺は、隊全体に広がっていた。
この軍隊は、少々マズいな。少なくとも私への戦意は感じられないし、私も戦う気が失せている。
ならば私が悪魔を倒したことを感謝されるように話を持っていこう。信用を勝ち取れるかはともかく、お礼に一宿一飯ぐらいはほしいものだ。
「私は旅の者です。あなた方の街に泊まるべく歩みを進めていましたら、悪魔たちに襲われました」
「そ、そうか。旅人か。それでそんな不思議な恰好を」
「あの悪魔たちは『戦争を始める』と物騒な話をしていたので、放っておけば多くの人が傷つくと思い、その前に私が対処させていただいた……という経緯になります」
「うむ、気になるのはそこでな? ひとりでこの数の悪魔を倒した、と?」
「もちろんです」
うーん、と隊長は頭を抱える。他の者たちもざわついている。
やれやれ、混乱が落ち着くまで時間をやるか。そう思っていると突如、全身の筋肉に力が入らなくなる。糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちてしまった。意識が遠くなる。
「お、おい、倒れたぞ!」
「怪我は無いようだが顔色が悪い、毒でも喰らったのか?」
「怪我が無いってそれはそれでおかしいだろ!」
「いいから運べ! 街を救った英雄かもしれないんだぞ!」
意識が海の底へ沈んでいく。膨大な記憶の海へ。
暗く暗く、深い闇の中、浮かび上がる光景があった。
真っ黒と真っ白が、編み目の上で整列している。
「孫よ。お前は神童のごとき才能がある」
「しんどー?」
「そうだ。儂と互角に戦える子供など、神童に違いない」
暖かく柔らかな何かが、私の頭を撫でてくれる。覚えてる、この感触。
「我が藤木戸家の当主にふさわしい男になるだろうよ」
編み目に新しい白石が置かれる。
「そのカカリ、苦いけど、少し甘さがあっておいしいね」
「はは、そうか、おいしいか」
走馬灯とはよく聞く。人は死ぬ間際になると大切な思い出を脳内再生するという。
この光景は3歳の頃、祖父に囲碁を教わっていたときのことだ。武道家だった祖父は正々堂々の戦いを好んでいて、身体能力の差が出る運動競技ではなく、子供と大人が平等に戦える囲碁を私に教えてくれたのだ。余談だが祖父は囲碁も五段あったらしいが、初心者の私を相手に互角だというのだから実は手加減してくれてたのだと思う。
そんな優しい祖父からの教えに、特に好きなものがひとつある。
「良いか孫よ。礼節を弁えよ。人を敬う心こそが人を強くするのだ。武道も棋道も同じということだな」
礼節を弁えよ。きっと、この一言が今の私を作ってくれた。
中高を空手部と祖父の道場で鍛えた私はやがて、祖父から血判付きの書面を突き付けられる。
祖父の望みであったらしい。幼少期と違い、この頃は身体も出来上がっている。祖父はそんな私に決闘の申し出をしてきたのだ。
決闘は、私の勝利で終わった。ほんの少しだけ私のほうが強かった。祖父の拳は、あの苦みは、今も忘れていない。涙があふれた。私を作ってくれた偉大なる祖父に、いわば創造主たる祖父に、私は勝利したのだ。
「孫よ。頼みがある」
道着を汗で濡らし、片膝を付きながら、祖父は静かに道場の端に飾られた白く長細い袋に視線を移す。棒状というにはひどく湾曲したものだった。
「あの袋を持って、儂のところまで来ておくれ」
言われるままに袋を持っていく。それはは見た目に反してずしっと重たいものであった。袋の中にぎっしり何かが詰められているわけでもなく、細い物体が一本入っているようだ。
「開けるがいい」
「……っ」
それは、鞘に収まった刀であった。それだけはやめてくれ、と心の内で願いながらも、次の言葉を待つ。
「最期にお前のような立派な孫と戦えて、儂は最高に幸せ者だ」
祖父の表情は、これ以上ない暖かな笑みだった。何かを成し遂げた者の、清々しい笑顔だった。
「その刀は我が藤木戸家の宝。ご先祖様が打ったとされる銘刀だ」
……思い出したくなかった。だけど、大切な記憶だ。
抵抗はあった。断るべきだったのかもしれない。だが拒絶は許されなかった。
祖父は初めから、死を覚悟して私にあの血判を見せたのだ。ならばその覚悟を蔑ろにする無礼だけは避けねばならない。
礼節を弁えるとは、そういうことなのだ。
「今まで、本当にありがとうございました」
教えてくれ。誰か。誰でもいい。言ってくれ。
お前は間違っているのだ、と。認めさせてくれ。
誰か、誰か……。
『剣魔王剣フジキド』
カード種別:アイテム
コスト:赤黒6エネルギー
攻撃力/防御力:2/0
攻撃タイプ:近接
効果:このカードをタップしてもよい。そうしたら、デッキの上から3枚をドロップゾーンに送り、その中から名前に『魔王剣』を含み『フジキド』を含まないアイテムを1枚選び、コストを支払わず装備してもよい。
このカードを装備しているなら、あなたは名前に『魔王剣』を含むアイテムを何枚でも装備できる。
礼に始まり、礼に終わる。 ――2118年優勝者フジキド選手




