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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
二章 辺境都市オークザラム 人それぞれの物語
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オークザラム⑪ 差し伸ばされた手の価値

加筆修正しました

俺は気分を変えるために外に出ることにした。

トルエスさんはまだ婚姻の話が動き出していないので外に出ても問題ないという判断だ。幸いなことにこの状況は数年あるいは十年は本格化しないだろう。ルーン王国で起きるかもしれない内乱。戦いのためにはそれを準備する時間が必要だからだ。

俺にはまだ時間が残されている。必要なのは生きるために、いや勝ち抜くための知識と力。今回のことで俺は余りにも無知だということが分かった。

例え、交渉の術を知っていたとしてもその状況にある裏までをしらなければ―――死ぬ。

ハッキリとその恐怖が実感できた。あのグラックの戦い以上に凄惨な人間社会の恐ろしい地獄が俺の知らないところでその門を開いている。


隣に目を向けると無表情なトルエスさんがいる。まだ先ほどのことが尾を引いているみたいだ。

トルエスさんはオークザラムの街にいる貴族に挨拶しに行くそうだ。少しでも情報を手に入れるために、俺のために動いてくれる。彼は情報網の構築を更に強化する。


俺たちは客間がある場所から玄関まで歩いていた。客間は一階にある。リザベラ夫人の案内でこの館を一通り見ることが出来た。口のような形で真ん中には美しい中庭、色とりどりの花と芝生の上には石造りのベンチ。それを眺めながら廊下を歩く。木漏れ日が幾何学模様の絨毯の上で伸びて、草木が揺れるたびにその影が躍っている。

俺のこの気持ちを他所に世界は穏やかに動いている。

そのことに理不尽だなとも思ってしまう。


リーンフェルト領ではそろそろ夕食の準備のためにあの恰幅のいい女性を中心に女達は笑いながら働いているに違いない。

あの女性の名前はなんだろう?そういえば聞いたこともなかった。二週間も過ごしたのに名前すら知らないなんて。


現実逃避のようにリーンフェルト領の生活を思い出していると玄関の近くでリザベラ夫人と出会う。

彼女は従者を連れて、居間にいこうとしていたようだ。今朝あったときのドレスのまま悠然と貴族の完璧な微笑みを浮かべる。

その微笑みに俺は魔性の蛇が口を広げる、そんな情景を重ねていた。


彼女は今回のハスクブル公爵家と俺の婚姻を知っているのだろうか?

いや、知っているに違いない。今回の仕組まれた茶会の主催者は彼女であり、公爵家の家臣の娘だ。つまりヘルムート伯とハスクブル公爵家をとりなす重要な絆。ヘルムート伯は彼女の家名を足がかりにハスクブル公爵家での発言力を強めている。

祝福持ちという特殊な事情以外政治の世界に女性を入れないこの国ではヘルムート伯は彼女に全てを告げていないかもしれないが、このような重要な話に仕込みをしないはずがない。ヘルムート伯が貴族を、彼女がその貴族の婦人方を取り込まなければ、例え公爵夫人が主張したところで公爵が頷かないだろう。


「あら、ゼン卿とトルエス様。どちらにいかれるのですか?」

彼女が微笑みながら俺たちにたずねる。

その一言で俺は胃に鉛が流し込まれて体が重くなったように感じた。

その言葉がこちらを監視―――蛇が絡めとった小鳥に舌を出しながら逃げられないことを告げるように聞こえたのだ。


「オークザラムに滞在できるのも僅かですからね。知人に挨拶にでも行こうかと。ゼン様は街に興味があるみたいで遊びにいくところですよ」

俺が言葉を出せないでいるとトルエスさんが変わりに彼女に答えた。

彼は無表情だが平然と答えている。


今、俺は彼女と話す気分ではない。

いや、話せないのだ。

恐怖。

俺の想像もつかない彼女の裏顔に俺は恐れている。


俺を飲み込もうとする黒くて蛇の形をした恐怖が目の前にある。


「それはよろしいですわね。ゼン卿はまだ幼いのですから一人歩きは危険です。護衛をお付けしましょう」

「いえ、それには及ばないかと。ゼン様は並みの騎士よりも武術に秀でていますから」

「まあ、それは素晴らしいですわ。ですが、ゼン卿は私達の大事な客人。街の警備隊にはゼン卿に危険がないように伝えておきましょう。誰か、お二人のために扉を開けて頂戴」

彼女の一声で従者は足音も立てずに素早く玄関のほうに行く。

薄く彼女は笑い、紺色のスカートの端を少し持ち上げて完璧な貴族の礼をし、俺たちに道を空けてくれた。

「お気をつけて」

その瞳がチラリと蛇のように光った、ように感じた。





俺は城門をトルエスさんと二人で越えて、今城の側にある広場に向かっていた。

この都市で行くところなんて俺にはほとんどない。本当は茶会が終わったら本屋で魔法や祝福についての本を探そうと思っていたが、もうそんな気分でもない。

ゾルガの武器屋にも行きたかったが、昨日訪ねて今日にはヘルムート伯の話題に上った場所は怖くていけない。ゾルガが仕事の一部として報告が義務化されている可能性もあるが、ヘルムート伯の結びつきが強い場所なんて行く気にはなれないだろう。

街もさきほどのリザベラ夫人の話から監視されているようで楽しむことは出来ない。

必然的に足を伸ばすところなんて二つぐらいにしかない。

アルガスのところは訓練の邪魔をしたくない。

残るは―――。


「ゼンじゃない。私に会いに来てくれたのね」

満面の笑顔でリアさんは温かく迎えてくれる。

胸元が大きく開いて、体の曲線がくっきりと分かる上質な白い麻の服に、同じ色の斜めに切りとられ、雌鹿のような引き締まりつつも色気のある脚が覗いている長いスカート。腰には金糸で装飾の施された赤い絹の布が前くくりにされて彼女のくびれがよく分かる。肩には臙脂色のキメ細やかな毛糸で編まれたショールをかけている。

この国の服装ではなくアラビアの踊り子のような印象の服装で彼女はそこにいた。


俺の足はアフローディア一座のテントに向かっていたのだ。

彼女は公演をしていたテントの外で側に置かれていた馬車の荷車に荷物を乗せていた手を止めてこちらを見ている。

周りには一座の団員達が忙しそうに片付けをしていた。

彼女達は公演のテントの布を取って、それを荷車に畳んで乗せている。

もう、そこには木の骨組みしか残っていない。


「街から出るんですか?」

俺はその光景を眺めながら彼女に聞いた。

俺の心にはそのテントの骨組みのように隙間風が吹き込んでいた。


ああ、この感情はなんだろう。

そうか寂しいんだ、俺は。

こんな思いを抱いたのは初めてかもしれない。

祖父リオ・ラインフォルトのときは彼が死ぬことは分かっていた。心の準備をしていたし、彼は最後に満足気に笑ったんだ。

だから俺は寂しさよりも誇ることが出来た。

でも今は状況が違う。

怖くて頼るものがなくて、そして心のよりどころのような彼女が離れていってしまう。

その骨組みだけのテントを背にして、彼女が笑っている。

その笑顔が遠く離れていってしまう。


「そうよ、明日出るわ。巡業でたぶん三年ぐらい。もしかしたら四年半かもしれないけどすぐよ。また会いに行くわね。それとも―――」

彼女は言葉を切る。

そして、俺のほうを穏やかに見つめていた。

その瞳には赤いルビーが穏やかに燃えている。彼女の美しい顔が慈母のような温かみに満ち溢れている。

彼女は口を開く。赤薔薇のような形のよい唇を。

「私達と一緒に来る?ゼン」

その一言に俺は言葉では言い表せない喜びを感じた。

俺はまぶたを閉じる。


彼女達とともに馬車で見知らぬ街へ。

穏やかな太陽が昇り、街道を明るく照らす。雨の日には愚痴を言いながら、風の日には皆で肩を寄せながら。

フェスティナさんと楽しく会話をしつつ、時折リアさんが無茶なことを言って俺たちを困らせて、リーシャはその様子を面白そうに笑う。

歌いながら踊りながら街から街へと。

ただ人々を楽しませて、何も考えずに忙しく日々を過ごす。

楽器を持ってもいい、護衛ぐらいはできる。

商人達との取引でも役に立てるはず。

彼女達と笑い合って穏やかに生きていける。


その情景がまぶたの裏でありありと思い浮かべられる。

恐ろしい貴族の企みや、トランザニアの戦争やハスクブル公爵家との婚姻も考えないで済む世界。

彼女は手を差し伸べてくれている。

その手を取るだけで、俺は禅やゼンのしがらみもなく飛び出せる。


俺は瞼を開けて、彼女を見つめ答えた。

「行けません」

俺は短く言葉を告げて、思い浮かべた情景を拭い去る。

彼女が差し出してくれた手を振り払う。

「そう。それが貴方が生きる世界なのね。いいわ。いつか時がきたら一緒にいきましょう」

彼女は残念がる様子も、悔しがる様子もなく穏やかな笑みを浮かべたまま言った。


もう決めたことだ。

トルエスさん、母上、父上、エンリエッタ、アルガス、アン、ベルグ達。

俺を守ってくれる人達と一緒に生きる。

俺の背中にはもうリーンフェルト領の人達がいる。命を懸けて共に戦ってくれた人たちがいる。

いきたい!

けど俺はその人たちを捨て去ることなんてできない。

俺の命を守ってくれたゼルの思いを無駄にしたくない。


俺は禅・ラインフォルトであり、ゼン・リーンフェルトだ!

リーンフェルト男爵領の嫡男ゼン・リーンフェルトなんだ!


「すみません」

俺は胸が苦しくなるほどの寂しさを抱えたまま彼女に謝った。

彼女は心配そうにこちらを見ると、安心させるように微笑む。

「いいのよ、ゼン。そんな顔をしなくても。今、貴方は私のもの。それでいいじゃない。さあ、来て。お茶でもしましょう」

彼女が俺の手を取って、彼女達のテントへ連れて行く。


リーシャ、今なら君の気持ちがわかるよ。

こんな風に君も彼女に引っ張ってもらったんだね。


その温かい手。

俺に差し伸ばしてくれたこの美しくて、愛に満ちた手を俺は一生忘れない。


ありがとう、リアさん。

リア様が女神に見えました。

ちょっと書いている間に感動した。


どんだけ「連れて行ってください」と言いかけたか・・・。

そんな物語もあったかもしれません。

ってよく考えたら作者だからできなくはないですけどね!


書けなくはないですが、それではゼンが成長しません。

悲しいです。

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