第三次防衛線 決戦の前夜、休息の時間
夜。
その日も遅くにトックハイ村に戻った。2日ぶりのトックハイ村の様子は悲観的ではないが、やはり少し静かだった。避難民と自衛団、警備隊、トックハイ村の住人立ち合わせて964人、そのうちの兵士206人と明日のために準備をしている400人ばかりが村にいる。他は子供や老人、避難する際には移動が遅いものたちだけは先に屋敷に避難している。今は村の広場では炊き出しを行っていた。あちこちでたき火を囲い、食事をしている。食事はトルエスさんが気を利かせて、貴重な保存肉と酒が英気を養うために振る舞われている。兵士達は仲間や家族と火を囲み話してはいるが誰もが気を使っているのか笑い声はそこまで大きくはない。流石に明日命を失うかもしれないという日に笑えというのも無理な話だ。
俺たちが戻ると広場の村人たちは俺たちの無事を喜んでくれて騒然となる。
特に俺の周りにはたくさんの村人たちや自衛団の面々が集まってきた。エポック村で少なくともグラック300匹を焼いた戦果をトルエスさん伝で村には広まっているために、彼らは喜びの声と感謝を口にする。たとえ、村を焼いた張本人でもトスカ村のように被害がなく敵を倒したことが評価されているのだろう。27人で300匹のグラックを倒すことは普通に考えて大きな戦果だ。彼らが悲観的ではないのはこの事実があるから。プロパガンダのためその戦果を伝えるように指示したとはいえ。
小さな英雄、この領地を守る勇者、俺たちの希望といった言葉とともに彼らは俺に希望を託す。そして、俺の言葉を待っている。いつでも我らは貴方の指示に従いますとその瞳が語っている。
俺は努めて明るく彼らに労いの言葉を返す。
戦いで士気はきわめて重要。
味方の士気を高めて、敵の士気を挫く。孫子の兵法にも記載されている。
喜ばしいのに、どうしても考えてしまう。
禅の記憶を利用して、命をかけさせる戦いへと誘導する自分の浅ましさに。
「ゼン様、ここは大丈夫ですのでそろそろお屋敷に戻られたらいかがですか?アイリ様もお待ちしていると思います」
俺が声をかけてくる領民と話をしていると横からゼルが微笑んで言った。その顔は気遣うことのできる老兵のそれ。幾度も戦場から帰り自分の兵達を気遣って彼らを家族の元に送り届けた経験がにじみ出ていた。人を労り、傷を癒した後また戦地へ共にいく。そんな気分にさせる。
「ゼルありがとう。わかった。後のことは任せる」
俺はその気遣いをありがたくいただき、ゼルに礼を言う。
兵達も俺を見送らなければ自分たちも家や宿に戻れないためそのゼルの言葉に笑顔をこぼす。
どうやら、俺はまだまだ戦に立つことに関してゼルには及ばないな、と感じつつ馬の手綱を握っていた手の力を抜いて笑う。
「皆も今日はゆっくり休んでくれ。明日は日が昇る前にここに集合だ」
「「「了解!!」」」
俺の言葉に兵達は声をそろえて返事をする。その頼もしい響きを聞き届けて、馬を屋敷の方へと向ける。
リーンフェルトの屋敷は祭りのように騒がしかった。
木の棒と布を貼り合わせた簡易なテントとゴザを引いた寝床や布を敷いただけの寝床には女性や子供、老人達が毛布を肩にかけて会話している。たき火はそこかしこで行われて、食事を炊き出す女性陣の和気藹々とした声が聞こえてくる。子供達はやってくる魔物の恐怖よりも皆で肩を並べてキャンプのようなこの一時が楽しいのか無邪気な笑顔をしていた。トックハイ村には兵士が多くいるので静かだったが、こちらは戦場より少し離れているのでその恐怖が幾分薄らいでいるのかもしれない。あるいは、ここは辺境の領地だけあってそういったことに慣れているのか余計な不安を見せまいとしている彼女たちの強さということも考えられる。とはいえ明日の戦いへの不安感で時折暗い顔をしている者も見かける。
彼女たちは俺の姿を見るとやはり皆集まってきた。
護衛ということで自衛団から数人ほど俺の後ろについてきていた者達はその様子をみると笑って、村の方へと戻っていく。今日の晩にかぎり火急時にすぐ避難できる者達は村で過ごしてもよいことになっている。彼らもまた家族のもとに帰っていった。
明日、あるいは明後日にはその家族と過ごした家がなくなるかもしれない、家族を失うかもしれない者にとってこの一晩は大切なものになるだろう。
「ゼン!ゼン!」
俺が馬から下りたちょうどそんなときに母上の声が聞こえる。俺に声をかけていた者達は皆母上を通すために左右に分かれて道を作った。彼らの顔は温かく喜んでいる。母と別れて戦地に行った子が帰ってくる。日本ではよく目にしたドラマや映画の中だけのお話だが、自分のこととなると途端に恥ずかしくなるが、それ以上に喜びの方が強かった。
俺はその心の衝動のまま、母上の姿を確認すると小走りで向かった。
「母上!」
俺が母上の元まで行くと、母上は膝をつき俺を抱きしめる。
「よかったわ、本当によかった・・・ゼン、怪我はない?」
少し抱擁をすると、母上は抱きしめていた手を緩めて俺に怪我がないかを確認するようにあちらこちらを触る。
母上の後ろからエンリエッタがメイド服のスカートの端を少し握り、走ってこちらに向かってくるのが見えた。エンリエッタが走る姿なんて初めてみる。
「はい。皆が守ってくれました。どこも怪我はありません」
「そうよかったわ・・・食事は済んだの?ちゃんとご飯はたべているのでしょうね?」
美しい母上、その顔が気遣わしげに揺れている。
服装は汚れてもいいようにしたのか。いつもの目の細かい上質な綿のワンピースではなく、目の粗い毛糸を使ったチェニックにボディスと呼ばれる前が大きく開いたベストを紐でくくって体のラインを出すような衣服に紺のオーバースカートを履いた平民の格好をしている。母上は元々町の食堂の娘なので動き回るようなときに好んでこういった格好をしている。おそらく先ほどまで炊き出しの手伝いをしていたのか、かすかにスープのいい香りが母上の服から香ってくる。
こんな美しい女性が後ろで一つくくりにした髪で、食堂の給仕をしていたらさぞかし目立っただろう。
「食事はまだです。おなかが減りました母上」
「すぐ、すぐ用意するわ。ちょっと待っててね。ゼン」
「ゼン様、おかえりなさいませ。お食事はすぐにご用意しますので、先にお召し物を替えましょう」
母上が俺の言葉に嬉しそうにそう言うと、親子の時間に遠慮して声をかけるのを待っていたエンリエッタがすかさず声をかけてくる。
俺はそれに微笑みながら礼を言う。
その様子を温かく見守っていた女性陣達が急に動き始めた。どうやら俺の食事を誰が用意するかで競争になっているようだ。
その気配に苦笑しつつ俺はエンリエッタと母上に連れられて屋敷へと歩く。
今の一時はこの喜びに身をゆだねよう。
死の恐怖はまだない。
だが、皆が優しく食事の用意をしてくれる間は不安や悩み、そういったものが悉く吹き飛んでいく。
俺は食事を期待しつつ賑やかな屋敷で休息を得る。
次からトックハイ村防衛戦が始まります。
第一章もクライマックスに突入です。
10/6から随時原稿の修正をしています。加筆された部分もありますので第一話から見直すのも楽しいかもしれません。よろしくお願いします