5.ずっと
目覚めた君はまず、血だらけで服が破れ、体中に銃創と、四肢が千切れた形跡のある俺を見て取り乱した。
ナノマシンが、遺伝子が、という俺の説明で君をなだめることはできず、なおさら困惑させてしまっている。
「二ノ瀬さん、落ち着いて。君にすべてを説明したい」
君は大きくかぶりを振って、俺の言葉を聞き入れない。無理もない。
彼女はデート中に地下の喫茶店で突然銃撃戦が始まり、俺の告白を聞かされて、気付くと催眠術をかけられ、今さっき目覚めたのだ。何がなんだかわからないだろう。
「聞いてくれ」
君の肩に手を添える。俺はいつも言葉が足りなくて、人の気持ちがわからなくて、だから人を好きになれなくて。だけど。
「かいつまんで言えば」ハヤトの真似をしてみた。
「君が好きなんだ」
すべてそれで説明がついたと言わんばかりに、君の顔を真っすぐに見る。
世界そのもののように、君は微笑んだ。
君は俺の肩に手を置き、顔を胸に埋める。
俺は全部忘れて、このままでいたかった。
駄目だ。俺は両手に力を込めて君を引き離す。「どうして?」という顔の君に、言わなければならない。君の、俺に対する好意は作られたものなんだ。そして。
「二ノ瀬さん。俺は、この三年間、ずっと君をストーキングしていた」
君の目を見て言った。君にはどんな表情も無く。
「いつでも、どこでも、君を見ていた。ずっと、君のことだけ考えていた。後を付け回した。君の部屋に盗聴器を仕掛けた。
俺は、君がテニス部でレギュラーになれず、泣いていたのを見ていた。
俺は、君のいびきがけっこうすごいのを、夜に時々なにをしているかを知っている。気持ちがいい時に、どんな声をだすのかも」
君は顔を伏せ、俺の肩に置いた手に力を込める。ギリギリと、指が食い込む。
「ごめんなさい。俺は、最低なストーカー野郎なんだ」
君の拳が俺の肩、胸を叩く。何度も、何度も。力強く。
「……どうして」
君は額を俺の胸に押し付けて、震えた声を絞り出した。
これで良かったんだ。君が俺を好きになるなんて間違ったことだ。
俺は君に知られずに、君の為にやらなければならないことが、まだあるんだ。
口を開きかけた俺を遮るように君は顔を上げた。
「……君は、私の着替えを覗いたり、私を想像して……エッチなことを、してたの?」
「……信じて貰えないだろうけど、それはしてない」
「私は……してたよ」
え?
「ずっと。君を知ってから、ずっと。何回も何回も。想像の中で緑川君と、言葉にできないくらい、イヤらしいことをした。
……ひとりエッチのとき、君のことを、考えてた。
私も君を、三年前からずっと、好きだった」
君は。なにを。そんな。三年前から?
組織が仕組んだのは、数週間前からのはずでは……?
「緑川君、どうして、もっと早く言ってくれなかったの?」
「……俺には、誰かが俺を好きになるなんて思えないんだ。
君が、俺を好きになるはずがない。だから、言えなかった。
今だって信じられない。なぜ、俺なんかを好きなんだ?」
「私が君を好きになったのは、理由なんかない。
好きなだけだよ」
それなら……。信じられるかもしれない。俺と同じだから。
君に長い話をした。
組織や陰謀、そしてこれから起こる事。君が《カルマ》を継ぎ、《世界の支配者》になる。そんな話をした。
とても拙い俺の話を、君は真剣に聞いてくれた。
「何を頭のおかしいことを言い出したんだって、思ってるだろう?」
君は首を横に振り、
「そんなことない。全部信じたってわけじゃないけど、君は一生懸命、私に本当のことを伝えようとしてる。それはわかるよ」
「これから君は、世界の支配者になる。だけどそれは組織の陰謀によるもので、君の意志とは言えない」
さっきも説明したが繰り返すと、君は「うん」とうなずく。
「そうなる前に、君に聞いておきたいんだ」
俺が最も知りたかった事を。
「君が本当に望むものは? 君は、この世界をどうしたい?」
君は切れ長の瞳で、じっと俺の目を覗き込む。
「なぜ、それを聞くの? 君の話だと、私は喫茶店から後の記憶を失くす。それに君は私のことを全部、忘れちゃうんでしょ? だったらそんな事知っても意味が無いんじゃない?
それとも、叶えてくれるの? 私の望みを」
「必ず、叶えてみせる」
そう言うと君は顔を歪め、しばらく黙ってうつむいていた。それから、俺の手を強く握って顔を上げる。
「私は……ずっと、この世界に違和感があったんだ。
みんな、どうしてそんなに楽しそうなんだろう、なんで、今見ているものを、当たり前に受け入れられるんだろうって。
そんなこと思うの、変だよね? だから、それを隠して、なるべく普通になろうって意識して生きてきた。
私は自分が何を望んでるのかなんて、考えたこともなかった」
君の頬を涙が伝って落ちる。
「私は、この世界を滅茶苦茶にしたい。
こんな世界なら、無ければいいのに。
ずっと、そう思ってたはずなのに。やっと、気付いた」
大粒の涙がボロボロと零れ、君は顔をぐしゃぐしゃにしてそう言った。
君がそれを望むなら。君の世界が見られるのなら。俺の命はその為に使おう。
「君になら、それができる。それに、俺は、君の為ならなんでもできるんだ」
「でも」君はしゃくりあげながら、必死に言葉を紡ぎだす。
「君は、私を忘れちゃうんだよ? 私を、好きになってくれたことも、全部。できもしないことを言わないでよ……」
「俺は」
君の手を強く握り返す。
「全部忘れても、必ずもう一度、君を好きになる。絶対に。だから、記憶を失くすのは全然怖くないんだ。
そして君に、本当に君の望むことを思い出させる。その時の君は世界の支配者だ。何だって思うままだ。
君の望んだとおりの世界を創って、俺に見せて欲しい」
君は泣きながら笑って、
「はい」
と生真面目に返事をした。
「でも、私のこと、忘れて欲しくないな」
君は寂しそうに俺を見る。
時間はほとんど残されていなかった。もう少ししたらハヤトがやってきて、二人とも記憶を消されてしまう。ここで、こうして過ごしたことを。俺は、君のすべてを。
「ねえ」君が俺の腕を握って顔を近づける。
「私には、まだ望みがあるんだよ。
それも、次に会った時に叶えてくれる?」
俺はうなずく。
「それはね。君に抱かれたい。抱きしめたい。君を私のものにしたい。
私は、君が私を想うより100万倍くらい、君のことが好きなんだ」
君の吐息が俺にかかって、唇が、触れて。
キス。俺はそれを、単に唇を触れ合わせるもの、それから、舌をいれる?まあ、なにか、儀式的なものと思っていた。
そんな生易しいものでは無かった。
唇が、舌が、吐息が。君の喉の奥で鳴る声が。唾液を撹拌する音が。君が。
俺の意識は意味を失くし。
君のすべてがわかった気がして、俺のすべてをわからせたくて、そこに在るのは世界の真理で。
どれだけの時間が経ったのか。
ゆっくり君の唇が離れてゆく。
俺はこれ以上なく惚けた顔をしていただろう。
とろんとした目つきの君は、
「忘れられないようにしてあげた」
真っ赤な顔でそう言って「えへへ」と笑う。
忘れられるわけがない。これ程の事が、この世界に。
「世界の真理がわかった」
そう思った。
「あはははは!」
君の笑い声。
「緑川君、やっぱり君は、少し変わってる」
そうかもしれない。そして、それは、君も。
君の望む世界。早くその中で生きてみたい。
君と俺で、世界を滅茶苦茶にしよう。
滅ぼしてしまおう。
ふたりなら、それができるんだ。




