君が好きなんだ
好きなんだ。
好きなんだ。
君が好きなんだ。
キャノンデールの最新型ロードレーサーを漕ぐ俺はきっと今、ツール・ド・フランス七連覇、ランス・アームストロングより速い。
名前も知らない君が好きだ。
黒塗りのリムジンに乗り込む君を、一瞬見ただけで好きになってしまったんだ。
俺には愛する妻も、8歳になる可愛い娘もいる。
だけど。君を想うだけで涙が出るんだ。
好きな人ができたと伝えると、妻は「マジウケる」と久し振りに昔の口癖を言って笑った。
10年前に出会った妻の瑠奈は、俺に初めて世界の素晴らしさを教えてくれた。瑠奈がいるから、俺は生きようと思えた。
「武史。彼女を幸せにしてあげて。それが、武史にとっても幸せなことだから。
私はもう充分すぎる程、幸せにしてもらったんだよ?」
なぜ瑠奈は、彼女を知っているかのような口ぶりなんだろう。どうして、こうもあっさり俺の裏切りを許せるんだろう。
「マジで奇跡起こったし」
嬉しそうに笑って、少し泣き出しそうで、
「ルナ、こうなるってわかってたし。てか、遅すぎね? 早く迎えに行ってあげなよ?」
瑠奈は完全に出会った頃の口調に戻ってそう言った。
高層ビルの隙間を縫い、ダウンタウンを抜ける。
このままマリーンドライブに入り、ロサンゼルス郊外を目指す。
君の家を突き止めるのは簡単だった。君に会わなければいけない。そう思ったら行動に移していた。
君が何者なのか、俺は知らない。常に数人のボディガードに囲まれ、厚く警護されている君にどうすれば会えるのだろう。
わからないままに、俺は自転車を走らせる。
仲間と参加する草レースではいつもチームのサポート役で、自他共に認めるヘボレーサーの俺が、今日は違う。サイクルコンピュータのメーターはとっくに振り切れている。
君のことを想えば、どんなスピードでも出せた。
君の住むのは要塞の様な建物で、君に会うチャンスはただ一つ。
時間はピッタリのはずだ。
君の乗ったリムジンが現れた。要塞の入り口へ向かうその瞬間に。
俺はスピードを緩めない。
ツールのラスト、残った足を使い尽くしてゴールを切るレーサーより速いスピードで、俺はリムジンの側面目がけてペダルを踏んだ。
俺の頭蓋は砕けない。
車から出てきた数人の黒人SPが躊躇無く俺に銃弾を浴びせる。
銃弾はすべて止まって見える。
男達の身体を俺は拳で破壊する。
飛び散れ。臓物。脳漿。肉片。
開いた門の中から、いくらでも銃を構えた男達が湧く。
湧けばそれだけ殺すだけ。
この男達は。俺に殺される為に現れるのか。
黒い装甲を身に纏った、特撮物の怪人の様なものが数体、俺に襲いかかる。
俺は俺の細胞が沸き立つのを感じる。血液が。遺伝子が。そして得体のしれない何かが。
それらが俺を突き動かす。
俺の目に映るものだけが世界のすべてで、だからそれを打ち砕く。
こんなものは世界ではないと、こんなものなら要らないと。
解き放たれた獣のごとく、ただそこにいるから襲うだけ。
沸き立つ衝動が今の俺のすべてであって。
俺の意志すら意味は無く。
かつて人体であった肉塊の散らばる中、俺だけが立っている。
車のドアが開く。
君が、俺の方へ歩み寄る。
君は俺を見て微笑んで、
「緑川君でしょ?」
と俺の血まみれの腕に触れた。
なぜ、俺のことを知っているんだろう。なぜ、俺を恐れないんだろう。
「君は全部忘れたんだね。私は忘れなかった。だから言ったでしょ?
私は、君が私を想うより100万倍くらい、君のことが好きなんだって」
君が何を言っているのか、俺にはまったくわからない。
ただ、わかっていることがある。
「君が好きなんだ」
それを言えば、すべて説明がつくかのように俺は言った。
「うん。知ってる」
知ってたか。
君の頭がトン、と俺の胸に当たる。
「私の望みはね」
腕が俺の首に巻きつけられた。
「私は、この世界を滅茶苦茶にしたい。
君が気付かせてくれたんだよ? 本当に私が望むことを」
もし君がそれを望むなら。それを、叶えてあげたい。
「まだあるんだけどね。それはまた後で」
君は悪戯っぽく笑って顔を近づける。
「君は忘れちゃったかもしれないけど」
君の吐息が顔にかかる。
「世界の真理を教えてあげる」




