37.ドラモンド公爵令息ローレンス 3
ヴァージルが苦笑しつつ首を傾げると、アナベルがにっこりと、とても良い顔で笑った。
「あら、そっくりですよ、あなたに」
「えー!?僕はもっと融通が利きますぅ!」
「どうでしょうね?」
「えー……?」
ふふふ、と口元に手をあてて笑うアナベルはどこかほっとしたように見える。「違うもんー!」とへらりと笑いつつ、ヴァージルもどこかほっとしている自分に気づいた。
またひとつ、きっと、動く。
「とりあえず、ローレンス。この十一年…違うな、生まれてこの方、君が即座に拒否しなかったのは今回だけ…オリヴィア様だけだったって知ってる?理由は分からなくてもそれだけは本当。まずはオリヴィア様と話をしてごらん。その上で答えを出せば良い。どんな答えを出しても良い。どんな答えを出しても良いから、オリヴィア様の盾になりなさい。ローレンス、どんなに目を逸らそうとも、君はやっぱりドラモンドなんだよ」
余計な面倒を避けるためにも最善は結婚することだが、それが無理でも守りようはいくらでもある。今のローレンスならそれができる。そう、ヴァージルは親の贔屓目ではなく信じている。
「…………レオが、嫌じゃないのなら」
「あ、うん。やっぱりそこに行きつくんだねぇ……」
どうしてこの世代は…と、これまで何度思ったか分からないことをヴァージルは思った。理由など分かり切っているわけだが。
「大丈夫だよ。むしろ君は半年後に勝手に結婚式が設定されることを心配するべきじゃない?」
「……やりますね、レオなら」
「でしょ?ましてや王妃殿下まで動いたら下手すれば結婚式に先んじて婚姻届だけ先に出されちゃうよ。ああ、陛下の御璽が出るかもね?てことで、ちゃんと自分で動きなさい」
「そうします……」
非常に嫌そうに、不本意そうにローレンスが顔を顰めて頷いた。
ウィルフレッドも、セシリアも、もちろんライオネルもグレアムも皆、幼馴染だ。彼らが本気で動き出せばどうなるか…ローレンスは十分過ぎるほど身をもって知っている。
「庭で、良いでしょうか。………僕の薔薇園で」
「うん。君が良いなら良いよ。少し、見頃には遅いかもしれないけど」
「見苦しくなる前に、設定します」
「あ、自分でやる?見合いの設定」
「動けと言ったのは、父上では」
「あっははー!そうだよね!そうだったね!!」
「……はぁ」
へらりと笑ったヴァージルに呆れたようにため息を吐くと、ローレンスは実に苦々しい顔で視線をアナベルに移した。
「母上」
「何かしら?」
「セシリアを……王妃殿下を、抑えてください……」
「ふっ…ふふふふふふっ、分かったわ。ふふ、ふふふ……」
「僕は僕は?」
「まずは父上自身が、落ち着いてください」
「なんで!?」
はぁぁぁ、と盛大なため息を吐くとローレンスはちらりとヴァージルを見て更にもうひとつ小さなため息を吐き、立ち上がった。
「早めに陛下と王妃殿下に通してください。オリヴィア殿下には明日には手紙を書きます」
「うん、大丈夫。オリヴィア様には同時進行って言ってあるから」
「分かりました。そのように」
相変わらず気だるそうに、不機嫌そうに頷くと、ローレンスは二度三度瞬きをして「帰ります」と呟いた。
「おやすみなさい、父上、母上」
「うん、おやすみローレンス」
「おやすみなさい、良く休んでね」
小さく頷くとローレンスは踵を返し、扉に手を掛けるとぴたりと立ち止まった。
「父上、ちゃんと休んでください」
「う、ん。ちゃんと休んでるよ、ちゃんと」
ローレンスは振り向くことなく「どうだか」とまたため息を吐くと、かちりと、扉を開けた。
「……盾になります、父上、母上」
それだけ言うと、ローレンスは返事を聞くことなく来た時よりもしっかりとした足取りで部屋から出て行った。
ぱたりと閉まった扉をしばらく眺めたまま、ヴァージルは動くことができなかった。ただぼんやりと、ローレンスが残した言葉を頭の中で何度も何度も繰り返した。
「ねえ、アナ」
「はい、あなた」
「どうしよう……泣きそう」
「ふふふ……泣きましょうか、一緒に」
「うん、そうだね。妃殿下たち、明日、目が腫れてても許してくれるよね」
「きっと一緒に喜んでくれると思いますよ」
「だよねぇ」
アナベルが立ち上がり窓を閉めに行く。ヴァージルもひょこりと寝台から降りると水差しとグラスを用意し、浴室にあったタオルを数枚拝借して寝台に戻った。
ぽんぽん、と横を叩けばアナベルがするりと寝台に上がって来た。ヴァージルが腕を広げればアナベルは当たり前のようにその中に飛び込んでくる。ヴァージルもまた、当たり前のようにきゅっと抱きしめた。
「何かさ」
「はい」
「胃を壊して良かったなぁって……駄目なんだけどさ、本当は」
「できれば壊さずこうなれば良かったですね」
「そうだよねぇ。生みの苦しみ?いや、何か違うな」
ヴァージルがぐりぐりと頬をアナベルの頭に擦り付けるとアナベルが「重たいですよ」とくすくすと笑った。
「何だろうな、何がきっかけになるか、人生って本当に分かんないよねぇ…」
「ふふふ、小さなきっかけの積み重ねが、大きな変化を連れてくるのかもしれませんね」
後世に書かれるだろう歴史書の中ではきっと取り上げられないような内容ばかりだ。
グローリアが笑ったことで壊れかけた国が動き出した。アンソニーとポーリーンが王命結婚をしたことでダレルとハリエットが踏み出した。フレデリックたちが冒険をしたことでウィルフレッドがはっきりと変化した。その結果、ヴァージルが胃を壊したことでオリヴィアが決意を固め、ローレンスがついに前を向いた。
過去を見ているだけでは気づけなかった。新しい世代が少しずつ、けれど確かに何かを動かしていく。
「ねえ、アナ」
「はい」
「あと十年、頑張らないとね」
「ふふふ、そうですね。でも、次の十年は、素敵なものになりますよ」
「そうだね……良いことばかりじゃ無いだろうけど、きっと、きっと笑顔で過ごせる十年だよね」
「はい」
ぽろぽろ、ぽろぽろ。普通に話しているけれど、ヴァージルの目からもアナベルの目からもずっと温かなものが流れ続ける。けれど嫌ではない。とても温かいのだ…ヴァージル自身の涙も、腕の中のアナベルも。
「あー……この年になるとほんと、涙腺がね……」
「ふふふ、一緒です、私も。……いつだって、ずっと」
「うん。愛してるよアナベル」
「ええ。私も」
静かに、静かに。
確かな変化を迎えた夜は、ゆっくりと次の朝に向かって行く。




