17.王弟ライオネル 2
十一年前のあの日から彼らの在り方は大きく変わってしまった。それでも何とか寄り添いここまでやってきた彼らを、ヴァージルもまた見守ってきた者のひとりだ。それはきっとこれからも変わらない。たとえ宰相の職を辞する日が来たとしても。
「それにな」と更に真面目な顔になったライオネルに、ヴァージルも「はい」と茶化しもせずに珍しく真剣に頷いた。
「いいか、宰相。お前の小言が聞けなくなったら俺はきっと離宮をひとつ強奪してハレムを作るぞ。しかも老若男女構わずだ!」
どうだ、引退できないだろう?とライオネルがにっと歯を見せて笑った。「は…?ハレム……?」と、ヴァージルは目を瞬かせ、そうしてまた苦笑した。
この露悪的な王弟殿下は昔から口では大層悪いことを言ってみせる。そんなことなど絶対にしないくせに。本気でやる気があるのならその美貌と地位だけでとうにやっているだろうに。
「良いですね!むしろハレム作りましょう殿下!お相手の数が多ければ多いだけ好都合です。僕たち臣下も殿下のご結婚が決まれば一安心、万々歳ですからね。国内外から沢山集めてそこから選んじゃまいましょう!あー、うん!良いですね、実に名案です!」
ヴァージルがにっこりと笑って納得したようにぽんっと手を打つと、ライオネルは自分で言ったくせに実に嫌そうに顔をしかめた。
「おいおいおい、そこは反対しろよ。一夫多妻は禁止だろうがこの国は」
「ハレムは誰もが愛人でしょう。妻はひとりと決まっていますが恋人の数に制限はありませんし恋愛に性別の縛りはありません。法には触れませんよ!女神の怒りには触れるかもしれませんが!」
「俺よりよほど鬼畜だな!?」
ライオネルが信じられないものを見るように目を見開き口元を引きつらせた。体も若干引いている。
ヴァージルは「ふふん!」と鼻で笑うとふんぞり返った。本当は誰よりも優しく常識的なライオネルが、そんな無責任なことをできるわけが無いのだ。やるならきっと、生活困窮者や訳ありの面々を拾ってきてハレムと称する。そっちならヴァージルにも容易に想像がつく。
「嫌ならさっさと妃を選んでくださいね。オリヴィア殿下の『お兄様がまだなのにわたくしが結婚できるわけないでしょう』の決まり文句もさっさと封じたいんですよ」
一応、オリヴィアが結婚できない理由は相手の選別が難しいからというのはある。だが候補者がひとりもいなかったわけでは無い。逃げ回る兄を理由に自分自身も逃げ回って来ただけだ。
「先にオリヴィアを嫁がせればいいだろうがよ」
苦虫を噛みつぶしたような顔でライオネルが言った。
実際、男性であるライオネルより女性であるオリヴィアの方が年齢に対して厳しい。国外に出すわけにもいかないので急務だったりはするのだ。
「ベンジャミン君に侯爵位を与えれば万事解決しますよ殿下」
「あいつが素直に受けるわけが無いだろうが」
唯一、オリヴィアが婚姻を受け入れても良いと公言しているのがライオネルの従者、ベンジャミンだ。ベンジャミンはフェネリー伯爵家の令息ではあるが本人が持っているのは子爵位のみ。
正直、ヴァージルからすれば彼の働きには更に二段階は陞爵しても許されると思っているが、表向きにはライオネルとその周辺の動きは秘匿されているのでどう持って行くかが難しい。手っ取り早く陞爵させるならまたも『王弟殿下の我がまま』で押し通すことになるだろう。まず、ベンジャミンは受けない。
ライオネルの婚約あたりでひとつ、何だかんだ理由をつけて爵位を上げることになっている。その程度ならいくらでも理由はつけられるが、一気にふたつとなるとそれなりに難しい。
「何だってあのお転婆は俺の従者を欲しがるんだよ……」
大きなため息を吐くとライオネルは長い脚を組み膝に肘を置いて頬杖をついた。
「恋ゆえだとは思わないんです?」
「あれがそんなたまか?お前、あれが頬を染めて誰かを見つめるとことか、想像つくか?」
「あ~………すいません、無理?」
ずいぶんな言われようだがオリヴィアはそういう女性だ。情より実利。感情より論理。無能は不要。
間違いなく、ベンジャミンを欲しがるのは『便利そうだから』だろう。このそれぞれ容姿も性格も全く違うあまりにも個性的な三兄妹の中でオリヴィアが一番王位に向いていたのではと実はヴァージルも思ってはいる。口には出さないが。
「だろ?くれてやるわけないだろうが。恋をしてるとかならまだ考えもしただろうが……俺はベンジャミンにも色んな意味で幸せになって欲しいんだよ」
オリヴィアに使い潰されてたまるかよ、とライオネルがむっつりと唇を尖らせた。
かの従者も『主が結婚しないのに私がするわけないでしょう』などとにっこり微笑んで飄々と逃げ回っているわけだが、それだけが理由なわけでは無いことぐらいヴァージルにも分かる。
「殿下もベンジャミン君もジェサイア君もグレアム君も良い年した優良物件ですからね。さっさと片付いていただかないと婚活市場が動かなくて困るんですよ。国を思うなら早々によろしくお願いしますね」
ヴァージルがへらりと笑うとライオネルは「分かってるよ」と椅子の背もたれにもたれて視線を逸らした。
「この間も言ったがフレッドの立太子が終わったら考える。まぁ、ちょっと、時間が欲しくはあるが……」
「おや、お目当ての女性でも?」
「それが居たらとっくに結婚してるだろうが。俺が妃に欲しいと言って堂々と拒絶できる家がどんだけあるんだよ」
「まぁそうですよねぇ。あなたの無茶っぷりは有名ですが、国の中枢に近ければ近いだけ真実に気付く者も増えますからねぇ。無茶苦茶なのも本当ですけど」
「お前もたいがい、ひと言多いよなぁ……」
「おや、こんな私めがご入用だったのでは?」
「否定はしねえよ」
にやりと笑ったライオネルの目が優しい。そんなに優しい目で見られたらヴァージルだってもうちょっと粘ってみたくもなるのだ。
「殿下」
「なんだよ」
「やっぱりベンジャミン君をくれないですかねぇ?」
「だーかーらー。やらねえよ、国にも、オリヴィアにも。あれは俺んだ」
「まあ貰ったところでベンジャミン君ならさらっと遁走するでしょうしね」
「だろうな」
「だからこそ欲しいんですけどねぇ……」
どれ程の搦め手を用意してみたところでベンジャミンなら逃げ切るだろう。その手腕をこそ、ヴァージルは欲しいと思ってしまう。
そもそもヴァージルにはライオネルがやっと側に置こうと思えた唯一の従者をライオネルから奪うようなことを本気でするつもりもないのだが……ベンジャミンの有能さが痛い、実に惜しい。




