16.王弟ライオネル 1
せっかくもらった静養休暇だ。本来であれば四六時中愛する妻と共に過ごしたいわけだが、今日ばかりは駄目だ。
昼食にどろどろの何かのスープをアナベルに食べさせてもらいアナベルの食事も見守った後、アナベルには早々に図書館へと向かってもらう。当然、ドラモンド公爵家から連れて来たアナベルの専属侍女も一緒だ。
「私だって久しぶりにご挨拶くらいはさせていただきたいのですけど」
「駄目です、アナベル。あの人、三十越えて衰えるどころかどんどん色気が増してます。絶対駄目」
「つまり私を信じていないと」
「違います。アナベルを疑うなんてありえないしライオネル殿下もさっぱり疑ってません」
「では何なのです」
「嫌なだけ」
「呆れた……」
額を押さえて盛大なため息を吐いたアナベルに「だって嫌なんだもん」と到底いい年をした紳士とは思えない反応を返し、それからヴァージルは少しだけ真面目な顔になった。
「アナがいたら本音で話せないでしょ、殿下」
「ご挨拶したらすぐに出ます」
「あの気を使う人がそれを許すと思う?そもそも本音が聞きたいのは僕であってライオネル殿下はただの見舞い。自分から本音を話しに来るわけじゃないからね」
「あなたも殿下も本当に難儀だわ……」
そう言ってまた深く深くため息を吐くと、アナベルは「仕方ないですね」と昨日借りて来たばかりの本を手に取った。
「え、もう読んだの!?」
「はい、面白かったですわ」
「いやそれ、一日で読む本じゃないよね?」
「そうですか?」
アナベルが手に取ったその本は有名な古典恋愛小説の初版本だ。少々難ありとして第二版以降は内容に修正が入っている。どのあたりが『難』だったのかを、恋愛小説で痒くなるヴァージルは良く知らない。
「うん、まぁ、アナが楽しいなら良いや」
「まさか王宮の図書館で恋愛小説が借りられるとは思っていませんでしたわ」
「僕もそんなものがあるなんて今回初めて知ったよ…」
誰の趣味かは知らない。ましてや世間では出回らなくなった初版本。あまり深く突っ込むと何かの闇に触れて面倒ごとになりそうなのでヴァージルは考えるのを止めた。
「では、行ってまいりますね。あまり困らせてはいけませんよ」
ヴァージルの愛する妻は「どう聞くかなぁ」とぶつぶつと呟いている夫に呆れたように笑い、ヴァージルの頬にひとつ口づけを落として侍女を伴い出て行った。
それからほどなくしてライオネルが何かの紙の束を持ってやって来た。
「よう、宰相。どうだ?」
「殿下、まさかアナベルに会いました?」
「おい、第一声がそれかよ……」
ライオネルが浮かべていた微笑が即座に崩れた。
ベンジャミンの宣言通りひとりで部屋に入って来たライオネルは口元を引きつらせてそのまま寝台横の椅子にどかりと座った。元々勧めるつもりだったので良いのだが…主従そっくりだ。
「いえ、あんまりにぴったりすぎて不自然なので」
「廊下で挨拶だけしたぞ。どうせお前、俺と夫人を挨拶ひとつさせるつもりなかっただろう」
「ありましたよ。公の場でですけど」
「お前の復帰までどれだけかかるんだよ」
「なんでそんなすぐに妻に会いたいんです。会う必要ないでしょう。下心とか許しませんよ」
「いや、お前、義姉上だけじゃなく俺からも招待したって聞いてないのか?」
「聞きましたよ。お断りです」
「お前なぁ………」
ライオネルはため息を吐くと「誰のためだと思ってんだよ」と銀色の後ろ頭を乱暴に撫でた。
「まあ、元気そうだな」
「そう見えます?」
「元気になっただろ?」
「模擬遠征、ありがとうございました」
ドラモンド公爵領はつい先日まで近隣の領でちょっとした小競り合いがあり、その対応で領主代行のアナベルは忙しくしていたし、次男のニール夫妻に領政を任せてアナベルを呼ぼうにも護衛をするはずのドラモンド公爵家の騎士団はできる限り領から動かしたくない状態だった。かと言って、今の情勢では下手をすれば宰相夫人であるアナベルが狙われる。少数の護衛で王都まで呼ぶのは危険だった。
幸い王都からそれほど遠く無い位置にドラモンドの領地はあるが、それでも何かあった時にドラモンドの騎士団がすぐに対応できないのは痛い。そこが悩みの種だったのだがライオネルが色々理由をつけてアナベルの旅程に被せ王国騎士団に模擬遠征をさせてくれた。完全な職権乱用だが感謝しかない。
にっと笑って「おう」と頷くとライオネルはすぐに真面目な顔になり、椅子に背を伸ばして座り直した。
「あー……すまない、宰相。俺の力不足だな」
「むー」
いとも簡単に頭を下げたライオネルにヴァージルは唸り声をあげて押し黙った。
この傍若無人な王弟殿下がまだ二十歳にも満たない頃から何を背負わされてきたのかを、先代国王の頃から見て来たヴァージルは痛いほどに知っている。
「もうー、殿下に謝られたら僕は何も言えないでしょうが」
「いや、俺がもっとうまくやれていれば今はまた違ったものになったはずだ。宰相の胃痛も、少しはましだったかもしれないだろ?」
苦く笑んだライオネルに、ヴァージルはむっつりと唇を尖らせた。
ヴァージルは王弟殿下が『何』であるのかを正しく知っている。王族らしからぬ行動や物言いの理由もだ。もちろん、その中に含めきれない問題行動も無いとは言わない…いや、大いにあるのだが、そこはまあ、この際目を瞑る。
「あのですね………殿下は、殿下の精いっぱいをやってきじゃないですか。僕は殿下を褒める言葉は持っていても、責める言葉は持っていませんよ………お小言はありますけどね!」
「小言はあるんだな!」
からからと楽しそうに口を開けて笑うライオネルに、ヴァージルも眉を下げ、また困ったように笑った。
一時は、この眩しいばかりの笑顔が見られなくなったこともあったのだ。淡い微笑みですら貴重だった頃が。
あれから十一年。ライオネルが無事に取り戻してくれた明るい笑顔に「それはそうでしょう~」とへにゃりと笑いながらもヴァージルは心の中でほんの少し泣いた。嬉しくて。
どうも最近、年を取ったせいかやはり涙もろい気がしてならない。
「宰相」
笑いがおさまると、ライオネルはまた表情を改めた。その真剣な声音にヴァージルの背筋も伸びる。
「頼むから、まだ王宮にいてくれよ。俺たちはもうこんな年だが、それでもまだそれぞれひとりで立てるほど強くなれてはいないんだ。お前がいなくなったら俺たちはきっと惑う。お前がいてくれるから、お前が尻を叩いてくれるから、俺たちは今、こうやって立っていられるんだよ」
「殿下……」
切なそうに目を細め淡く微笑むライオネルに、ヴァージルも何とも言えず切なくなった。




