夏至の夜会 (3)
テオドールは、父のかたわらで料理の載った皿を手にして、所在なげに立ち尽くしている。国王は息子に笑顔を向けて、肩を叩いた。
「今日は、婚約者とゆっくり過ごすといい」
王子は素直に「はい」と返事をしてから、ベリンダに向き直る。
「あなたの分も、取り分けましょう」
そう言って、ベリンダの好みを確認しながら、彼女の分を新しい皿に取り分け始めた。その隣で料理を指さして選びつつも、ベリンダは「ちょっと失敗したな」と心の中で思っていた。
呪いがきちんと解けたのか確認したくて気が急くあまり、夜会が始まってすぐに料理の取り分けを国王にお願いしてしまった。けれども今になって思えば、これは失敗だった。確認なんて、もっと後でもよかったのに。
これまでに参加した夜会では毎回、ただ食事しているだけのような気がする。何だかしょっぱい気持ちになりつつ、テオドールの盛り付けを見守っていると、少し離れたところでフリッツの名を呼ぶ女性の声がした。
「フリードリッヒさま、ごきげんよう」
ベリンダは思わず振り向きそうになったのをこらえて、声の主の姿を横目でとらえる。その女性は、案の定というか何というか、イリーネだった。討伐祝賀会のときにはテオドールに近づこうと必死な様子だったが、今夜は狙いをフリッツに戻したようだ。何とも露骨で、わかりやすい。
呆れて、乾いた笑いがこぼれそうになる。が、我慢してそのまま横目で様子をうかがった。もしもフリッツが助けを必要としているなら、声をかけようと思ったのだ。けれども意外なことに、今日のフリッツは自力で対応するそぶりを見せた。いつもなら、話しかけられるのも迷惑そうにして、さっさとベリンダのところに逃げてくるのに。
不思議に思いながら眺めていると、フリッツがにこやかにイリーネに声をかけた。
「やあ、イリーネ嬢。探す手間が省けたよ。ちょうどよかった」
「まあ。『イリーネ嬢』だなんて、他人行儀な。どうぞイリーネとお呼びくださいませ」
まごうかたなき他人じゃないの。と、ベリンダは思った。
頑張って抑えようとしたものの、「ふっ」と小さく吹き出すのをこらえることができない。でも、すぐに真顔を取り繕う。何の気なしにテオドールを見上げたら、彼も口もとを不自然に引き結んでいた。しかも、微妙にわなないている。どうやら笑いをこらえているらしい。ベリンダと目が合うと、眉を上げて笑みを浮かべ、肩をすくめる。料理を取り分ける手は、すでに止まっていた。
フリッツは、イリーネの馴れ馴れしい申し出をきれいに無視して、マイペースに話を続ける。
「お礼を言いたかったんだ」
イリーネは人差し指をあごに当て、熱っぽくうるんだ瞳でフリッツを見つめながら、小首をかしげた。計算され尽くしたそのポーズに、ベリンダは感嘆する。すごい。わざとらしさも、極めれば個性になるらしい。
一方フリッツは、イリーネのしぐさにも表情にもまったく頓着しない。
「うちの妹に、黒い薔薇の髪飾りをわざわざ特注して贈ってくれて、ありがとう」
「え? な、何のお話をしてらっしゃるの?」
ここで初めて、イリーネの表情が崩れた。彼女は焦ったように、早口で問う。しかしフリッツは作った笑みを貼り付けたまま、何も聞こえていないかのように問いを無視して続けた。
「でもね、送り主にテオの名を騙るのは、感心しないな。わかるだろう?」
「いったい何のお話ですの? わたくしがそんなこと、するわけがないでしょう!」
イリーネの声は上ずり、最後はほとんど悲鳴のようだ。
「でも、職人への支払いは君の家の小切手でされているし、うちに遣いに来たのは君の家の使用人だったと調べがついているよ」
「知らないわ。わたくしは、そんなこと知らない……」
「そもそも邪教の象徴である黒薔薇なんて、他人に贈るべきじゃないんだ」
「邪教の象徴……? なんのこと? 知らないわ、そんなこと。本当に知らなかったの……!」
「いずれにしても、調査結果は父から正式に陛下に提出したよ」
「そんな……」
にこやかな笑みをたたえたまま淡々と話し続けるフリッツの前で、イリーネはすっかり青ざめて震えている。そして「どうしよう。お父さま……」とつぶやいてから、くるりと身を翻し、フリッツの前から足早に立ち去った。
もはや見ていない振りをすることも忘れて、まじまじとやり取りを見ていたベリンダは、こちらを振り返ったフリッツと目が合った。彼は両手を広げ、肩をすくめて見せた。ベリンダは苦笑して、ため息をつく。
まったく、フリッツも意地の悪いことをする。いくらイリーネを嫌いだからと言って、こんなに多くの人の目の前で、まるで見世物のようにして断罪しなくてもよかっただろうに。まあ、それだけ彼女に対しては、これまでずっと鬱憤を溜め込んでいたということなのだろうけども。
イリーネのことはこれっぽっちも好きではないが、少しだけ気の毒に思う。そのままテオドールのほうを見ると、今度は彼と目が合ってしまった。王子はかすかに眉をひそめて、いぶかしげに質問した。
「どういうことですか?」
「お聞きになったとおりです」
ベリンダは肩をすくめるしかない。
それに、この場でこれ以上イリーネの話をするのはためらわれた。さすがに気の毒だ。だから盛り付けの途中で手を止めているテオドールに、現状の流れで最も自然な提案をした。
「外でお食事しませんか」
「そうしましょうか」
その提案にテオドールが乗り、二人はそれぞれ料理の載った皿を手にして、屋外に出た。行き先はいつもの場所。噴水わきのベンチだ。少しだけ欠けた月が中空にかかっていて、中庭の景色は月明かりに照らされている。
ベンチに腰を下ろすと、テオドールはもの問いたげな視線をベリンダに向けた。
テオドールが聞きたいことはわかっているが、ベリンダが話せることはそれほどない。だって、さきほどフリッツがイリーネに話したとおりなのだ。あれは、ベリンダがフリッツと二人で調べ上げたことだった。きっちりと証拠まで固めてから、つい先日、父リンツブルク公爵から正式に王宮に報告書を提出したばかりだ。
だからフリッツがあんなふうにこの場で断罪する必要なんて、なかったのに。そんなことをしなくても、数日内にはイリーネの父は王宮から呼び出されて、しかるべき沙汰を受ける手筈になっていた。そしてもちろんイリーネも、何らかの罰を受けることになるだろう。
こうした話をぽつぽつと、食事をしながら説明する。話している間にテオドールの皿は空になり、ベリンダの皿も話し終わる頃にはきれいになっていた。




