忌み地の地図 (3)
イリーネが去っていく背中を見送りながら、ベリンダはぽつりとこぼす。
「ちょっとだけ、かわいそうでしたね」
「え。どこがですか」
ベリンダの言葉に、テオドールが目をむく。
「だって、テオさまを見てわからなかったせいで、あんな恥をかく羽目になったわけですもの。あそこまで気づかないって、すごいと思いませんか」
「まあ、半年前とは別人のように変わりましたからね。主に服のサイズが」
確かに服のサイズは激しく変わった。けれどもベリンダにしてみると、変わったのはそれだけだ。毎日会っているから変化に気づきにくい、というのはあるかもしれない。
でもテオドールの体重が落ちてみれば、ベリンダの心に浮かぶのは「やっぱり」という納得だけだった。やっぱり顔は王妃にそっくりだし、体格は国王にそっくりだ。
実際、あのイリーネだって、テオドールだと気づく前に「見目がよい」と言っていたではないか。太っていたときだって、顔かたちは整っていたのだ。脂肪がそぎ落とされたおかげで、麗しさに磨きがかかったとはベリンダも思う。でも顔立ち自体は、変わっていない。変わったのは体型だけだ。
そして体型が変わろうとも、おっとりした優しさは以前と何も変わらない。だからこそ、テオドールがイリーネに対して怒ったような声を出したことに驚いたわけなのだけど。驚きはしたものの、ベリンダのために口を出してくれたのは、うれしかった。ベリンダはテオドールを見上げて、その気持ちを伝えた。
「かばってくださって、ありがとうございました」
「いいえ、当然のことです」
むしろ口を出すのが遅かった、とテオドールは悔いている様子だ。イリーネの振る舞いには以前から目に余るものがあったが、さすがに今日は見過ごせなかったと言う。
ベリンダにとっては、本人を目の前にしているとイリーネが気づいていなかったことを差し引いても、テオドールへの暴言のほうが許しがたかった。アザラシ王子だの、野蛮だの、言いたい放題ではないか。そうベリンダがこぼすと、テオドールは声を上げて笑った。
「『雪の王子』が通り名になってるのに、今さらですよ」
「それを言ったら『星の魔女』と呼ばれる私も、下賤だの何だのは今さらですよ」
イリーネが「雪の王子」や「星の魔女」の由来を知っているとは思わないけれども、ベリンダも笑ってしまった。雪だるまの「雪」だなんて知ってる人は、きっと身内だけだろうし、屋根の修理費がなくて寝室から星が見えちゃった話だって、アステリ山脈の地元民しか知らないはずだ。
テオドールはずっと自分の通り名にひそかに傷ついてきていたわけで、確かに今さらなのかもしれない。だからと言って、口にしてよいこととは思わないが。
それでも本人が笑って流せるようになったのなら、まあいいか、とベリンダは思った。初めて会った日に由来を聞かせてくれたときの、あの傷ついた表情はもう見たくない。
ひとしきり笑ってから、テオドールは表情を引き締めた。
「さて、続きに戻りましょうか」
「はい」
方位磁針を頼りに地図を探す作業に戻る。方位磁針は便利ではあるものの、実際に探し当てるのはそれなりに大変だった。何しろ方位磁針なだけに、方角しかわからない。それでも地図上の位置は、歩き回りさえすれば特定できる。通り過ぎれば針がくるりと反対を向くから、向きの変わる場所を探せばよいだけなのだ。
だが方位磁針は、高さまでは教えてくれない。一階なのか、二階や三階なのか、はたまた地下なのか。地点を特定した後は、その上下をしらみつぶしに探し回る必要があった。
王宮の一階を歩き回り、やがてついに方位磁針の指し示す地点を探し当てる。それは、武器庫の中だった。
「うーん。位置はここみたいですけど、何もありませんね……」
武器庫の中央付近で、方位磁針の針が回転する。ベリンダがうろうろするそばで、テオドールは片膝をついて床を拳で叩き、音を確認していた。
「床下にも、特に何もないようです」
「そうですか」
「二階へ行ってみましょう。確かこの上は図書室のはずです」
図書室なら、いかにも目当てのものが置かれていそうだ。期待に胸をふくらませて向かったが、残念ながら地図は見つからなかった。方位磁針の指す位置にある本を、棚の上から下まですべて取り出して中身を確認したが、地図はどこにもなかったのだ。
「この上には、何がありますか?」
「父の私室です」
「えええ……」
いくら邪神探索に必要なものの捜索のためとはいえ、さすがに国王の私室に踏み込む度胸はベリンダにはない。
「テオさま、おひとりでどうぞ!」
テオドールの手に方位磁針を押しつけようとしたが、「父の許可は得ている」と押し切られた。公爵邸から王宮に来て、その足で探索をしていたはずなのに、本当に許可がおりているのだろうか。疑念に満ちたベリンダのまなざしに、テオドールは苦笑して種明かしをする。
「武器庫を探し始めるときに、念のため父に魔法の伝書鳥を飛ばしておいたんです。図書室にくる前に返事がありましたよ」
いつの間に。ベリンダが目を丸くしていると、テオドールは「いいよ」とだけ書かれた便箋を広げて見せた。端的すぎて、笑ってしまう。これでは何に対する許可なのか、全然わからないではないか。でもテオドールが大丈夫だと言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。
 




