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花びらひとひらてのひらに 前編(2)


1


 もう十三年来の付き合いになる……はずのおれを。

 容赦なく着信拒否にした人物。

 星河天音こと中村充と出会ったのは、中学の入学式のときだ。



「よかったー、同クラだねー」

 と抱き合う女子たち。

「おまえとかよ」

 と嬉しそうな顔で互いの腕を肘で軽く小突き合う男子たち。


 それを横目に見ながら、式終了後の教室で独り、おれはぽつねんと机に頬杖を着いていた。


――隣の席の女の子に話しかけたきり、誰とも話すきっかけがつかめない。


 緊張していたので、幾分不愛想な挨拶になってしまったからなのかもしれない。


『おはよ』

『……!』


 とはいえ、びくっと肩を跳ね上げ、上目遣いでおそるおそるこちらを覗き見てから、耳を赤くしてしまうほどだとは思っていなかったのだ。

 ハの字にそろえた自身の靴先に目を落として、なにかを堪えるようにプリーツスカートのひだをぎゅっと握りしめると、女の子は意を決したように顔を上げ――


『お、おはよう、ございます』


 そのまま席を立ち、そそくさと。

 巣穴に逃げ込むプレイリードックの如く。

 どこかに行ってしまったのだ。



 ……はて、何がいけなかったんだろうか。


「康平くんが睨んできて怖い」 

 と夏休みの自由学習『蟻の生態観察日記』発表中の女子を泣かしてしまい、問題になってしまったことがあったのを思い出した。


 誤解なのだ。むしろ興味深いと思って見ていたのである。

 その日の夕方。

 あまりのショックに言葉もなく帰宅したおれは、冷めやらぬ衝撃のほどを弟に向けて切々と吐露した。

 きっと弟なら理解してくれる。

 日ごろ自分の前では決して弱さを見せたりしないはずの兄が、悲しみに暮れているのだ。その姿を目のあたりにして慮り、優しい言葉を掛けてくれるだろう。おれはそう期待していた。

 しかし。


『兄ちゃん不愛想だし、目つきとか殺人鬼なみに悪いから、兄ちゃんをよく知らなきゃ怖くなっちゃうの仕方ないと思う。せめてもっと笑ってたほうがいいんじゃないかな? いやごめん。笑うのなし! よく知ってても、むしろ普段の表情知ってると余計に怖いよ兄ちゃん。なんで白目剥いてるの? 殺人鬼通り越して鬼そのものだよその満面の笑み』


 弟は傷ついている人間に、情け容赦ないド直球な言葉を放り込んでくる正直者だった。

 殺人鬼とか、鬼そのものとか。

 素直に君の助言を受け入れてみただけの純粋無垢清廉潔白な兄に向かって、その反応。

 端的に言ってそれこそ鬼畜の所業だよ? 

 兄として弟の将来を心配しながらも……そんなにひどいんだろうか。

 不安に駆られたおれは、鏡の前で試しに笑ってみた。


――血も涙もなさそうな鬼が口を裂いて笑っている姿が映っていた。


 え、これおれ?

 紛れもなくおれですね。はい。

 般若面そのものじゃないか。鏡を見るため白目にはなっていないが、それにしたって三白眼の目は凶悪なまでに吊り上がり、凛々しいとも揶揄されたことがある太い眉がいまや殺気を帯びていた。

 あれ? もしかしたら、おれは思いのほかコミュニケーションに支障がある部類の人間なのだろうか。

 いやいや、そんなことはないだろう。ないはずだ。ないということにしよう。 

 蘇った生々しいコンプレックスとなる記憶。

 それをなんとか首を振って払う。

 こうして誰かと話す機会を逸したおれは、仕方なくクラスの様子を眺めていたのだが、時折、おれを観察するようないや~な視線が飛んでくる。


 おれが気が付くと、


「ひぃ」


 ホラー映画のシリアルキラーを間近に見たような顔をされたり、


「ご、ごごご、ごめんなさい」


 不良からパシリに使われそうになったときのような反応をされたり、


「……ガルル」

「こらこら、威嚇しない……って、やば今僕も睨めつけられちゃったよ……!」


 縄張り争いに入ってきた敵に向けるよう視線を浴びせられたり、


「……ふふっ」

「ね?」

「えー……でも確かにちょっといいかも」


 単に、にやにやされたりしていた。

 例えるなら『やべなんかあいつだけたぬきじゃね?』と周りから馬鹿にされている耳を失ったばかりのドラえもんにでもなったような気分である。

 疎外感とか異物感みたいなものが、視線を通して纏わりついてくるようだった。

 なんなんだよもう。

 泣くぞ。そろそろ。


「……ひうっ」

「香苗? どした」


 その中でもとりわけ頻繁に飛んでくる場所がある。

 クラスの中でもグループとしては最大規模で、男女が入り混じり、まるでクラスの中心のように華やいでいる集団だ。

 そこには先程挨拶した女の子もいて、おれに見られていることに気がつくと巣穴へ引っ込むように友達の背中に顔を隠してしまった。


「え、ちょっ、か、香苗? 香苗さん? なんで頭で背中をぐりぐりしてくるの」


 やはりそうなるかプレイリー少女よ。

 なぜだ。


「充、あれあれ!!」

「ん? あ……」

「……見たことないやつだなどこ小だ? ガルル」

「どした小林、毛を逆立てる子羊みたいな目をして」

「ちげえ、今の俺はライオンだ! 想像しろ、イメージしろ!」


 ……小林くんはわざわざなんで同じ意味の単語を、しかも英語にして言い換えちゃったんだろうか。単に頭痛が痛いって言うよりも遥かに頭悪そうだし、めちゃくちゃ小物感がでてるじゃないか。

 すごい奴だ。只者じゃないぞあいつ。

 などと思っていると、視線が集まってくる。なんだか居たたまれなくなってきた。

 とりあえず、気にしてると思われるのもあれである。

 ここは、ふっ、と会釈代わりの微笑みを返すことで、場を和ませることにしよう。

 満面の笑みではないのがポイントである。

 おれは同じ失敗を二度しない男なのだ。ということで、にこっ。


「……ちょっと、充あんま見んなし。あんたも、威嚇すんなし。なにあれこわっ。黙ってたら良いのにギャップ差ありすぎでしょ」

「あ、あはは。そんなにひどいかなあ」

「ヤバイヤバイ。完全にサイコパスホラー映画に出てくる犯罪者だね」

「あんな表情を、同級生に向けて……いや人類に向けて良いときがくるとすればそれは相手と殺し合いをするときだ。つまりはあいつはおれの敵だQED証明完了」

「えーでもコバちゃんだと真っ先に殺されそう」

 そして、顔を見合わせ、キャハハハ、と。

 なにはともあれ無事笑いの種になってくれたようで何よりである。


 ……このとき、おれは決意した。


 この笑顔はもう封印しよう。

 そしてもしもこのまま虐められたり、無視されたりなんかしたら素直に学校へ行くのをやめよう。


「あ。そういえば、この前香苗が言ってたユーチューバーの動画見たよ。変顔の。ふふっ、面白かった、顔だけじゃなくて間の取り方とか声調とか計算されているよね」

「え? 充ちゃん、み、見てくれたんだ。それって、す、少し話題に出しただけのやつだよね。す、すぐに話題変わっちゃったから、き、気にも留められてなかったと思ったのに、充ちゃん、み、見てくれたんだ」


 そんな情けない事を胸に秘めるくらい繊細な心根を持つおれなのだが、先生が来るまでのこの気まずい時間を、隣の席の子が隠れた背中の持ち主、集団の中でとりわけ目立つ女の子を目で追うこみとでやり過ごすことにしたのだから、思ったほど大したダメージを負っていなかったのかもしれなかった。

 ちなみにその女の子、というのが、中村充である。

 クラスでその集団が目立っていたのは、大所帯だったからでもあるが、大方の要因がこいつにある。


「ね、ね。充さ、なんか忘れてないですか?」

「ん? って……冗談。卒業記念と同じように、入学記念にも作るって約束したアップリケでしょ。ちょっと待って。これこれ、はい」


 夜明けの光や、沈む夕日を見て。

 あるいは雨が降る厚い雲の間から差し込む光の筋を見て、心を奪われるのに理由がいらないように――。


「さすが充! ってああ! かわい!!!! 私が好きなキャラをデフォルメしたプチキャラじゃん! めちゃうれし!!!」

「ありがと。そう言ってもらえてこっちのほうがうれし! へへ」


 まるで太陽みたいだ。

 まともに見れば目を眇めずにはいられないような存在感である。

 そんな信じられないくらい整った顔立ちの美少女が、話しかけられるたび、その背中まで届く長い黒髪を揺らしてころころ表情を変え、よく笑うのだ。

 それだけで目立つのは当然だろう。


「いいなあ」

「ふふん。そう言われると思って……はい」

「え、すご。私たちの分も?」

「しかも、ちゃんとそれぞれの好みに合わせて違うキャラで作ってるとこ、えもいよ。わたしからは、エモエモポイント進呈します」

「……へへ頂戴させていただこう。あ、香苗には、特別に、武器とか頭にマスコットもつけといた」

「み、充ちゃん。ありがとう」

「なあ、それ俺たちには」

「ないよ??」

「がーん」

「変なの。そんな落ち込むこと?」

「み、充ちゃんは、も、もうちょっと自分の手作りプレゼントがもたらす付加価値を自覚した方が良いと思うな……」


 まさか芸能人になる、なんてことは、勿論このときのおれはまだ知る由もない。今となってみれば、見惚れていた、なんてことは口を裂けても本人には言えない俺だけの秘密だ。

 本人に言ってもろくな反応が返ってこないのは目に見えたしな。

 そんな中村充のことを話す前に、もう一人の親友についてのエピソードをまずは語っておきたい。

 多分、そいつがいなければ、おれと充との関係は、互いに少々意識はしても、接点はもたず通り過ぎていくだけの関係だっただろう。

 おれはそいつを通して充と仲良くなったし、充もまたそいつを通しておれと絡むようになったのだ。

 久保眞人。

 おれたちの親友。

 それは、ふと手のひらに花びらが落ちてくるような、そんな出会いだった。


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