『回想』
この仕事に就いた時の事は良く覚えている。
目の前に広がる青い海―――肌を温める柔らかな陽の光。懐かしさを感じさせる潮風が、頬を撫でながら後方へと過ぎ去っていく。
海を渡る船に乗船している男―――飯島義明は目の前に見えている島へ向かっていた。
『あれが‥‥‥新しい職場か‥‥‥』
海の真ん中に浮かぶ島―――普通の離島とは違い、地面から空に向かって長い塔のようなものが立っていた。
『そろそろ島に着きますよ。下船の準備をお願いします』
『はい、承知しました』
一緒に乗船していた男の指示に従い、最低限の荷物を肩に担ぐ。
回転数の下がったエンジン音を聞きながら、ゆっくりと船着場へ入る。そこから先は人間の足で進まなければならない。
油の切れた自転車のように不愉快な音を奏でる身体を引きずりながら、島へと上陸する。
古びたコンクリートの塔―――灯台だ。
小舟に乗船していた男とともに灯台の内部へ入る。見た目通り円柱状の構造で、螺旋を描くように階段が上へと繋がっている。天井には詰め所のような部屋が見える。そこが飯島の仕事場であり、寝泊まりする家でもあった。
『給与や待遇については書類の通りです。仕事内容についても同じですが、詳細については前任者が残したマニュアルをご覧下さい』
『承知しました‥‥‥ここの物品はどう扱えば良いのでしょうか?』
『灯台の中にある物品は好きに使って貰っても構いません。連絡に付きましてはこちらの電話を使用して下さい。毎日の定時連絡もこちらからお願いします。非常時も同様です』
『この電話ですか‥‥‥分かりました。もしこちらの都合で連絡が出来ない場合は?』
『連絡が無い場合は、最短で翌日には我々が確認に来ます』
『ありがとうございます。貴方がたの手を煩わせないように心がけます』
『‥‥‥事前に説明していた通り、期間は1年。休みはありませんが、1日3回の安否確認と定時連絡をこなして頂ければ、それ以外の時間はご自由にしてもらっても構いません。必要があれば嗜好品もお届け致します』
『ありがとうございます‥‥‥とりあえず、本があれば十分です』
『何か質問はありませんか?』
『特には‥‥‥ああ、それならラジオなんてものがあれば非常に助かります。お願い出来ますか?』
『ラジオですか‥‥‥それならそこにあるものをお使い下さい。古いものですが、まだ使えると思います』
『あ、気が付かなくて申し訳ない‥‥‥これは、ここの備品ですか?‥‥‥非常に良いものですね』
『‥‥‥分かりません。メーカー品である事とかなり良いものであることは分かりますが‥‥‥恐らく歴代の灯台守が置いていったものでしょう。暇つぶしのために、と‥‥‥』
『なるほど、中々粋な事を‥‥‥問題が無ければ、これからも使わせて頂きます』
『電池は新しいものを入れ替えておきましたので、どうぞご自由に』
『ありがとうございます』
『‥‥‥では、今日から1年間。宜しくお願いします』
『ええ、こちらこそ。宜しくお願いします』
男と握手を交わし、その場で別れる。
仕事を紹介してくれた男であったが、感謝の念や親近感といったものが湧いてこない。
『行ったか‥‥‥』
男の帰りを見送った後、溜息を付きながら古びたソファに座り込む。埃とともに飛び散ったであろう黴の匂いが鼻につく。
壁も床も、全てが年老いており、罅や汚れを誤魔化すことが出来ていない。
狭くて古い、人気の無い空間。
若い頃の自分であれば直ぐ嫌になったであろう場所も、今では心地よいもの―――人間よりも親近感が湧く。
『はぁ‥‥‥他人事とは思えんな‥‥‥』
今日は初日ということもあり、仕事はしなくても良いと聞いていた。軽く荷物を整理した後はぼんやりと過ごす。
ただし閑職とはいえ、仕事は仕事。明日からはきっちり働くつもりである。
『金払いは良いからな‥‥‥給料分の仕事はするさ』
自分に言い聞かせるように独り呟く。
今でこそだらけてはいるが、元は真面目な男。前の職場では裏目に出てしまったが、今更変えることは出来ない。大抵の場合は美徳として扱われる事なので変える気も無かったが。
『‥‥‥ラジオでも聞くか』
電波を拾うかどうかの確認に移る―――今日一番の大仕事。なにしろ明日からの相棒だ。きっちり働いてもらわないと困る。暇潰しの道具は1冊の本しか持ってきていないのだから。
アンテナを立て、電源を入れる。
【ブツッ ザァーーーーーー】
音量が最大になっていたため、慌ててダイヤルを操作する。鼓膜の震えが元に戻った時には丁度良い大きさになっていたが、ざらついたノイズはまだ続いている。
周波数を調整することで次第にノイズが意味のある音へと変わり、ある一点からクリアなニュースを耳へと届け始める。
【―――でした。ラジオネーム“都会のふくろう”さん、ありがとうございました。続きましては、ラジオネーム“壁にへばりついたガム“さんのお便りです。こんにちは、私は壁に―――】
【へぇぶぁっザァーーーーーー】
ラジオパーソナリティの余韻をノイズが上書きする。
興味の薄い内容であったため、次の番組を探すが中々合致しない。
『壊れているのか?‥‥‥いや、電波が入らないだけか‥‥‥』
【ザァーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーッザァーーー】
【ーーブーーーーー】
【ブツッ】
【―――す―――おー―――え―――え――】
『は?‥‥‥何だこれ?』
突如聞こえてきた音声に対し、怪訝な表情を浮かべる。何処かの局に繋がったようだが所々で音飛びがあり、上手く内容が聞き取れない。
ただ、間延びした人の声という事だけは分かった。
【わ―――そ――――――ます―――この――――――たら―――】
【―――けん――――――ごう――――――】
【ァァァザァーーーーーーー】
【ブツッ】
【―――あかり―――だい――――――ひとが―――】
【―――れか―――たす―――きがつ】
【ゥァァザァーーーーーーー】
『‥‥‥今のは、何だったんだ?』
ニュース番組や音楽の放送でも無い、実に奇妙な放送。時間にして30秒も無かったが、嫌に耳に残るものであった。
『‥‥‥‥‥‥気味が悪いな‥‥‥』
飯島は得体のしれない何かに触れてしまったような気分になりながら、他の番組を探す。
先程までの時間が嘘のように、直ぐにニュース番組の周波数に合致した。
【ブツッ】
【―――続きまして次のニュースです。15年前、〇〇県の沖合で行方が途絶えた船舶について、新たな手がかりとなるものが発見されました。場所は〇〇県の〇〇海岸。地元住民が早朝の散歩中、手紙の入った瓶を発見したとのことです。中身を取り出して見た所、中から助けを求める文章とともに、当時行方不明となっていた藤原嘉紀さん、工藤康介さん、木下陽平さんの名前が書かれていたそうです。事件性があると考えた住民は警察へ通報。調査の結果、15年前に〇〇県の沖合で行方不明となった人物の署名であることが判明しました。警察では当時の事故と関連性が―――】
【ぁるとぉザァーーーーーーブツッ】
思わずダイヤルを回す。不愉快なノイズが耳障りであったため電源も切った。
『偶然にしては、心臓に悪い‥‥‥』
早くなった鼓動を感じながらソファへと身を沈める。何度か深呼吸をしていると少しずつ心臓が落ち着きを取り戻す。その代わりに背中の汗が衣服に移り、じっとりとした冷たさが飯島を不快な気持ちにさせていた。
『‥‥‥駄目だ、音がないと落ち着かない』
目を閉じてみたものの、波の音しか聞こえて来ない。普段であれば落ち着く音かもしれないが、今は嫌なものを想像させる雑音でしかなかった。
【ブツッ ザァーーーーーー】
再びラジオの電源を入れ、周波数を合わせる。気分を紛らわせる事が出来るのであれば、中身のない番組でも構わなかった。
【ザァーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーーザザッーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーブッーーーーー】
【ーーーーーーーー】
【ーーッザァーーー】
【ーーーーーーブツッ】
【―――と思いました、だそうです。なるほど、荒ぶるマラカスさんは珍しい経験を自分の仕事に活かすことが出来たのでしょうね。私もこの仕事を―――】
『はぁぁ‥‥‥勘弁してくれよ‥‥‥まったく』
普段は興味のない番組であっても、こうして聞き流しているだけで日常に帰ってきたと安心する。
ラジオの生放送から人の気配を感じつつ、仕事のマニュアルが綴じてある古いファイルに手を伸ばす。
中身は想像していた通り、灯台の内部構造や機械類の操作方法などが羅列されていた。細かいながらも、簡単な絵と分かりやすい文章で記されているため新人の灯台守にも理解がしやすいものであった。
『前職に比べたら楽なものだな』
思い出したくは無いが、今の仕事とつい比べてしまう。それだけ飯島の心身を蝕んでいたのであろう。無意識の内に苦虫を噛み潰したような表情になっていることに気が付く。顔の筋肉をほぐすため、ファイルをテーブルの上に置こうとした―――しかし、ファイル内のリング金具が劣化していたのであろう。金具の隙間からクリヤーホルダーが外れてしまい、音を立てて床へと散らばってしまった。
『ああ、くそっ‥‥‥中身が散らばって‥‥‥いつまでもこんな古いものを使うなよ‥‥‥』
床に広がる数ページ分のクリヤーホルダー。
その中のいくつかは、ホルダーからマニュアル用紙を吐き出していた。
幸いにもページに番号が記載されていたため元に戻すことは出来るが、少しだけ面倒である事には変わりはない。床に散らばった数枚をテーブルに置き、仕事用のデスクの下に入り込んだ最後の一枚を手探りで探し、指で触れた紙を手元に手繰り寄せる。
『汚れてなければ良いが‥‥‥ん?これは‥‥‥』
マニュアルの裏に何かが貼り付けられている事に気が付く。マニュアルを裏返して見てみると、そこには灯台を背景に当時の作業員や職員が並んで写っている写真が貼り付けられていた。カラーでは無い所を見ると、撮影時期は恐らく灯台が建てられて間もない頃であろうと推察していた。
『随分古いものだな‥‥‥日付は書いていないのか‥‥‥?』
【1963 灯台完成記念 】
三宅 作造
原 正則
森田 和幸
他、十数名の名も無き人々へ 捧ぐ
裏面には聞き覚えの無い人物の名前が記載されていた。
文脈から、何らかの理由で亡くなった関係者への慰霊の意味を込めて書いたものであろうと想像する。
『あっ‥‥‥』
手の中から写真を落としてしまう。
再びデスクの下へと滑り込むが、もう一度探す気にはなれなかった。
『‥‥‥とりあえず、後にしよう‥‥‥』
何もしていないのに疲れた身体をソファに預ける―――何故か手が震えていたが、彼は気が付いてはいない。
手紙を読み上げるパーソナリティの陽気な声だけが、飯島の心を落ち着かせていた。
『1年だ‥‥‥それだけで数年分の生活費が稼げる‥‥‥暫くの我慢さ‥‥‥』
―――――1年だけの灯台守
この時は、あのような結末を迎えるとは露ほども思っていなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
この作品は別の大手サイトでも掲載中です。
なお、作品は完結させてから公開しております。
※完結は7〜10日程度を予定しており、全編予約投稿済みです。
※完結後、後書きの一部を削除予定です。
最後までお読みいただければ幸いです。




