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私には父が二人いる。でもこの国の法律だと、父たちは、どんなに愛し合っていたとしても結婚を許されない間柄だ。
だから私たちが書類上で家族になるには、普通養子縁組や子の氏の変更許可申立やら、複雑な手続きをしなければならないらしい。
自分に何かあった時、愛してるからこそ、残された者には何かを残したい。
みんなと同じようにそう考えても、実際は男女の婚姻しか認められていない現状だと色々と壁がある。
現に私だって、書類上では幸博パパの孫になっている。でも私にとって二人は等しくパパだ。だから戸籍なんて、あんな紙切れどうでもいいと思ってた。
私がちゃんと二人から愛されているって、自覚していれば、ずっと幸せでいられると教えられてきたから。
でも今は、そこに何が書かれているのかを知らないまま進むほうが怖かった。
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「……お金入れるね」
私が言うと、逢坂君は短く「うん」と頷いた。
コンビニの複合機の前は、妙に冷えていて、声が反響する。
たった四百円ちょっとで、私と逢坂君の関係がもしかしたら変わるかも知れない。
そう思ったら、マイナンバーカードを機械に差し込むのも、指で画面を押すのも、手が震えた。
私と逢坂君は、順番に申請ボタンを押し、それぞれの戸籍抄本が印刷されるのを待った。
ガーッ……ガーッ……。
プリンターの音が、やけに長く感じた。
受け取った紙をすぐに裏返して、手にしたまま、私たちは顔を見合わせる。
どちらも、全然笑えていなかった。
「一人で見るのは、無理かも」
ポツリと言うと、逢坂君はすぐ頷いた。
「俺も。外でよう」
「公園、行こ」
私の家の近くの小さな公園まで、二人で歩く。
夕方だけど、すでに空気は冷えていて、色んな家から漂う美味しそうな香りが通り過ぎていく。
ピアノの音が響いて、どこかの家でお母さんが子どもを叱っている声が聞こえてきた。
当たり前に通り過ぎる日々を送れる人が羨ましいと思いながら、立ち止まりそうになる足を一歩一歩、進める。
公園のベンチに腰かけ、コンビニで取った戸籍抄本を膝の上に置く。
冷たい風が吹いて、ブランコがキーキーと不気味な音を立てながら揺れる。
空は、夕暮れ。オレンジ色の光を全力で地球に注ぎ込んでいる。
「俺のから見ていい?」
そう告げる彼の手は、少し震えていた。
勇気を出すまで、まだ時間がかかりそうだった私は小さく頷く。
逢坂君は、静かに戸籍抄本を開く。
視線が文字を追った瞬間、少しだけ眉が動いた。
「……やっぱり、空欄だ」
どこか安堵するような声。
「俺、非嫡出子だから」
ぽつりと放たれた言葉が、母親と手を繋いで公園を横断する子どもの笑い声で掻き消される。
逢坂君が見つめる紙を覗き込む。
そこには、たしかに
父:
母:逢坂薫
続柄:長男
とあった。
空白の「父」の欄。
それを見た瞬間、胸の奥がぎゅっと痛くなった。
「……ごめん、なんか、やだ。こんなの」
気付いたら、私は言っていた。
「真鍋さんが謝ることじゃないよ」
逢坂君は、ふっと笑った。
「俺は気にしてない。慣れてる」
そう言って彼は、公園の近くを歩くお母さんと小学生くらいの男の子を見つめた。
「こんなの、ただの紙切れだもんね」
逢坂君を励ますついでに、自分にも言い聞かせるように告げる。
「……真鍋さんの見る?」
私はうなずき、震える手で四つ折りにした戸籍抄本を開く。
紙を捲る感じが、妙に重たく感じる。
勇気を出して、書類に目を落とす。
そこには、見慣れない文字があった。
父:真鍋達也
母:夏目明日香
続柄:長女
下の方に、認知をした日の日付と、達也パパの名前が記されていた。
一瞬、頭が真っ白になる。
「なつめ……あすか」
初めて知った生みの母の名前を呟く。
ずっと気になっていた人の名前を知った。
名前を知ったら、心が軽くなると思ってた。でも今は、どんな人なんだろうと、もっと彼女のことを知りたい気持ちが強くなって戸惑う。
「……私のお父さんとお母さんは」
声がまるで他人のものみたいに弱かった。
「父親が真鍋達也……で、母親が……夏目明日香」
確認するように名前を読み上げると、逢坂君が私の戸籍を覗き込み、静かに言った。
「夏目明日香……それ、俺の母親」
私は息を呑む。
「でも、血は繋がってない」
逢坂君は、迷っているような顔でゆっくり続けた。
「俺の母は……戸籍上は薫で間違いない。産んだのは薫のほうだから。でも婚姻関係を結んでない、ただのパートナーシップだから、俺には父親欄がないんだ」
一つ一つ確認するように、静かに話す逢坂君。
「真鍋さんは……達也さんが認知して、夏目明日香が母として書かれてる。つまり……」
「つまり……?」
喉が鳴った。
「俺の母親が、真鍋さんの……代理母だった、って形になる」
私は目を見開いた。
最悪だ。
息が苦しい。
でも逃げたくない。
「じゃあ、やっぱり――」
「俺たちの親同士が協力して、お互いのドナーになってるってこと」
その言葉は、秋の空気より冷たく胸に突き刺さった。
本当に、そうなんだ。
お互いの家族の選択によって生まれた子どもである私たちは、一体どういう関係なんだろう。
好き同士だけではいられない関係なのだろうか。
胸がギュッと掴まれたように苦しい。
「お、逢坂君の本当のお母さんって」
「逢坂薫だよ。それだけは間違いない。問題は、父親が誰かってことだけど」
私は、ごくりと唾を飲み込む。
「達也パパなら……私と腹違いってことになる」
「幸博さんなら……俺らに血の繋がりはない」
どちらにしても、軽い話じゃない。
目の前が少し揺れた。
でも、逃げたらもっと壊れそうだった。
「……やだね、帰りたくない」
気づいたら、声が震えていた。
「うん」
彼が小さく答えたその声も、少し震えていた。
「このまま、二人でどこか行こうよ」
言った瞬間、自分でも驚いた。
もう全部から逃げたい。
でも、一人じゃ無理。
今は、逢坂君が必要だった。
逢坂君は、私の手を包むように握る。
「いいよ」
その返事で、少しだけ息ができた。
二人でベンチを立ち、駅のほうへ歩きだす。
街灯がひとつひとつ点いていく。
手は、いつの間にか恋人繋ぎになっていた。
さっきよりも強く繋がっている。
どこへ行くかなんて決めていない。
ただ今は、ふたりでいたい。
出生の秘密に押しつぶされないように。
歩幅を合わせながら、私たちはどちらともなく駅へ向かった。
はやくこの街から、この世界から逃げ出したい。
そんな思いに、私の全部が支配されたまま。
*
駅の改札前で、私たちは立ち止まった。
「どの電車に乗る?」
「わからない」
「じゃあ、適当に?」
「うん」
私たちは、行き先も決めずに改札を通った。
どこに行くかなんて、どうでもよかった。ただ、二人でこの街から離れたかっただけだから。
結局、逢坂君ちに向かう電車と逆を選んだ。
ホームに立って、電車を待つ。
冷たい風が吹いて、私の髪を揺らした。
逢坂君が、私の顔を覗き込む。
「寒い?」
「ちょっと、だけ」
素直に答える。すると彼は、自分のマフラーを取って、私の首にぐるぐる巻いた。
無臭だと思っていたのに、今日は彼の香りをちょっと感じた。でもそれは嫌な香りじゃなくて、一人じゃないと安心できるから好きな香りだと思う。
「逢坂君は寒くない?」
「俺は大丈夫」
嘘だ。彼も、寒いはずだ。
でも、そう言ってくれる優しさが、今はとても嬉しかった。
電車が来て、私たちは乗り込んだ。
空いている座席に並んで座る。
窓の外には、流れていく景色。
見慣れた街が、どんどん遠ざかっていく。
「真鍋さん」
「ん?」
「後悔してる?」
逢坂君が聞いた。
「何を?」
「俺を、選んだこと」
私は、彼の顔を見た。
不安そうな表情。
そう言えば、彼は何かあるとすぐその言葉を口にするなと思う。
「後悔してないよ」
私は、はっきりと答えた。
「逢坂君を選んで、良かった」
「でも、俺たち……」
「まだ、わからないでしょ」
私は、彼の手を握った。
「どっちのパパが逢坂君の父親なのか。それがわかるまで、私たちは好き同士でしょ?」
「真鍋さん……」
「それに」
私は続けた。
「たとえ、どんな結果だったとしても」
「うん」
「逢坂君が好きって気持ちは、変わらないよ」
逢坂君は目を見開いた。
そして、少し笑った。
「真鍋さん、強いね」
「強くないよ。怖くてたまらない」
「でも、前を向いてる」
「逢坂君がいるからだよ」
私は、彼の肩に頭を預けた。
「一人だったら、きっと耐えられなかった」
逢坂君は、私の頭にコツンと自分の頭をつけた。
「俺も、真鍋さんがいるから平気」
電車は、どんどん進んでいく。
私たちを、どこか遠くへ連れて行く。
でも、どこに行っても、二人でいれば、大丈夫な気がした。
「海、見に行こうか」
逢坂君が、ふいに言った。
「海?」
「うん。なんとなく」
彼は、窓の外を見ながら続けた。
「広いところに行きたい」
私は頷いた。
「いいね」
窓の外では、夜が始まっていた。
街の灯りが、ぽつぽつと灯り始める。
私たちは、ただ黙って暖房の効いた電車に揺られる。
言葉はいらないって、まさに今の状況にぴったりだった。
ただ、お互いの温もりを感じていたかっただけだから。




