暗躍は平等に訪れる
いつもの
「まず、亜人差別の起源からなぞらえましょうか。」
卓上に置かれた紙に1本の長い線が引かれた。
「これは?」
「人類の歴史です。左端が原初、右端が現代と見てください。」
左端から数えて三割程の場所に、一つ垂直に線が付け加えられた。
「魔術的特異点という事象を聞いたことはありますか?」
首を横に振れば、垂直に引かれた線の上にSlと文字が彫られる。
「魔術的特異点。別名をシンギュラリティと呼ばれています。もっとも言語学者曰く、呼び方と読み方は一致していないらしいですが。」
そこからまた三割程進んで垂直に線が引かれた。真ん中を少し過ぎて右端に寄った程度の場所。
「シンギュラリティと呼ばれる事象が起こるまで、人類は魔術を扱うことができなかったとされています。しかし、文明としてのレベルは非常に高く、魔術に代わる別の技術が発展していたと。」
「ほぅ。」
「しかし、シンギュラリティを通過してから人類の価値基準は一転。魔術の誕生により文明の基盤は大きく揺らぎ、約1000年ほど文明が回帰したそうです。」
Slと書かれた線から右に三割程がまとめられ、左端とSlの間へ矢印が伸ばされる。
「なぜだ?魔術と本来発展していた物を併用すれば良かったのではないのか?」
「おっしゃる通り。そうしなかった明確な理由は不明ですが、本来発展していた技術は莫大なリソースを要求されるもので、資源の枯渇により存続が不可能になったという説が有力視されています。」
手持ち無沙汰に一度ペンがくるりと手の甲の上で回る。
「ちなみに、1000年ほど回帰した理由ですが、そちらははっきりとしており、人類が既に魔術にもっとも適応した時代を通過していたからです。」
6割の場所に☆のマークが描かれる。
「ここはそれらの回帰が終わり、私たちの生きる文明が安定した所です。」
「……いまいち話が見えてこないな。」
「そう焦らないでください。何事も手順を知ることは大切なのですから。」
空腹の子供を宥めるように、それは薄い笑みを浮かべてペンを握り直す。
「実のところ安定したのは文明だけで、人類はそうではありませんでした。例えばそう、新人類の登場だとか。」
「新人類?」
6割と7割の半分程度の所に垂直に線が付け加えられる。
「初めて誕生したソレは人間に酷似した器官を持ちながら、同時に人間にはあり得ない器官を有していたとされています。」
スッと手が伸ばされて、頭上で手の内を見せつけるように二つ構えられる。
「生えていたんですって、耳が。」
ソレは指の最も低い関節より一つ下の関節で折り曲げを繰り返す。
「猫の耳に近い見た目だったとされていますね。しかし、耳としての器官は備え付けられておらず、私たちのような両耳がついていたらしいですよ。」
そして、7割に線が。
「そんな新人類の誕生を皮切りに、世界の各地で特異な現象は見られました。人間同士で交配がやがて、新人類同士の交配になり、種は混ざり合う。瞬きの間にそれらは人口に加味すると1割ほどを埋め尽くした。コレは10分の1騒動と呼ばれていますが、まぁ覚えなくて結構です。」
筆先は八割に。
「そしてお待ちかね、ここが本題です。」
どこか愉快げに笑う男は舌を躍らせる。
「新人類と呼ばれる者たちは繰り返す交配の果てに遂に実用的な器官を手に入れました。人間と同様の知性を持ちながら、爪をもち、牙をもち、あるものは翼を、またあるものは怪力を。」
渦を巻く瞳が開かれて、眼下に自己が収まる。
「果たしてなぜ人間は、自分たちよりも強力な種族を差別できたのしでしょうか?」
「……数で勝てなかったからか?」
その答えを笑い飛ばすことはなく、男は静かに言い答えですね。とだけ残した。
「しかし、答えは少し違います。」
引かれた線の上に文字がつづられていく。
「人間は文明を築いたんです。それもシンギュラリティのずっと前から。詰まるところ新人類とは人間によって《《文明に迎え入れられた側》》なのですよ。」
そこに書かれるのは4つの文字。
「人間の定めたルールの中に、人間の作ったシステムの上に、人間を基準とした生活圏の内側に。」
呼称変更
「人間の許可がなければ生活さえも許されない。それが、新人類を亜人という名前に押し込めたテクニックです。」
「……なるほどな。」
それは歴史をなぞっていくだけの事であり、場違いな感想であるのも理解できたが、それでも合点がいったとしか表せないものであった。
「それから、亜人差別は約200年足らずで極小しています。亜人が同種同士でコミュニティを築き、独自の集落を形成するようになりましたから。群諸島リーリアスはその代名詞とも呼べる国でしょうね。」
「では、フレスタットでは亜人差別は一般的ではないということか?」
その言葉をうけ、いよいよ右端に線が一つ引かれる。
「フレスタットに至ってはほぼないでしょう。小さな集落ならいざ知らず、ここは王都のなかでも主要の都ですから。外交的にも重要な場所で、声高らかにレイシズムを信仰する輩は居ませんよ。」
「では、フレスタット《《以外》》ならば?」
最後、線の上には一つの国名が刻まれる。
「よっぽど閉鎖的なコミュニティで育ったわけではなければ亜人差別という風潮が最も強い国、恐らくそんな思考を常識として持ち込んでくるのはそこの国民だけでしょう。」
『聖村ベイカニック』
「とても信仰に厚い国らしく、未だ古びた聖典に従って生活をしているそうですよ。」
耳ともで羽が揺れたような気がした。
「流石、丁寧な報告書でございますね。ルーシフェル様。」
「チッ、四六時中つけ回されてんだ。虚偽の申請なんてすぐバレんだろうが。」
闇に紛れるようなソレは男性的な声にも女性的な身体にも取れる風貌で現れた。
「ソレが仕事ですから、堪忍ください。」
ふざけたように畏まった言葉を発する黒はもはやその色しか判断がつかない。
「調査記録は十分とったろ。さっさと情報を寄越せよ。」
笑っているのか、面と向かっているのか、瞬きの間にソレは性別を変えて身長を変えて、まるで実態を掴ませない気色悪さを感じる。
「では、せっかくですのでレアルタリアのお二人に関わるお話しましょうか。」
そして、そんな気色悪さを黒一色で塗り潰すような浅ましさも。
「フレスタットのみでなく、レアルタリアやザレン、ギルザリアと対する国は全て、亜人種のみで構成された部隊を最低でも1部隊以上所持しています。」
「……ベイカニックもか?」
「勿論。ギルザリアの敵対国でございますから。」
本当に、世界は混沌に足をつけたらしい。
「《《やはり》》気になりますか?」
「チッ!」
覗き込むような目さえ黒だった。
「酷い話ですよね。仲間の情報を国に売り、内通者であるにも関わらずヘラヘラとリーダーぶっている。教えていただけませんか?今の心情というものを。」
よく回る舌さえ黒だった。
「……別に、どっちにも情はねぇよ。」
そして、吐き出したこの言葉さえ黒だった。
「俺はベイカニックに帰れりゃそれでいい。そのためだったら、裏切りも謀略もなんだってやる。」
ただ不純なく闇に溶ける。
「笑って見てろよ伝達者。テメェだって、俺の踏み台にしてやる。」
どこまでも深い黒の中で伝達者は歪に口を裂く。
「あっはっは!ヤって魅せてよ、堕落の天使!!矮小な君の夢を!脆弱で下卑た未来を!ぜひこの伝達者を楽しませてくれ!」
愉悦が黒を裂いて現れた。それは青年の声で、少女の一面をもって、初老の男性の面構えで、生娘の可憐さを孕んで、少年の純朴さで、瞬きの間に顔を変える。
「さっさと消えろ!俺は帰るぞ。」
「……あ〜あ、酷いなぁ。」
目尻から溢れる涙を人差し指ですくい上げて、伝達者は腰を折る。
「ではルーシフェル様、またお会い致しましょう。お相手は私、研究会所属の這い寄る混沌、ナイアルラトホテップがお送り致しました。」
その丁重な一礼もまた、黒に溶けて消えていった。
「本当に7日で打ち切りなのですね。」
「始めからそういう契約であっただろう。」
四腕の鬼を見送るように、軽薄な笑みを浮かべた男は賭博場を背に佇む。
「まぁ、最低限稼がせて頂きましたし、ここは腐れなく行きましょうか。」
「あぁ。世話になったな。」
鬼は男に背を向けて歩き出す。そんな背後に男は一つ口添えを残した。
「あぁ、そうそう。研究会にはお気をつけて。」
「む?どういう意味だ?」
立ち止まった鬼は首をかしげるが、男は意地の悪い笑みを浮かべてきびすを返す。
「いいえ、分からないのなら大丈夫でしょう。」
答える気がないことを悟ったのか、その背中を見送り切る前に鬼もまた帰路についた。
「……一体なにを企んでいるのだ、ルーシフェル。」
その呟きに答えるものもまた、いなかった。




