魂のお勉強の強制行為の禁止とそれがが認められる特殊な条件
こうした未来予測が示された結果、不自由な世界群でなされているような残酷拷問体験群などを使っての魂のお勉強の強制行為は原則禁止される必要がある……ということになった。
そして、唯一、認められる魂のお勉強の強制行為は、
「望まれない体験を故意に確信犯で強制する意識たちに、そうした体験強制行為を止めさせるための必要最低限の強制抑止行為とそうした体験強制行為をしてはならないということを体験的に理解してもらうための自業自得のお勉強の強制行為」
だけであるとされた。
その他の恣意的な望まれない魂のお勉強の強制は、すべて認められないとされた。
なぜなら、そうしたお勉強の強制行為を認めるということは、理想的共通目標の基礎にある価値観を否定することになると判断されたからだった。
そもそも、不自由な世界群では、「何を学ぶ必要があるのか?」という点がほとんどの場合説明されていなかったり、その学ぶべき内容が倫理的に明らかに間違っている場合がほとんどだった。
不自由な世界群に存在していたほとんどの宗教群の教えやいわゆる常識的文化や価値観の中には明らかに「理想的共通目標」に反している教えを学ぶべきだとしているものが多数あった。
「理想的共通目標」を完全に遵守できている広く支持されている公的な教えは、不自由な世界群には、ほとんどなかったのだ。
不自由な世界群で公的に認められている教えの多くには、どこかしらに望まれない体験の強制を肯定するような教えが混じっていたり、望まれる体験を楽しむことを不当に禁止したりしていたのだ。
「魂は何を学ぶ必要があるのか?」という点においては、
「不自由な世界の権力者になんでも無条件に従えるようになることを学ぶ必要がある」などとされたりしていた。
また、
「不自由な世界の権力者たちを尊敬し賛美し感謝するべきだ……」などという教えも学ぶべきことだとされていた。
つまりは、「望んでいない拷問体験を強制されても感謝し、そうした強制行為に加担するように求められたらなんでも喜んで従いなさい……それが魂が学ぶべきことである……」などとされたりしていたのだ。
不自由な世界の不自由な人間族の中にはまだそうした教えは間違っていると思うことができる者たちが少数ながら存在していたが、不自由な世界の創造者たちや体験強制能力を持った特権的な権力者たちのほとんどは、そうした教えを何としても魂たちに学ばせねばならない……などと思うようにされてしまっていた。
その結果、社会全体がそのような「親やボスや宗教指導者や上司や教師…からの命令や指示や教えはその内容がどんなものであれ、絶対に受け入れて従わねばならない……」というような価値観や仕組みに満ちてしまっていた。
その結果、不自由な世界群では、延々と拷問体験を強制される被害者たちが発生し続けていた。
その被害者の中には、何の罪もない者たちや生まれたばかりのまだ判断能力すらまともに持てていない赤ん坊すら含まれていた。
また、何の罪もない人間族以外の動物族たちなども含まれていた。
つまり、すでに不自由な世界では、どう言い訳しても望まれない体験の強制行為をすべて正当化することが不可能な状況になっていた。
よって、すでに不自由な世界群に存在する拷問体験強制システムを積極的に故意に肯定する者たちの多くが、超時空聖体や超時空体験図書館によってその倫理的責任が問われ、一部がすでに断罪されてしまっていた。
なぜなら、何度繰り返し問題点を指摘され、説得され、注意され、警告されても、望まれない拷問体験を故意に確信犯で体験者たちに強制し続けていたからだ。
よって、そうした不当な体験強制行為を止めさせるための断罪行為と強制抑止行為だけは認めないわけにはいかなかったのだ。
自業自得の範囲で……。
こうした理由から「魂のお勉強の強制行為」は原則禁止とされた。
こうして体験者自身の願いを無視して与える強制的なお勉強システムから、体験者自身が自由に学びたいことを自分で選んで学べるフリースクール型のお勉強システムに改革するようにと不自由な世界群に通知がなされた。
この通知を無視して望まれない体験の強制行為を「魂のお勉強」だと称して実行し続けた者たちは、後に、自業自得学園に送られて自らが故意に確信犯で与えた強制的なお勉強体験を自分の選択の間違いを心から反省できるようになるまで強制され続けることになった。




