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ワイズサーガ  作者: 槙弘樹
第二部「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
52/64

郷と郷

  051


 睡眠を必要としない封貝使いたちを中心に、旅支度は夜を徹して行われた。

 無論、定命の人間エインたちも手をこまねいていたわけではない。

 特に新規加入の三人娘たちは一睡もせず働き回った。

 体力がなく、また戦闘要員としてもかんじょうできない彼女たちは、過酷な旅の中では役に立つ機会も限られる。

 ならばせめて出発前の準備くらいは、という心理が働いたのだろう。

 自分たちは温情で派閥に拾われた身の上。

 お荷物とみなされれば契約を切られる。

 そんな思いが、娘たちを必死にさせているように見えた。

 

 彼女たちの奮闘もあり、急ピッチで進んだ作業は、若干ながら予定を前倒しさせた。

 明けて翌朝早く、カズマを筆頭とする派閥ワイズサーガの一行は、スリージィンの北砦を出立した。

 予定では、まず国土を背骨のごとく縦断する〈尾剣山脈〉を東側から踏破。

 そのまま西側に抜けることになっている。

 順調にいけば、それから二日ないし三日ほどで、最初の目的地であるキィネオ伯爵領に入れる見込みだ。

 もちろん、キィネオは決してゴールではない。

 だが、この旅の鍵となる重要なポイントと言えた。

 土地ぐるみで〈スリージィン〉と深く結びついているため、先に進む上でどうしても無視できないのである。

 

「じゃあ、下ろしますよー」

 カズマは荷台の先端に立ち、全員に向けて言った。

「あの、私たち先に降りた方が……?」

 三人娘のひとりが座席から腰を浮かせながら言った。

「あ、いいですいいです。大丈夫ですよ、乗ったままで」

 カズマは笑顔で押しとどめると、手振りで座席に戻るよう指示した。

 それから展開した封貝〈*ワイズオレイター〉に無言で念を飛ばす。

 

 碁盤目(マトリクス)状に展開した封貝は、即座に反応した。

 音もなく、衝撃も伴わない。

 滑るようにゆっくりと高度を落としていく。

 もともと五〇センチ前後という低めの高さで浮いていたこともあり、カズマ自身、降下しているという感覚をほとんど得られないうちに、気付けばもう荷台は着地を完了させていた。

 

「はい、終わりました。みなさん、もう動いてもらって良いですよ」

 カズマが言うと、何人かは「えっ、もう?」という顔を見せた。

 気持ち悪いほど揺れがないせいで、動いた感じがまるでしないのだ。

「えっと……私たちは、ここで野営の準備をお手伝いすれば良いんですね?」

 先ほどとは違う三人娘の一人がカズマに訊いた。

「はい。予定通り、お料理とミーファちゃんのお世話をお願いします」


 メンバーたちがぞろぞろと荷台から降りていく。

 カズマはそれを見届けて、最後にぴょんと地面に向かって跳躍した。

 荷台を木陰に移動させ、底に敷いていた〈*ワイズオレイター〉を回収する。

「急ごしらえにしてはなかなかの出来だったではないか、その荷台は」

 振り向くと、レイ・ムカイザーノが口角をあげながら近付いてきた。

「ね。これなら、体力がなくたって何の問題もなく旅ができますよ」


 実際、皆で作り上げた荷台は傑作だった。

 広さは三畳くらいになろうか。

 幅が広く、天井がないため実際の数値より広く見える。

 縦向きにも横向きにも脚を伸ばして座れるのもポイントだ。

 無駄な空間がないため、恐らくはちょっとしたキャンピングカー以上の居住性はあるだろう。

 

 造りは単純だ。

 ベースは、(いかだ)を思わせる板状の大きな木のフレーム。

 これに軽トラックの荷台と同じように四方にへりをつけただけである。

 床には砦中のベッドから布団を剥ぎ取ってきて、敷き詰めた。

 また左右の縁沿いには、電車のように椅子をずらりと並べた。

 乗員は靴を脱いで布団に雑魚寝したり、椅子に座って旅ができるという寸法だ。

 

「荷台も良いが、これを封貝で浮かせるというアイディアが良い。振動が全くない」

「捕虜になってた女の子たちも、びっくりしてましたね」

「彼女たちは封貝を間近に見ること自体、初めてだったのだろう。馬車にも乗ったことがないか、あったとして農耕馬が牽く運搬用くらいか。農道は滑り止めのために、道に石が埋め込んであるのだ。あれは酷く揺れて気分が悪くなると聞く」

「それがいきなり、全く揺れない車輪なしの馬車ですか」

「終始、興奮状態であったのも無理からぬことだ」

「徹夜明けだったはずなんですけどね」


 路面抵抗がゼロになるのも素晴らしかった。

 レイはそう続けた。

 事実、幻獣型の封貝であれば一体でも余裕でけてしまうのが、この荷台の最大の強みだ。

「氷の上でソリを引っぱる感じだから、普通の馬とかでもいけますよ。ランコォル種だったらニ、三頭もいれば大丈夫なんじゃないかな」

「――フム。〈*ワイズオレイター〉だったか。単に音が出るだけの欠陥品だと聞いていたが、物は使いようということか。カズマ。卿の型に捕らわれぬ自由な発想は刺激になる」

 レイは腕組みし、感じ入ったように何度か頷いて見せた。

「いやあ、色んな人にヒントをもらいながらやってるだけですよ。僕の封貝は戦闘力がないのばっかりだから、頭を使わないとやってられないんだ」


 今回、荷台をく役を担ったのは、クゥガーが召喚した第二移動封貝(ヴィクター・ツー)だった。

 種としての名称は〈スアンジ〉と言い、大変にいかつくどうもうそうな、四足歩行の幻獣であった。

 カズマが見た限り、その外貌はあらゆる意味でこまいぬに酷似していた。

 ただ一つ、サイズだけが、神社を守る石像とは明確に違った。

 この面ではむしろ獅子(ライオン)を引き合いに出さねばならず、実際の話、それでもまだ不足があるくらいだった。


 一度、正面から見せてもらったが、冗談抜きで頭部だけでもバランスボールくらいはあった。

 恐らく、地球上で似たスケールの猫科肉食獣を探そうとするなら、絶滅した幻の種を引っ張り出してくることになるだろう。

 カズマもある程度は封貝を使いこなせるようになってきている。

 だが、戦えば五秒で狩られる自信があった。

 幻獣として使役する個体は理性的で絶対に安全。

 そう主であるクゥガーに太鼓判を押されはしたが、カズマはなんとしても半径三メートル以内に近付くつもりはなかった。


 聞いた話が本当なら、スアンジは見た目通りに気性が荒い肉食獣である。

 この幻獣にかかれば人間はもちろん、虎や大型の熊すらただのエサ扱いだというから、カズマの恐れ方もまんざら大袈裟ではない。

 封貝としては移動用、騎乗用というよりサポート型。

 ショウ・ヒジカが使っていた竜種〈シン〉と同様、主と共に戦闘時に暴れ回るのを好むとのことであった。


 当然、スアンジはその辺の馬など比較にならない速度で高速移動することが可能である。

 飛行こそできないが、幻獣らしく体力はほぼ無尽蔵。

 一〇人以上が乗り込んだ荷台を単独ながら軽々引っぱり、早朝から日暮まで、山の斜面をクルマのような速度で延々と登り続けてくれた初日の功労者だ。

 この幻獣の働きなくして、か弱い女性と山のような大荷物を引っ提げ、四〇〇〇メートル級と言われる尾剣山脈を一日で超えることなど、到底不可能だっただろう。

 

「――おいダーガ。ケイスが、戦闘班は手分けして狩りに出ろと言ってるぞ」

 ミーファティアと遊んでいたナージャが、二歳児のコロパスを兄に預けてこちらへやってくる。

 何が楽しいのか弾む足取りだった。 

「えっ、僕もその戦闘班に入ってるってこと?」

 カズマはぎょっとして問い返す。

 

「封貝が使えるんだから当然ではないか」

「僕は荷台持ち上げるので貢献したから、そういうのめんじょだと思ってたのに」

 通じないと知りつつ、試しに言ってみる。

 だが、案の定だった。

 ナージャ相手には何ら効果はなく、首筋を引っつかまれ、問答無用で拉致されてしまう。

「さあ、私とダーガの二人で南側を担当だぞ」

「えっ、僕たちだけ?」

「私は誰と組むのだ?」とレイ。

「お前はクゥガーと北だ」


 聞けば、残る西側はケイスは単独で受け持つらしい。

 東側は今日通ってきたルートなので範囲に含めない。

 封貝使いとしては他にマオ・ザックォージがいるが、彼女は守り手としてベースキャンプに残るらしい。

 既に獣相手なら問題なく立ち会えるまでに回復しているものの、野営ポイントに非戦闘員だけを残しては置けない。

 同じく、戦闘用の封貝を持たないエリナー・フォウサルタンも留守番組だ。

 狩りは制限時間を半刻と定めて行うという。

 既に黄昏れ時であるため、要は暗くなりきってしまうまでということだろう。

 

「守りは私がやる。攻撃はダーガに譲るのだ」

「えっ――?」

 思わず口角が引きつる。

「ダーガは新しい封貝が出てきたばかりだからな。

 実戦で使って、早く慣れないといけない」

「……ってケイスさんたちが言ってたんだね?」

「そうだ」

 確かに、カズマは新たに移動系封貝〈Victor 2〉を新たに発現させたばかりだ。

 

 ただ、これがまた扱いに困る難物だった。

 なにせ召喚しても、おにぎり形の丸っこい三角形の物体が、二個同時にポーンと射出されるだけなのだ。

 厚みも一センチあるかないかという薄っぺらぶり。

 勢いも大したことはないため、攻撃力は無いに等しい。

 ギターの演奏に使うピックに似ていることから、そのまま〈*ワイズピック〉と呼称しているが――当初は何がどう移動型封貝なのか全く理解できなかった。

 色々試してみても、それらしい効果は一向に得られない。

 

 結果として使い方が判明したのは、一緒にいたクゥガーの一言のおかげだった。

 もしかしたら……

 彼が半信半疑という口ぶりで持ち出した、ある珍しいタイプのヴィクター系の話が、そのままズバリ正解だったのだ。

「お前らしい変わり種だが、ようやく戦闘で使える封貝ではあるな」

 とは、いきさつを聞いたケイスの第一声だ。

 彼の言う通り、この〈*ワイズピック〉は使いようによってはカズマに大望の攻撃力をもたらすものであった。

 だが、それと狩りで活躍できるかは丸きり問題が違う。

 

「ちょ……ッ!」

 ガサガサと茂みが荒々しく揺れる音が、カズマを一瞬で恐慌状態に陥らせた。

 草木で姿が見えないのがまた、おぞを助長させる。

 巨大な質量が、凄まじい速度で近付いてくるのが音で分かる。

 音でしか分からない。

 これは心臓をぎゅっと掴まれるような恐怖だ。

 

 ガチガチに強ばった身体で、必死に逃げた。

 こうなると恥も外聞もない。

 泥や落葉にまみれるのも構わず横っ飛びで身を投げた。

 ごろごろと前回りを繰り返すことで距離をとる。

「怖ァ……怖い!」


「なにやってるんだ、ダーガ。逃げてしまうではないか!」

 上空からナージャのしっが飛んでくる。 

「いや、今、こっちに突進してきたんですけどッ」

 カズマは頬の脂汗が吸い上げた泥を拭いながら、怒鳴り返した。

「だからってなんで逃げるのだ。盾を出して衝突させれば良いだろう」

 あっとなる。

 言われてみればその通りだった。

 自分には封貝の盾がある。

 だが、パニックになった頭ではそこまで思考が巡らない。

 それも事実なのだ。

 

 現実的に考えるなら、冷静沈着に立ち回ることさえできれば、イノシシ程度は簡単に狩れるだろう。

 現状、自分が持っている手札(ペルナ)を組み合わせれば、それが可能であることは分かっている。

 だが、分かっていれば即座にそれを実行できるというわけではない。

 頑丈なロープで繋がれていると思っても、バンジージャンプは死んでも無理という者は多い。

 体育の時間、笑いながら渡れた平均台も、下がマグマなら一〇〇万円積まれても人は渡れなくなる。

 

 狩りとは命のやり取りだ。

 特に追われる向こうは必死だ。

 まさに死に物狂い。

 目の前で生き物が繰り広げる、命を賭けた鬼気迫る抵抗。

 それは、今までの自分の人生にはなかった何かだ。

 迫力は、現代っ子を腰砕けにするに充分なものがあった。

 

 だが、本当のところ、自分は命を奪うことを恐れているのだろう。

 カズマはどこかでそのことにも気付いていた。

 結局、エリナーやヨウコのような、何の罪もない女の子をさらって薄汚い地下牢に閉じ込め、獣欲の赴くままなぶじゅうりんする――そんな鬼畜たちを叩きのめすことには、それほど抵抗はない。

 最悪、相手を死なせてしまっても、しかたがないとさえ思う。

 

 だが、空腹で死にかけているわけでもない今、罪のない動物を殴り殺すことには強い拒絶感がある。

 恨みがない。

 怒りがない。

 そんな相手に暴力は振えない。

 結局、相手に相応の罪があるかないか。

 犯した罪ごと、相手をどれだけ憎めるか。

 それが、カズマの中での最重要ポイントになっているのだ。

 


「――それで、結局ナージャの手を借りた、と?」

 キャンプに戻ると、待っていたのはマオの小言だった。

「いや、手を借りたのは事実ですけど、ちゃんとラストは僕がめましたよ? 動物を殺すのは怖かったけど頑張ったんです」

 必死に主張するが、我ながら言い訳がましい口調になってしまう。

 マオは一度カズマから顔をらし、これ見よがしに溜め息をついた。

「貴方、狩りに行ったんでしょう? でも、見つけた猪が怖くて逃げ回った。それを頑張ったと言うんですか?」


 しかも、ナージャの〈*旋火の綾(マフラー)〉で縛り付けてもらい、動けなくなったところをズドンでは、到底、仕事をしたとはみなせない。

 マオは憤然として続ける。

「狩りとは相手に立ち向かい、駆け引きをし、仕留めるまでの一連を言うのです」 

「もっともだ」

 首肯すると、なぜか火に油を注ぐ結果になった。

 マオがきっとまなじりを吊り上げる。

 

「もっともだ、ではありません。カズマ。貴方、反省してるんですか?」 

「してます、してます」

「しかも貴方、狩った獲物の血抜きもしてないじゃないですか」

 彼女が振り返りもせず、背後をびっと指差す。

 確かにそこでは、未解体の巨大猪がクゥガーによって近くの木に吊り上げられようとしていた。

 その周囲に群がっているのは、刃物を手にした三人娘とエリナー・フォウサルタンたちだ。

 

 フ=サァンでは放牧し、森でドングリをたらふく食べてきた豚――に酷似した家畜――を、冬にさつして肉に変えるという。

 これは村ぐるみの一大イヴェントであるらしい。

 当然、三人娘たちのような若い女性陣も参加し、むしろ先頭切って肉の解体にとりかかると聞く。

 したがって彼女たちは、湯気をあげる新鮮な血塗れの臓物など、とっくに慣れっこになっている。

 カズマと違い、いまさら血抜きに怯むこともない。

 現に今も淡々と作業をこなしていた。

 その顔つきは職人のそれだ。

 

「――どっちを見てるんです、カズマ」

「あ、はい。すみません」

 言われて、カズマはマオに視線を戻した。

「狩った獲物はすぐに処置をしないと肉の質が落ちる。レイダーなら常識でしょう。

 死体はどんどんいんそうに墜ちていき、場所が悪ければアンデット化することもあるんですよ。そんな肉を食用にできますか? これは初めて話すことではありませんよ」


 科学的にいうなら、血抜きが必要な本当の理由は陰相化うんぬんではない。

 雑菌だ。

 動物は死体になってもしばらく熱が残る。

 皮膚に近い部分が冷たくなっても、奥にある血液や内臓はしばらく温かいままなのだ。

 狩りの現場において、この温かい死体は、撃たれたり斬られたりで怪我をしていることがほとんどだ。

 こうなると、傷口から細菌類が大量に体内へ入り込む。

 そして、残った体温に温められて爆発的にぞうしょくすることになる。

 この雑菌こそが、肉の質を落とし、臭みを生じさせる元凶というのが――少なくても地球での――常識だ。

 

 狩りで殺した獣、釣った魚はすみやかにさばけ。

 すべからく血液と内臓を抜くべし。

 近くに泉や川があるなら、そこに沈めるまですればベスト。

 昔からこう言われ続けているのは、つまりは肉を冷し、雑菌の増殖を防ぐために他ならない。

 もっとも、この理屈が異世界オルビスソーでもそのまま通じるかは、エリックも疑問視していた。

 陰相転化というメカニズム、死骸が不死の怪物化するといった未知の現象がからむからだ。

 地球と異世界とでは、自然の法則ルールも別物だ。

 

「――あのう、マオさん。お言葉ですけど、今回は仕留めてすぐに封貝で帰ってきましたよ? 多分、五分も経ってないかと。血抜きしてなくても、さほど劣化してないんじゃないでしょうか」

「貴方の場合、解体を他人にやらせるためにそうしただけでしょう」

「あ、はい。それはその通りです」

「はい、ではありません!」

「だって、やり方とか良く知らないし、しょうがないじゃないですか。僕の故郷では、狩りなんて文化としてとっくにれてる上に、家畜の屠殺も解体も専門家しかしないことなんですよ。

 良いですか、マオさん。僕は甘やかされて育ったんです。温室育ちなんです。もやしなんですよ。分かってあげて!」


「なにを開き直ってるんですかッ」

 くわと一喝した直後、マオはしぼむように気勢を失った。

 疲労混じりの顔をケイスに向ける。

「隊長。このうつけ者に貴方からも何か言ってやって下さい」

「まあ、育った環境が違うなら最初は仕方ないだろう」

「ケイスさん」

 何を甘いことを、といった所だろう。

 マオが食ってかかる。

 ケイスはそれを苦笑で受け流した。

 

「少しずつ慣れていけば良いさ。今回は、ドリュアスの力を借りずに一応、結果を出して帰ってきたんだろう?」

「ええ。私はここに残りました」

 近くにいた森精霊ドリュアスがいつものえんぜんとした笑みで話に加わってくる。

 狩りに行くなら自分を帯同すべきではない。

 カズマにそう申し出てきたのは、意外にも彼女の方からだった。

 なんでも、森の支配者であるドリュアスがいると、その場が聖域化してしまうらしい。

 一般的な動物はその一帯を避け、遠ざかるようになるというのだ。

 結果、獲物に遭遇できず、狩りは始める前から破綻してしまう。

 

 理由はもう一つあった。

 自然界のバランサーである彼女は、狩り狩られるといった大地の営みにおいて、どちらか一方に肩入れすることに大変な抵抗を持つ、というのである。

 これが調和を歪め、摂理を破壊するアンデッドや魔物が相手なら話も違ってくる。

 が、一般的な動植物は正当な森の住人だ。

 彼女は彼らと決して敵対することはない。

 それは、カズマと契約した今でも変わらない事情だという。

 気高き〈翠緑の貴婦人〉は旅の仲間に加わったに過ぎない。

 主義や信条を捨て、奴隷となったわけではないのだ。

 

 カズマは当然、精霊の申し出を聞き入れた。

 確かに、ドリュアスはどこに獲物がいるかを完璧に探索(サーチ)できる、いわば反則的(チート)レーダーだ。

 狩猟者として安易に頼って良い存在ではない。

 もっとも、狩猟への参加を拒みこそすれ、彼女はベースキャンプに残ることでそこを聖域化し、守護してくれた。

 少なくとも留守番組が猛獣に襲われる危険を排除する働きをしたのである。

 ぎゃーぎゃー逃げ回っていたカズマより、遥かに貢献度は高かったと考えるべきだろう。

 


「じゃ、ちょっと行ってきます」

 すったもんだの夕食後、カズマはキャンプファイヤーを囲む仲間達の輪から離れた。

「あの、大丈夫なんでしょうか?」

 エリナー・フォウサルタンが腰を上げながら、上目遣いに訊いてくる。

 揺れる焚き火の照り返しが白い肌の上で踊り、複雑な陰影を生んでいた。

 表情を見る限り、本心からカズマを案じてくれているらしい。

「大丈夫ですよ。そんなに遠くまでいくわけじゃないですし。なんたってドリュアスさんの先導がありますからね」


「私もついてるしな。安心しろ、サタン」

 胸を張るナージャは、相変わらずフォウサルタンから悪魔部分だけを引っこ抜くという乱暴極まりない呼び方で通している。

 エリナーも、まさか自分が魔王扱いされているとは思っていないだろう。

 

「じゃ、ドリュアスさん。道案内、お願いします」

「はい」

 頼むと、森の精霊は嬉しそうに全身から放つ淡い緑色の輝きを強めた。

 彼女の導きに従えば、夜の山林とて恐るるにたりない。

 隙間なく頭上を覆い尽くしているはずの木枝を月明かりがすり抜け、真昼の木漏れ日のように地上まで幾筋も降りそそいでくるのだ。

 その白く透き通るきらめきは、浄化作用さえ感じる神の祝福にも思えた。

 

「月の光がシャワーみたいだ……」

 カズマが半ば無意識に漏らしたつぶやきを聞きつけたのだろう。

 先頭を歩くドリュアスが、微笑を浮かべて振り向いた。

「私の求めに応じ、木々が協力してくれています。私たちの行く先を照らすため、重なり合う枝葉をずらして、月光を通してくれているのです」

「封貝使いは夜でも目がきくけど、これは良いな。やっぱり明るい方が歩きやすいし、楽しいのだ」

 ナージャも上機嫌だ。

 

 そのまま五分ほど歩き、山林のなかにぽっかりと開けた小さな広場に出た。

 カズマは適当な木の根を見つけて、腰を下ろす。

 人間エインたちに合わせて二足歩行していたドリュアスが、早くも宙に浮き出し、踊るように周囲を漂い始めた。

 そもそも、この場所に来たこと自体、半分はドリュアスの要望に応じてのことだった。

 色々と派閥に貢献してくれている彼女に、どんな礼ができるか。

 金銭に価値を見出さない精霊には、どのような報酬を渡すべきか。


 本人に訊ねると、最初は「必要ない」と断られた。

 ただ、時々いつかの夜のように音を聴かせてもらえれば、この上のないぎょうこうである。

「何か演奏すれば良いんですか。それだけ?」

 きょとんとするカズマに精霊は優しく笑み、こう答えた。 

「貴方のつむせんりつにはそれだけの価値があるのです。

 気付いていますか? 私たちが初めて出会った夜、あの一帯はオウルにあふれました。

 植物や土や微生物を含めた土地そのものが、本来、三日かけて少しずつ蓄えるはずのエネルギィを、貴方はたった一曲の音楽だけで注ぎ込んだのです」


「いやいや」

カズマはぱたぱたと仰ぐように平手を振った。

「僕はそんなことしてませんて。むしゃくしゃしてたんで、気晴らしに楽器かき鳴らしてただけです」

「それと一緒に声も発していましたね?」

「あんなのでたらめなシャウトですよ」

「私たちにとっては、貴方のそれが特別な意味を持つのです」

 本人がこうまでいうなら――事実はどうあれ――受け入れるしかない。

 どの道、他に支払える代価など思いつかなかった。

 

「ちょっとしか離れてませんけど、本当に音って聞こえにくくなりますかね?」

 山賊の宝物庫から掘り起こして以来、すっかり愛用品となったハープを構える。

「風が協力してくれます。貴方の旋律のもたらす力の全てを消し去ることは到底かないませんが……多少は効果があるでしょう」

「まあ、これから寝ようって人の迷惑にならないなら、それで良いんですけどね」

 弦を爪弾き、音の確認をしながら言う。

 

「――で、ええと、ドリュアスさんはただの楽器演奏じゃなくて、歌をご所望なんですよね」

「はい」

 ドリュアスは輝くエメラルドグリーンの鱗粉で優美な軌跡を描きながら、ゆっくりと宙を泳ぐ。

「オウル・オ・イレスの歌声はあらゆる楽器に勝ります」

「うーん」

 カズマは空いた方の手でがりがりと頭を掻いた。

 

「そう言えば、ダーガってあんまり歌わないな」

 ナージャが思い出したように指摘した。

「楽器は上手なのに、歌は苦手なのか?」

「いやあ、そういうわけじゃないんだけどね。ただ、恥ずかしいんだよ。他人の作った歌を使わせてもらうのってさ。特に、まだ生きてる人の歌とか」

 この心理はなかなか他人には説明しがたい。

 適当な言葉が見つからないのだ。

 

 あえていうなら、(コス)プレの気恥ずかしさとそれは似ている。

 ファッションを盗み、髪型を真似、仕草や喋り方まで模倣する。

 それを特別な時間、特定の場所で趣味としてやるならまだ良い。

 だが、カズマはそんな趣味はない。

 表層だけの模倣や、借り物のセンスで自分を飾り立てるような行為には、むしろ抵抗があった。

 

「他人の歌が嫌なら、自分で作れば良いではないか」

 ナージャが、ずいぶんさらりと言ってくれる。

「ところがさ、歌詞を考えるのもまた、それはそれで相当、恥ずかしいんだよねえ」

 音がついているだけで、結局のところそれはポエムだ。

 ポエムと言えば、カズマの世代にとっては最も恥ずかしい趣味の一つだ。

 しかも、他人に聞かせることが前提となれば抵抗感も一層増す。

 

「じゃあ、ダーガはあれだけたくさん曲を作ってるのに、歌詞をつけたことは一度もないのか?」

「むかし、ヨウコに頼まれて一曲作ったのが最初で最後かな」

「なんだ。やったことはあるのか」

 ナージャはひょいと両肩を持ち上げた。

 だったら問題ないな。

 言葉にせずとも考えが伝わってくる。

「私は――無理なお願いをしてしまったのでしょうか」

 はしゃぐようにカズマの周囲を飛び回っていたドリュアスが、やにわに動きを止めた。

 柳眉をハの字にして瞳を潤ませている。

 

「あ、いえいえ。そんなことはないですよ」

 慌てて両手を振る。

「ナージャが言ってるように、経験が全くないわけでもないですし」

 それから、カズマは肩に預けていたハープを急いで構え直した。

「えっと、じゃあ……ドリュアスさんと会った時にいてた曲を整えて、それに歌詞を付けていく感じで良いですか」

「よろしいのですか」

 ドリュアスはすっかり萎縮してしまったらしい。

 返事もどこか遠慮がちだった。

 

「たまにはこういうのも良いですよ。麦の刈入れのバイトをした時も思ったんですけど、こっちの人は僕らの故郷より生活に深く歌を取り入れてるようですし。ただ楽器を演奏するより、歌った方が喜ばれるのかもしれませんね」

 言うと、翠緑の貴婦人はぱっと顔を輝かせた。

「でも、すぐにはできないですよ。今日のところは、なんか僕が知ってる童謡とかにしておきますか?」

「いえ。許されるなら、曲作りをお願いします。オウル・オ・イレスが一つの歌を生み出すまでを見届けたいのです」


「えっと……それは良いですけど」

 正直に言えば、それはそれで赤面したくなるシチュエーションだった。

「まあ、一応は楽器で音出しながらフレーズ考えていく作業になりますけど、どうしたって切れ切れになるし、同じところ何回も繰り返したりするだろうし、曲としては聞けたもんじゃないと思いますよ? ほんとに良いんですか」

「承知しております。もちろん、それでも構いません」

 ならば、とカズマは作業に入った。

 集中し始めると、周囲が全く見えなくなるほど没頭してしまうことがある。

 気付かずに徹夜するような様子があれば、途中で止めて欲しい。

 一応、それだけは頼んでおいた。

 

 取りかかった曲作りの手順は、極めて単純である。

 今回はまず、あの夜に即興で弾いたものを復元していく。

 使い慣れない楽器を使い、感情を叩きつけるように無我夢中でかき鳴らしていたため、当時の記憶は完全ではない。

 が、印象的な部分は指先に感覚として、頭にはイメージとして残っている。

 それを骨子ベースにして、肉付けしていけば良い。

 これはすぐに終わった。

 曲作りは、調子が良いと数分で終わることすらある。

 もちろん細部を煮詰め、アレンジを練り込む必要はまた別にある。

 だが大まかな方向性、下書き、設計図ともいうべきメロディやコードは、意外なほどあっさりできてしまうことも珍しくない。

 

 問題は歌詞の方だった。

 こちらは感覚だけでは済まない。

 音に合うように、また意味が通るように、右脳だけではなく左脳も使って取り組む。

 作曲が絵画なら、作詞は作文だ。

 センスと理屈のバランスが求められる。

 

「太陽が消えた……だと、なんか他人事っぽいな。を失った?」

 枯れ枝を使って、足元にがりがりとフレーズを並べていく。

 この作業はパズルに近い。

 イメージからピースを造りだし、曲という枠にぴったりはまるものを探す。

 同じ部分に、何度も少しずつ形が違うものを押し込めて、具合を確かめるのだ。

 最高だと思ったフレーズも、音に嵌らなければ諦めざるを得ないこともある。

 

「陽をうしなァった……」

 時に実際、ハープを鳴らし声を合わせてみることもする。

「ゴロ悪いな」

 ぴたりと手を止め、顔をしかめる。

「太陽、ひ……陽光にしてみるか? 陽光が消えた……なくした」

 地面に単語を並べて書く。

 いや、「そうしつした」と書いて「なくした」と読ませた方がイメージに近いか。

 思い直しつつ、そう失の「そう」という漢字はどう書くのだったかと記憶の糸をる。

  

「陽光なくした、夜空ァの月は――。足りないな。この空の月は?」

 駄目だ。

 カズマは無言で否定した。

 月は空にしかない。

 重複だ。

 それに、「月」という言葉自体にも違和感があった。

 字数が足りない。

 ここは三文字から四文字であった方がスムーズに通る。

 美しい。

 しかし、問題は字数だけで、意味そのものは変えられない。

 

 目を固く閉じ、眉間を親指で突く。

 その行為自体には意味などない。

 気持ちの集中(コンセントレーション)を高める無意識の儀式のようなものだ。

「月……月って、なんか別の言い方ってありますかね?」

 目を開き、カズマは唐突に問いかけた。

 

「なんだ?」

 不意に声をかけられたせいか、ナージャは目をぱちくりさせる。

「月は月だろう。他に呼び方などないのだ」 

「私も人間エインの言語はたしなむ程度ですので」

 ドリュアスからも色よい返答はない。

「――たいいんなんてどうかな」

 腕組みしてうなっていると、後方から足音と共に穏やかな声が投げかけられた。

 振り向くと、エリックが散歩のような足取りで近付いてくる。

 

「お、エリックさん。もしかして、キャンプまで結構音とか聞こえちゃってました?」

「いや、うっすらとだよ。寝られなくなるくらいじゃないし、むしろ皆、聞き入ってたね」

「なら良かったですけど……エリックさん、病み上がりなのに起きてて良いんですか?」

「大丈夫。体調はもうすっかり良いんだ」

 彼は薄く笑んだ。

 顔色と表情を見る限り、本調子であるというのは嘘ではなさそうだった。

 

「そうですか。で――タイインでしたっけ。どういう字を書くんですか?」

「太いかげだね。シャドウの影じゃなくて、陰気の陰でカゲ」

「ああ、太陰か」

 口にしてみて、カズマは思わず首を捻る。

「しっくりこない?」

「はい。歌詞には向かないですね。滑舌が悪くなると言うか。音の構成が最悪に近いです」

「他にはたまかつらとかぎょくとかもいうよ」

「へえ――詳しいですね。そっちはどう書くんですか?」

 エリックはすぐ横に来て、カズマから枯れ枝を受取った。

 その先端で、足元に文字を刻んでいく。

 

「カズマくんのところじゃ、古典でやらなかった? しんせん万葉集」

「しんせん? 万葉集なら……どうだろう。僕は不真面目だから、習ってたとしても覚えてないですね。ヨウコに聞けば分かるでしょうけど」

「僕は一応、学年上だしね」

「授業内容からして、学校ごとに違うみたいですからね。――で、このふたつ、両方とも玉ってついてますけど。これが月って意味なんですか?」


「いや、それは単にしょうだね。綺麗とか立派とかいう意味だよ。玉のような赤ん坊っていうよね」

「あ、もしかして……

 グヘヘ。このオンナ、すげえじょうだまだぜ、のたまもそれですか?」

「……まあ、うん」

 エリックの微笑が刹那、引きつる。

「宝石って意味もあるらしいから」

「でも、たまかつらは訓読みなのに、ギョクは音読みなんですね。

 これはどうしてだろ。〝たまうさぎ〟じゃ駄目なんですかね」

「どうだろうね。僕もちょっとそこまでは。通じないこともないと思うけど」


「陽光なくしたタマウサギは……このタマウサギは、なら収まるか。

 良いかも。ギョクトだと、ちょっと短いか」

 音に合わせて口ずさんでみる。

 悪くない感触であった。

 それで少し気持ちに余裕ができた。

 作業を一時中断し、改めてエリックに顔を向ける。

「それはそうと、エリックさん。もしかして何か僕に用事とかでした?」

 彼の性格から考えると、よほどのことがない限りこの場には現れないはずである。

 まず、邪魔してしまうことを恐れるタイプだ。

 

「――うん。少し話ができないかな、と思ってね」

「えっ、なんです?」

「なんて言うか、これから先のこと、だね」

 平坦な声で語るエリックの相貌には、奇妙なほど何の表情も浮かんでいなかった。

「僕らは本来、ヨウコさんを探しだして、連れ戻すためにここに来た。

 改めてそのことを考えると、最近、どうしてもあせりみたいなものが出てくるんだよ」


「…………」

 カズマは黙り込んで考えた。

 一方で、楽器を持つ手は思考から切り離されて、ほとんど自動的にコードを繰り返している。

 それはどこか遠くから微かに聞こえてくる、穏やかなBGMのように響いた。

 エリックが続けた。

 

「ヨウコさんをさらった犯人は、どうやらユゥオっていう大国の関係者らしい。だから、ヨウコさんもそっちへ連れ去られたんじゃないか――。

 今のところ、カズマくんはこの仮説に従ってユゥオを目指しているよね。でも、それは正解なのかな」

「そんなこと言ったって、他にあてもないのだからしかたないだろう」

 ナージャが横から口を挟む。

 エリックは無表情に一瞬、そちらを見た。

 

「正論ですね。でも、全員がその道を行く必要はないのでは?」

「どういうことですか」

 カズマが問う。

「ユゥオが正解とは限らないってことだよ。ヨウコさんがそこにいるなんて保証はどこにもない。だったら、ユゥオ以外の可能性を考えて、誰かが並行して別ルートの捜索を行うべきじゃないかな」

「まあ……人手やお金があれば、それが理想ではありますね」


「そこなんだよ。人手もお金もないのに、どうして僕らは――と言うか、カズマくんは――行く先々で人助けをしてるのかな?

 奴隷を助けたいと言ってはなけなしのお金を叩いてコロパスを買い、盗賊に困っているという女の子がいれば割に合わない報酬で、巨大な組織に喧嘩を売る。

 僕らに、そんな余裕なんてある? ヨウコさんを見つけ出すっていう目的に対して遠回りをしてないと言い切れるものかな」

「それは――」


「こっちに来たばかりの頃は、僕らは話し合って方針を決めていた。少なくとも今よりはそうだった。

 でもここ最近、レイダー登録して、ワイズサーガという派閥を作って……組織として動くようになってからは、それが変わった気がするんだ。僕の意思とは遠いところで物事が動いている。

 確かに、封貝を持たない僕はお荷物だ。なんの貢献もできてない。必然的に発言権が弱いのはしょうがないのかもしれないけど」

「いや、そんなことはないでしょう」


「あるよ」

 有無を言わさぬ断言ながら、気負いのない口調でもあった。

「ただ、一歩引いた後ろからだからこそ見えるものもあってね。

 今、僕が一番気になってるのは、カズマくん。キミのことなんだよ」

 思わぬ話の展開に、思考がついてこない。

 まさかエリックの口からこれほど直接的な批判、糾弾の声が出てくるとは思ってもいなかった。

 

「僕、ですか」

「おい、エリック。お前どういうつもりだ? なんで、今になってダーガにそんなこと言い出したんだ」

 鼻息荒く詰め寄ろうとするナージャを、カズマは無言の手振りで制した。

 そうしたやりとりなどまるで目に入っていないかのように、エリックは自分のペースで語り続ける。


「カズマくん、こっちに来てからとても積極的だよね。

 今も言ったけど、コロパスを買い上げたり、誘拐された女の子を助けに山賊のアジトに殴り込んだり。

 自分には関係ない事件に首を突っ込んで、人助けにいそしんでる。

 見ていて疑問に思ったんだけど、日本にいたころのキミは、そんなエネルギッシュな人だったかな?

 自分から社会問題に関わっていくような……たとえば、学校のイジメ問題に熱心に取り組み、〈果て〉の難民の生活支援のために募金活動をしたり、支援団体を自ら立ち上げて精力的に社会貢献するようなタイプだったかな? 僕にはそう見えなかったけど」


「そう、ですね……」

 言われて気付かされた部分だった。

 振り返ってみると、確かにエリックの指摘は間違っていない。

 カズマはひとつ頷きつつ、言葉にして認めた。

「確かに、つい最近まで――日本にいた頃は、むしろそういうことに無関心な方だった気がします。

 どっちかというと、ヨウコが積極派で、僕は彼女に無理やり付き合わされる感じで」

「だよね。じゃあ、それがいきなり変わった理由って自分で気付いてる?」

 カズマが何か返す前に、エリックは自ら続けた。

 

「カズマくんは封貝という力を手に入れた。それで、持っている側、勝ち組に回った。異世界に来ることでキミは強者になったんだ。

 その優越感が、キミをいきなり物語の主人公のようなキャラクターに変えたんじゃないかな」

 言われて思わず、自分の黒い義腕に視線を落とした。

 これがあるから、エリックのように異世界の言語にも困らなかった。

 封貝があったからこそ、人(さら)いにだまされたとき自力で脱出し、逆襲することさえできた。

 侵入に成功したスコッチの館で護衛を倒し、スコッチ・スウォージに対して強気に出ることができたのも、封貝という異能があればこそだ。

 その恩恵にあずかれなかったエリックと同じ立場であったなら、カズマのオルビスソーでの振る舞いは、随分と違ったものになっていただろう。


「今のカズマくんに似た人を、僕は何人か見たことがある」

 エリックがまた静かに語り出した。

 それでカズマは思考を中断し、顔を上げる。

「これでも一応、全国的な名門野球部にいるからね。僕らの学校には、中学まではエースで四番、誰にも負けたことがないって特待生が集まってくるんだよ。

 スポーツ推薦で甲子園常連校に入学してくるような、飛び抜けた才能の持ち主だからね。俺は当然、高校でもテッペン取れる――と思ってる。自分を特別な存在だと信じて疑ってない。

 だから、最初はハリきって、何事にも凄く積極的なんだ。エネルギッシュで勢いがある」


 でも、とエリックは声を半音低くした。

「特別の中の特別、本物の化物を彼らは知っていくことになる。全国には自分では一生かけても叶わないような、天才としか言いようがない人間が何人もいる。彼らこそがプロの世界にいくような真の本物なんだってね。

 自分は選ばれた人間ではあるけど、選ばれた人間の中から更に選ばれた人間ではなかった――その事実を悟るんだよ」

「そのパターンの人が、今の僕だってことですか」

「少なくとも似たところがあるように見える」


 それは興味深い指摘だった。

 球児はまだ良い。

 彼らは練習し、努力して実力を付けたのだ。

 しかし、封貝は違う。

 一〇〇パーセント借り物だ。

 不正チートともいうべき、誇れない異能である。

 その借り物の力を手に入れ、強くなったように錯覚して調子に乗り出す憐れな道化ピエロ

 ヨウコが一番嫌っていたタイプの人間。

 自分は、それに成り下がっていたのだろうか。

 

「……多分、そういうところはあると思います」

 認めざるを得ない。

 カズマは自分で出した結論に戸惑いを隠せないまま言った。

「冴えない人間が思いがけず大きな力を手に入れたことで、それに酔っ払ってる……言われてみれば、確かに反論できない感じですから」

 でも、と続けた。

「前からヴォランティア活動してなかったら、これからもしちゃ駄目なんですかね? 楽して手に入れた力は、助けを求めてる人がいても、使うことが許されないんでしょうか。

 鍛えて、努力して、時間をかけて身につけたものでなければ、正しいと思ったことにも行使できない?」


 言いながら、カズマはゆっくりと首を左右した。

「この腕は確かに借り物です。僕の力じゃない」

 左手で〈*ワイズサーガ〉に触れながら言う。

 視線は、エリックに注いだままだった。

「だから、僕はこれを必要としてる人のところに届ける。そういう、運び屋として振る舞うつもりです。

 野球でいうなら、マネージャーみたいなもんです。それか、子どもを送迎したり、弁当さしいれたりする保護者とか。

 実際に戦って、結果出せば賞賛を送られる選手の役どころは〈*ワイズサーガ〉に任せれば良い。

 運び屋は、それを少し離れたところから一緒に喜ぶ。僕は、それが自分の役割だと思っていますす」


「でも、それをどこの誰に運んで届けるかは、キミが決めている」

「それはその通りです」

 カズマは楽器を脇にどけ、両手を自由にした。

「言った通り、僕は管理者(マネージャー)です。逆に言えば、管理・運用(マネージメント)に関しては権利がある」

「その権利は義務とセットだ」

 エリックはただちに言った。

「〈*ワイズサーガ〉がヨウコさんの救出を目的としてたくされたものである以上、キミは最短距離で彼女に繋がる道を模索しなければならない。

 この山賊退治の旅は、果たしてその最短ルートだと言えるかな?」


 カズマは軽く肩をすくめた。

「僕はそう思ってますけどね」

「僕にはそう思えない、と言ったら……どうする?」

 つまり、それが本題か――。

 聞いた瞬間、そう思った。

「おい、エリック! お前、いい加減に」

 カズマは再び、いきりたつナージャをなだめねばならなかった。

 構わず、エリックは淡々と言葉を継いでいく。

 

「奴隷制も〈スリージィン〉もそうだけど、キミがヨウコさんをほっぽり出して敵に回しているのは、フ=サァンという国家が正式に認めた文化でありシステムだ。

 カズマくんは日本人として、現代人としての価値観や倫理(モラル)を押しつける形で異世界のルールを否定しようとしている。

 それは、『ごうっては郷にしたがえ』の理論からはほど遠い、ごうまんな行いだとは思わない?」


「それについては……まったく思わないですね」

 カズマはちゅうちょなく言い切った。

 想定外の返答であったのか、エリックは「ほう」という表情を見せる。

「郷に入っては郷に従えっていうのは、しょせい術でしょ。その社会で波風たてず、無難にやっていきたい人のためのアドバイスです。

 でも、僕らはそういうのとは違うじゃないですか。このオルビスソーって世界は、〈果ての壁〉越しに僕らの世界をしんしょくしてきて、多くの人たちを神隠し的にさらっていってるんですよ? しまいにはヨウコまで無理やり連れ去っていった。

 ケンカ売られたんですよ、こっちは。僕はオルビスソーと仲良くしに来たわけじゃありません。ヨウコを取り戻して、落とし前つけるために来たんですよ。それがまず一つ」


 カズマは右手の人差し指を立てて続けた。

「理由はもう一つあって、そっちは単純に僕の主義の問題です」

 エリックが形の良い金色の眉をぴくりとさせた。

「主義?」

「はい」

 カズマは頷く。

「自立とは、自分という名の国の王になることだ――っていう思想はご存じですか? り所や選択、責任なんかを誰かや何かに求めたりゆだねたりするのではなく、自分自身の中に見出せってことだと思うんですけど……」

 それは、自分の考え方にとても近いのだ、とカズマは続けた。

「僕は僕という国の代表であり、首長であり、王である。そういうつもりでいくと、他者とのコミュニケーションは常に国対国の外交になると思うんですよ」


「つまり?」

「つまり、ごうというなら、それは僕の中にもある。

 外交って、他人の郷を守るために自分の郷を全否定して捨てることじゃありませんよね。

 尊重すべき部分は理解して受け入れますけど、譲れない部分は譲らない。場合によっては戦ってでも通す。それがあるべき姿だと思っています」

「奴隷制や〈スリージィン〉は、キミのなかで折り合いが付けられない文化だと?」


「郷と郷が出会うとき、文化のすり合わせでさつが生じるのは当然のことです。

 受け入れるか、拒絶するか。どっちにせよ変化は必ず起こる。

 話合いでわかり得ることあれば、戦争するしかないこともある。今回は戦争になった」

「キミが自分の中にも郷があるって言うなら、それでも良いよ。でも、個人の事情より個人の集合体である集団の事情が優先されるべきなんじゃないかな? 小さな集団は、大きな集団の秩序を尊重しなくちゃいけない。

 カズマくん。キミの理論は、自分のワガママを通すためのべんだと解釈されやすいものだと思う」


「多数決が正義。最大多数の最大幸福。多い方が偉い。優先。

 それこそ現代的価値感の押しつけじゃないですか? 僕にとっては千人に迷惑かけても、ヨウコ一人を幸せにすることの方が大事ですよ。数は問題じゃない」

 カズマは眼に力を込めて、エリックと視線をからめた。

「エリックさん、貴方もそうだからここに来たんじゃないですか? 家族を悲しませて、部の仲間達に迷惑かけて、だけどヨコのために〈壁〉を越えた」


「……そうかもしれないね」

 能面のような顔を続けていたエリックが、ここに来て初めて表情を変えた。

 どこか疲れたような――自嘲めいた笑みだった。

「分かったよ、カズマくん。聞きたかったことは、大体聞けた。キミの考えは理解できたと思う。質問に答えてくれてありがとう」

「いえ……僕も色々知れて良かったです。エリックさんが今の、僕らの方向性にそれほど強い不満を持ってるなんて思ってもいませんでしたから」


「不満というか、今の方向性は僕らのものじゃなくて、カズマくんのものでしかない、と言うだけのことだよ。そこに僕の意思は反映されてない」

「エリックさんは、どうしたいんですか?」

 エリックは皮肉めいた感じで肩をすぼめた。 

「僕はただヨウコさんを早く見つけたいだけだよ。それ以外考えず、それを最優先して取り組みたいだけだ。そして彼女はユゥオにはいないと思っている。

 だから、このままカズマくんが敷いたユゥオ行きのレールに乗って、一緒に走って行くことに抵抗感を覚えるようになった。そういう単純な話さ」


「おい。お前、どうしてヨウコという女がユゥオにいないって言い切れるんだ?」

 問うナージャの声には明らかなトゲがあった。

 だが、エリックは気にした風もない。

「それは言えません」

「言えないってどういうことだ」

 ナージャが一歩踏み出す。

 五メートル離れていても、振動が地を伝わってきそうな気勢だった。

 

「言いたくないんじゃなくて、事情があって話せないんですよ。少なくとも今は無理なんです。僕だって話せるなら話したい」

「ユゥオにいないとして、ヨウコはどこにいるんです?」

 カズマの問いにも、エリックは寂しげに首を振った。

「言えない。僕自身、まだ確信を得てるわけでもないしね。現段階では可能性の話でしかないんだ」


 エリックの様子は、明らかに異常だった。

 これまでのやけに攻撃的な言動もそうであるし、今現在の主張もそうだった。

 要領を得ず、どう考えても筋が通っていない。

 人格が変わってしまったかのようにさえ思える。

 知らないところで何かがあったとしか思えなかった。

 しかし、その何かには全く想像が付かない。

 

「お前……まさか、派閥を抜けるつもりか?」

 ナージャが、今気付いたというように言った。

「どうでしょうね。それについては、また今度お話ししますよ。

 ナージャさんや精霊さんまでいる以上、多分、今夜は時期じゃないんでしょう。その時、僕はカズマくんと二人きりで話をすることになるはずですから」

 話すべきことは話した。

 そういうことだろう。

 エリックは踵を返し、来たときと同じ足取りで木立の向こうに消えていった。

 方向からして、素直にベースキャンプへ戻っていったのだろう。

 

「なんなんだ、あいつは」

 ナージャがどこか困惑したようにつぶやいた。

 答えを求めるようにカズマを見やってくる。

「急に変なことばかり言い出して……何か変だったぞ」

「仕方ないよ。新しく組織を作ったら、必ずこういう問題は起こる。音楽性の違いってやつを巡ってね」

 エリックが去って行った方を意味もなく眺めながら言った。

 

「まあ、大丈夫だろう。考えてればエリックは封貝もないし、言葉も喋れないからな。一人でやっていくなんて無理だ。結局は残るに違いないぞ」

 その言葉で、ナージャの中では結論が出たことになったらしい。

 さっそく思考を放棄した彼女は、カズマが作りかけていた曲を鼻唄で歌い始めた。

 拾った長剣サイズの枯れ枝を振り回し、感触を確かめている。

 

 一方、カズマはといえば、彼女ほど楽天的にはなれずにいた。

 あのエリックが何の覚悟もなく、さっきのような話を切り出してきたとはどうしても思えないのだ。

 自分なりに考えて考え抜いた上でモーションを起こしたのだろう。

 単に不満を爆発させて、ヒステリックに愚知をぶちまけたのとは違う。

「オウル・オ・イレス。大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが」

 ドリュアスが近付いてきて優しく気遣ってくれる。

 

「珍しく真面目な話をしたから、ちょっと疲れただけですよ。平気です」

「先ほどのご友人とは、和解できないものでしょうか」

「大丈夫、できますよ。同じ故郷から同じ目的のために異世界に渡ってた同志ですからね。話せばきっとわかり合えますよ」

 笑みを作って強気に返すが、言葉は上すべりそのものだった。

 言っている自分が一番、白々しさを感じている。

 

 郷と郷の交わりはどうした。

 それは必ずしも話合いでは片付かない。

 互いに譲れない部分が生じた時は争いが生じ得る。

 自分が言ったことではないのか。

 自分の中に郷があるとすれば、相手の中にもそれはある。

 そのぶつかり合いは、決して綺麗事で済むものではない。

 

 ――話せばきっとわかり合えますよ。

 

 今となっては自分の自身のその言葉が頭の中で虚しく木霊し、胸騒ぎをかきたてる原因になっていた。

挿絵(By みてみん)

ウェーイ。槇弘樹です。


更新間隔が空いてしまい申し訳ありませんでした。

意外に思われる方もおられましょうが、私って親から生まれてきたんですよ。

ある日、天からきざはしがごとく一条の光が降りそそぎ、ふわふわと赤子が降りてきた…とかではなく。わりと普通のプロセスを経て誕生してたんですね。


で、私の親なんですが、前立腺がある方が7月の末にヤバイことになりまして。

今に到っても大学病院から出てこれない始末。

これに伴って彼の面倒を見ねばならず、また彼が小さいながらも会社を持っていたこともあり、ちょっと公私の始末に追われていました。


退院できたとしても身体障害者手帳が出るのはほぼ確実なので、これからも看護は必要だと思うのですが、まあ軽めなので私も徐々に自分の生活に戻れるようになるでしょう。

執筆速度も元に近いところまで戻せると思います。

というわけで、今後とも宜しくです。

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