クゥガーズ・ブート・キャンプ
049
セヴァーウォッシュの連盟支部は、首都やインカルシと違い、男性を窓口に立たせていた。
それもフ=サァン伝統衣装を下から押し上げる、はち切れんばかりの筋肉で全身を鎧った偉丈夫である。
「確認だ。レイとトーリ。以上二名の派閥編入で間違いないな?」
彼は記入済みの書類を一瞥すると、仏頂面で言った。
この手のタイプがどうにも苦手なカズマは、それだけで萎縮気味になってしまう。
「はい。お願いします」
「で、お前が受け入れ派閥〈ワイズサーガ〉の長か――」
胡乱な目つきがカズマへちらと向けられる。
それから受付の大男は、カズマに認可証の提示を求めた。
派閥編入には本人確認を受けた代表者の承認が必要となる。
カズマは言われるまま、手首からライセンスリング外して渡す。
既に受付の手元には、レイ・ムカイザーノとトーリ・クゥガーから預かった二つのリングが収められている。
彼はそれらに記録された情報を特殊な鉱石で読取り、カズマにはよく分からない処理、書類整理を行っていった。
ややあって「終わった」と宣言すると、男は太い腕で三つのレイダー証をこちらに寄越しながら続けた。
「これで、レイおよびトーリの両名は派閥ワイズサーガに編入された。変更は既に完了しているから、今この瞬間から二人は当該派閥の名の下に活動できる。なんなら、なにか依頼を受けていくか?」
「いや、それは結構」
レイがいつもと変わらぬ口調で言った。
「今日は色々と立て込んでいるのでね」
受付はそうか、としか言わなかった。
周囲を威圧するような容姿だが、その実、無駄口は叩かず何かを押しつけるようなこともしない。
全ての物事を事務的に処理する、まさに事務員そのものの姿である。
「――なんか、あっさり手続きしちゃいましたけど」
支部を出ると、短い階段を下りながらカズマは嘆息した。
「本当に良かったんですか?」
「なにを浮かない顔をしているのだ、団長殿」
レイ・ムカイザーノが上機嫌に背中を叩いてくる。
思いのほか重い一撃に、カズマは咳き込みそうになった。
恨みがましく彼女を見やるが、当の本人は涼しい顔だ。
「我々は敵を同じくしている。理念も似ている。上手くやっていけるだろう」
「でも、綺麗事ばかりじゃないですよ、レイダーは。
ド素人の僕がいうのもなんですけど」
人質としてさらった挙句、死なせてしまった〈強欲〉のスコッチを思えば、これは大袈裟な言い方ではない。
ここ数日の作戦では盗賊だって殺害している。
これからはその人数も増えるだろう。
目的のために他人の血を求めてきたし、今後もそうなのだ。
「私はこれで貴族の家に育った」
すっと笑みを引かせたレイが、声のトーンを落として言った。
「領主の運営しかり、綺麗事で済むことが何一つないことは理解しているよ」
「だったら……良いんですけど」
「だが、それで思考停止するつもりもない。綺麗事で済まないから、目的のためにはどんな手段をとっても良い――ということにはならない。私はそうも考えている。それは、組織の長として忘れないでくれ」
カズマは思いがけず微笑むことになった。
「僕、そういうの好きです。自分もそう思ってますしね」
幾分気分も明るくなったところで、メインストリートに向かう。
このセヴァーウォッシュは、陥落させた山賊の砦から直線距離にして五〇キロほど離れたところにある街だ。
無論、小村でよければ、もっと近くに幾つもあった。
しかし、それらの多くにはレイダース連盟の支部が存在しない。
あったとしても出張所どまりで、週に一回か数回、職員がやって来て小さな依頼を取り扱うのが精々だと聞いていた。
職員が常駐する小支部がある村もあったが、新規加入登録や派閥のメンバー変更のような手続きまでは受け付けていないらしい。
必然、レイとクゥガーを正式に迎え入れるためには、それなりの規模を持つ街におもむく必要があった。
日本でも、小さな簡易郵便局では海外送金や一部の貯金業務を扱っておらず、それなりに大きな局に行かねばならない。
似たようなものなのだろう、というのがカズマの理解だ。
ともあれ、セヴァーウォッシュは条件を満たす中で、この地方だと二番目に小さな街であった。
だから選んだ。
ケイスによれば、ほとんど村に毛が生えた程度の街には、護士組も現地協力員を置いていないという。
護士組が恐れるのは国家の危機や転覆に繋がり得る、大規模な犯罪や反乱だ。
それが小さな街から発生することは現実的にあり得ない。
要は管轄外、というわけだ。
だからと言って、村や小さな街では何でもやりたい放題ともいかない。
この場合は、宿屋が犯罪に対する監視装置として働くと聞いた。
結局、大勢の犯罪者が一同に介して話合いの場を設けられる施設は、宿屋くらいしかないからだ。
また宿屋の経営者であれば、怪しい余所者の出入りをチェックしやすい。
不審な行動を見せる者の情報は、こうして宿屋の主人から、その村を統治する領主にあげられる。
対応するのも領主の仕事らしい。
ほとんどの場合、護士組が出張るほどの事態にはならないし、そこまで状況を悪化させてしまうのは、地方領主にとって自分の統治能力不足をさらす失態ということになる。
そんなことになるくらいなら、彼らは内々で揉み消すことを選ぶ傾向にあるという。
つまり、カズマたちの情報が〈青薔薇〉たち追跡部隊へいく可能性は低い。
そうした判断から、この街は選ばれたのだ。
「で、ダーガ。ここですることはまだ何かあるのか?」
目抜き通りを歩きながら、ナージャに訊かれた。
「えっと――まずは換金と物資調達だね。あとは匿名で教団が現れたことの報告しておくように頼まれてる」
カズマが指折り言うと、トーリ・クゥガーが横から口を開いた。
「匿名投書は、俺がさっき支部でしておいた」
「ふむ」
レイがにんまりとした笑みを顔いっぱいに広げた。
「となると、次は山賊が溜め込んでいた財宝の売却か。どのくらいになるものかな!」
「必要品に関しては、ザックオージからリストを預かっている」
クゥガーの人差し指と中指には、折り畳まれたメモ紙が挟まれていた。
カズマは字が読めないため、一覧は最年長のクゥガーに託されていたらしい。
「念には念を入れて、追跡部隊に顔が割れている僕とナージャは後ろで大人しくしときます。どうせ、商取引の作法には慣れてませんし」
「相分かった。私とクゥガーに任せておくと良い」
胸を張るレイの姿にナージャのイメージが重なり、一抹の不安を覚える。
だが、結果を見れば彼女たちに売買を任せたのは正解だった。
カズマが見たところ、こちらの世界――少なくともフ=サァンという国――では、日本と違って商品に値札を付けている店など存在しない。
例外は、さっさと売らないと焦げてしまう食品を売る、ごく一部の屋台くらいのものだ。
目当ての物を見るとすぐ財布に手を延ばすのは、余所者丸出しの日本人的感覚だ。
値段がオープンにされていない以上、相場を知らないと話にならない。
前提となる価格交渉のスタートラインにもつけないからだ。
したがって、初心者は慣れた者の後ろについて、相場や作法を学ぶのが一番ということになる。
この点、クゥガーは頼りになった。
意外だったのは、世間知らずな貴族のご令嬢だと思っていたレイである。
彼女は思いのほか庶民感覚に通じており、相場や交渉についてもクゥガーに劣らぬ見識を持っていた。
宝石などの鑑定や価値判断については、それを見慣れた貴族としてむしろクゥガー以上の実力を発揮したと言って良い。
苦しめられている民衆のため立ち上がり、山賊を退治して回っていた――。
この主張が裏付けるように、彼女や兄のデインが民に寄り添うタイプの特権階級であるというのは、どうやら事実であるらしい。
それが教育のたまものであるとすれば、彼らの親である当代領主もまた、領民に優しいトップなのかもしれなかった。
朝一番に街に来たものの、売買が一通り片付いた頃には昼時になっていた。
屋台で適当に料理を買い込み、四人で憩いの広場に向かった。
ベンチや長テーブルが並べられていたため、そこに昼食を広げ、四人で突き合う。
「なかなかの成果であったな」
ほくほく顔でレイが言う通り、成果は上々だった。
持ち出してきた山賊の財宝の一部は、日本円にして約四〇〇万円の金にかえることができた。
カズマが覚えている限りでも六店舗ほど渡り歩くことになったが、その労力に見合う成果と言えるだろう。
そのあとは、これを資本に食材や仕立て用の布、日用品などを買い込んでいった。
これらの出費は一〇〇万円にも届かなかったため、結果的に三〇〇万円以上が手元に残った計算になる。
もちろん、帰り道は全員弾む足取りだった。
「ごししんさま」
北のアジトにもどると、気配に気付いたミーファティアが二歳児特有の愛らしい声を上げた。
リックテインに抱かれていたところを下ろしてもらうや、とてとてとペンギンのような足取りで駆け寄ってくる。
意思に関係なく勝手に表情筋が緩み、笑みを浮かべてしまう瞬間だ。
カズマが両手を広げると、ミーファティアは三角の猫耳をさかんに動かしなから胸に飛び込んできた。
抱き上げるとミルクの匂いがした。
頬に触れる彼女の髪の毛は、たんぽぽの綿毛のようにふわふわしていた。
「帰ってきたよ、ミーファちゃん」
猫なで声になってしまわぬよう、意思の力で声音を制御する。
「おかえりさい」
咲くような笑顔を見せる。
それから、よだれでびちょびちょの唇を顎の近くに押しつけられた。
彼女のキスは常に照準が甘く、必ず少しズレた座標に着弾する。
水気が多いため、文字通りぶちゅりといった感じがするのも、いつものことだ。
――子どものためなら頑張れる。
日本にいた頃、疲れ果てた社会人がまるで標語のように吐いていたこの台詞が、まったくの事実を語っていたことをカズマは理解しつつあった。
舌足らずに自分を呼びながら、一目散に自分めがけて駆け寄ってくる小さな天使の姿は、何にも勝る滋養剤だ。
特にそれを強く感じたのは昨日のことだった。
〈イス教団〉が作り出した地獄を見て帰ったとき、すり減り、ささくれだった神経、精神をたちまち癒してくれたのが、彼女の出迎えだった。
「ミーファちゃん、良い子にしてたみたいだね」
目の高さを合わせて微笑みかける。
すると、彼女は得意げな顔で笑って見せた。
「どう、わたしお姉さんでしょ」のアピールだ。
「良い子のミーファちゃんに、良い物買ってきたよ」
ワイズサーガで彼女を支え、左手で腰にさげた巾着袋を探る。
水飴を取り出して彼女の、もみじのような手に持たせた。
「おかしだよ。ぺろっとしてごらん」
はじめて見たのだろう。
彼女はしばらくその透明な不定形の物体を不思議そうな目で眺めていた。
ややあって、ちろと出した舌で遠慮がちに舐める。
一瞬、驚いたように固まった。
くるりとカズマに目を向ける。
「美味しい?」
訊くと、じわりと笑顔が広がっていった。
「ごししんさま」
「うん?」
「あらがと」
「良いんだよ」
ふわふわの頭を撫でてやる。
「良い子のご褒美なんだから」
「こら、ミーファ。ありがとうじゃなくて、ありがとう御座いますだろ」
後ろから目尻を吊り上げてリックテインが歩み寄ってくる。
ミーファティアはカズマに向き直り、特に悪びれた様子もなく、
「あとます」
と言い直した。
「凄い省略しちゃったねー」
先ほどの「あらがと」はまだ分かりやすいが、「あとます」は文脈から推測しないと、単体で意味をくみ取るのは難しいだろう。
だが、そうした理屈がどうでも良くなるほど愛らしかった。
全てが許される愛らしさがあった。
「ご主人様、愚妹が失礼をいたしました」
なごやかな雰囲気の中、一人神妙な顔をしているのがリックテインだ。
愚妹など、六歳の少年が使う謙譲ではない。
「いやあ、ちゃんと自分からお礼を言えたんだから、ミーファちゃんは良い子だよ。ねえ?」
でれでれの顔で本人に問いかける。
文脈は分からずとも、「良い子」と言われたことだけは理解できたのだろう。
本人は、にぱっと嬉しそうにしていた。
「頑張ってるリックテイン君にも褒美をつかわそう。はい」
包み紙ごと彼に差し出す。
「これ、水飴っていうお菓子なんだ」
地球産の猫は味蕾が少ないと言われている。
人間と比較すると、確か桁が一つ二つ違う。
味を感じ取るセンサーがそれだけ弱いということだ。
それが原因で彼らは甘みをほとんど感じない。
少なくともTVの動物番組ではそのように言われていた。
しかし、これに懐疑的な愛猫家も多いことだろう。
カズマの友人、鶴田もそんな一人だった。
二匹の猫を飼育する彼は、自分の猫たちが菓子パンやどら焼き、アイスクリームなど、甘い物を大変に好むと証言していた。
曰わく、「甘さ感じてないって嘘だろ。明らかにがっつきが違うぞ、あれ。どう説明すんだよ。匂いとかか?」。
これに関しては、人間社会に溶け込むうちに味覚に変化が生じてきている、という説もあるようだが――
ともあれ、猫とのミックスであるコロパス族は、それなりに甘みを感じることが可能らしい。
少なくともミーファティアは大喜びで水飴を舐めていた。
問題はリックテインであった。
一向に水飴を受取ろうとしない。
うつむいたまま見向きもせずにいた。
「ご主人様。せっかくですが、私には褒美を頂く資格なんてありません」
この世の終わりのような声で言い出す。
猫耳も萎れていた。
思い当たることはあった。
「もしかして、まだ昨日のこと気にしてるの?」
沈黙が返る。
それが答えだった。
――昨日の夕方、南砦の攻略から戻ったときのことだ。
このリックテインは、土下座の構えでカズマを待ち構えていた。
眠ったまま、作戦に参加できなかったことを大失態だと認識したのだ。
「何度も言うけど、その前は徹夜でこっちの砦を攻略したんだ。初めての実戦だったし、小さな子が疲労でぐっすり寝込むのは仕方ない。
それを起こすなと指示を出したのだって僕だ。自然に目が冷めなかったら休養日として与えようって、雇用主の判断として僕が決めたんだ」
よって、君にとって昨日は公式な休日であった。
南の砦攻めに参加しなかったことは罪とはならない。
繰り返し説得しても、彼は頑としてそれを受け入れなかった。
「奴隷に休日など聞いたこともありません」
「いや、だからまだ首輪こそ外してないけど、君はもう奴隷じゃ内んだって。僕らの間にあるのは雇用契約だ。奴隷契約じゃない」
「その雇用契約とは、雇われた側が大切な仕事に参加せずに成り立つものでしょうか」
とても六歳相当の幼児とは思えないことを言い出す。
だが、聞けばオルビスソーでは、七歳くらいから就業訓練に入るのが普通らしい。
職人の子は作業場に出入りし、騎士を目指す子は学問と剣、乗馬、狩りなどを教わり始める。
農家の子などは、もっと早くから戦力として駆り出されることもあるという。
日本の現代っ子とは、覚悟や環境、精神年齢が違いすぎるのだろう。
そういえば、国営放送の大河ドラマでみる武家の子どもは、幼稚園くらいでも作法を身につけ、大人の言葉ではきはきと挨拶ができていた。
昔は日本人も幼いうちからしっかりしていたのかもしれない。
それを加味しても、リックテインはやはり異常な部類に入りそうではあるが。
「そうだな……僕も、リックテイン君とはちょっと話さないといけないと思ってたんだ」
良い機会ということで、場所を移し二人になることにした。
こういう時、ナージャがミーファを手なずけてくれているのは非常に助かる。
封貝を使って遊んでやるのがとても上手いため、しばらく二人にしてもミーファは寂しがらない。
ナージャに子猫娘をあずけ、カズマは上階の自室にリックテインを招いた。
山賊の幹部が寝床とて使っていた狭い個室だ。
「あの、それで……お話というのは……」
「んー、なんて言うのか、君たちの働きぶりについてのことなんだけど」
何を勘違いしたか、リックテインは顔を跳ね上げた。
零れそうなほどに目を大きく見開いている。
「お願いです! 一生懸命、なんでもします。必ずお役に立ちます! せめて、どうしても駄目ならミーファだけでも――」
掴みかからんばかりの必死の形相は、徐々に萎んでいった。
うつむき、最後はほとんど泣きそうなつぶやきになっていた。
「僕は良いですから、せめて妹は……」
「道徳の授業でね、子育て番組を見せられたことがあるんだ。赤ちゃんポストの話とか、少子化とか、〈果て〉が生んだ難民の二世が受けてる差別の問題とか……色々習った。
僕の故郷では、人間の死亡原因第一位は、癌でも心臓疾患でもなく、人工・自然を両方合わせた中絶なんだ。
子どもを産むのも、育てるのも本当に大変なものらしいってことだね。僕やリックテイン君がこうしていられるのも、全然当たり前のことじゃないんだ。
特に赤ちゃんや小さい子は良く泣くし。周囲も迷惑そうな顔するし。身体が弱いとすぐ病気になって……でも、子育てなんて初めてだから、僕らにはどうして良いのか分からない。病院だって夜はやってない。元気な子は元気な子で、言うことを全然聞いてくれない。
お母さんひとりだと、ノイローゼになるくらい酷い生活になることもあるって聞いた」
なんの話だ――という顔をしているリックテインの肩に、両手を置いた。
「それを、リックテイン君は今、ひとりでやってるわけじゃない? お母さんを探して泣くミーファちゃんを、僕たちの迷惑にならないように必死であやしたり。面倒見て、寝かしつけて。夜泣きに叩き起こされて。その間に、派閥の雑用までこなしてさ。自分も親や家をなくした小さい子なのに。一番泣きたいのはリックテイン君なのにね」
触れた手のひらから、小さな震えが伝わった。
「リックテイン君は立派にやってるじゃないか。一生懸命やってる。ちゃんとミーファちゃんを守ってる。
だから、そのことに疲れたら、少しくらい休んで良い。泣く暇もないくらい頑張るなんて、そこまですることはないんだ。僕は――まあ、多少アレかもしれないけど、ウチには頼れる大人がいるしね。
仲間だって増えてきたじゃない? 君が妹を守るために毎日必死で働いてること、彼らはちゃんと見てくれてると思うよ。
役に立ててないって悩んでることも、捨てられたらどうしようって不安に思ってることも、ちゃんと分かってくれてる。そんな子に出て行けなんて、誰も言ったりするわけないじゃないか。――ね?」
それから、カズマは労いの言葉、礼の言葉を少年に告げた。
いつも頑張ってるね。
ほんと助かってる。
ありがとう。
陳腐極まりない表現しか出てこない自分の語彙力が少し恨めしくはある。
だが、それが精一杯なのはどうしようもなかった。
すすり泣きが聞こえ始める。
彼もまた震える声で礼を口にしだしため、交互に謝辞を投げ合う奇妙な構図ができあがった。
だが、最終的に粘り勝ちしたのはカズマだった。
リックテインはやがて嗚咽しだし、喋るどころではなくなった。
彼の震えが収まるまで、頭を撫でながら、カズマは感謝の言葉を繰り返した。
大人でも、頼りになる派側の存在でもない。
名ばかりの派閥代表にできることは、いつもそう多くはない。
「――リックテイン君は、少し僕を見習うべきだね」
いつしかようやく涙をひかせた彼に、カズマは言った。
「明日から本気出す。今は英気を養っている。やればできる子。この三つをやりくりして、いかに疲れないように生きていくかがポイントだよ。
ストレスをためれば寿命が縮まる。リラックスしてれば長生きできる。人生、生きたもん勝ちなんだから」
リックテインが薄く微笑んだ。
「できそう?」
半歩離れ、膝に両手を置いて訊いた。
「明日から本気出せる感じで? 無理だったらあえて次の日に先延ばしする勇気、覚悟、柔軟性を持たないと駄目だよ。
僕はその辺を徹底してやってきたから、いつもヨウコにぐにゃんぐにゃんだと言わてた。もうプロと言って良い」
「ご主人様のようになれるかは分かりませんけど……やってみます」
「そっか。じゃあ、僕は長い目で様子を見てることにするよ。大切なのは、それを長く続けられるかどうかだからね」
「はい。ありがとうございます」
「明日から本気出すんだから、今日はまだ頑張っちゃだめだよ」
出口に向かって一緒に歩きながら、ぽんと彼の背を叩く。
リックテインはくすりと笑い、「分かりました」と猫耳を立てた。
ふたりして階下の大広間に戻る。
ナージャは上手くやってくれていたらしく、辺りにはミーファティアのはしゃぎ声が木霊していた。
封貝の赤マフラーに腰を掴んでもらって、天井付近をあっちこっちと動かしてもらう遊びは、彼女の一番のお気に入りだ。
「話はまとまったようですね」
中央の大テーブル、マオが書類に落としていた視線を上げる。
周囲には、街で調達してきたばかりの物資が所狭しと並べられていた。
これらをの数、状態、価格を再確認し、記録し、分配し、保管場所を決める作業については、彼女が陣頭指揮を執ることになっている。
その補助として忙しく走り回っているのは、この砦に囚われていた三人の娘たちだ。
彼女らは熟考と協議の末、派閥ワイズサーガの臨時職員として働くつもりになったらしい。
昨日、そばかすの気の強いリーダー格を中心に、カズマへ頭に下げに来たことは記憶に新しい。
「あの……これまでのこと、色々謝ります」
夜、控えめに鳴るノック音に扉を開くと、彼女たちは開口一番、深々と頭を下げた。
あなたの指摘通り、私たちは甘えていた。
山賊たちと違い、凶暴さが感じられず、幼子を連れた奇妙な集団であったため、安心しきっていた。
惜しげもなく食事を与えてくれ、乱暴され続けたショックがあるだろうと丁重に、優しく接してくれたことを、私たちは間違った形で受け入れてしまったのだ。
――それが彼女たちの主張であった。
殴られない。
犯されない。
罰を与えられない。
気持ちをそのままぶつけても受け止めてくれる。
相手に対する一種の信頼感が、今回は良くない方向に作用した。
それは「どこまで許して貰えるか」を試そうと、大人をわざと怒らせる子どもに近い心理であったのだろう。
この〈試し行動〉とも呼ばれる彼女たちの無礼を、カズマがそれなりにどっしり受け止められたのは、傷ついた者特有の心理として理解していたからだ。
これは、災害大国である日本で生まれ育ったことが大きい。
千年に一度と言われる大津波を伴った二五年前の震災。
そして〈果て〉の出現に端を発した未曾有の大厄災。
これらの被害にあった子どもは、非常に攻撃的になることがある。
社会科の教科書にも載っていることだ。
「おい、クソジジイ。えらそうだな、オッサン」
モザイクがかかっていたが、見せられた教材ヴィデオには取材者に凄まじい罵倒を繰り返す、小学生の女の子が映っていた。
だが、彼女たちは一人で眠れないという。
人前での乱暴さが嘘のように、夜を恐れ、孤独を恐れる。
そうも解説されていた。
――ああ、このひとたちも同じなのだ。
自分に牙を向く女性達を見てすぐそのことに気付けたからこそ、あまり腹も立てずに付き合えた。
ケイスも戦災孤児などを通して、似た認識をつちかっていたらしい。
派閥で話合いの場を設けたとき、カズマとまったく同じ見解を示していた。
同じと言えば、リックテインも結局はそうだ。
攻撃的になる子がいるように、頑張りすぎる子も現れる。
彼の場合は、全てを失ったショックと、奴隷として捕まえられ、虐待されていた頃の心の傷が、攻撃性ではなく勤勉さとなってあらわれているに過ぎない。
ただ、女性達の方は既に大人であることもあり、精神を立て直すことも早かったようだった。
「これからどうするか、決まりましたか?」
カズマたちから装備と路銀を受取って故郷の村に帰るか。
それとも残ってワイズサーガと共に行動するか。
選択を迫られていた女性たちは、後者を選んだと告げた。
冷静な判断である。
「今さら……あんな態度をとっておいて虫の良い話かもしれないけど――かもしれせんけど、そのことはこの通りお詫びします。
ですからお願いします。どうか、貴方たちのもとに私たちを置いてください!」
最後の方はほとんど悲鳴にも近い叫びだった。
簡単には受け入れられないと思っていたのだろう。
カズマが笑顔で許しを与えると、彼女たちは拍子抜けしたような様子を見せつつも、やがて安堵の微笑みを交わし合っていた。
ただ、直後に「最初の奉仕」と服を脱ぎだしたことについては完全に想定外であった。
慌てて制止し、そのまま緊急会議を開いた。
一度言ったと思うが、仕事とはそうしたものではない。
カズマは根気強く説き、派閥の理念を伝えた。
提示した地球式、日本式の雇用関係や形態は、彼女たちにとって大変奇妙なものであったらしい。
きょとんとした顔を見た限り、恐らく半分も理解して貰えなかったのだろう。
今後、時間をかけて浸透を図らざるを得ないところだ。
ちょうど良い機会だと、カズマは反対に、彼女たちから恋愛感や婚姻、貞操観念についてこちら側の事情を教わった。
それによると、フ=サァンは一夫一妻制。
しかし、それは表向きの話であるらしい。
いわゆる不倫や浮気のような行為は、日本ほど倫理に反したものとは見られない。
男女ともに愛人をニ、三人持つのは珍しくないことだという。
愛人関係にある人々が近所に住み、一つの家族として機能している例も多い。
子も、それらの大集団の共有財産として大切に育てられる。
最終的に自分の元にいれば良い。
最後の相手であることが重要。
そのような思想が広くあるため、処女性には全く価値が置かれない、というのもカズマからすれば驚きだった。
実際、囚われていた三人も、自分が「汚れた」という感覚は微塵もないと証言した。
意に沿わぬ関係を強要されていた屈辱と苦痛と恐怖は強く、精神的には確かに深く傷ついた。
しかしそれは女性としての価値を下げるものでは決してないという。
「それは――本土の方でもそうなんですか? オルビスソー共通の考え方?」
訊くと、少し首を傾げた後、女性たちは首を振った。
「いや、本土ではまた違う考え方の国が多いみたいですよ。男がたくさん奥さんを持ってたり、逆があったり。
生娘をありがたがる国も多かったはず。私に言わせれば、そんなことにこだわるなんて馬鹿げた話だけど――ですけど」
日本に近しい文化を持つと思っていたフ=サァンも、やはり異世界、異文化の国である。
強く再確認させられた瞬間だった。
「マオさん、エリックさんは留守中、どうでした?」
「目を覚ましたという報告は受けてませんが――」
彼女はそう言って、新加入の三人娘のひとりに視線を向けた。
「あ、はい」
赤毛をボブカット風にそろえた女性が、食料品のバスケットを抱えて出口に向かいかけていた脚を止めた。
振り返って慌てたように言う。
「エリックさんは、まだ眠っておられます」
「熱は下がりました?」
カズマは訊ねる。
「四半刻ほど前に冷した手拭いを替えたときは、まだ熱かったです」
「うーん」
唸りながらマオの向い側に座った。
「大丈夫ですかね?」
「自分が拷問を受けたわけでも、誰かが受けている様子を無理に見せられていたわけでもないのでしょう?
〈イス教団〉のやり口は想像を絶すると伝え聞きますけど、それでも一瞬見ただけで回復不能なほど精神を粉砕されることはないと思います」
実を言えばあの後、制止を振り切ってカズマ、ナージャ、レイ、そして精霊ドリュアスの四名は現場を見に行った。
深呼吸を繰り返し、覚悟をして、肚に力を込めて、万全の態勢を取った。
ケイスとクゥガーの立ち会いもあった。
その上で数秒目を向け――だが決して細部を観察してしまわぬよう細心の注意を払って――見るだけ、見た。
結果、ぼんやりとしたイメージを掴むだけで済ますことができたが、それでも本能が理解するには充分すぎた。
あれは、凝視してしまうと精神が歪む。
深刻な、無視できない傷が入る。
精神にだけでなく――魂にもだ。
エリックはカズマに比べると、もう少し深く深淵を覗き込んでしまったことになるのだろう。
しかし、マオの言うことにも一理はある。
永遠に、不可逆的に精神と魂が完全破壊されてしまうほどではなかったはずだ。
「とはいえ――」
マオが書類に走らせていたペンを止めて言った。
「心のケアは必要でしょうね。注意して様子を見るべきてす」
「で、派閥としてはこれからどうするつもりなのだ?」
一つ椅子を挟んで右隣から、レイが声を発した。
彼女はすっかりリラックスしていた。
長く形のよい脚を優雅に組み、飲み物の入った木製の杯を傾けている。
もう一〇年は派閥に属している最古参のひとり、といった馴染みようだ。
「進言して良いか?」
大テーブルの端に、少し距離を取って座るケイスが言った。
彼は、山賊が溜め込んでいた武具の状態確認と、手入れをずっと続けている。
今は、新加入の三人娘に持たせる武具を見ているらしい。
「お願いします」
カズマが言うと、ケイスはゆっくりと語り始めた。
「俺は、計画を予定より早めるべきだと考えている。〈スリージィン〉が〈イス教団〉による被害を知るのは時間の問題だ。やつらが外部からの襲撃に備える前に、攻略が困難そうな大きめの砦を落としておいた方が良い」
「新参者も、発言して良いのかい」
レイの右隣に座るトーリ・クゥガーが口を開いた。
「もちろん、歓迎です」
「だったら言わせてもらうが、俺も攻めに一票だ」
言って、クゥガーは卓上に地図を広げた。
五〇インチの大型TVくらいはあるだろう。
今朝、街で購入してきた物である。
意外にも、オルビスソーではそれなりに詳細な地図が一般にも出回っている。
地球では中世ヨーロッパにせよ日本にせよ、地理は国家クラスの機密情報であったはずにも関わらずである。
これは、空を自在に飛び回る封貝使いのせいだろう、というのがカズマの考えだった。
上空から観察すれば、地図の作成も随分とはかどるはずだ。
地球の同時期より、技術が数段進むのも当然と言える。
「俺たちが今いるのが、大体――このあたりだ」
と、クゥガーは待ち針のようなピンを突き刺す。
フ=サァンは縦に長い島国で、中心を縦断するように長く大きな山脈が走っている。
何度か耳にしてきた〈尾剣山脈〉だ。
ピンが刺さっているのは、その山脈のちょうど中間付近だった。
「エリナー・フォウサルタンの話を総合すると、最終目標になるのは南西のナックゼオン地方」
どんと置かれた太い人差し指が、ピンを始点に地図上を滑っていく。
そしてしばらく斜め下へ進むと、止まった。
「この一帯を取り仕切っていると言われる――〈スリージィン〉三大幹部の一人、ジィンファウスの砦の一つだろう」
「結構、遠いな……」
レイが顎に手をやって唸る。
「クゥガー。ここからその砦まで、一体どれくらい〈スリージィン〉の支部はあるのだ?」
「直線上には数個だろうが、周辺を含めるなら――ここと同程度のものだけでも二桁に及ぶだろう。その全てを叩くのなら、今のペースだと何ヶ月がかりだ」
「〈イス教団〉関係で防備を固められると、更に厄介になりますね」
マオも作業の手を止め、地図上に険しい視線を向けている。
「そうだ」とケイス。
彼は席を立ち、地図を覗き込める位置まで歩み寄ってから続けた。
「だからこの際、小さな拠点は無視して飛ばした方が良い。具体的には、ここだ」
この砦から最終目的地であるナックゼオンの大砦を結ぶ直線上、それを三分の一ほど進んだあたりだった。
「キィネオ伯爵領の砦だな」
クゥガーが指摘すると、ケイスはひとつ無言で頷いた。
「途中、一番厄介なのがキィネオの〈スリージィン〉だ。ここを支配してるキィネオ伯は〈スリージィン〉とずぶずぶなことで有名でな。
〈スリージィン〉側に身内を送り込み、逆に〈スリージィン〉から人材を引き抜いて要職に据えてもいる。貴族の身内が野盗に加わり領地の略奪を愉しみ、野盗の幹部が公的機関の大物として堂々と街を練り歩いてる。そんな土地ってわけだ」
そんな領主が善政を敷くわけもない。
領民を家畜のごとく扱い苦しめているという。
初耳ではないのだろう。
レイは眉間に深い皺を刻んで話を聞いていた。
卓上で固く握りしめられた拳が、その心情を如実に語っている。
「――〈イス教団〉の件を聞いて〈スリージィン〉が警戒態勢を強めれば、伯爵も協力の方向で動く」
ケイスが続けた。
「結果、領をあげてのキャンペーンになるだろう。そうなると、地元民からの情報収拾も一苦労だ。そういう怪しい行動を取っていれば、宿に刺客が来る程度のことは当然、想定される。
それどころか適当な罪で検挙されて、伯爵から直々に有罪と処刑の宣言をたまわることもあるかもな」
「山賊だけじゃなく、キィネオ伯爵領全体が敵に回る、ということですか。そして動きが大きく制限される、と」
カズマはつぶやき、「確かに厄介だ」と続けた。
「しかし、だからと言っていきなりキィネオ伯爵領まで進んで大丈夫なのか?」
レイが難しい顔で訊いた。
「いや、もちろんキィネオ伯の悪行は目に余る物がある。乗り込んで領民を救うことに異論はないのだ。――ないのだが、あそこの〈スリージィン〉を叩けば、キィネオ伯にはどうしたって知れてしまうだろう。
そうなれば奴が大騒ぎして、結果的に〈スリージィン〉全体を警戒させることになるのではないか? それに、無視して素通りした小さな集団から背後を突かれることにもなりかねん」
「お前の危惧は分かる」
クゥガーが言った。
「だが、どんなタイミングでキィネオを潰しても、その時点で俺たちの存在は必ず露見する。結果、〈スリージィン〉は組織的な警戒を強める。これはどうあっても避けられねえルートだ」
カズマは内心、頷いていた。
クゥガーの言っていることは正しい。
〈イス教団〉の話を聞いて警戒を強めたキィネオと戦うか。
話が届く前の無警戒なキィネオを攻めるか。
つまるところ、話はこの二択なのだ。
どっちをとっても、隠れて〈スリージィン〉を叩いて回ることは不可能になる。
よってポイントは、キィネオがこれまでとは比較にならない攻略難度の砦だという事実に絞られるだろう。
ならば、後者――無警戒の所を早めに叩く道をとった方が賢い。
レイを含め、全員がその結論に達したらしい。
顔つきで分かった。
「じゃあ、次の目標はキィネオ領の大規模砦ということで良いですか?」
異論は上がらなかった。
「途中はどうします? 女の子も増えたし、移動速度は落ちるでしょう。キィネオまではどれくらいかかるんですか?」
現状、移動系封貝を使えないのは、カズマとエリック。
コロパスの子どもたち。
依頼人のエリナー・フォウサルタン。
そして新規加入の女子三名。
この八名に、期間限定で弱体化中のマオ・ザックォージが加わる。
「どうだろうな……封貝がどの程度、汎用的に使えるかにもよるが」
ケイスが新規加入の貴族組に横目をくれながら言う。
その言わんとするところを解したカズマは、彼らに直接訊ねた。
「レイさんとクゥガーさんの封貝は、一人乗りですか?」
「基本的に、移動系《Victor》封貝は一人乗りだぞ」
口元へ優雅にカップを運びながら、レイが指摘した。
「サイズの大きな幻獣でも、契約者以外の者を長時間運び続けるのは嫌がることが多い」
「えっ、そうだったんですか?」
思わずケイスに顔を向ける。
彼の翼竜〈アルハングェラ〉には度々世話になっていたからだ。
「俺の〈アルハングェラ〉は例外的な部類だな。その辺、あまり気にしない」
「私は幻獣型の封貝を持っているが、誰かを乗せるのは無理だな。クゥガーはそもそも肉体強化型だから、自分にしか効果がない」
「となると、全員まとめて封貝で長距離移動は難しいか……」
カズマがつぶやくと、マオが頷いた。
「少なくとも空路は難しいでしょうね。途中で飛行型の魔物に襲われる危険性を考えると」
「じゃあ、一〇人くらい座れる巨大な荷台を作って、それを封貝で引っぱる感じにしましょうか。それなら陸路になるけど、下手な馬車よりは速く進めるでしょう」
検討してみると、旅は準備も含めると四日から六日間を要するのではないか、という形で見解の一致をみた。
まず、移動型封貝を使えない九名と、荷物を載せるための台。
これは、今から派閥で自作することになった。
どうせならと言うことで、やいのやいのと一気に簡単な設計図まで書あげた。
土台だが――これは今、会議に使っている大テーブルを使うことになった。
四方には、家具を解体して確保した木材で転落防止用の枠を付ける。
もちろんのこと椅子も、拠点内にあるものの流用だ。
電車の座席のように、左右それぞれの縁に沿って横一列に並べる予定だった。
空いた真ん中のスペースには、山賊の幹部のベッドから布団を剥ぎ取り、一面に敷き詰めることにした。
酔った者や仮眠を取りたい者は自由に横になれるし、野営の時も寝床として利用できる。
工作に必要な道具で不足している物は、ケイスが今から村へ買い出しに行く予定だ。
作業は、荷造りなど他の旅支度と並行して行われる。
そのため全員がかりで一気にとはいかない。
完成は早くても明日になる見込みだ。
そして移動だが、これは順調にいくと一日に三〇〇キロメートル進めると計算した。
ただし、陸路なので真っ直ぐには進めない。
目立つのを避ける必要もあるため、実際には直線距離だと三〇〇キロの半分ほどしか進めないと考えられる。
ケイスたちの証言と地図から、キィネオまではどうやら四〇〇キロ弱あるらしい。
となると早くて三日。
天候などの関係で場合によっては四日かかる見込みだ。
これに予備日を一日加えると今日から最短四日、最長六日の行程という結論になる。
「じゃあ、ええと……あとは」
話がまとまったところで、カズマその場で伸びをする。
あくびが出かかったが、それは横から聞こえた低い声で引っ込んだ。
「一つ、はっきりさせておくべきことがあるな」
レイだった。
一瞬考え、カズマは理解した。
表情を引き締めて居住まいを正す。
「――〈イス教団〉ですね」
「そうだ」
レイは静かに言うと、少し間を置いてゆっくりとカズマを見た。
「途中、状況によっては〈スリージィン〉の拠点を襲撃し、そこを仮の宿とするようなこともあり得る。
今、決まったプランではそうなっていたな? とすると、同じく山賊を獲物とする〈イス教団〉と鉢合わせする可能性はゼロではない」
問題はその際の対応だ。
もちろん、敵の敵は味方――という図式は成り立たない。
山賊の敵は、単にもう一つの敵である。
「見てきた限り、山賊ってのは若い女性を必ず何人かさらって手元に置いてましたからねえ……」
三人娘が周囲にいないことを確認して、カズマは言った。
「賊徒がどんな殺され方をしようが私は構いません」
マオがきっぱりとした口調で言った。
「ですが、罪なき憐れな婦女子が、おぞましい邪教徒に拷問されて殺されるなど、どうあっても看過はできませんよ」
「私も――何ができるという立場ではないのに無責任ですが――できれば、彼女たちを救ってあげたいです」
いたのか。
そう思うほど存在感の希薄であったエリナー・フォウサルタンが、消え入りそうな声で言う。
カズマの記憶が正しければ、会議が始まって以来、彼女が自分から口を開くのはこれが初めてであった。
「まあ、依頼人様にまでそう言われては、やらざるをえんだろう」
ケイスが結論付けるように言う。
「じゃあ、〈イス教団〉に対しては攻撃的、徹底的にいくということで。
そうなると、この〈イス教団〉ってのが戦闘方面でどれくらいの脅威になるかが気になってくるんですが……」
素朴な疑問として場に問いかける。
が、それは思いがけず、奇妙な沈黙をもたらした。
特に気になるのは大人達だ。
情報を持たないから口を開かない年少組とは違う。
一様に難しい表情で黙り込んでいた。
「あのう――?」
「分からない、というのが正しい」
唐突にケイスが言った。
腕を組んだ仏頂面のまま続ける。
「神々は自分の意志を代弁、体現する者を置くことが多い。呼び方は色々だが、そいつらは加護として何らかの異能を授かることがある」
「ああ、なんかそれらしいことは前も言ってましたね」
「歴史を紐解くと、神の加護――使徒たちに与えられる異能は、時として封貝に匹敵するか、それ以上の脅威であったと伝えられている」
「と言いますか――」
マオが横から言った。
「もともと封貝使いだった敬虔な信者が神の加護を上乗せされて、手の着けられない存在となったケースも報告があります」
だが、これらの加護は最高司祭だとか、高位の巫女、幹部級の使徒など限られた者だけが授かるものであるらしい。
邪神イスの場合も、信者の全てが異能を得るわけではないのだ。
「一口に〈イス教団〉と言っても、私たちが遭遇する連中がどれだけの力を持っているかは不明としか言いようがないのです。人数も構成員も分からない以上は」
「しかし、奴らが襲撃した南のアジトには、封貝を使える山賊が複数名いたという話を聞く。それを問題なく排除するだけの使い手がいることは確定だろう」
そのレイの指摘は、再び場に重たい沈黙をもたらした。
「〈スリージィン〉の方はどうなんですか?」
空気を変える意味で、カズマは訊いた。
「砦ごとの戦力だけ見れば、問題は最終目標だけじゃねえか?」
すぐにクゥガーが言った。
「そうだな」
ケイスが同調する。
「救出対象のリロイ・タレン嬢が囚われていると思わしき、ジィンファウス地方の大規模拠点。さっきも言ったが、そこを仕切っているのが〈スリージィン〉の三大幹部の一人でもあるジィンファウスだ。
問題はこいつだな。戦闘能力は、フ=サァンでも最強クラスと言われている封貝使いだ。加えて、配下には青級の封貝使いも大勢いる。現状で、総戦力は向こう方が上だろう」
「正面からでは勝てない?」
「退き際を間違わなければ、全滅は避けられるかもしれんな。しかし、それでも力の弱い者は生き残れないだろう」
つまり、お前は死ぬ。
そう言われているのだとカズマは解釈した。
しかし、戦力に関してはデインと〈不死〉のレンガショップとの連携を含め、まだこちら側も確定していない部分がある。
今は、参考程度に考えておけば良い。
そういう結論になった。
「ようし。じゃあ各自、作業に取りかかりましょう」
別にこったわけではないが、カズマは何となく肩を揉みながら声を上げた。
最初に決まったのは、ケイスが工具の買い出しにいくことだった。
封貝の使えないマオは、アジトに残って引き続き荷造りの指揮をとる。
その手足となって働くのが、エリナーと新加入の女性陣だ。
リックテインはミーファの面倒を見つつ、荷台の作成に必要な家具の運搬、解体。
この作業にはレイも手を貸してくれることになった。
「――で、残りの人ですが、諸君には僕とモンスター退治に行ってもらいます」
立ち上がって宣言すると、
「任せとけ!」
と、ナージャは乗り気だ。
しかしもう一人の人員、トーリ・クゥガーは無表情のままだった。
「どういうことだ?」
端的に説明を求めてくる。
「こちらにおられるドリュアスさんからの依頼です」
カズマは右隣にいる翠緑の貴婦人を示しながら言った。
「この山には三匹の食屍獣がいたそうです。一体は少し前に倒しましたが、まだ二体が残っています」
「それを倒して土地の陰相転化を防げと?」
「その通りです」
ドリュアスが直答した。
「ドリュアスさんは僕らに強制しているわけじゃありません。あくまでお願いという形で話を持ってきてくれました。お礼も用意して下さってるようなので、ワイズサーガとしては是非とも協力したいと思っています」
その謝礼とはなにか。
訊かれる前に、カズマは説明を続けた。
結論から言うと、報酬はドリュアス本人である。
昨日、彼女からもらった借宿の指輪は、既に効力を失ってしまっている。
もう、この森の精霊を仲間にして、外へ連れ出すことはできない。
だが、彼女は今回の話に協力してくれたなら、新しい指輪をカズマに授けると約束した。
しかも、今度は使い捨ての簡易指輪ではない。
ドリュアスが宿る聖樹の枝を使った、永続型だ。
すなわち、彼女はワイズサーガの一員として今後、行動を共にしてくれると言ってくれているのだ。
「ドリュアスさんは良い人だし、綺麗だし、ファンタジィって感じがするリアル精霊さんなので、是非とも一緒に来て欲しいと思ってます。
戦力としても、自然環境の中では一流の封貝使いより凄い感知能力を発揮してくれて、とても頼るんです。
どうでしょう。今回の話にまったく損はないと思いませんか?」
勢いで押し切る形で出発した。
今回は、新規メンバーとの親睦を深めるため、敢えてメンバーをシャッフルしている。
移動に封貝を使わず、徒歩を選択したのも同じ理由からだった。
ドリュアスが位置を指定し、クゥガーが全力で向かえば、仕事は三〇分もかからず終わってしまう。
それでは意味がないのだ。
「――ってことは、レイさんもデイン君も、このままじゃ実家で飼い殺しっていう、あれは本当なんですね?」
「ま、そうなるな」
先頭に立って進むクゥガーが短く答える。
「でも、それってもったなくないですか?」
クゥガーは強面だが、声をかければ必ず返してくれた。
思いがけず会話が弾み、カズマは気をよくして続ける。
「二人とも封貝使いですよ? 幾らでも役に立つと思うんですけど」
するとクゥガーは一瞬カズマを振り返り、左手の親指でサングラスのブリッジを持ち上げた。
また顔を前方に戻して言う。
「役に立つさ、封貝使いは。だが、普通の奴からすりゃそれ以上に怖いんだよ。ただでさえバケモンなんだぜ。特権まで持たせたらどうなる」
「でも、領主にとっては自分の子どもでしょう。それが優秀って、喜ぶべきことでは? 村人にとっても、自分の所の殿様一家が強かったら安心でしょう。侵略への抑止力になるし」
「お前の理屈で封貝使いに爵位やら王位を継がせり、要職を任せたとする。そいつは長生きするな? ふつうの人間の何倍、何十倍も。その意味は分かるか?」
「あ――」
言われて気付いた。
「……ずっとその人がトップに居座りますね。交代がなくなる」
それは良いことではないのか。
一瞬、考えた。
少なくとも跡継ぎ問題で揉める機会は減る。
トップが安定していれば統治も安定するだろう。
近年の日本も、総理大臣がころころと入れ替わることで批判を受けていた。
「そいつが善政を敷くなら良いさ。だが、さっきの話に出てきたキィネオ伯のような奴だったらどうなるよ」
これは想像も容易だ。
凶悪な野盗集団と深く繋がり、一緒になって領民を苦しめる暴虐の統治者。
老いず、死なず、傷つかない、強大な武力を持つ暗君。
――地獄絵図だ。
「田舎貴族の子どもは、一四、五にもなると王族や上位貴族の元に送られて、メイドとか侍従とか……とにかく見習いとして働き始める。宮廷の作法を学ぶってわけだ。だが、デインもレイも受け入れ先は現れなかった」
「封貝使いだから――?」
クゥガーはすぐには答えず、懐から葉巻を一本取り出した。
乾燥した巨大な木の葉で刻んだ煙草を巻き包んだ、文字遠りの葉巻だ。
ライターのように小さな火を発する宝貝で先端を炙る。
咥え、一息吸い込んだ。
地球産の煙草と違い、クゥガーの葉巻は煙がでない。
完全にゼロだ。
匂いも注意していなければ感じられない。
微かに、雨上がりの時のような、水そのもののような香りが漂うだけだ。
彼は、嗜好品ではなく、一種の薬としてこれを服用している。
「――化物なんだ、俺たちはよ」
やがて、思い出したようにクゥガーは言った。
考えても見ればその通りだ。
執事やメイドとして受け入れた子が封貝使いとなると、そこには大きなリスクが生まれる。
探知・感知系の封貝を使われれば、機密情報など幾らでも盗めるからだ。
必然、スパイとして送り込まれた可能性を完全に排除できなければ、受け入れには慎重にならざるを得ない。
「でも、身内としてなら戦力として考えられるでしょう? 周辺の他領地への牽制にもなるし。核武装国家もそうだけど、外交で有利になるはずでは?」
「封貝使いの血は遺伝しないんだぜ?」
大切なことを忘れちゃいないか。
そんな口ぶりだった。
「遺伝するなら、保護して子を産ませて、増やして、安定した力にすることも考えるさ。
だが、そうじゃない。封貝使いに生まれてくるかは、運だ。一族から封貝使いが出たからって調子に乗ってたら、ライバルの家から三人出てくるかもしれねえ。
そこは丸きり博打なのさ。前は、そんな博打に乗って争い合う貴族が大勢いた。結果、世界中が泥沼の戦争を繰り返すことになったよ」
身内として権力を持たせるのも厄介。
切り札として外に向けて使うのも厄介。
裏切りのリスクを考えれば、外から取り込むのも厄介。
結局、封貝使いはどうあっても厄介者というわけだ。
「レイやデインたちがレイダーに憧れるのは当然だ」
目に見えない紫煙を吐き出しながら、クゥガーは言った。
「厄介もの扱いされてた自分の能力を存分に振えて、それを真っ当に評価してもらえるんだからな」
「むしろ、強い封貝の力を持つほど活躍できて、尊敬される……」
「そういうこった」
その時、カズマの左隣を歩いていたドリュアスが、にわかに足を止めた。
「おっ、どうした。敵か?」
ナージャは答えを聞く前から嬉しそうだ。
「はい。この先、六オービット(約三〇〇メートル)食屍獣がいます」
精霊は右の人差し指ですっと進行方向を指し示す。
「おお、では――まずはクゥガー先生。お願いします!」
揉み手でいうカズマに、当のクゥガーは無言だった。
輪っかを作るように丸めた人差し指、親指で葉巻を摘み、咥えていた葉巻を離す。
それから深く息を吐いた。
ピンと弾き、葉巻を足元に飛ばす。
一瞬遅れて、彼の大きな靴底がそれを踏みにじった。
森を守護するドリュアスが文句を言わないのは、それが環境破壊ではないからだ。
聞く話によれば、クゥガーの葉巻は一〇〇%天然素材。
土の上に置いておけば、二日ほどでほとんど完全分解されてしまうらしい。
また、動物や昆虫が食べたとしても害はない。
要するに、枯れた葉っぱを捨てるのと同じなのだ。
「――周辺の地形情報を教えてくれるかい、精霊サン」
クゥガーが長い沈黙を破って、言った。
「少し開けた場所です。土壌が少し酸性化しているため木が少なく、広場のようになっています」
「酸性化?」
言葉に険呑な響きを感じたのだろう。
ナージャが小さく目を見開いた。
「それは大丈夫なのか」
「広い山林の中では、自然に起こりえることです。現状では大きな被害になることはありません」
「なるほど……」
クゥガーはつぶやき、それから新しい葉巻に火を付けた。
「カズマ。お前、拳使いらしいな」
彼が訊いた。
質問ではなく確認だ。
「はい」
カズマは〈*ワイズサーガ〉を目の前で握り固める。
「まだ解放はできてませんけど。クゥガーさんには是非、同じ拳系として色々ご教示いただけたらと思ってます」
「まあ、派閥に入ったんだ。団長殿に手土産くらいは必要か」
無表情に言うと、クゥガーはやにわに両手を掲げた。
それは手術前の医師がそうするような、手のひらを自分に向け、両腕を直角に曲げるポーズだった。
「――白兵戦用封貝」
抑揚を欠いた口訣の声と同時、その両腕に変化が生じた。
どことなく〈*ワイズサーガ〉を彷彿とさせるそれは、悪魔の腕にも、甲殻類の外骨格にも見えた。
未知の金属に見える一方で、どこか有機物的な質感も伴っている。
関節部は黒々としているが、多くの部分は赤く、マグマのように発光して見える。
右手限定、肘から下しかない〈*ワイズサーガ〉と違い、クゥガーの封貝は両腕とも指先から肩までを完全に覆い尽くしている。
また、〈*ワイズサーガ〉は先端部が丸みを帯びているのに対し、指も肘も突き刺さらんばかりに鋭利である点でも対照的だった。
この攻撃的フォルムが、悪魔的印象を抱かせる最大要因になっている。
「こいつが俺のコア・ペルナ――〈*鎧袖一触〉だ」
「がいしゅーいっしょく?」
ナージャが小首を捻る。
「拳系ってのは、直接ぶん殴るのがセオリーだ。俺も例外じゃない。多分、お前もそうだ」
「はいっ」
カズマは緊張感をもって話に耳を傾ける。
ワールドクラスのケイスが敬意を払うような相手だ。
公園でリフティングをしているサッカー小僧の前に、バロンドーラーが現れて助言を申し出てくれているにも等しい。
「当然だが、強力な射撃能力を持ってる上、封貝の槍だの剣だので完全武装している相手に、拳なんぞそう当たるもんじゃない」
「ですよね」
「だから、拳系は当たればデカい。良いのが一発入ればそれで終わるくらいの特殊効果が乗る」
既にケイスやマオから教えられていたことだった。
が、カズマはただ「はい」とだけ答えた。
なんの説明から入り、どんな話に展開するか。
それも相手を知るための観察となる。
正確に言うなら、クゥガーが「拳系」と表現している〈*ワイズサーガ〉や〈*鎧袖一触〉は「打撃系」だ。
あるいは、「打撃系」の一種である、と言うべきか。
だが、クゥガーは正確性より、同じ拳系としての共通点を重視した。
親交に興味の無い人間はこういう話し方はしない。
言葉の選び方でも材料は得られるのだ。
クゥガーは、拳系以外のタイプにも簡単に触れた。
基本として、白兵戦用の〈Fox 1〉は、「飛剣型」をトップに「槍鉾型」「斧槌型」「刀剣型」そして「打撃型」の順で、広い攻撃範囲を持つ。
だが、封貝に宿っている特殊能力は逆だ。
間合の不利を埋めるように、「打撃型」を頂点に射程が短いほど強くなる。
この事実については、ショウ・ヒジカの持っていた〈*カースブランド〉が良い教材だ。
かするだけで強力な苦痛と悪夢を見せ、相手を行動不能にしてしまうあの反則的な特殊効果は、間合が狭い「刀剣型」だからこそだ。
「――当たれば勝ち。貰えば死。文字通り一撃必殺。だから、拳系の戦闘はどう当てるか、どう防ぐかの勝負になる」
クゥガーはそうまとめた。
「力任せでは勝てないってことですね」
「頭と技術がないと拳系は勝てねえな」
「みなさん」
ドリュアスの遠慮がちな声が会話を遮った。
「食屍獣がこちらに気付きました。封貝の召還で気取られたようです」
「問題ない」
言うと、クゥガーは歩みを再開する。
真後ろから見ると、クゥガーの巨躯は改めて分厚く、そして頑強だった。
身長は間違いなく一八〇センチを超えており、腕の太さ、胸板の厚さに到ってはどう見てもカズマの倍はある。
脚の長さの差もあり、大股で進む彼についていくためには小走りにならざるを得ない。
だがその分、三〇〇メートルはあっという間に感じられた。
不意に前方の視界が開ける。
ドリュアスの言っていた広場に行き着いたのだ。
森の暗がりに慣れた目に、遮るもののない陽光が染みる。
食屍獣は、広場の向う正面にいた。
遠近感を狂わせるほどの、地球の陸上には存在しないスケールの巨獣だ。
象や犀に似た樽型の胴と四肢。
尻尾と首は恐竜のように太くそして長い。
鎌首をもたげるようにした頸部の先端は今、警戒するようにカズマたちに向けられていた。
だが、本来頭部があるはずのその場所には、ただ首の直径と同じサイズを持つ巨大な口が空いている。
「一瞬だ。見逃すなよ」
クゥガーは言うと、カズマの返事を待たずに口訣した。
「――第一移動封貝」
一瞬、カズマは呼出されたそれに気付かなかった。
目の前に聳える広い背中――その肩胛骨あたりに視線を注いでいたのだ。
気配に気付き、クゥガーの足元に目線を移すことで、ようやく理解する。
彼の封貝は、両脚の膝から下に現れていた。
材質、デザインは腕部の〈*鎧袖一触〉と同様。
蹴りを主体とする格闘家がときおり着用するレガース、あるいは野球のキャッチャーやホッケーのキーパーが鎧うすね当てを連想させる、着装型だ。
とはいえ、防御はすね側だけでなく踵からヒラメ筋を通り、膝の裏近くまでを広くカバーしている。
人によってはロングブーツ型の封貝と表現することもあるだろう。
クゥガーはその左の爪先で、とんとんと軽く地面を叩いた。
直後だった。
身を屈めるようにして発進の体勢をとったかと思った瞬間、彼の姿はもう、そこにはなかった。
消えたと思った瞬間には、五〇メートルはあろうか、食屍獣の懐に彼はいた。
ほとんど瞬間移動としか思えない動きだったが、カズマの目はかろうじて、それが音すら置き去りにするような超高速の直進であったのではないか、という仮説をとることくらいはできた。
無論、動きの全てを肉眼で追えたわけではない。
ただ初動の際、クゥガーの身体がぶれたように見え、そこから前方に向かう斜線のようなものを網膜が捕らえた――気がするだけだ。
カズマだけでなく、相対する食屍獣をも呆然とさせる動きのあと、クゥガーはすっと右腕を前に突きだした。
一度立ち止まっているため、突進の速度はまったく乗っていない。
ただ、ぺちんと当てるだけの軽い動作だ。
拳がアルゴルの左前脚に触れる。
その風が撫でるような優しい動作が完了すると、クゥガーは丸きり行きと同じ速度で引き返してきた。
ぴったりカズマから三〇センチの場所に、今度は正面から向かい合う体勢で立っていた。
「今のが、当てるための方法の一つ。スピードだ」
クゥガーが言った。
「凄いじゃないか。お前、相当速かったぞ!」
ナージャが目をきらきらさせながら賞賛の声をあげる。
言葉からして、彼女はカズマより正確に動きを追えていたらしい。
「俺のこいつは――」
賛辞をさらりと受け流し、クゥガーはサングラス越しの視線を自分の足元に落とした。
「普通の奴の心臓が二度打つくらいの間、何百倍も素早く動ける」
「幻獣とかに乗らなくても、音速みたいに動けるんですか……?」
カズマは、思わず顎を落としていた。
「そんなの最強じゃないですか」
「そうでもない。二秒動くと、二秒の冷却時間が必要になる。連続使用はできねえんだ」
「あっ、食屍獣が――」
ドリュアスが声をあげる。
慌ててそちらを見ると、彼のおぞましい屍肉の掃除人は、巨体を大きく傾かせ倒れようとしているところだった。
密林の向こうから響いてくる見たこともない怪鳥の叫びにも似た絶叫が周囲に木霊する。
アルゴルが上げた苦痛の悲鳴だった。
見ると、倒木よろしく左側に横転した巨獣は前脚を欠損していた。
クゥガーが殴った場所だ。
そこがシャープペンシルの芯さながらにポッキリと折れている。
切断された部分は元の場所に、地面に立ったまま残っていた。
どっしりとした太い円柱形は、まるで古代遺跡の石柱を見るようだった。
「――石化が出たな」
痛みにのたうつアルゴルを見ながら、クゥガーが静かに言った。
「石化?」
「俺の〈*鎧袖一触〉の特集効果はランダムだ。〈石化〉〈麻痺〉〈消失〉のどれかが確率で出る。
当たりが浅かったり、振り抜けなかったりすると〈麻痺〉か〈石化〉になりやすい。綺麗に入ると〈消失〉が出やすくなって、当たった箇所がそのまま消し飛ぶ」
「えっ、あいつ脚が石になったのか? だから、重さに耐えきれずに折れて倒れたのか?」
ナージャが目をぱちくりさせる。
カズマも気持ちは同じだった。
「そういうことだ」
一撃必殺。
強力な特殊効果。
話に聞いて承知していたつもりだが、いざ目の当たりにすると、自分の理解が偽物であったことを思い知らされる。
ただ、ちょんと触れる。
それだけで、巨樹のような太い脚が丸ごと石化してしまうのだ。
それが自分の胴体や顔だったら――? まして、この世から存在が消えてしまうという〈消失〉が出れば。
絶対に、死んでも食らいたくない。
背すじが凍るような思いで実感する。
何があろうと、あんなのはごめんだ。
「ああいう食欲だけで生きてる馬鹿は簡単だ。だが、封貝使いは違う。俺たち拳系は見た目でタイプが分かりやすい。遭遇した瞬間、とにかく距離を取ろうとしてくる。簡単には近付かせてもらえねえ。そこからは駆け引きだ」
「その駆け引きには移動系が不可欠ですよね、やっぱり」
「まあ、そういうことだな」
クゥガーは素っ気なく言うと、再び封貝を発動させた。
二秒限定のアクセルを踏み込み、一人だけ違う時間の流れに入っていく。
今度は直前では止まらない。
加速をそのままに拳を叩きつけ、あっけなく食屍獣を消し飛ばした。
倒れて回避行動もとれない巨獣が的である。
どうあっても会心の一撃が入る。
これにより、先ほど言っていた「消失」の特殊効果が出たらしい。
インパクトの瞬間、全身を突き抜ける衝撃で爆散したアルゴルの巨体――その九割がたが、血飛沫と共に飛び散りながら、煙のごとく空に消えていく。
遠ざかって見えなくなったのではない。
熱湯に落とした氷か、そうでなければそれこそ消失マジックを見るように、忽然と消え去ったのだ。
尻尾の先端部や脚の爪など、衝撃が伝播しなかった極一部だけが、かろうじて実体を保った肉片としてぼたぼたと地に落ちていく。
「対封貝使いで戦力になりたけりゃ最低限、移動系はどうにかしねえとな」
悠々と歩いて戻ってきたクゥガーが、結論付けるように言った。
「移動系かあ……出ないんですよねえ、それが」
ワイズサーガの手のひらを見詰めながら、カズマはぼやく。
「いやあ、そろそろいけるんじゃないか?」
横からぽろりとそう零したのはナージャだった。
疑問系をとりながら、妙に確信的な口ぶりだった。
「えっ、なんでそう思ったの?」
「だって、ダーガ。ここのところの紅いのが増えてるじゃないか」
ここのところ、という部分で彼女は自分の右肘を指差す。
曲げたとき、ちょうど一番尖る部分をやや手首方向へ下ったあたりだ。
「はあ――?」
頓狂な声をあげつつ、カズマは右腕をひねる。
しかし関節の可動域には限界がある。
問題のポイントは、自分からだとどうにも見えにくい。
なんとしても、人間は肘で己の顎を触ることができないのと同じだ。
仕方なく、カズマは一端、義手そのものを腕から外すことにした。
これに驚いたような声をあげたのがドリュアスだ。
「その腕は取り外すことができたのですね」
興味津々で様子を見守っている。
それよりも、問題は義手〈*ワイズサーガ〉の方だった。
「全然、気付かなかった……」
ナージャの言葉は正しく、肘に近い部分に小さな刻印のようなものが並んでいた。
長さは二センチに到るかどうか、といったところか。
非常にゆるいS字を描く、細長いマークが九つ。
横一列に並べて彫られている。
良く見ると大変に精密な細工が施されており、ただのSの字でないことが分かる。
「なんだろう。これ――龍?」
「そうだな。私にも龍のマークに見えるぞ」
ほとんど額がくっつくほど顔を寄せてきて、ナージャが同じものを覗き込む。
龍と言っても、羽を持つ巨大な蜥蜴であるところの西洋型ではない。
空飛ぶ蛇に近い東洋型の龍だ。
九つのうち、左から六つが淡い朱色に点灯していた。
仕組は分からない。
だがぼんやりとしたその鈍い光は、どこかクゥガーの封貝の輝きにも似ていた。
「えっ、こんなのあったっけ。最初から?」
カズマはなんとなく龍の刻印を親指の腹でこすった。
それから顔を上げて妹分を見やる。
「ナージャはいつから気付いてたの?」
「私はわりと最初の方から知ってたぞ。ダーガ、気付いてなかったのか」
詳しく聞くと、彼女が最初に発見した時、龍の刻印は三つまでしか光っていなかったらしい。
こちらに来てすぐの話だ。
ところがインカルシで一度捕まり、その後カズマと再会したときには五つに増えていた。
そして、今は六つに増えている。
「なら……ええと、これに光がつくごとに使える封貝が増えるってこと?」
カズマが問うと、自信がなくなってきたのかナージャは首を傾げる。
「私はそう思ってたけどなあ」
「でも、〈*ワイズオレイター〉の時も、透明の盾の時も、頭の中でそれっぽい声が聞こえて、それから使えるようになったんだけど。今回は、そういうのないよ?」
「なんであれ、試してみりゃ分かるだろう。マークが付くのと、実際使えるようになるまでには時間差があるのかもしれねえしな」
と、クゥガーがずばり核心を突いてくる。
それもその通りだと、全員で広場の方に場所を移した。
食屍獣が占拠していた空間は、今では都合の良い実験場として利用できる。
「えーと、じゃあ可能性は低そうですけど〈Fox 3〉から順番に」
注目を浴びながら、カズマは広場の中心に一人進んだ。
脚を肩幅に開き体勢を整えると、握り固めた〈*ワイズサーガ〉を前に突き出す。
そして、口訣した。
当然のように〈Fox 3〉は空振りだった。
ニ、三度繰り返してみろ。
クゥガーの指示に従って複数回試したが、結果は変わらない。
防御系に移り――まだ出せていない――〈Delta 2〉、〈Delta 3〉と続けていったが、これも同様だった。
だが、移動系を試しはじめてしばらく、思いがけないことが起こった。
「じゃあ……〈第二移動封貝〉?」
1《ワン》が出なかったのに、いきなり2《ツー》はないだろう。
そう思って、半疑問系で投げやりに口訣した瞬間だった。
立ちくらみにも似た突然の目眩を感じて、カズマはたたらを踏んだ。
「ダーガ?」
異変を感じたのかナージャが声をかけてきた。
片手を突き出し、無言で問題ないことを示す。
にわかに心臓が早鐘のように鳴り始めていた。
――今のって……?
体力をごっそりもっていかれるような、その独特の感覚には覚えがあった。
〈*Fox 2〉で爆音を鳴らした時の疲労感がそうだ。
まさか。
思いながら、乾いた唇を舐める。
「――〈第二移動封貝〉ッ!」
今度は裂帛の気合いと共に唱えた。
先程までの作業感が嘘のように、強い期待があった。
果たして、期待は封貝はその期待を裏切らなかった。
誰かか背中から放りでもしたかのように、ポーンと何かが飛び出したのが見えた。
肩越しに左右同時、一対の何かが宙を舞う。
それは大した勢いも速度もなく、五メートルほどの地点にポトンと落下した。
「……ホワット?」
思わずアメリカンな声が漏れる。
腕の刻印からして、ドラゴン型の幻獣でも出てくるのか。
そう構えていただけに、未だ何が現れたのかすら未だに理解できない。
カズマはこちらでいう一〇キュービットの距離を慎重に縮め、落下した二個の物体を両方拾った。
サイズは――整形ポテトチップスの筒型容器についている蓋くらいか。
厚みも五ミリ前後と近しいものがある。
形は角が大きく丸まった正三角形。
いわゆる、おにぎり型だ。
「え、何これ……?」
呆然と見やった後、カズマは助けを求めるように仲間達に顔を向けた。
どれどれとナージャが歩み寄ってくる。
つづいてドリュアスとクゥガーも近付いてきた。
「これがダーガの〈第二移動封貝〉か? どう使うんだ?」
「いや、こっちが教えて欲しいんだけど」
「私の〈*脚踏風火〉みたいに、脚を乗せるんじゃないか?」
「そうかなあ……」
イメージがわかず、カズマは思わず首を捻っていた。
だが試さない理由はない。
一端、封貝を足元に置き、左右それぞれの足を上に乗せてみた。
飛べと念じてみる。
「第二移動封貝」と追加口訣を重ねてもみた。
しかし、何も起こらない。
何の反応もなかった。
カズマはおにぎり型のそれをもう一度拾い上げ、改めて観察した。
「結局……これなんなの? でっかいピック?」
「申し訳ありません。そのピックとはなんでしょう」
ドリュアスが訊いた。
「僕の世界で、一部の弦楽器を奏でるときに使う道具です」
どこか自棄っぱちになって事務的に解説した。
「弦を弾く時、手の爪の代わりにこういう三角形の板を使うことがあるんですよ。本物は二回り以上小さいですけど」
「ダーガの第二移動封貝はピックを飛ばす能力なのか? でも、それだと移動にならないぞ」
「それを言うなら……僕の場合、〈*ワイズオレイター〉も音が出る白玉であって、射撃武器になってないよね」
まさか、移動型封貝も同じ扱いなのか。
疑念が現実味を帯びてきた。
絶望に目の前が暗くなる。
「いやいや……さすがにそれはないよね。ピック出すだけとか」
「良かったな。どこでも楽器が弾けるぞ!」
人ごとだと思っているのか、単に状況を理解していないのか、ナージャの笑顔は無駄に爽やかだった。
「良くないよ! ギターないし。そもそもピックだとするならデカすぎだよね、これ。全然使えないから。ピックとしても失格だから」
「まあまあ。その分、凄く使える私がいるから問題ないではないか」
妙に嬉しそうに言う。
「嘘だろ……」
呆然と口を半開きにするカズマの肩に、後ろからぽんと触れる者がいた。
振り返る。
クゥガーの長身がすぐそこに立っていた。
サングラスのせいで相も変わらずその表情は分かりにくい。
だが口元を見る限り、彼は薄く笑みを浮かべていると解釈できた。
初めて見る彼の笑顔は優しかった。
「そんな……」
萎むように落ちたカズマの肩を、置かれたままだった手が二度、労るように叩いた。




