強く
あの騒ぎが嘘のようだった。
屋敷はすっかり元通りになり、人々も駆けつけた警備団に保護された。
神落としの残党は完全に姿を消し、屋敷に残ったのは呆けたように天井を見つめるルーカスだけだった。
庭でワープはリフィルに会った。固く抱きしめられ、
「あぁ、無事でよかった」
と囁かれたとき、安心感で身体中の力が抜けてしまった。
「リフィル様も。ご無事でよかったです」
リフィルの二人の騎士たちはそばに控えていたが、やがて耐えかねたように同時に崩れ落ちてしまった。
「や、こりゃ参ったね」
「おいリーンハルト、どさくさに紛れてどこを触っている!!」
「ど、どうなさったのですか?」
「魔力を使いすぎた代償よ」
リフィルはため息をつきながら二人に手を貸して立たせ、なんとか支える。
「巫女の騎士たちは、儀を受けた瞬間から強大な魔力を授かるけどね。使い果たすとしばらく動くのも苦痛になるほどの反動が起こるのよ」
悔しげに顔を歪め、ツルハはなんとか自力で歩こうとするが、結局はリフィルにもたれ掛かってしまう。
「申し訳ありません、リフィル様……」
「いいのよ、無理をさせたのはあたしだわ」
反対にのんびりとリフィルに身を任せるリーンハルトは、楽しげに言う。
「いえいえ。おかげでツルハちゃんと並んでリフィル様にもたれ掛かるなんて、貴重な経験ができました」
「……あなたは」
リフィルは苦々しげにリーンハルトを見る。
ワープは不安で仕方がなかった。もしかして、かなりの無茶をさせてしまったのではないだろうか。
そんなワープの思いを見透かしたかのように、リフィルが優しく顔をのぞきこんできた。
「ワープ。騎士が巫女を守るためにいることを忘れないで。あたしとあなたを守るために、この子たちが無茶しないでどうするの?」
「言ってくれますね、リフィル様いっ!?」
リフィルは高いヒールで容赦なくリーンハルトの足を踏みつける。
「……あなたはあなたの騎士を気にかけなさい」
その言葉に、ワープははっとする。
ケットの姿が見えない。
振り返ると、静かなセイルとアナの顔があった。
「……行ってやってくれ」
セイルが言う。
「お前の言葉の方が、あいつに届く」
どこか寂しそうなセイルの言葉に、ワープはなぜだか泣きそうになった。
「ワープ」
アナがやわらかく笑う。
「ケットには君が必要なんだよ」
ワープは自信がなかった。ケットの悲しみや葛藤を、理解してあげられるものだろうか。
いや、と心の中で首をふる。
理解できなくても。力になる努力はするべきだ。
「…………」
跪いて天井を見上げるルーカスを見て、ケットはふっと顔を曇らせた。
ルーカスの顔に生気はない。今までの出来事を、まるで信じられていないようだ。
変わり果てた父の姿に、ケットはもう怒りも悲しみも沸き起こらなかった。あるのはただ、ぼんやりとした虚無感。
ああ、父はいなくなってしまった。
そんなことを思いながらも、ケットはあえて呼んだ。
「父上」
ゆっくり、ルーカスが振り返る。
一気に何十歳も老いてしまったようだった。瞳に輝きはなく、肌は汚れて乾いている。
「俺は、貴方を許すことはできない」
すらりと剣を抜いて、ルーカスの首に刃を突きつける。
「貴方は俺の守るべき相手を、命の危険に追いやった」
ぐっと目を細めて父親を睨む。
その視線を受けてもなお、ルーカスの表情が変化することはなかった。
刃が、カタ、と揺れる。
ケットは首を垂れ、ゆっくりと剣をおろした。
「……だが俺には、貴方を責める権利もない」
剣を床に取り落とし、ケットは崩れ落ちた。
神落としに助けを乞うという、巫女の騎士として許されざる行為。人々のため、そして何より父親のため、それを行った自分もまた、責められるべき立場なのだ。
「……ケット」
ルーカスが、掠れた声を発した。乾ききった、老人のような声だ。
「私は、ヘレンス家を優位にしたかった……。何より、お前のために」
ケットは首をふる。
思えば父は、いつだってやり方を誤るひとだった。
「私は、行くよ」
ルーカスは静かに立ち上がると、よろめきながら屋敷の外に向かう。
行くべき場所は、牢の中だ。
これほどのことをしでかしては、ルーカスの身がどうなるかはわからない。
ケットはその場にとどまったまま、身動きとれなくなってしまった。
「……ケット」
ワープの声が、ケットの耳に滑り込む。
そのあたたかな響きに、ケットの心は震えた。
隣にワープがしゃがんだのを感じ、ケットは彼女を見る。
「……すまなかった」
口をつくのは、謝罪の言葉。
ワープが驚いたように目を丸くする。
「俺は、騎士失格だ」
「……なぜですか?」
「俺は神落としに許しを乞うた。巫女の騎士として、言語道断だ」
ワープは合点がいかないように、不服そうな顔をする。
「ケットの立場なら、当然のことではありませんか。あの状況で、フロウさまにやめてくださいと言うのが、なぜ悪いことなのです」
「……俺は巫女の騎士候補生だ。それは許されないことなんだよ」
ワープはケットと目を合わせる。驚いたことに、彼女は怒っているようだった。
「ケットは素晴らしい騎士候補生です。あなたを騎士失格と言うのなら、私の方が巫女失格です」
ケットは思わず口を緩ませる。
「君は、素晴らしい次期巫女だよ」
これは本心だ。なぜだか、この小さくてドジな少女を、自分は大いに認めている。
ワープはまっすぐケットを見つめている。
「私にはケットが必要です。私、ケットが騎士失格だなんて思いません」
ワープはケットの手を取る。この少女は何かを伝えたいとき、ひとの手を握る癖があるらしい。
「私、自分が巫女にふさわしいなんて思えません。けれど、……私の次期巫女としての意見を聞いてくださいませんか」
「……もちろんだ」
ワープは淡く微笑む。
「ケットは、いつだって私を守ろうとしてくださいました。私はあなたが騎士失格だなんて許しません。次期巫女として」
思いもよらず、その言葉はケットの心を強く打った。
この少女は、どこまでもまっすぐで、自分がいくら謝ろうと、笑顔で保証してくれるのだろう。
優しく煌めく紅色の瞳と目があったとき、ケットは知らずのうちに腕を伸ばしていた。
小さなワープの肩を引き寄せ、そっと背に手を回す。そして、力を込めて抱き締めた。
「わっ、あの、ケット!?」
「……悪いが、少し……このまま」
ワープは戸惑っていたが、やがてふふっと笑って、体の力を抜いた。
「ケットのお好きなように」
ケットは苦笑してしまう。
やはりこの少女は、守るべき相手だ。




