事件
休日明けの朝。ワープはいつものようにお祈りを済ませると、かなり早い時間から教室に向かっていた。 授業に少しでもついていくため、ナイゼル先生に頼んで朝補習を受けさせてもらうことになっているのだ。
教科書を抱えて中庭を抜けていくと、どこからかひょうきんな声が飛んできた。
「おはようワープちゃん」
見ると、赤いおさげをひょこひょこ揺らしながら、フィリアがこちらへやって来ていた。
「おはようございます、フィリア先生」
「こんなに早く、どうしたの?」
親しげに尋ねてくるフィリアに、ワープは朝補習に行くところだと説明する。
するとフィリアは、あらぁと嬉しそうに声をあげた。
「ナイゼル先生の個人授業?羨ましいわぁ」
「そ、そうですか」
ワープとしてはあの手厳しい教師が少し苦手なのだが。
フィリアはくすくす笑いながら、
「ねぇワープちゃん。何もこんなに早く行くことないわ。ちょっと寄り道しない?」
「寄り道ですか?あの、けれどナイゼル先生をお待たせするわけには……」
「いいからいいから」
腕を引かれ、ワープは強引に連れ去られてしまう。
ナイゼル先生の胃をまた悪化させてしまう、とワープは恐れおののいたが、フィリアは気にする様子もない。
結局引きずられ続け、たどり着いたのは中庭の中心。五大精霊を模したオブジェの下には、大きな人だかりが出来ていた。
「な、何かお祭りですか?」
「ちょっとしたイベントよ」
ワープがきょろきょろと辺りを見回し、ぴょんぴょん跳ねて人々の視線の先を見ようとしていると、聞き慣れた優しい声がかかった。
「ワープ、おはよう」
ふわふわと髪をなびかせながら、アナが近寄って来る。
「おはようございます」
見知った顔に安心感を覚え、ワープはほっとする。
「フィリア先生も、おはようございます」
「おはようアナ君。今日はどちらが勝つかしらねぇ?」
「どうでしょう。ワープが居るとなると、ふたりとも張り切っちゃうでしょうから」
にこにこと笑うアナ。
どちらが勝つとはどういうことなのか。きょとんとするワープを見て、アナが説明をくれた。
「今からセイルとケットの手合わせが始まるんだよ。毎回どっちが勝つかで大盛り上がりなんだ。賭け事もやってるみたいだし」
「手合わせ……」
思い返せば、初めて学園に来たとき、ワープはその手合わせに巻き込まれたわけだ。文字通りの真剣勝負がこんなに頻繁に行われるのかと、ワープは驚く。
「男子生徒はふたりの見事な剣裁きを参考にするため、女子生徒は勿論格好いい騎士候補生を見物するためにこうして集まるの」
フィリアが楽しそうに言う。
「かくいうあたしも彼らを目の肥やしにするために来ているわけだけど。ねえアナ君は戦わないの?きっとみんな君のことも見たがっているわよ」
「僕は花の手入れをしている方が好きです」
やんわりと言うと、アナはワープの手を取り、優しく握りしめた。
「え、えっ?」
「また巻き込まれたら嫌だから。こうしててあげるね」
彼特有の天使のような笑顔を向けられ、ワープは顔を赤くする。 そのとき、生徒たちの歓声があがった。
「始まったみたいだね」
刃と刃のぶつかり合う音。途端に人だかりは広がり、戦うふたりのために場所を広げる。アナが手を引いて避けさせてくれなかったら、ワープはまた巻き込まれていただろう。
「うーん、よく見えないわねー」
背伸びをしながら、フィリアは残念そうに眉をひそめる。
男子生徒の歓声と女子生徒の黄色い悲鳴で、辺りは大騒ぎだ。その様子に圧倒され、ワープは目を見開いたまま動けなくなる。
そんなワープをおもしろそうに見ていたアナが、
「やっぱり僕はそっちの目の方が好き」
おもむろに言う。
元の紅色の瞳を瞬き、ワープはなにやら気恥ずかしくなって俯いた。
その時一際高く大きな金音が響き、辺りから拍手が巻き起こった。どうやら決着が着いたらしい。
「はーいどいてどいて」
アナが人を掻き分けていく。セイルやケットと並び称される騎士候補生の姿に、生徒たちは慌てて道を開く。そこに連れられたワープは心許なくて仕方なかった。
人々の囲む中には、地面に突き刺さる剣と、首筋に剣の切っ先を突きつけられたセイル、その剣を手に持ったケットが居た。
「わっ、久々に勝敗がついたね。これでセイルもケットも105勝105敗。並んだよ」
アナが嬉しそうに手を叩く。ワープはふたりの対戦回数に仰天し、目眩さえ覚えた。
(200回以上も、このような勝負をしているのですか)
なんて心臓に悪いのだろう。
今セイルの首筋に突きつけられているのは、まごうことなく真剣なのだ。一歩間違えば命が危ない。
ワープがはあっと大きく息をついたところへ、恐ろしい怒声が飛んできた。
「ワープ・セベリア!!」
ナイゼル先生だ、と思った途端、視界の端にひどく怒った顔のナイゼルが映った。
ワープは飛び上がって、朝補習のことを思い出す。とんでもないことをしてしまった。ナイゼルとの約束を、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「ワープ・セベリア!!すぐに来なさい!!」
どうしましょうどうしましょう、とあたふたしていると、
「行った方がいいんじゃねえか?」
セイルが苦笑しながら言う。ケットとアナも、
「ナイゼル先生がああなっては、もうどうすることも出来ん」
「謝っておいで。頑張って」
ワープは涙目になりながら、とぼとぼと怒り心頭の教諭の元へ向かっていく。その途中でちらりとフィリアを見たのだが、彼女はあろうことか笑顔でひらひらと手を振っていた。
すっかりしょげかえって歩いて行くワープを見送りながら、セイルが悔しそうにケットを睨む。
「あーもう!!どうしてワープが見てるときに限ってお前が勝つんだよ!!」
「勝負は時の運だ。残念だったな」
得意げに口元を引き上げるケット。
セイルは怒る、ケットは笑う、アナはふたりをなだめるように困った顔を浮かべる。
そんな三人を見た女子生徒たちは、しょんぼりと歩いて行くワープに目を移し、その姿を冷たく睨み付けた。




